その23 花
あの竜巻は、俺の住む町に、巨大な爪跡を残していった。
その後、連日のように、怪我人を運ぶ救急隊員たちや、瓦礫処理をする自衛隊員たちを目にしたり、あるいは報道リポーターたちとカメラマンたちを目にしていた。
バラバラと音を響かせて、自衛隊やTV局のヘリが、ほとんど絶え間なく上空を飛び交っていた。
自然と、凛花の入院する病院へと足が向いた。
俺は、彼女の入院する、個室の病室へと入っていった。
その部屋の入り口わきには、「伊吹凛花」とプレートが差し挿まれている。
彼女の個室には、彼女以外に誰もいなかった。
ベッドの上で、彼女は前と同じように、天井へと顔を向けたまま、身動ぎ一つしなかった。もちろん、瞼は閉ざされたままだ。
まるで彼女の時間だけが止まってしまったかのようだ。
しかし、彼女の胸元のフトンが、微かに、規則正しく上下していることから、ちゃんと生きているということはわかる。
俺は凛花のベッドの傍らにある丸椅子に腰かけ、彼女の姿をただ眺めていた。
彼女の傍の棚には、千羽鶴が置かれていた。俺らのクラスのみんなが折ったものだった。
数々の見舞いの品のなかには、透明なケースに入れられた、赤いドライ・フラワーがあって、それだけが真っ白で無機質な部屋のなかで、鮮やかに浮かび上がって見えた。
しばらくのあいだ、俺はその花をジッと眺めていた。
翌日も翌々日も、やはり彼女は目を覚ましはしなかった。
例の竜巻のせいで、学校が休校になっていたので、俺は毎日のように、凛花のいる病院へと足を運び、彼女のベッドわきの丸椅子に座って、彼女のことをただぼんやりと眺めていた。
それから、例の赤いドライ・フラワーをしばらくのあいだ見やっていた。やはりその花が、なんだか目を引くのだった。
*
彼女の病室から出て、自販機のある休憩スペースで、紙パックのカフェ・オ・レをストローで啜っていると、「おぅ」と不意に背後から声をかけられ、俺はベンチのクッションから一センチほど尻を浮かした。
振り返ると、髪が薄く、銀縁の丸眼鏡をかけた男が立っていた。天使のオッサンだった。いつものように、暗緑色の着物を着ていた。
「あんたかよ!」俺は胸を押さえながら応じた。心臓がバクバクと云っていた。
「そんだけリアクションがでかいと、こっちも驚かし甲斐があるってもんや」と天使は満足気に笑った。こいつ、わざとかよ。
「何の用だよ?」と俺は訊ねた。
「用があれへんと、君のとこへ来たらアカンのか?」
「帰れ」
「冗談はさておき」と天使は本題を切り出した。「例のミッションの件や。ここやと人目っちゅうか、人耳が気になるやろうし、屋上にでも行こか?」
天使はエレベーターへと向かっていった。律儀にも、物理的な手段を使うようだった。
例のミッション?と俺は思った。それを俺はとっくに抜けた筈だったからだ。
カフェ・オ・レの空容器をゴミ箱へ突っ込み、俺は彼の背中を追った。
屋上には誰の姿もなかった。
底が抜けたような、秋晴れの空だった。暖房の効き過ぎた室内にいたので、冷たい空気が美味かった。
洗濯竿には、洗いたての真っ白なシーツが干されていて、バタバタと風にはためいていた。
「それで、話っていうのは?」と俺は訊ねた。「茶番はいいから、単刀直入に教えろよ」
「云われんでも、端はなからそのつもりや」と天使は笑って云った。
「君ら二人――つまり君と時枝璃々珠は、無事にミッションをクリアした」と彼は続けた。
「俺はリタイアした筈だけど?」
「せやけど君は、そのあとで時枝を救ったやろ? 実質、復帰扱いや」
俺は黙って、屋上のフェンスの向こうの街並みを見ていた。
マンションやビルの群れの先に、スカイツリーが天高く聳そびえている。
そして、遠い風の音に似た、低い唸り声が聞こえていた。どこかの道路を走る車や、どこかの線路を走る電車の音などが入り混じったそれだ。
「なんや、嬉しないんか?」天使が不思議そうに訊ねてきた。「君の命は助かったんやぞ?」
なぁ、と俺は遠くのスカイツリーを眺めながら云った。「その俺の命で、あいつを――凛花を助けることはできないのか?」
「はぁ?」天使は素っ頓狂な声を上げる。
「あいつの目を、覚まさせることはできないのか?」
天使は訝しげな顔をしていた。「お前、本気で云うとるんか?」
「本気も本気だ」と俺は静かに答えた。「実はさっきまで考えてたんだよ。俺の命と引き換えにあいつを……って」
「死ぬのが怖くないんか?」と天使が訊ねた。
「怖くないと云えば嘘になる」と俺は答えた。「だけど、一度は捨てた命だしな。それなら安いもんだ」
「おもろい奴やな」と天使が云った。「ホンマにおもろい……」
不意に天使が「ん?」という奇妙な顔つきをした。まるで、宙そらからメッセージが降りてきたかのようだった。
「なんだよ?」
「神界からの通信や」
「神界?」
「『神様』直々からのお達しや」と天使は驚いたように云った。「こんなケースは初めてやで……」
「その君の願い、叶えてくれるそうや」と天使は続けた。「なんでも、君は『それ』にも関わらず、彼女の傍から離れなかったからやそうや……。そのご褒美らしいで」
「『それ』?」と俺は訊いた。
「俺にはわからへん」と天使は答えた。「ちゅうか、君が一番わかっとるのと違うか? 君がずっと、彼女の傍におったんやから」
ただしや、と天使は人差し指を立てた。「それには、彼女自身の承諾が必要や」




