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その19 痛み

 夏休みが明けた。


 しばらくのあいだ、深夜に家を抜け出して、町中を歩き続けた。


 ちょうどいい高さの建物を見つけては、そこへと侵入し、5階か6階あたりまで階段で上った。


 それから、その階から飛び降りられるかどうかを試した。


 自殺しようとしていたのではなかった。


 ただ、試していただけだった。自分が死ぬことができるかどうか、その場所でシミュレートしていたのだ。


 なぜわざわざ、高いところを探して、そこまで上るのかといえば、リアリティが欲しかったからだ。


 だけど、そのシミュレーションにおいても、飛び降りることができなかった。


 「死にたい」という思いはあるのだけれど、死ぬときの痛みを想像してしまい、どうしてもダメなのだった。


 死という解放と、痛みの回避とを天秤にかけると、結局後者を採らざるを得なくなるのだ。


 日本の年間の自殺者数は二万人にも上るといわれるが、よく死ぬことなんてできるよな……と駐輪場の屋根を見下ろしながら思った。


 もしかすると、痛みをリアルに想像できないんじゃないのか? 子供時代に、あまりにも過保護に育てられ過ぎて……。つまり、物理的な痛みをほとんど経験してこなかったことが理由で――


 ある意味で、身体を失っているのだ。


 そして俺は、高い建物から下りてはまた町を歩き、丁度いい高さのそれを見つけてはまた上り、それから飛び降りられるかどうかをまた試すのだった。


 「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待することだ」というアインシュタインの言葉(アインシュタインのそれではないという説もあるが……)が脳裏を掠めたりもした。




 結局、その行為は一ヶ月もしないうちにやめてしまった。


 いつかの時枝の言葉が、頭のなかに甦ってきたからだ。


 「自殺をすると地獄に堕ちる。そこは真っ暗闇で、とても寂しいところなの。独りっきりでね……。そこでは、永遠だと思えるような時間、生前の行いを反省することになるの」


 そんなところに堕ちるのは、文字通り死んでもゴメンだったのだ。


 図らずも彼女は、その言葉で、俺を救ったことになった。


 少なくともそれが、俺を奇妙な無限ループから抜け出させたのだ。


 ところで、彼女は今どうしているだろうか?と靄がかった頭で思った。


 いまもあいつは一人で、例のミッションをこなしているのだろうか? 俺の抜けた穴を一人で埋めながらも――

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