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第2話 知的好奇心の芽

 朝食プレートを洗浄ユニットに入れ、軽い音を立てて扉が閉まるのを見届けると、カイリは自室へと戻った。先ほど窓の外で見た虹色の光の残像が、まだ瞼の裏にちらついているような気がした。だが、すぐに思考は別の方向へと向かった。ミスティリアの日常に潜む小さな不思議も興味深いが、今の彼女の心を捉えているのは、もっと深く、古く、謎めいたものだった。


 部屋の中央に置かれたシンプルなデスクに向かい、カイリは薄型情報端末を開いた。指先が滑らかにパネル上を動き、セキュリティ認証を解除する。表示されたのは、両親が所属する研究機関の共有アーカイブへのアクセス画面だ。父親は先進的なエネルギー技術、母親は夢と深層心理学を専門とする研究者で、二人とも多忙を極めている。そのため、家を空けることも多く、カイリは幼少から寂しい思いをしていた。そのようなカイリに、彼らは自由に知見を広げられるようにと、一部の研究データへのアクセス権限を与えてくれていた。


 カイリの指が迷いなくタップしたのは、『古代ミスティリア文明・魔法体系関連』と名付けられたフォルダだった。以前から漠然とした興味はあったが、最近になって、そのフォルダの中に眠る情報が、まるで彼女を呼んでいるかのように感じられていたのだ。

画面には、色褪せた羊皮紙をスキャンしたデータ、解読不能な古代文字の羅列、複雑な幾何学模様――魔法陣だろうか――のスケッチ、そして母親が分析したという古代の魔法使いが見たとされる夢の記録などが次々と表示される。そのどれもが断片的で、現代の科学的常識からはかけ離れていた。だからこそ、カイリの知的好奇心を強く刺激した。


 特に彼女の目を引いたのは、父親が個人的に注釈をつけていた、とある文献の一節だった。


『……境界は曖昧なり。(うつし)世は夢の影、夢こそ(まこと)の姿。力ある者は夢を渡り、現を変容せしむ……』


「夢は単なる脳の活動じゃないってこと……?」

 呟きながら、カイリはホログラフィック通信のアイコンをタップした。呼び出し音が数回鳴った後、デスク横の空間に淡い光が集まり、父親の立体映像が姿を現した。背景には、見慣れた彼の研究室が映し出されている。


「やあ、カイリ。どうしたんだい、こんな時間に」

 父親は少し驚いたような、それでいて優しい表情で娘に問いかけた。彼のホログラムは非常に精巧で、まるで本人がそこにいるかのように錯覚させる。


「おはよう、パパ。ちょっと聞きたいことがあって。パパが前に調べてた、あの古代魔法の文献のことなんだけど……」

 カイリは少し早口になりながら、先ほど見つけた一節について尋ねた。

「ああ、あの古いデータかい? ずいぶんマニアックなところに興味を持ったもんだな。あれは、現代科学の視点から見れば、ほとんどおとぎ話のようなものだよ。何か気になることでも?」


「うん。この、『境界は曖昧なり』ってところ。夢が現実の影で、夢こそが本当の姿だなんて……それに、『力ある者は夢を渡り、現を変容せしむ』って、どういう意味なのかなって」

 カイリは食い下がるように尋ねた。父親の言うように、現代科学の常識とはかけ離れている。だが、このミスティリアという都市そのものが、常識では測れない存在なのだ。リアル・ファンタズムのように、夢が現実の一部に溶け込んでいるこの場所では、古代の考え方が、あながち間違いではないのかもしれない、とカイリは感じていた。


 父親は少し考え込むような仕草を見せた。

「ふむ……古代の魔法文明では、そういう考え方が主流だったようだね。夢の世界を、我々の現実とは別の、しかし深く繋がった一つの次元として捉えていたらしい。そして、一部の強力な魔法使いは、その夢の世界に意識的に干渉し、現実世界に影響を与えることができた、と信じられていた。まあ、あくまで伝説の域を出ない話だが」

 父親は言葉を続けた。

「現代科学では、夢は脳内の情報処理プロセスであり、リアル・ファンタズムも、その脳活動と特殊な素粒子との共鳴現象として説明されつつある。古代の考え方は、比喩的な表現か、あるいは当時の未熟な科学的理解によるものだろう」


「でも……」

 カイリは納得しきれない。

「この文献に描かれている図形や文字も、ただの模様とは思えないんだけど。すごく複雑で、何か意味がありそう……」

 彼女は、画面に表示された奇妙な図形――幾重にも円が重なり、鋭角的な線が交差する模様――を指さした。


 父親は画面を一瞥し、肩をすくめた。

「それはおそらく、古代の魔法陣や呪文の一部だろうね。だが、その正確な意味や効果は、現代ではほとんど解明されていない。解読できたとしても、実際に機能するかどうかは……まあ、疑わしいものだよ」

 そこで父親は、少し声のトーンを変えた。研究者の顔から、父親の顔に戻る。

「カイリ、知的好奇心を持つのは良いことだ。だが、あまり古いもの、特に科学的に証明できないものに深入りするのは感心しないな。古代の魔法なんて、危険な側面もあるかもしれないからね。気をつけるんだよ」

「……うん、わかった。ありがとう、パパ」

 カイリは少し不満そうな表情を隠しながらも、素直に頷いた。


「じゃあ、パパは研究に戻るよ。何かあったら、また連絡しておいで」

 そう言って、父親のホログラムは淡い光と共に消えた。


 部屋は再びしんと静まり返った。カイリは、父親の言葉を反芻しながら、再び情報端末の画面に目を落とした。現代科学では解明できないことばかりだ、と父は言った。だが、このミスティリアという都市自体が、解明できない神秘の上に成り立っているのではないだろうか。


 彼女は、古代文献のデータをさらに深く読み進めていく。夢と現実の境界、古代の魔法使い、そして、何度も繰り返し現れる一つのキーワード。


――力。


 それは、夢を渡り、現を変容せしむという『力』。リアル・ファンタズムとは異なる、もっと根源的で、強大な何かの存在を示唆しているように思えた。カイリの胸の中で、古代の謎への探究心が、小さな、しかし確かなものとなって広がっていった。

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