ネット小説オタクの私が、ネット小説のざまぁされ聖女に憑依したので、ネット小説の知識を使ってざまぁ回避をしてみせます。
「だから、アレナは聖女なんだよ。予知夢をみたんだ」
そう主張したのはこの国の王子だ。自分の隣に立っている女を愛おしそうに見つめている。
彼がアレナと呼ぶその女こそ、わたしが憑依してしまったネット小説のヒロインで、王子はそのお相手役だ。
でも、龍騎士団団長のユレイは王子の言い分を鼻で笑った。
龍騎士団は原作にはほんの一行くらいしか出てなかったんだけど、なぜか、わたしとは関係が深くなった。
「おれたちの聖女は、そこにいる。偽物の聖女はいらないんだよ」
ユレイはそう言って、わたしに視線を向けた。彼はわたしのことを聖女と認めてくれているらしい。一方で、アレナのことは、ばっさりと偽物だと断じた。
偽物と呼ばれたアレナは顔を真っ赤にさせた。そして言う。
「どうして、そんなふしだらな女性を聖女として扱うんですか?」
アレナはわたしを指差す。ムカつくけど、彼女がそう思うのは無理もないかなとも思う。
わたしが憑依することになった小説の内容はこうだった。ヒロインはさえない男爵と結婚する。しかし結婚後すぐに男爵は戦地に行って、そこで活躍して英雄と呼ばれるようになる。
それだけなら問題ないんだけど、でももちろんそれだけじゃなくて、男爵は聖女と不倫もしてて、戦地から帰還するとすぐにヒロインに離婚を求める。
で、わたしが憑依したのが、まさにこの不倫相手の聖女ってわけ。だから、小説の内容を考えれば、ヒロインのアレナがわたしを元夫の不倫相手と思い込んでいるのも仕方がないのだ。
「お前こそ、自分が聖女のつもりとは笑わせる」
「アレナを馬鹿にするな!」
ユレイの言葉に王子が叫んだ。
「別に馬鹿にしたわけじゃない。事実を言ったまでだ。そもそも、誤解しているようだが、そこにいる聖女は、別にあのクソ男と不倫関係にあったわけじゃない」
そう、わたしは男爵と不倫なんてしてなかった。でも、そう思い込んでいるヒロインはそれを否定する。
「うそ! 付き合ってるし、結婚間近だって、言ってました。肉体関係もあったって。それって完全な不倫ですよね。失礼ですけど、あなたは騙されてるんじゃないですか? その女はあの男から、あなたに乗り換えようとして、嘘をついているんだと思いますよ」
アレナのその言葉に、わたしが顔青くしているのに気づいて、アレナは調子づいた。彼女の言葉が事実だからではなく、彼女の悪意に動揺したのだ。
「ほら、図星みたい。顔を青くしちゃって」
わたしを見て、せせら笑う。
「失せろ」
ユレイは氷のような声をだした。
「はっきり言うが、その女の予知があたるかどうかなんて、どうでもいいんだよ。誰が聖女にふさわしいか、それは既に明らかだからだ。聖女はおれたちのために、命をかけて戦場で手当てをしてくれた。倒れるまで癒しの力を使ってくれた。おれの判断ミスで敵の攻撃を受けたときには、自分のすべてを尽くして、兵士たちも兵糧も、拠点のすべてを守ってくれた。自分の身を削ってだ。覚悟を持っておれたちを守ってくれたんだ。で、その女は? おれたちに何をしてくれたんだ? どうして、その女を信じて、聖女として扱ったりできる?」
攻撃に転じたユレイに、アレナも王子もうろたえている。ユレイは体も大きくて威圧感があるんだよね。
「だから、予知で……」
なんとかアレナが絞り出した。でもさっきまでの威勢は今はなく、声も小さい。
「予知だと? で、もしその予知が外れたら、お前はどう責任をとるつもりなんだ?」
「責任って、わたしはただ、夢でみたことを伝えたくて……」
「くだらないな。なんの責任もなく、結構なことだ。お家に帰って、布団で寝て、好きなだけ夢をみたらいいさ」
アレナと王子が言葉に詰まっている間に、ユレイはもう何も言うことはないとばかりに、わたしをつれてその場から離れようとした。
わたしは、わたしを不倫相手と思い込んでいるアレナに少しの同情心を感じながらも、これで計画通り、ざまぁ回避できたのかな、などと考えていた。
***
話は数ヶ月前に遡る。
朝、目覚めたら戦場にいたのだ。
いや、さすがにおかしいでしょ、と思った。
ちょっと待とう。いったん、寝る前のことを思い出そう。
昨日は、いつも通り、自分の部屋で布団にくるまると、ブクマしてあるネット小説を巡回した。更新されている小説はありがたく読み、更新のない小説にはがっかりする。
そしてその後、新規開拓にいそしむ。
わたし個人の意見としては、こう思っている。ランキングから小説を探すなど邪道! 真のネット小説読みたるもの、常に新着小説に目を配っておかなければならない!
ネット小説読み専歴も20年(とナイショ)のアラサー喪女なんだから、そのくらいはしとかないとね。こちとら、だてに小説投稿サイトが流行る前からオリジナルネット小説の読み専してないからね。
太古の昔、ネットの小説書きたちは、独自のホームページを作成し、そこに自分の小説を投稿していた(今でもお世話になってます。ありがとうございます)。そして例えば、恋愛遊●民とかのサーチサイトに登録して、そこから読者を誘導していたのだ(今でも以下略)。
その後には、ブログで小説を書くことが流行って、で十数年前からは、小説投稿サイト全盛時代となった。今後はどうなるんだろうね。雨後の竹の子みたいに大量にでてきた小説投稿サイトも流行りすたりの波からは逃れられないだろうな。
ところで、ネット小説が好きでーって周りに言うと(誇り高きネット小説オタクなので、周りに隠したりなんてしてないのだ)、○○○(有名ネット小説、TVアニメ化、映画化済み)とか△△△(有名ネット小説、アニメ3期放映中)、□□□(有名ネット小説、TVアニメ化済み、女子高校生に大人気)とか読んでる? って聞かれることあるけど、はっきり言えば、読んでない。
だって、わたしの好みとは違うんだもん。でも、そういう大人気作品をスルーして、自分が好きな作品だけを読んでいったとしても、読み切れないくらい、ネット小説界隈っていうのは懐が深いと思っている。
ときどき、「ネット小説ってみんな▲▲▲(偏見のかたまり的見解)(嘲笑)」とか言ってくる人もいるけど、外野はだまっとれ! ネット小説の多様性は、出版されてる書籍の多様性より多分大きいんじゃぼけ! って思うよね。さすがに口には出さんけど。世間で話題の作品だけがネット小説じゃねーから。
って! そんなことはどうでもよくて、とにかく、昨日はネット小説を読んだあとに、電気を消して、就寝したのだ。いつも通り。自分の部屋で。
で、目が覚めたらここにいる。
ぱちっと目覚めて、見上げると、天井が違った。てか、天井というか、天幕なんだけど。
あるじゃん。戦争とかの移動したりするときに使う、テントの大きいバージョンみたいなやつ。あれ。あれが見えたんだよ。目覚めてすぐ。
おや? って思った。まだ夢の中かな? みたいな。
目が覚めたばっかりでぼんやりしてたのもあって、現実を受け止めきれないでいたっていうか。そしたら、そばにいたかわいい女の子にこういわれた。
「聖女さま、大丈夫ですか?」
まさか、自分のことでとは思わなかった。聖女さま? どこにいる? だれ? と周りを見回してみたら、さらにその子が言葉を重ねる。
「聖女さま。まだお加減が悪いんですか?」
そこではじめて、もしや聖女さまってわたしのこと? と思い至り、その女の子をまじまじ見る。
「あの、聖女さま?」
やっぱり、どうやらこの女の子はわたしのことを呼んでいるらしい。でも念のためと思って聞いてみる。
「わたしを呼んでる?」
恐る恐る聞くと、その子は驚いたみたいに言った。
「あたりまえじゃないですか! 聖女さまは聖女さまなんですから!!」
聖女さま、聖女さまって、わたしが? そりゃネット小説では、聖女ものっておおいけど。今や悪役令嬢より多いと思うけど、自分が聖女って呼ばれるなんて、いったいどういうこと?
***
あの後、わたしを聖女さまと呼んだかわいい女の子(名前はニコ)から聞いた話によれば、やっぱりわたしは、聖女さまなのだそうだ。で、ここは戦場らしい。戦場なんだけど、味方の陣地みたいな場所。
ここで聖女さまは、癒やしの力をつかって、負傷した兵士たちを癒やしてたんだって。でも昨日は、体調が悪いと言って、早めに寝たんだとか。
ところで、癒しの力ってなんだろ。魔法みたいなもんかな。
それで、朝起きたら、わたしが聖女さまになってた、と。
なんか、ニコとあんまりしゃべるとわたしが聖女じゃないってばれそうなので、まだ、ちょっとそんなに気分がよくないとか嘘をついて、今は一人にしてもらってる。
やっぱさ、これって、異世界転生ってやつなのかな。突然異世界で目覚めるってことはそういうことだよね。わたしはとりあえず、鏡を見てみる。
うわっ、と声をあげそうになるくらい、美少女なんだが。いや、少女なのかはよくわかんない。実際のわたしより若いのは間違いないけど。
多分二十歳くらいかな、輝く金髪に青い瞳、抜けるように白い肌。頬はバラ色。それはいい。まじでめちゃくちゃめちゃくちゃかわいいんだけど! すごい。
しかも、全身を鏡に写してみると、元のわたしより胸はでかいけど、ウエストはくびれとる。足も長いし。わーこれがわたし? ちょっとすごい。しかも、もとのわたしにちょっと似てないこともないんだよね。もとのわたしの悪いとこを消して、いいところを最大限美化したらこうなるって感じ。
「異世界転生ってすごいね」
思わず口にだしてしまった。するとどこからともなく声が聞こえてきた。
「異世界転生じゃなくて、異世界憑依! そこんとこ間違えないでよねっ!」
声の方を見ると、妖精みたいな小さな女の子がわたしの前でふんぞり帰っていた。
「どういうこと?」
背中から透明な羽根が生えていて、ぷかぷか宙に浮いている、女の子に思わず聞いてしまう。
「あんた、頭悪いのね。そのままの意味よ! あんたは聖女の体に憑依したの!」
「待って、えっとつまり、ここはわたしのもとの世界じゃなくて・・・・・・」
「そう! このあたしが女神をつとめている世界よっ!」
「いや、世界よっ! じゃなくて・・・・・・。てか、憑依なの? 転生じゃなくて?」
「あたりまえでしょ。人間死んだらそれまでに決まってるじゃない。転生なんて、そんな都合のいいことあるはずないでしょ」
「え、急にめっちゃシビアじゃん。でもわたし仏教徒だから。死んだら輪廻転生予定だから」
自称女神はあきれた顔をした。
「ふだん、信仰心なんて全然ないくせに、こういうときだけ仏教徒になるんだから。まあ、ほんとに転生があるかどうか、試すために死んでみたらいいんじゃない? 転生しないけど」
「いや、死んでみるのはさすがに・・・・・・。それにしても転生じゃないならせめて転移とかさ」
十五年くらい前は、異世界転移全盛時代だったんだよなー。わたし、前世からの因縁系(現代が舞台で、突然、お前は前世の恋人/敵っていうやつが現れて一騒動的なやつ)が好きだったから、昔からよく転生っていうワードで検索してたけど(恋愛遊●民とかでね)、その頃は異世界転生なんてほとんどなかったもん。まあ、その時代はみんな異世界転移じゃなくて異世界トリップって言ってたけど。いつの間に転移になったんだっけ?
「あんた自分の顔見てみなさいよ。憑依前のあんたもこんな顔だったの?」
いや、そんなはずもない。こんな美貌を持っていたら、喪女じゃなくて、よってくるイケメンを片っ端から食い散らかして自分から捨てる、そんな妄想を実現できていたかもしれない(これはあくまで妄想の一つだからね。別の妄想では一途な女なのわたしって)。
「いや、違うけど」
しぶしぶ認めると、自称女神は顎を上げた。
「でしょ。あんたは憑依したの! まずこの事実を認めなさい」
認めたくないので、わたしはまだ文句を言った。
「憑依ってさあ。今の日本のネット小説界隈では別に流行ってないんだよね」
そりゃわたしは、ネット小説好きが高じて、海外ネット小説も翻訳アプリ使って読んでるからさ、海外ネット小説界隈では、今でも転生ものより憑依物が多いことは知ってるよ。なんなら海外の憑依系ネット小説を好んで読んでる部分もあるけど。日本では正直、海外ネット小説を原作にしたマンガが多い、●ッコマ以外の場所では、そこまで流行ってないじゃん。
「流行廃りは関係ないったら!」
さすがに、文句が多かったらしく、自称女神が切れてきた。
でも切れたいのはこっちなんだけど。突然別世界の他人の体に憑依させられるなんて、自分の人生を奪われたも同然の所業だからね。
でも、そう思って憮然としているうちに、自称女神は一応、色んなことを説明してくれた。憑依したばっかりで、この世界のことを何も知らないわたしを哀れんでのことに違いない。
自称女神の言うことには、わたしは自称女神の力によって聖女に憑依したんだとか。まじでなんでそんな勝手に! って怒っても女神は「だって面白いかと思って」みたいな適当なことしか言わないんだよ、ふざけんなまじで。
で、聖女っていうのは別に資格が必要ってわけでもないらしい。不思議な力を持つ女性が、自然に聖女って呼ばれるようになるのが、これまでの聖女たちの流れらしいよ。
てことは、聖女の癒しの力ってやつも、この不思議な力なんだろうね、たぶん。
そもそも不思議な力ってなに? って聞いたら、自称女神の能力を引き出す力とかそんな感じらしい。でも自称女神は、自分の力を引き出されて使われているにもかかわらず、自分でも、不思議な力のことをそんなによくはわかってないとか。
自称女神曰く確かなことは、力を使い過ぎたり、過度のストレスにさらされると、不思議な力は使えなくなることもあるから気をつけろって。わけがわからんね。
「まあ、憑依したからには、この先の人生は、あんたはこの姿で過ごすことになるんだから、後は楽しくやってね! じゃあ!」
そう言って、自称女神は忽然と消えた。
ちょっと待て! 一生この姿? わたしはもう戻れないの? ふざけんな! だれが勝手に!
勝手に消えた自称女神にガチ切れしてたけど、戻ってこいって言っても全然戻ってこないでやんの。ふざけんなよ。まじで。
***
そうこうしているうちに、再びニコが天幕のうちに入ってきた。
「聖女さま、お食事をお持ちしました。昨日の夜からなにも召し上がってないんですから、食欲がなくても少しは食べないとだめですよ」
やばい。ニコかわいい。かわいい年下の女の子にお世話されるの良すぎる! じゃなくて、情報収集の必要がある。あの自称女神は、憑依先のこの聖女とやらの名前すら教えてくれなかったんだから。
そう決心して、ニコからいろいろ情報を集めた。
で、ニコから聞いた情報をまとめると、こういうことらしい。
わたしが憑依した、この聖女の名前はエイミ。わたしと同じ名前だな。まあ、わたしは映美なんだけど。で、聖女ちゃんたちの国はスエヴィ王国で、現在はバレン王国と戦争の真っ最中だと。
ここでわたしはあれ? ってなった。これってもしや、昨日読んでたネット小説じゃない? って。 えっと、タイトルはなんだっけ、記憶力に自信がなくなってくるお年頃なんだけど、『英雄になった夫に離縁をつきつけられました。喜んで私は、第二の人生を謳歌します。』みたいな感じのタイトルだった気がする。
その小説の中では、ヒロインと結婚していた男爵が結婚後すぐに戦場に行ってしまうんだけど、そこで聖女とできちゃうんだよ。最低男だよね。もちろん不倫女も最悪だけどさ。不倫ってどっちも悪いけど、どっちかと言えば結婚してる方が悪くない? 既婚者と独身者の不倫の場合だと。
ともかくそんな最低男だけど、戦争には長けていたらしくて、結構活躍して、英雄なんて呼ばれるようになっちゃうわけですよ。能力と人格ってあんま関係ないんだよね、なんか悔しいけど。
そんで英雄は都に戻ってきてすぐに、妻に離婚を要求すると。ヒロインの側としても、そんな男と結婚してる価値ないので、未練なく別れる。
でも、不倫されて別れるだけで終わるんじゃ、そんな小説読む価値ないじゃん。だからもちろん不倫男と不倫女は報いを受ける。
ヒロインは別れた後、服飾店で働くことにしたんだけど、そこでいい感じになる男が実は王子さまだった。しかも、真の聖女はヒロインの方だったこともわかって、不倫男と不倫女はざまぁされちゃうっていう。
読んでるときは、ただ、ふんふんって感じだった。不倫女がわたしと同じ名前でなんかやだな、くらいの感想でね。
いや、でも、自分の憑依先がざまぁされる側の聖女なんだったら、話は別だよ。
おのれ、自称女神めっ! 先に言えよ! そういう大事なことは。てか言われてもやだけど。
重要なのは、今がいつかってことだと思う。エイミは英雄とできちゃった後なのか前なのかってこと。
できる前だったら、英雄を避けまくれば、ざまぁされることもないよね。英雄とヒロインのご多幸を祈る! ってできるけど、できちゃった後だと、難しいか・・・・・・
ともかく、英雄について都に行かなければ、どうにかなる、可能性もある!
まずは現状把握に努めることからだ! わたしは気合いを入れて、内心で握り拳をつくってみせた。
***
「あの、すみません、英雄さまってどちらにいらっしゃるんですか」
とりあえず、そうやって、あたりの兵士に聞いてみたときの、ちょっとにやついた顔を見て、ああ、これはもうできちゃった後なんだなと直感した。
なんていうか、例えば学生時代のノリの、「えー、あいつとあいつって付き合ってんの!? ヒューヒュー」みたいな冷やかし感を感じたっていうか。
それで、心がずっしりきたけど、一応、その兵士に英雄の居場所を聞いて、そこに顔を出してみることにした。 正直、英雄には係わらない方がいいかもって、一瞬よぎったんだけど、まあ一度くらい会ってみてから今後のことを決めるのも悪くないかなって思ったんだよね。
英雄は馬小屋で馬の世話をしていた。だから、その小屋に入っていって、おっかなびっくり声をかけてみる。
「あの、すみません」
彼が振り向くと、すぐに顔を輝かせて、わたしに近づいてきた。
「エイミ。会いたかった」
え、って思う。待って、こいつが本当に英雄? 信じられないぐらい気持ちが悪い男なんだけど。
いや、あの顔だけみれば、そんなに悪くないっていうか、まあ整っているのうに入るぐらいの顔だとは思う。髪型も体形も悪いわけじゃないし、戦場の男にしては別に不潔な感じもない。でもなんでかな。生理的嫌悪感を覚える。ほんとに気持ち悪い。
小説を振り返ると、英雄はヒロインと結婚して、新婚早々、戦地に行く。そこで活躍して、さえないただの男爵から英雄になる。でも同時に聖女と不倫しいて、意気揚々と都に帰ってくると、すぐにヒロインちゃんに別れてって強制する。
ヒロインちゃんは、不倫する男なんかこっちから願い下げじゃあほんだら(とは言わないけど)って言って、離婚することになる。
でも英雄がその後結婚した聖女は、本当は聖女としての能力のない女な上に、貴族の妻としての教養も欠けてるから、英雄はあー前の妻となんで離婚したんだー(後悔、後悔、後悔)ってなるっていう話なわけ。
てことは、わたしが憑依する前の聖女ちゃんは、このキモい男とできてたってことじゃん。信じられない。英雄という地位をもっていることに対して最大限加点したとしても、まだ無理。無理。無理。
わたしは男と関わりたくないので、どうも、とか適当なことを言って、元来た道を帰ろうとした。すると、彼はわたしを抱きすくめようと手を伸ばしてきた。
「やめて!」
思わず彼を突き飛ばした。最悪。人の体を勝手に触る男ってほんとに無理。
全然関係ないけど、例えば、列に並んでいるときに、前に並んでいる人の連れだかなんだか知らないけど、すみませんも言わずに人の肩とか触ってどかそうとしてくるやつっているじゃん。ほんと無礼だと思うんだよね。
それでさえムカつくのに、ましてや抱きしめようとするなんて、本当にありえない。
でも、彼は、拒否したわたしをいきなり平手打ちにした。
まさか、いきなりそんなふうにされるとは思ってなかったので、わたしが驚いて呆然としていると、彼はわたしの顎を思い切るつかんで、無理矢理唇を合わせてきた。
やばい。ぬめぬめふにゃふにゃして、気色悪い。
怖かったけど、とにかく絶対拒否! 例え殴られたとしても絶対拒否! と思うと、アドレナリンが出てきて、ムカつくムカつくムカつくムカつくっていう気持ちが後から後からわいて出てきた。
だから、とにかくがむしゃらに、絶対許さないぞという気持ちを込めて、手加減抜きで、相手の喉に親指を突き立てた。
多分油断していたこともあったと思う。クソ男は叫び声を上げて手を放した。
わたしは咳き込む男を突き飛ばして、ダッシュでその場から逃げる。
息が切れるほど、逃げているうちに森というほどじゃないけど、木がたくさん生えたところになんとなーく入り込んでいた。
息を整えるために、木の一つに手をあてて、少し休憩する。逃げてきた方角をみても、クソ男が追ってくる気配はなかった。
わたしはほっと一息つく。でもさらに悪いことに頭が割れそうに痛くなった。
両手で頭を抑えてうずくまると、わたしの記憶じゃない記憶が、頭の中に流れ込んでくる。
気づいたら、泣いていた。
そういうことだったんだと思う。
この体のもとの持ち主であるエイミは、あまり裕福ではない家庭に生まれた。
そんな中、ある日不思議な力に目覚める。それが癒しの力だった。
だから癒やしの力で、兵士たちを助けるために、わざわざ戦地まで来た。
でも、あのクソ気持ち悪い男に、無理矢理乱暴されたんだ。
だから、わたしはあの男に以上に拒否感を感じたんだと思う。
そして、聖女は、それ以来癒やしの力が使えなくなっちゃったの。聖女はそれに絶望して、自分なんか価値がないって思って、眠りについたんだよ。
で、わたしと体が入れ替わったってわけ。
ちょっと、小説と全然話しが違うじゃん。小説読んだときから、英雄はしょうもない男だとは思ってたけど、ここまで女の敵クソ野郎だったなんて! もげろ!
こういう展開だとすると、小説の中の聖女ってめちゃくちゃかわいそうじゃない? めちゃくちゃ同情するし。ってかクソ男とは絶対一緒に都になんかいかねーからな。
***
クソ男に対する怒りの気持ちが強まると、むしろ、体調も良くなってきた。わたしは立ち上がって、森の中をうろうろする。歩くと、考えがよくまとまるんじゃないかと思ったから。
はあ、それにしても、昨日までのわたしは、ふつうに電車乗って会社行って、疲れて家に帰って、ネット小説読みながらカップ麺食べてたんだよ。昨日の今日でこんなことになるなんてなあ。
うろうろしていると、泉のような場所に出た。わーい、と思って近寄っていくと、なんと、そこには一頭の龍がいたんだ。
龍ってもちろん、フィクションの中では見たことあったんだけど、実際に目にするのは初めてだった。さすがファンタジー世界。龍がいるなんて。
大きさは多分、ふつうの車三台分ぐらいかな。黒っぽい鱗におおわれている。でも不思議と怖いとかそういう気持ちにはならなかった。
もし、元の世界で山に行って、クマなんかに出会っちゃったらビビり散らす自信しかないのに、なんでだろう。クマより大きい龍のことは怖くないなんて。
まだ遠くにいるのに、心の中で話しかけてしまった。
(こんにちはー!)
すると、龍が返事を帰してくれた。
(はじめまして、こんにちは)
え? すごい! 今龍と会話した? わたし。 と思って、走って龍に近寄る。その龍は近寄るわたしをじっとみている。その目がなんだか、すごく優しく思えた。
龍のすぐそばまで行くと、改めてその龍に心の中で話しかけた。
(こんにちは、わたしは映美っていいます。あなたのお名前はなんですか?)
(わたしは、ベルンです。よろしく映美)
今度もはっきり、龍の声が聞こえた。男の人って感じの声だ。だから多分、この龍は男。
(そうだよ。わたしは雄だ)
彼が答えてくれた。もしかして、わたしの心の中の声って丸聞こえなのかな? ちょっと恥ずかしいかもしんない。
それにしても、これも自称女神の言ってた不思議な力なのかな? 龍と意思疎通できるっていう。やばいすごい。でももとの聖女が持っていた癒やしの力については試してないので、今のわたしがその力を使えるかどうかは不明なわけだけど。
(結構いるんもんなの? 龍と会話できる人間って)
(いや、めずらしいよ。少なくともわたしは産まれてから二百年経つけど、きみが初めてだね)
ひゃー、レア能力じゃん。やったね。すごいすごいと思って、楽しくベルンとお話していると、向こうから一人の男が現れた。
その男の第一印象はでかいだった。とはいえ身長は、190cmはないと思う。多分180cm台のどこかだ。でも、なんというかめちゃくちゃ体格がいいのだ。太っているというわけではなく、筋肉がしっかりついているという感じ。
たぶん超マッチョってほどでもないと思う。ただ、これまで自分の周りにはひょろひょろの男か緩んだ体の男しかいなかったので、でかく見えるってだけなんだろう。
近づいてくるその男をさらに観察すると、黒っぽい髪に黒っぽい目をしているが、日本人の多くが持っているような純粋な黒っていう感じでもない。ちょっと茶色っぽいというかグレーっぽいというか。顔立ちは、面長ともいえず丸顔ともいえないラインだが、横を向くと、顎の線がはっきり出て、男らしさを感じる。
ファンタジー世界の住人らしく、彫の深い顔立ちだが、やや切れ長の目は鋭く光っている。そして整った鼻梁の下には、冷たそうな厚さも色素も薄い唇があった。
そして、きっちりと服を着こんだ上に、黒い手袋までしている。
その男が近づくと、ベルンが喜んでいるのが伝わってきた。
男はわたしに気が付いているはずだ。こんなに近くにいるんだから。でも男はまるでわたしが存在しないかのようにベルンの顔近くまで来ると、ふてぶてしい態度からは信じられないくらい、やさしくベルンの首をなでた。
「もう十分水遊びをしたか? そろそろ戻るぞ」
すると、ベルンは一声鳴いた。
(うん!)
子どもみたいに返事をしているのが聞こえる。そこで、第一印象は感じが悪いが、ベルンがこれだけ懐いてるんだから、実はいいやつなのかもしれないと思って話しかけてみた。
「ねえ、そのこってあなたの龍なの?」
でも、やっぱり男はこちらを見向きもしない。完全なる無視。ぐぬぬ。
(その男、性格が悪いんじゃない?)
わたしはベルンに話しかけた。ベルンはわたしを無視せず答えてくれた。
(ごめん。謝るよ。こいつはちょっとなんていうか、シャイなところがあるんだよね)
シャイ? シャイって何? 恥ずかしがりだとでも言いたいの? ぜんっぜんっ、そんな感じがしないけどね。明確な意図のもと、こっちを無視しているって感じ。
小説でも確かに龍騎士団っていうのは出てきていた。でも勇猛果敢だけど扱いづらい、程度の描写だった気がする。
実際会ってみると、扱いづらいというか、挨拶もまともにできない、偏屈野郎って感じだな。
わたしがぷんすか怒っていると、ベルンは気の毒に思ったらしい、男を留めて、顔をわたしの方に向けた。どうやら、男にわたしを紹介しようとしてくれているらしい。
男はちらりとわたしを見て、言った。
「めずらしいな。ベルンが誰かを気に入るなんて。お前は?」
わたしを見下ろす彼に心底腹が立ってきた。何様だよ、お前! ムカつく!
「答える義理はないと思うんだけど! あんたこそ何者?」
ムカつくから、言い返してやろうと思ってたんだけど、なんか威圧感がすごくて、ぜんぜん大したこと言えなかった。悔しい。
「嘘をつくなよ。おれを知らないやつがいるはずない。そんなことで、おれの気を引けると思うなよ」
は? やばい、自意識過剰男じゃん。わたしはあきれて首をふった。
「それなら、わたしのことだって知らない人いるはずないと思うけど?」
知らんけど、聖女だし。答えると、男は肩眉を上げた。
「自意識過剰も大概にしろよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします!」
つい、大声を出すと、男は肩をすくめた。
「もういい。おれはユレイだ」
やっと男が名乗った。ベルンの手前、仕方なく名乗るだけ名乗るって感じの言い方だ。でもどうせ名乗るなら、最初からおとなしく名乗ってたらよかったのに。
「わたしは映美」
ユレイが名乗ったので、わたしも名乗ることにする。すると、ユレイは例の含み笑いをした。
「ああ、お前があの」
その顔を見て、なんかわかんないけど、すごく不快だった。不快というか、悲しかった。悲しかったというか悔しかった。
さっきはさ、まだクソ男とエイミがもしかしたら、相思相愛だったのかもって思ってたから、あの兵士の行動は、まだ我慢できたんだよね。でも、いまは違う。
エイミはクソ男のことなんて、1ミリも好きじゃなかった。それは確実。むしろ嫌悪してた。それなのに、無理矢理あいつが、エイミにひどいことをしたんだ。それなのに、何も知らない、こいつに! 思うとなぜだか涙がこぼれてきた。
「わたしは、英雄とか言われてる、あのクソ男とは、何の関係もない! むしろ大嫌いなんだから!」
泣きながらユレイとかいう男に訴える。だって、誰にもあいつとできてるなんて誤解されたくない。傷ついたエイミのためにも。
ユレイは泣きながら主張するわたしの顔をしばらくじっと見ていた。無言の時間に、なんだか興奮して怒鳴ったことが恥ずかしくなってくる。
だから、わたしはまだ涙に濡れていたけど、もう一度、今度はできるだけ冷静に言った。
「だからね、わたしはあの男のことが全然好きじゃないし、不倫したりもしてない。誤解しないでほしい」
すると、彼は言った。
「わかった」
わかったって、ほんとにわかったのかな。でも、彼は続けて言った。
「お前の言葉を信じるよ」
それがわたしとユレイの出会いだった。
***
それから、すぐに数ヶ月たった。
最初はわたしの人生を勝手に奪った自称女神に怒ってたけど、わたしって怒りを持続できないタイプの人間なんだよね。怒っていても元の世界に帰ることができないとわかると、怒ってるのもバカバカしくなって、それはやめた。だって自称女神はあれから現れないし、怒りのぶつけどころがないんだもん。
あ、もちろんエイミにひどいことをしたクソ男のことは許してないけど。
そのクソ男のことは、あれから徹底的に避けまくった。クソ男はわたしといい仲だと言いふらしていたけど、わたしの世話をしてくれている、ニコにわたしは全然好きじゃないって話したら、クソ男を避けるのに協力してくれた。助かる。それから龍騎士団のおかげで、クソ男もあまりいばれないらしくて助かってる。
龍と仲良くなると、龍騎士団員たちにも気に入られて、そばにいればクソ男はよってこれなかった。
わたしはエイミのことをよく考えた。わたしと同じ名前の聖女。彼女は、もしかしたら、本当のことを口にだせない、そういう優しい性格の女性だったのかもしれないって。
そうこうしているうちに、戦争が小康状態になったので、英雄たちは都に帰還することになった。もちろん、わたしも一緒に行こうと言われたけど、断固拒否! ここに残る兵士もいるし、わたしも残ります! 都には絶対いきません!
そう頑張って、クソ男たちや龍騎士団たちが都に行くのを見送ると、平和になった。
だが、その平和は長くは続かなかった。
「あの男が、都でお前との噂を流しているぞ」
ユレイが都から戻ってくるなりそう言った。
「え?」
傷病兵の看病をしてたわたしは、驚いてユレイを振り向いた。
そうそう、わたしにはエイミと同じように癒やしの力があったんだよ。とはいえ、一人を癒やすのに時間がかかるし、あんまり使うと疲労感がすごいので、軽傷の人には包帯まいたりとかで対応してる。
ユレイに天幕の外に出された後、彼は続けた。
「あの英雄とかいう男は、都に帰ったあと、自分は聖女と結婚する予定だからって言って、自分の妻を邸から追い出したらしい。行くところ行くところで、聖女は自分の女だって吹聴しているんだ」
嘘でしょ! あれだけ拒否したのに!
「そんなの・・・・・・。わたしは絶対、認めてないし」
「わかってる。お前のあの男に対する態度をみれば、明白だよな」
ユレイはそう言ってくれたけど、わたしは不安になる。不快な噂を流されてるのがめちゃくちゃ気持ち悪いのもそうだけど、これってどんどんざまぁに近づいてるってことでしょ。
小説の最後は、どんなだっけ。聖女がざまぁされたことにすっきりして、最後なんてあんまり覚えてないけど、頑張って思いだそう。ええっと、そうだ、英雄と聖女は破滅するんだけど、英雄は国外に追放されるんだ! さらに敵国で捕らえられて、処刑されちゃう。
そんでもってわたしにとってはこっちのほうが重要なんだけど、聖女は正気を失って、川に落ちて溺死するんだよ。で、ヒロインがそれにちょっとばかし同情してお墓を建ててくれるの。
いやだ! そのルートはいや! だってエイミだって、わたしだって、何も悪いことしてないんだよ。それなのに、溺死するなんて、そんなの絶対嫌だ!
なんとかしないといけない。わたしは頭を抱えた。
***
「バレン王国は、攻撃の機会を窺っているはずです」
なんとかするために、小説のことを思い出そうと頑張った結果、小説に描かれたヒロインの先手を打つことにした。むしろこっちから、ざまぁをしかけようみたいな。
ヒロインは、離婚したあと、服飾店で働きはじめるんだけど、そのころから夢を見始めるんだよね。最初は近所のおじいさんが、敷居につまづいて転じゃう、みたいなささいな夢。
でもそういう夢を頻繁にみるから、そのころ、王子のくせになぜか服飾店に客としてやってきた王子と仲良くなってきていたので、王子にそのことを相談するんだよ。
すると、それって予知夢じゃない? ってなるわけ。まあ、わたしが謎の癒しの力とか龍と話す力を持ってたりするわけだから、予知夢をみる人がいたって別に不思議でもなんでもないけど。
で、ヒロインは、ある日こんな夢を見る。この場所に突然敵が攻めてくるってね。だからヒロインは王子に相談して、この地に向かい予知夢の内容を教えるんだよ。そこで、事前に敵の侵攻に備えることができたから、このスエヴィ王国は守られる。
そして、ヒロインちゃんこそが真の聖女だということになって、ざまぁへの準備完了というわけ。だから、ヒロインがここに来る前に敵を倒しておけば、ヒロインが活躍するチャンスを奪えるんじゃないかって考えたんだ。
そして、それを、ここの指揮官を任されて、都から戻ってきた龍騎士団長のユレイに訴えた。
今、みんな敵を退けたと思っている。それは部分的には正しい。でも、バレン王国は力を蓄え、攻撃するときを待っている。向こうが攻撃準備の整う前にこちらから叩けば、被害を最小限に抑えることができるはずだってね。
もちろん、ユレイはわたしの言葉をそのまま鵜呑みにはしなかった。ただ斥候を遣わして、わたしの主張が正しいとわかると、攻撃に出た。
わたしの不思議な力っていうのは別に魔法じゃない。癒やしの力を使えても、攻撃はできない。龍の声を聞くことはできても、騎士としての訓練を積んでないから、龍には乗れない。
戦いの間に、できることは何もない。ただ、みんなが無事に帰ってくることを待つだけだ。
兵士たちが出陣した後、みんなが向かった方を眺める。
「聖女さま、そろそろ中に入りましょう。きっと敵を倒してくれますよ」
そう言ったのはニコだ。そんな風に声をかけられるくらい、わたしは長い間、外に突っ立って、みんなが帰ってくるのを待っていたらしい。
正直に言って後悔していたのだ。みんなを出陣させるようなことを言ったことを。
戦争っていうのは、命と命のやりとりだって、みんなが出陣してはじめて、そこに思い至ったというか。もちろん頭ではわかってた。でも本当の意味でそれを知ってはいなかった気がする。今日の朝までげらげら笑っていた彼らが、戻ってこないかもしれないって、彼らの姿が見えなくなって初めて心に迫ってきた。
こわかった。こわくてたまらなかった。
でも、だからこそ、目を閉じてはいけないと思う。わたしはこの戦いの結末をちゃんと見届けないといけないのだ。
夕方、一頭の龍が北の空に現れた。その龍はみるみるうちに大きくなって、わたしの前に下り立った。
「我が方の勝利です!」
その言葉を聞いて、ほっと胸を撫でおろす。そして、すぐに彼に言った。
「わたしを戦場まで連れて行ってください」
その兵士は戸惑ったようだ。でもわたしは続けた。
「怪我をした兵士もいるでしょう? すぐに手当しないと」
そして、伝令を務めた兵士に詰め寄って、わたしは半ば無理やり、戦場へと向かった。
***
龍に乗って空を飛ぶのは初めてだった。上空を風を切って飛ぶので、寒い。でもそんなことも気にならないくらい、わたしは気もそぞろになっていた。
戦場はどんな様子だろう。顔見知りの兵士はみんな無事なんだろうか。
わたしを龍に乗せてくれている兵士に聞くと、その兵士は少し困った顔をした。
「聖女さま、そりゃ戦争ですから・・・・・・。多少の犠牲はやむをえませんよ」
彼はそうして、心配そうにわたしの顔色をうかがった。癒やしの力を使って、兵士たちの手当をしているうちに、最初は、にやにや嫌な感じでわたしを見ていた人たちも、だんだんわたしに対する態度が変わってきた。今は多くの兵士がわたし自身より、むしろわたしを聖女だって認めてくれているように感じる。
それはそれとして、兵士の言葉に、わたしの不安は高まっていった。
戦争って勝てばいいとか、そう単純なものじゃないんだ。たとえ勝ったとしても、多くの犠牲者が生まれるなら、それは意味がないんじゃないかって気がしてしまう。
「もうすぐ着きます」
兵士がそう言うとすぐに、戦場になったとおぼしき場所が見えてきた。地面には多くの兵士が横たわっている。
気持ちがふさぐ。
空から眺める限り、数千人近い人々がそこにいるように思えたからだ。彼らの中には味方も敵もいるだろうが、死んでしまえば敵も味方も関係がない。
龍はその戦場を通り越して、戦場近くに立てられた天幕のそばに着陸した。
そこには生きている兵士が大勢いた。
わたしが龍から下りると、兵士が喜んで迎えてくれた。
「聖女さま! よくいらっしゃってくださいました」
「怪我をした兵士たちの手当をしてやってください!」
そうして、わたしはたくさんの負傷兵に癒やしの力を使った。一度にこんなにたくさんの力を使うのは初めてで、だんだん体調が悪くなってきた。それでも、負傷している兵士はたくさんいる。
この人たちが、こんなに怪我をしたのも、わたしが敵に攻撃をしようと言ったからなんだと思うと、わたしの力が持つ限りは、この癒やしの力を使い続けたかった。
でも、やっぱり、それは無理で、目もかすむようになってきた。さすがに周りにいた兵士もおかしいと思うくらいになってきたらしく、こう言われた。
「聖女さま。ご無理なさらないでください。少し休まれては?」
「大丈夫、大丈夫」
そう言いながら、立ち上がって次の負傷兵に向かおうとすると、めまいがした。
「聖女さま!」
兵士に支えられる。
「今は休んでください」
叱りつけるようにそう言われて、わたしは小さく頷いた。ちょっと休憩したら、また兵士の看護をしなきゃ。そう思いながらも、さすがに気力も底をつきかけていたので、兵士に連れられるまま、別の天幕で休むことにした。
その天幕に入ると、ユレイが血まみれで横たわっていた。わたしはその姿に、全身の血が、足元に集まって、そのまま地面に吸い込まれてしまっているような心地になった。比喩じゃなく目の前が暗くなって、耳が遠くなる。だれかが近くで何か言っているようだけど、何をいっているのか聞こえない。
わたしのせいだ。わたしが敵に攻撃しようなんて言ったから、たくさんの人が死んじゃっただけでなく、ユレイだって。彼はなんだかんだ言いながら、わたしたち前線にいる女たちが困らないように、いつも配慮してくれていたし、龍とも仲良くさせてくれた。龍騎士団たちにも慕われているような、立派な指揮官だったと思う。そんな人まで、わたしのせいで。
立っていられなくなって、へたりこむ。しゃがむと、徐々に周りの音が聞こえるようになった。
「おまえ、なんだって、こんなところに来たんだよ」
ユレイの声がしたのですぐに顔を上げた。彼は立って、動いていた。
「生きてたの?」
我ながら頼りなげな声を出してしまった。恥ずかしい。目がかすんでるから、変な間違いをしてしまった。
「勝手に殺すな」
「だって、血まみれだし。倒れてるから。死んだと思って」
「血は敵のだし、倒れてたんじゃなくて休んでたんだ」
「まぎらわしい」
恥ずかしさをごまかすためにユレイを睨むと、彼はため息をついた。
「お前は、このくらいのことで、いちいち倒れるなら、こんなところまで来るな。生きてるけが人は、駐屯地まで運ぶから、そこで手当てしてやれ」
「だって、わたしの責任なのに!」
わたしが叫ぶと、彼はわたしに冷たい視線を向けた。
「うぬぼれるなよ。お前の責任じゃない。今回のことを決めたのはおれだ。お前じゃない。忙しいときに倒れられたら迷惑だ。さっさと駐屯地まで戻れ」
ユレイはそう言って、わたしを置いて天幕から出て行った。
悔しくて泣きそうになったけど、我慢した。だってユレイの言うことは正しいから。
***
今日は、和平を結ぶための、会議が行われているはずだ。
あのあと、少し休んだら治ると思っていたのに、むしろ余計に体調が悪くなって、起き上がれなくなった。ふがいなくて落ち込むわたしをユレイは、文句を言いながらも駐屯地まで龍に乗せて送ってくれた。
同時に戦地から撤収した兵も、みな駐屯地まで戻ってきている。負傷兵を助けるためにわざわざ無理言って、戦地まで行ったのに、ユレイの言うとおり、迷惑をかけただけだったのかもしれない。
あれから五日も経つのに、まだ体調が回復していないし。
その間もユレイは着々と敵方との交渉を進めたらしく、ついに今日、和平を結ぶことになった。そして、多くの兵を引き連れて出かけていった。
自分の無力感に絶望するけど、人間はできることしかできないから、最大限、自分のできることをするしかない。今のわたしは、まず体調を治すことを最優先にしなきゃ。
少し眠っても体調はまだあまりよくない。でも一時に比べれば大分ましだ。それにしても元の世界はよかったよなと思う。ちょっと頭がいたくなっても頭痛薬とか気軽に飲めたし。ここじゃあ、怪我に効く薬草はあっても、頭痛とかに効く薬はなにもないんだもん。
一人で寝ていると、悪い方悪い方に物事を考えちゃうなあ、そう思っていると、外から大きな鐘の音が聞こえてきた。
「敵襲! 敵襲!」
叫び声が聞こえてくる。わたしは、跳ね起きて、天幕を出る。
「聖女さま!?」
行きかう兵士に驚かれるが、なにを驚くことがあるの?
空を見ると、向こうから龍の一団がやってくる。味方じゃない。今日は和平の日じゃないの? その日を狙って、攻撃をしかけてくるなんて、信じられないくらい卑怯じゃない。
「聖女さま」
兵士の看護にあたっていた女性たちも、外に出てきた。不安そうだな声だ。って当たり前だけど。でもわたしは不安そうな顔をしないぞ。わたしが不安になったら、みんなも、もっと不安になっちゃう! 不安だけど、頑張って平気そうな顔しなきゃ。それが聖女ってみんなから言われてるものの勤めでしょ。
わたしは、みんなに向かって言った。
「しばらく耐えれば、きっと味方が助けにくるはず。だから、ここを守り抜こう!」
兵士たちも決意を込めた目で頷いた。
やがて、敵が上空に達するころに、味方側の数少ない龍たちが空に向かうも、多勢に無勢なのは見て取れた。
上から次々と弓矢を打ち込まれる。そのたびに次々と悲鳴が上がる。
「聖女さま! 少しでも物陰に隠れて下さい」
誰かに言われるが、隠れている暇なんてない。わたしはわたしができることを考えなきゃ。
考えた。考えに考えた。龍を攻撃する方法は何かないのかなって。
そうしている内に西の方の空が曇っているのが見えた。そのとき、これだ! そう、ひらめいた。
雷雲だ! 雷雲をを呼んだらいいんだ!
なぜだろう。理由はわからないけど、わたしにはできる。そんな気がした。
火事場の馬鹿力だったのかもしれない。
ともかく、わたしは、雷雲を呼びよせることに成功した。そのまま、雷を順番に龍に当てていく。
雷の直撃を受けた龍たちは次々に墜落していった。
「さすが、聖女さまだ!」
「聖女さまのお力だ!」
兵士たちもそれに勢いづいたみたいで、侵入してくる敵を次々に撃退していった。
そして、ようやく、味方が帰ってきた。
「団長だ! 団長が帰ってきた!」
「もう大丈夫だ」
その龍の姿を見て、わたしはなんだか安心して、気を失ってしまった。
***
「聖女さま! 聖女さま!」
ニコが泣いている。わたしは大丈夫だよと言って慰めたかった。可愛い顔に涙は似合わないから。でも目も開かないし、口もきけなかった。体が熱い。それなのに寒い。
「お前は、本当に馬鹿だな。いつも無茶ばかりして」
次に、ユレイの声が聞こえた気がする。敵はどうなったの? 和平は? そう聞きたかったけど、やっぱりすぐに意識が遠のいてしまった。
目覚めると、あたりは暗かった。どうやら夜らしい。天幕の中に一人で寝かされていたので、ごそごそ起きることにする。
体がふらふらする。そして、無性に悲しかった。
わたしは不思議な力を失ってしまった。それがわかった。力を使うときの源みたいなものが無くなっていると感じたから。
でも、そんなことは大した問題じゃない。わたしのせいだ。わたしのせいで、こんなにたくさんの人が死んだんだ。
この世界にやってきて、初めは聖女って呼ばれることがむず痒かったし、あとあとざまぁされる証拠みたいに思えて、そう呼ばれるのがちょっと嫌だった。でも、しだいに聖女って呼ばれることに慣れて、自分でも知らず知らずのうちに調子にのってたんだと思う。
わたしがざまぁされるかどうかなんて、本当は大した問題じゃなかったのに。大ぜいの前で恥をかかされるくらい、どうってことなかったのに。いちいちそんなことに傷つかなければ正気を失うこともなかっただろうし、正気を失わなければ川に落ちて死ぬこともないはずだ。ざまぁ回避したいってわたしのエゴが、多くの兵士を殺したんだ。
聖女って言われて、その気になって。誰かに影響を与えられる存在だと信じた。
だから、力がなくなるのも、当然のむくいなんだ。
天幕を出る。夜なので、寝静まっていて、見張りの兵士はいたけど、ちょっと用を足しにと言えば、わたしの行きさきをそれ以上疑わなかった。
わたしはそのままふらふら近くの森まで歩く。別に目的があるわけじゃない。ただ、体はだるいのに、心の中がぐちゃぐちゃでじっとしていられなかった。
泉にたどりついた。そして、月影によって写る自分の顔を、ぼんやり眺めた。顔に人格が出るっていうのは本当だと思う。初めてこの顔を見たときは、なんて美しいのって思ったけど、今は少しもそう思わないから。
「お前、身投げでもするつもりか」
振り向くと、いつの間にかそこにはユレイがいた。どうしてここにいるんだろうと思ってぼんやりしていると、ユレイがわたしに近づいてきた。
そして、そのまま、わたしを立ち上がらせる。
彼のいつもの自分に対して自信ありげな顔を見ていると、なぜかわからない涙がこぼれてきた。
「泣くなよ」
ユレイが言った。
「いいじゃん。泣きたいんだから泣かせてよ!」
我ながら支離滅裂だと思いながらもつぶやく。ユレイが笑った気配がした。見上げるとわたしの目を見つめながら男は言った。
「お前が泣くと、興奮する。だから泣くな」
涙がすっとひっこんだ。何それ怖い。わたしは真顔になったあと、彼がわたしを元気づけようとして言った台詞だと気づいた。
「ごめん。自分でもわかってるんだ。この涙は自己憐憫の涙だって。わたしのせいでたくさんの兵士が死んだ。そう思っちゃうんだけど、そう思うこと自体が、あなたたちからしたら、悲劇のヒロインぶるんじゃねーよって感じでしょ。わかってるのに、涙が止まらないんだよ」
ユレイの前だと、不思議と自分の本当の気持ちを話すことができた。彼は、涙でぐちゃぐちゃになったわたしをじっくり見つめながら言った。
「お前の言う通り、兵たちが死んだことの責任は兵士たち自身にしかない。別に奴隷を兵士として動員してるわけじゃないからな。おれたち龍騎士団は誇りだけで生きている。お前が何を言おうが言うまいが、出陣を決めるのはおれだし、おれについてくると決めたのはあいつらだ。だから……」
彼にみなまで言わせずにわたしは言った。
「だから、わたしが泣くことは、彼らへの侮辱になる、そう言いたいんでしょ?」
男は、わたしの頬の涙をぬぐってみせた。信じられないくらい優しい手つきで。
「そうじゃない。お前のせいじゃない。そう言いたいだけだ」
その言葉を聞いて、また、どっと涙があふれた。お前のせいじゃない、なんて、そんな言葉言わせるべきじゃなかったのに。こんな風に泣きながらわたしのせいでなんて言ったら、そりゃあお前のせいじゃないって言うしかないのに。
でも本当は、そう言ってもらいたかったんだ。恥ずかしい。自覚もなく、その台詞をいわせてしまう自分が恥ずかしいし、なさけない。
でもそんな風に考えること自体が、そもそも自己憐憫で……。
もう自分でも何が何やらわからなくて、思考もこんがらがって、全然言葉が出てこなかった。
そんなわたしをユレイは抱きしめてくれて、慰めるみたいに頭をなでてくれた。知らなかった。彼がこんな風に優しいなんて。混乱したわたしはユレイの胸に顔を押し付けてぐずぐず泣いた。
誰かに抱きしめられながら泣くのなんて、何億年ぶりだろう。そうしてくれる人がいるっていうだけで、すごく、すごく慰められた。
泣き止むと、彼がわたしを胸から引きはがして、顔を覗き込んできた。ユレイの虹彩はただの茶色じゃない。ところどころ、赤や金色が散っている。そんな風に男の目を観察していると、彼の顔がゆっくり近づいてきた。
ああ、キスをしようとしているんだ。と思ったけど、不思議と拒否しようという気持ちにならなかった。むしろ、気が付いたら、目を閉じていた。
彼の唇は熱かった。でも彼の舌はそれ以上に熱い。この男のすべてがわたしよりも熱い。そう感じる。そして、戦いの間に怪我をしたのか、ちょっと血の味がした。
口づけが終わっても、彼はずっとわたしの髪をなでていてくれた。それにすごく安心する。
安心すると、眠くなるのは仕方がないと思う。立ったままで寝そうになると、彼は笑って、わたしの天幕まで、連れて行ってくれた。
大丈夫。もう大丈夫なんだ。わたしはそう思った。
***
その夜、ヒロインちゃんは馬車に乗って現れた。それも二頭立ての立派な馬車だ。
突然外が騒がしくなったので目が覚めた。少ししか寝ていないはずなのに、かなり元気になっていた。外に出ると、天幕の外では王子がやって来たとちょっとした騒ぎになっていた。わたしは別に驚かなかった。ついにやってきたんだと思っただけだった。
小説のヒロインの名前はアレナと言った。小説の中でのアレナの印象は、ヒロインらしく、良識があって、堅実で賢い、というものだった。一方で、カマトトぶっているというか、ちやほやされるのを好んでいるタイプっていう印象もあった。
アレナの周りの人物たちはいつも、アレナをすばらしい人だとちやほやするのに、アレナは、え? 知らなかった? わたしってすごかったの? という感じで、まあ小説のヒロインとしては別にいいんだけど、実在している人物だとするとウザいよね。
「大変です! 敵が来ます!」
アレナは馬車を下りるなり、叫んだ。そのとき、わたしは初めてアレナを見た。彼女は可愛い雰囲気を持つ女性だった。目がぱっちりしていて、栗毛の髪が可愛い。全体的に小柄で、顔も小さくて、拳くらいのサイズしかないような気もする。
男ばっかりの場所で過ごしていた兵士たちが、すげぇ可愛いという顔をしているのがわかる。わかる。わたしでも可愛いって思うもん。
でも言っている内容は、何を突然言ってんだこいつ感はあるんだよね。だって、敵を退けたばっかなわけだし。ところで、結局和平ってどうなったの?
アレナの後ろからは王子も降りてきた。というか、多分王子だろう。育ちのよさそうな顔をしている。
王子はこう言った。
「アレナの予知は必ず当たるんだ。だから敵襲にそなえろ!」
王子の言葉に兵士たちは反感のこもった目を向ける。当たり前だ。これまで王子は、一度も戦場に来たことがなかったんだもん。そんなやつが的外れな命令だしても、従う兵士はいないよね。
「敵など来ない」
わっ、びっくりした。いつの間に現れたんだろ。ユレイがどこからともなくやってきて、王子の前に立った。
「王子、この女を連れて、さっさと都に帰ってください」
「だから、アレナは聖女なんだよ。予知夢をみたんだ」
ユレイは王子の言い分を鼻で笑った。
「おれたちの聖女は、そこにいる。偽物の聖女はいらないんだよ」
アレナは顔を真っ赤にさせた。そして言う。
「どうして、そんなふしだらな女性を聖女として扱うんですか?」
やばい、ふしだらな女だって。ふしだらなんて言葉、海外ロマンス小説でしか聞いたことないよ。だいたいヒロインがお相手の男からふしだらな女って決めつけられるところから、話がスタートするんだよね。
「お前こそ、自分が聖女のつもりとは笑わせる。敵が攻めてくるだと? お前の言う通り、今、敵とはまさに交戦中だ。阿呆でもそのくらいのことは推測できる」
「アレナを馬鹿にするな!」
王子が叫んだ。
「別に馬鹿にしたわけじゃない。事実を言ったまでだ。そもそも、誤解しているようだが、そこにいる聖女は、別にあのクソ男と不倫関係にあったわけじゃない」
「うそ! 付き合ってるし、結婚間近だって、言ってました。肉体関係もあったって。それって完全な不倫ですよね。失礼ですけど、あなたは騙されてるんじゃないですか? その女はあの男から、あなたに乗り換えようとして、嘘をついているんだと思いますよ」
うわあい、なんか、気分が悪くなってきた。あの男に乱暴されたのはわたしじゃないのに、なんか、その話を出されると、気持ちが悪くなるんだよね。なんでかな。本物の聖女に申し訳ないな。わたしじゃないのに。
わたしが顔を青くしているのに、気づいたらしく、ユレイがそばによってきて、わたしの視界を自分の体で遮ってアレナから見えなくしてくれた。
「ほら、図星みたい。顔を青くしちゃって」
「失せろ」
男の声は氷みたいに冷たかった。
「いいか。お前たちがわざわざ都から来たって言うから、教えてやるが、ここしばらくの戦いで敵をほとんど殲滅したから、敵に攻めてくる余裕はない。すぐにこちらが有利な条件で講和することになるだろう。ただし、今は、敵襲は常に警戒している。お前たちの予言のあるなしに関わらずな」
「だから、今以上に警戒してほしいと言っているんです」
王子が言った。ユレイはそれに対してこれ見よがしにため息をついた。
「はっきり言うが、その女の予知があたるかどうかなんて、どうでもいいんだよ。誰が聖女にふさわしいか、それは既に明らかだからだ。聖女はおれたちのために、命をかけて戦場で手当てをしてくれた。倒れるまで癒しの力を使ってくれた。おれの判断ミスで敵の攻撃を受けたときには、自分のすべてを尽くして、兵士たちも兵糧も、拠点のすべてを守ってくれた。自分の身を削ってだ。覚悟を持っておれたちを守ってくれたんだ。で、その女は? おれたちに何をしてくれたんだ? どうして、その女を信じて、聖女として扱ったりできる?」
アレナも王子もうろたえている。
「だから、予知で……」
なんとかアレナが絞り出した。でもさっきまでの威勢は今はなく、声も小さい。
「予知だと? で、もしその予知が外れたら、お前はどう責任をとるつもりなんだ?」
「責任って、わたしはただ、夢でみたことを伝えたくて……」
「くだらないな。なんの責任もなく、結構なことだ。お家に帰って、さっさと布団で寝て、好きなだけ夢をみたらいいさ」
ユレイはそれ以上、もう話すことはなにもないと言いたげにわたしを促してその場を離れようとした。
「でも! わたしは! 彼と結婚しているとき、なんの落ち度もなく、むしろ男爵家をしっかりきりもりしていたんです! それは、男爵家の家令だって認めると思います! ちゃんとやってたのに。いきなり、離婚って! それも不倫して! その女と!」
「それこそおれが知ったことじゃない。文句があるなら、クソ男に言えよ。いいか、男爵家をうまく経営してたかどうかは、戦争とは関係のない話で、おれはそんなことになんの興味もない。不倫したかどうかも、同じことだ。おれは、クソ男と聖女が不倫していないことを知っているが、お前がどう判断するかなんてことには興味がない。わかったら、聖女に心酔している兵士たちにぶっ殺されないうちにさっさと家に帰れ」
ユレイがそう言って、本当にアレナに背を向けると、周りの兵士たちが次々に声を上げた。
「聖女さまは、聖女さまだ! 偽物は帰れ!」
「何しに来たんだ! 偽物聖女!」
振り返ったとき、アレナと王子は、ただただ、呆然としていた。
***
次の日の朝、大分体調もよくなったので、森の泉に行ってみた。吹いてくる風が、木々の葉を揺らして、ざわざわと音を立てる。
泉にはアレナがいた。
「どうも」
彼女がいることに驚きながらも、そう言いながら、アレナに近づいてみた。正直気まずさしかないけど、このままでいいとは思えないから。でも彼女は振り向きもしなければ、返事もしなかった。
やっぱり、話かけなきゃよかったな、と思っていると、ようやくアレナが口を開いた。
「ごめんなさい。あなたのこと、知りもしないのに、ふしだら呼ばわりしたりして。今日のうちには都に戻りますから」
わたしは目をしばたいた。昨日と随分雰囲気が違うじゃん。一晩で一体どんな心境の変化があったんだろう。
まあ、正直人生で一度くらいふしだらって呼ばれるのも悪くないかなって思う。だって、普通に生きてたら、絶対言われなさそうな言葉じゃん。
だから返事をする。
「いいえ。気にしてません。彼、ほんとにひどい男でしたよね」
そう、すべてはあのクソ男が悪いのだ。
でもそこまで言って、少し迷ってから、本当のことを話すことにした。エイミの身になにが起こったのかってこと。彼女には知る権利があるから。
もちろん、わたしが別世界から憑依してきましてってのは省いてね。そんなこと言ったら正気を疑われちゃうだろうから。
「ひどい!」
わたしの話を聞き終わると、アレナは憤慨した。
「信じてくれますか?」
「信じるもなにも! わたしと結婚していたときだって、あの男は最低だったんだから! ・・・・・・だから正直、離婚できてほっとしているんです。事情はともかく、あなたには感謝すべきだったのに。むしろ責めるなんて、本当にごめんなさい。殿下に、きみは特別な存在なんだ、なんて言われて、わたし調子に乗ってしまったんでしょうね」
彼女は再度わたしに謝ってくれた。本当に昨日とは全然印象が違う。たぶん彼女は彼女なりにいろんなことを考えたんだろう。なんなら、まるで昨日までのわたしをみてるみたいだ。昨日まではわたしも、自分の存在を否定してしまいたくなっていたので、なんだか心が痛くなって、アレナの手を握った。
「アレナさん。あなたは特別な存在です。それは間違いありません」
だって小説のヒロインだし。真の聖女だし。
というわけではなく、それを抜きにして、アレナもわたしも、他の誰もが、たぶん、心持ちしだいで特別な存在になれるんだと思う。自分で自分のことを特別だって認めることができたなら。
それが一番難しいんだけどね。
だから、自分のことを自分以上に信じてくれる人が大切なんだ。
アレナがわたしを見つめてにっこり笑った。
「ありがとう。あなたみたいな素晴らしい女性になれるようにわたし努力します」
褒められて、照れて下を向く。そしてそう言ってくれたアレナにわたしも答える。
「わたしもアレナさんみたいに素敵な女性になれるように頑張ります」
そう言って、わたしたちはお互いに見つめ合って、くすくす笑った。ああよかった。わたしたち仲良くなれたね!
「ところで、龍騎士団長とは、いつご結婚の予定ですか? 彼、あなたのために一生懸命でしたよね。あなたのことがすごく好きみたい」
アレナがからかうように言ってきたので、わたしの顔が赤くなった。ううっ、こじらせ喪女には恋愛ってものがわかんないんだよー。こういうときどうしたらいいの? っていうか、そもそもわたしたちってどういう関係なんだろ?
なにも答えられずにいると、アレナが笑った。
「ふふっ。いい報告、お待ちしております」
「アレナさんこそ! 王子とどうなんですか? 王子はアレナさんのこと、それはそれは好きそうでしたよ」
もちろん、ヒロインは王子とくっつくに決まってる。でもからかわれて悔しかったので、わたしも報復した。するとアレナの顔がピンク色に染まった。
ぐはっ! 可愛すぎる。
そうして、わたしたちは、時間が来てアレナが去るまで、女子トークを繰り広げたのだった。
一人になったので、もう一度泉に、自分の顔を写してみる。すると、その顔から、突然にょっきり自称女神が顔をだした。
「ぎゃっ!」
驚いて尻餅をついた。
「お久しぶりねっ! あんた、楽しくやってるみたいじゃない」
「あんたっ! 今までどこ行ってたの?」
「えー、べつにー」
「てか、わたし力無くなったはずなのに、なんであんたが見えるの? もう龍とは話せないのに」
そう、ここに来る前にわたしは龍のベルンのところに行ってみた。そしたら、彼の言葉は全然わからなくなっていた。言葉が通じなくても、ベルンは優しかったけど、わたしはちょっと悲しかった。
「それは、あたしがあんたと話したいって思ってるからよん」
「一体なんの話があるの?」
「別に大した話じゃないんだけど、一応言っておこうかと思って。あんたは元の世界から、この世界に憑依したでしょ?」
「うん」
「憑依前のエイミはどこ行っちゃったんだろうって思ったことない?」
「それはいつも思ってる」
「実は、エイミは元のあんたの体に憑依してたんだ。彼女、美人じゃない体って気楽でいいーって言ってたよ」
「なんか腹立つな」
「まあ、エイミはさあ、今はちょっと大人になったから、これでも前よりましだけど、美少女だったときには、それは色々色々あったのよ。だから許してあげて」
そう言われると許さざるをえないじゃん。
「で、向こうでカレシもつくって、今は楽しく暮らしてるから。あんたも同じみたいじゃん? だからもう元の世界には戻んなくてもいいよね? お互い今の方が幸せだもんね? ファイナルアンサー?」
「ちょっと待って!」
勝手に決めるなよ、本当に。わたしは女神にそう言って、考えた。
帰れるなら、帰れるなら、わたしは帰るだろうかって。
いいや、やっぱり帰らない。
今の方が、わたしは自分のことを認められている気がするから。
だから結局、自称女神に頷いた。
「うん。わかった。それでいいよ。わたしはずっとこの世界で過ごす」
「まあ、嫌って言われても、帰る方法ないんだけどね」
「おいっ!」
「じゃあねっ」
出てきたときと同じくらい唐突に自称女神は帰っていった。
わたしはもう一度、泉の中の自分の顔を見つめた。
エイミ、わたし。
この泉の中の女の子を嫌いにならないように生きていきたい。少し泣かせちゃうことがあったとしてもね。
よしっ、まずはユレイにっ、プロポーズしてやる! いきなりこっちからプロポーズして、驚かせてやるんだから。
だって、わたしにキスした責任は一生かけて取ってもらわなきゃならないんだから。
わたしは両手のこぶしを握ると、勢いこんで立ち上がり、森の泉を後にした。
わたしたちが、その後ちゃんと結婚して、クソ男が国外追放されたのは、また別のお話。