2 遭遇
ホームの奥には、もう一つの通路があった。
さっきまでの構内と違って、壁のタイルは剥がれ、天井は低く、ところどころ鉄骨がむき出しになっていて非常灯が赤く薄く点滅していた。
「……これ本当に駅か?」
誰にともなくつぶやいた声が、コンクリートに跳ね返って自分に返ってくる。
構内放送も、電車の音も、もう何も聞こえない。ただ、靴音だけが異様に響く。
通路を進むたびに、駅というより廃墟に近づいていく感覚があった。
天井の照明は半分以上が切れていて、点いているものもチカチカと不規則に明滅している。
壁にはところどころ、得体の知れない黒いシミや、無意味な記号のような落書き。
綾人はゆっくりと歩を進めた。
とつぜん、足元で何かが「ミチ」と鳴った。
床のコンクリートがひび割れ、そこから何か液体が染み出している。
……血じゃない。もっとどす黒くて、油のような、粘り気のある液体。
鼻をつくような、金属とカビが混じったにおいが立ちこめてきた。
綾人は口元を覆い、奥へとさらに進む。
やがて、駅の構造は完全に崩れた。改札も、案内板も、ホーム番号もない。
ただ、コンクリートの壁と、無機質な通路だけが、無限に続いていた。
綾人の足音が止まる。
闇の中で――何かが、微かに動いた気がした。
落ち着いてきた心拍が再度上がり始める。
震える足を動かし綾人は闇の中へと入っていった。
―――――
しんと静まり返った空間の中、耳鳴りのような静寂が支配している。
そんな中で――目にした。
壁一面が、なにか巨大な“刃物”で抉り取られていた。
幅は1メートル以上、深さは人間の胴体が丸ごと入るほど。削れたコンクリートが粉塵になって床に散らばっている。
「……なんだよ、これ……」
衝撃でひび割れた蛍光灯が、時折バチバチと音を立てる。そのたびに抉られた痕が不気味に照らされ、まるで「こっちに来い」と誘っているかのようだった。
さらに奥へ。
そこで、綾人は2体目の死体を見つける。
さっきのものよりもずっと古く、腐敗が進み、半ばミイラ化していた。だが、装備はしっかりしていた。ジャケットの内ポケットには、血で滲んだ紙片と、破損しかけた小型のレコーダー。
震える手で再生する。
>「……くそっ、どうしたら…仲間とは連絡が取れない…弾ももうない…もうおしまいだ…」
「ギャオオオオオ!」
「やめろ!来るな!やめてく―」
そこで録音は途切れた。
綾人の喉がかすかに鳴る。心臓が異様に早く打ち始めたその瞬間。
――パッ。
構内灯がすべて、一斉に切り替わった。
次の瞬間、空間が深紅の非常灯だけで照らされる。空気が変わった。
「……っ!?」
次いで、轟音のような咆哮が暗闇の奥から響いた。
骨を震わせるほどの、獣でも機械でもない、異形の叫び。
そして、重く、鉄を引きずるような足音が迫ってくる。
影の奥から、それは現れた。
3メートル近い巨体。
肉と鉄の融合体のような体躯。片腕には信じられないほど巨大な武器を携え、頭部は金属製の仮面に覆われている。
その“顔”が、綾人の方を向いた気がした。
次の瞬間、巨体が壁をぶち抜くようにして走り出す。
「――くそっ!!」
綾人は背を向けて全力で走った。
コンクリートの通路が震え、背後から吹き付ける風圧が肩を押しつぶす。
出口はない。道はループしている。どこへ逃げる――どこに隠れる――どこで撒く?
思考も体も限界の中で、綾人は狂った駅の迷宮を駆け抜ける。
ひゅっ
「あがっ」
投げナイフのようなものが左足を抉る。
――やばいやばいやばい
背後からは荒い息遣いと重々しい足音が聞こえる
血の滴る足を引き摺りながら必死に逃げ出そうとした。
――なんなんだあいつは…
風を切るような音がした瞬間足の力が抜け、床に倒れてしまった。
ワンテンポほど遅れて右足から激烈な痛みが走る。
その瞬間右足が宙を舞っているのが視界に映る。
「ぐわぁ…ひっ…あ…あぁ」
恐怖と痛みに身を捩りながらしゃっくりをするように喘いだ。
――足…足足足足俺の足が…
それでもなお逃げようと思い残った左足で地面を必死に蹴る。
両手をがむしゃらに動かし地面を掻く。
だがずんと鈍い衝撃が左足襲う。
「あぁ…こぽっげほっげほっ」
声を出そうとしても出てくるのは血だった。
身を捩り仰向けになり、握っていたグロックの銃口を化け物に向けて撃つも全て弾かれる。
血飛沫によって赤く染まった視界には振り下ろしてきた刃物が写った。
その瞬間鈴木綾人は命を落とした。