ギムレット
短編です。
感想などいただけたら是非。
吐いた息が白い。私は一人、街を行く。
煌びやかなイルミネーション。あたりはすっかりクリスマス気分。
まだ、一ヶ月以上先なのにも関わらず。
木枯らしが吹き、体が震える。スカートがめくり上がりそうになるのを手で押さえる。
防寒はしていたが、やはり寒い。
「今年も一人ぼっちかあ……」
口にすると、虚しさが増す。
誘いが無いわけではない。私が興味ないだけ。
本当にただそれだけ……本当に。
しかも今日は、同僚に「平野先生はクリスマスどうするんですかあ?」と私にケンカを売るような発言をされる始末。
思い出しただけでムカついてくる。
自分は彼氏がいて、クリスマスの予定が埋まっているからって。
あんな女すぐに振られてしまえばいいのに。
考えれば考えるほど腹が立ってくる。
幸い、今日は週末。明日明後日と休日で、仕事がない。
「よっし!」
思い立ったが吉日。私はある場所へと足を運んだ。
***
「いらっしゃいませ……お久しぶりです、文香さん」
「久しぶり、マスター」
足を運んだ先は、ここ最近忙しくて、行けてなかったお気に入りのバーだ。
私はあまり、居酒屋の騒がしいあの雰囲気が好きではない。けど、ここは物静かで、落ち着いた雰囲気から、外で飲むときは大体ここで飲んでいた。
「今日は一人なんですか?」
「ええ、腹立つことがあったから、飲んで忘れようと思ってね」
カバンから、煙草を取り出し、一本咥える。
百円ショップで買ったオイルライターで火をつける。
先のほうから、ゆらゆらと紫煙がのぼる。
フィルターから息吸い、それをゆっくりと吐く。
ニコチンが体に摂取されて、先ほどまでのイライラが少し軽減された気がした。
「それで、今日は何飲みます?」
「うーん、とりあえずカルーアミルクで」
畏まりました。と言い、マスターはリキュールと牛乳を取り出し、お酒を作り始めた。
それをボケーっと見ながら、また、煙草に口をつける。
やっぱりこの雰囲気が私は好きだ。癒される。
一人お店を楽しんでいると、静かなこの空間に、鈴の音が鳴り響く。
「こんにちは、マスター」
「いらっしゃいませ」
どうやら、お客さんは男性のようだ。
しかし、この声。忘れていたあの人の声にそっくりだ。
「あれ? 文香先生?」
「えっ?」
急に声を掛けられ、後ろを振り向く。
「やっぱり、先生だ。お久しぶりです」
「響谷くん……」
立っていたのは、私が勤めている高校の卒業生、響谷恭太くんだった。
「前あったときは、半袖でしたもんね。お互い」
「そうね……。本当、久しぶり」
彼は、高校時代に私が顧問をしていた文芸部の部長だった。
まあ、部長と言っても部員は彼一人で、卒業する頃に文芸部は無くなってしまった。
卒業後も、少し関わりがあって響谷くんが成人を迎えてからは、たまに飲みに行ったこともあった。
「今日は一人なんですか?」
「ええ」
「そうですか」
「今、一人で寂しそうとか思ったでしょ?」
「そんなことありませんよ」
「どうだか」
こうやって、軽口を叩き合える生徒は彼だけだ。
私はその時間が心地良く感じている。
ここ最近は、私も彼も仕事が忙しく会う機会も無かったのだが、またこうやって一緒に飲めると思うと、嬉しく思う。
「マスター、スクリュードライバーお願い」
「畏まりました」
響谷くんはお酒を頼むと、私と同じく煙草を咥える。
「あっ、それ……」
ワイシャツの胸元から、彼はあるものを取り出した。
「えっ? ああ、これですか。大事に使わせてもらってますよ」
一見、ネックレスにも見えるそれは、私が、成人の誕生日を迎えた彼にあげたちょっと洒落たライターだ。
「カルーアミルクとスクリュードライバーです」
頼んでいたお酒が机の上に置かれる。
ありがとう。とマスターに伝え、グラスを持つ。
「それじゃあ、乾杯しよっか」
「そうですね」
乾杯と言い、グラスを合わせる。
「でも、そっか……まだそれ使ってるんだ……」
胸が熱くなる。
最初彼は、ライターを受け取るのを渋っていた。
しかし、私がとある理由をつけて、半ば強引に渡した。
そんなものをまだ使ってくれている。
ということは、まだ響谷くんには……。
蓋をしていた想いが溢れそうになる。
「でも……」
一旦言葉を切り、彼は煙草に口をつける。
最初はあまり似合っていなかったが、もう一年も吸っていればその姿も様になっているように感じられる。
私の知らない間に大人になってたんだなあ……。
「これ、返さなきゃいけませんね」
「えっ……?」
先ほどまで包まれていた幸福感は、一瞬で消え去った。
「返すって、もしかして……」
聞きたくない。
次に彼の口から出てくる言葉はもうわかっている。わかってしまった。
だからこそ……。
「俺、彼女が出来たんです」
***
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
クラシカルな音楽が店内に鳴り響く。
八月十日。今日は響谷くんの二十歳の誕生日だ。
「落ち着いた感じのお店ですね。俺、こういう雰囲気好きです」
彼もこのお店を気に入ってくれたらしい。
「でしょ? 偶然見つけたんだ」
本当に偶然。
だけど、見つけることができて本当によかった。
彼も私もあまり、賑やかな場所は好きではないから。
このお店は、そんな私たちにピッタリだった。
「ええ。居酒屋の雰囲気は、あまり好きではないですから」
ほら、やっぱりね。
「だから、ありがとうございます。先生」
「……私、もうキミの先生じゃないんだけど?」
少し拗ねた風に言ってみる。
事実、もう響谷くんが卒業してから二年近く経っている。
なのに、まだ私のことを「先生」と呼ぶ。
その呼び名が、彼との心の距離を感じる。
「でも、いきなり呼び名を変えることなんてできませんよ」
「変える努力はしないの?」
「……頑張ります」
この困った顔が、いつものクールな雰囲気の彼とギャップが生まれて、可愛く思う。
「よろしい。じゃあ、はい。これ」
「これは?」
「誕生日プレゼントよ。開けてみて」
おもむろに、綺麗にラッピングされた小箱を開ける響谷くん。
「これって……ネックレス?」
「そうだけど、少し違うかな」
首を傾げる姿を見て、笑ってしまう。
まあ、普通はわからないよね。
「それね、ライターなの」
「ライター?」
「そう。アクセサリーでも使えるし、もし響谷くんがこれから先、煙草を吸うことがあれば、それにも使えるのよ」
「……教え子に煙草を勧める教師はどうかと思いますけど?」
「別に勧めているわけじゃないわよ」
失礼なことを言わないでほしい。
いくらなんでも、私だってそんなヤンキーみたいなことはしない。
でも、もし彼が煙草を吸ってくれたら、同じ話で盛り上がれると思った。
そしたら、もっと会話が楽しいと思った。
ただ、それだけ。
「……でも、これ高かったんじゃないですか?」
「値段のことは気にしなくていいの。誕生日と成人祝いってことで」
「受け取れませんよ、そんな値段を隠すような高いもの」
彼の表情が曇る。
そんな顔をさせたくて、選んだわけじゃないのに……。
喜んでくれるって思って、渡したのに……。
「……どうしても、受け取ってもらえない?」
「はい……」
結構辛いなあ……。
でも、そのライターは彼に向けて選んだもの。どうしても響谷くんに使ってほしい。
「じゃあ、さ」
言葉を区切り、彼の目を見る。
息を深く吸い、続きを紡ぐ。
「響谷くんに恋人、それか好きな人が二年以内に出来たら、それを私に返してきてよ。それまで、それはキミに預けるって事にしとくってのはどう?」
これは自分への約束、誓いみたいなもの。
響谷くんがライターを返してくれたら、私もこの想いに終止符を打てる。
でも、もし返ってこなかったら……。
私は、彼に……。
「それ、無茶じゃないですか?」
「無茶でもやるの。最初から諦めちゃダメだよ?」
そう。無茶でもやる。
そうじゃなきゃ、私も。
「……わかりました。なるべく頑張ってみます」
「うん、頑張って」
応援したい反面、ライターが返ってこないことを密かに思ってしまう自分がいる。
「じゃあお酒、頼もっか」
「はい」
***
昔のことを思い出してしまう。
あの時、願っていて、願っていなかったことが起きてしまった。
「そ……っか」
必至に言葉をひねり出す。
擦れて、まともに声が出ない。
「実は、結婚も考えているんです」
更に追い討ちをかけるように、聞きたくない事実が耳に入る。
あの時から、覚悟は出来ていたはずなのに。
それなのに、今胸が八つ裂きにされたような痛みが走る。
恋人のことを考えているのか、彼の目はうっとりと、遠くを見ている。
見たくなかった。
私以外をそんな目で見る彼を。
見てほしかった。
今向けられている目を、私に。
「なんか、今日ここに来たら先生がいるような気がしたんです」
「えっ……?」
「本当は、前会ったときにすぐに返そうと思ったんですけど、中々時間も取れなかったし、それに気に入っちゃったんですよ。これ」
首から下げるライターを私に見せる。
あのときのような輝きは無く、ところどころ鍍金が剥げている。
「気に入っているなら……」
「ダメですよ」
言葉を遮られる。
先ほどまでとは別の、真剣な目で私を見てくる。
「俺は先生との約束を破るつもりはありませんよ」
そうだった。彼はそういう子だった。
高校時代から、任されたこと、約束したことは必ず守る。
「だから、これ」
差し出された手には、受け取りたくなかったそれ。
「今までありがとうございました。先生のおかげで素敵な人に出会えました」
「……そっか」
今まで、彼のこんな素敵な笑顔は見たことが無い。
きっと、本当に恋人のことが好きなんだろう。
妬けちゃうな。会ったこともない私の恋敵だった人に。
「今日も、これから彼女に会う予定なんです。もし、良かったら先生も……」
「ううん、私はいかない」
「えっ、でも……」
「私が行ったら、彼女にも失礼でしょ? せっかくのデートなんだから、二人っきりで楽しんで」
きっと、彼女さんに会ったら、私は酷いことを言ってしまうだろう。
私はまだ、そこまで大人になれていない。
「そう、ですか……でも、いつか会ってくれませんか? 先生に紹介したいんです」
「……うん、わかった。約束する」
それまでには私も、大人にならないとね。
「じゃあ俺、そろそろ行きます」
「うん。お代は私が払っておくよ」
「えっ、でも……」
「いいから」
「……ありがとうございます。じゃあ、また。……文香さん」
「っ……またね」
彼の背中を見送り、私一人だけが店内に残った。
「卑怯だよ……」
最後の最後で彼は私の名前を呼んでくれた。
いつまで経っても呼んでくれなかったのに。
諦めようと思っていたものも、諦められなくなっちゃうよ。
でも、そんなことも言ってられないよね。
前に進んだんだ。響谷くんは。
なら、私も前に進まないとね。
「一杯、サービスしますよ」
厨房に入っていたマスターが声をかけてくる。
もしかして、私たちの話を聞かないようにしてくれてたのかな?
もし、そうだとしたら、本当にいいお店だ。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「畏まりました。何にいたしますか?」
そう言われると悩んでしまう。
お酒は好きだが、そんなに種類は知らない。
「ちょっと、待って」
スマホでネットを開き、「カクテル 美味しいもの」で調べる。
どれも美味しそうに見えるが、なにかピンとこない。
「あっ……」
スクロールしていると、一つのお酒に目が留まる。
「マスター、これって出来る?」
「はい、大丈夫ですよ」
「じゃあ、これお願い」
畏まりました。とそれだけ残し、マスターはお酒を作りはじめる。
箱から、一本煙草を取り出し、口に咥える。
先ほど百円ショップライターではなく、ネックレス型のライターで火をつけるとゆらゆらと先端から紫煙がのぼる。
深くフィルターから煙を吸い込むと、口の中に甘くほろ苦い風味が広がる。
ゆっくりと肺にそれを流し込み、また大きく息を吐く。
なぜだろう、先ほどよりも煙草が美味しく感じない。
少し、フィルターもしょっぱい。
もう一度、深く吸って吐くをする。
やっぱり美味しくない。
「お待たせしました。ギムレットになります」
「……ありがとう」
ギムレット。
私がネットで見つけて、飲みたいと思ったカクテル。
そのネットには、ご丁寧に「カクテル言葉」と書かれた、花言葉のようなものが載っていた。
ギムレットのカクテル言葉は……。
「あと、こちらをお使いください」
マスターから差し出されたのは、薄水色のハンカチ。
「女性の涙は、あまり見たくないものですから」
「えっ……?」
頬を触ってみる。
そこは、しっとりと濡れており、未だに目からとめどなく涙が流れていた。
ああ、そっか。私、泣いてたんだ。
「ありが……とう……」
ハンカチを目に押し当てる。
そのまま、ギムレットを口に運ぶ。
「苦いや……」
ギムレット。そのカクテル言葉は、『遠いあなたを思う』そして、『長いお別れ』。
そのカクテル言葉と苦味は、今の私にはピッタリだった。
FIN