第5話 宣戦布告
「リアーナ様。……どうして、何も言わないのですか?」
部屋に入ってきたセレナは、紅茶のトレイを手に、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべていた。
ふわりと香るラベンダーの香り。優しげな声色。
けれどリアーナは、そのすべてが“演出された静寂”であると感じていた。
「……何のことかしら?」
静かに返すと、セレナはゆっくりとティーカップを置いた。
「アゼル様と……私のことです」
リアーナは答えない。
セレナはその沈黙すらも計算済みのように、ほほえみを崩さず続けた。
「本当は、気づいていたのでしょう? でも、リアーナ様は“聖女”だから、口にしなかった」
「……」
「ええ、きっとそれが、正しいことだったのだと思います。
“愛されている”と信じることこそが、貴女らしさだったから」
その言葉には、同情の色を帯びた蔑みがあった。
リアーナは静かに立ち上がり、セレナに向き合う。
「あなたは、わたくしに……何を伝えたいの?」
「お伝えしたいことなんて、何もありません」
セレナは、まるで“全部わかっている”という顔で首を傾げた。
「ただ、私はリアーナ様を――羨ましいと思っていました。ずっと。
貴族の娘として生まれ、美しく、強い魔力を持ち、皆に称えられて……」
微笑みながら、紅茶を一口。
「なのに、リアーナ様は、何一つ、心から感謝していなかった。
“望んでいなかった”と、心の奥では思っていたのでしょう?」
リアーナの指が、わずかに震えた。
なぜこの女は――私の中を覗いてくるのか。
「……あなたは、わたくしに嫉妬していたのね」
「はい。ずっと。でも今は、少し違います」
セレナは、カップを置いた。
そして一歩だけ近づき、声を潜めて囁く。
「私、アゼル様と出会って、ようやく分かったんです。
――“リアーナ様を壊す”って、こんなに楽しいことなんですね」
空気が凍りついた。
だがセレナは、微笑みを一切崩さなかった。
「おやすみなさいませ。リアーナ様。……少しは、眠れると良いですね」
部屋を出て行くその背中に、リアーナは声をかけることができなかった。
彼女の“優しさ”が、最も美しく、そして最も恐ろしい仮面であることを、今、初めて理解した。