第6話 決裂の夜
書斎の扉をノックすると、返事はなかった。
けれど、開いていた。
リアーナは静かに中へ入り、机に向かう夫の背中を見つめた。
アゼル・フェルダイン。王族の分家に生まれ、若くして政務局の中枢に抜擢された秀才。
そして、自分の――夫。
「アゼル様。お話があります」
彼は書類に目を落としたまま、返事をしなかった。
沈黙が満ちる。
やがて、アゼルはゆっくりと顔を上げた。
そして、静かに――笑った。
「そうだ、リアーナ」
その声が、妙に澄んでいた。
「セレナは、私の愛人だよ」
リアーナの呼吸が止まる。
「あなたの侍女だったころから、ずっと私の目に留まっていた。
あの献身、あの可憐さ。君にはないものだった」
「……なぜ、今それを……」
「どうせ気づいていたのだろう?」
アゼルは立ち上がり、机を回ってリアーナの前に歩み出る。
その眼差しに、もはや仮面はなかった。
「君のような女は、“都合のいい聖女”なんだよ。
政治的にも、血筋的にも、完璧な道具だ。私にとっては便利だった」
リアーナは唇を噛んだ。胸の奥が焼けるように痛む。
「……では、最初から、愛など……」
「愛?」
アゼルは鼻で笑った。
「君に、愛される価値があると思っていたのか?」
その言葉は、確実にリアーナの心を切り裂いた。
「魔力が乱れてきているよな。わかっているんだ、私には」
「……っ」
「そろそろ、創造魔法の適性も限界だろう。
だから、力が完全に失われたら――離婚する。
そして私は、セレナと結婚するつもりだ」
その声には、情も迷いもなかった。
「お前はもう、終わったんだよ。
この国にとっても、私にとってもな」
リアーナの中で、何かが静かに崩れ落ちた。
怒りではない。
悲しみでもない。
――空虚だった。
それでも、立ち去る前に彼女はひとつだけ言った。
「そう……ですか」
「……」
「わかりました。なら、私は私の“終わり方”を選びます」
アゼルは何も返さなかった。
リアーナは静かに背を向け、扉を閉めた。
その扉は、とても冷たく重かった。