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 彼女と別れ家に帰宅した後、彼女にチャットを送った。友達の様子はどうだったかという、他愛もない気配りのような内容だ。


 けれども、一向に返信はなかった。既読もつかなかった。今までのことがあるのだ。まさか、と思う。不安が押し寄せてくる。相手の心証を考える余裕もなく電話をかけた。出ない。何度もかけた。出ない。不安が、押し寄せてくる。


 ネットでニュースを確認する。昼に見た倒壊事故の記事は多かった。そんな中に、バス事故の速報もあった。俺はそれを、急いで開いた。


 場所は都内。そして、彼女の家に近かった。


 バスが斜行し、歩道に突っ込んだ。ブレーキ痕はない。ブレーキをかけた様子もない。運転手は意識不明の状態。無事だった乗客の証言では事故前から意識がなかったそうだ。その事故に、何人かの歩行者が巻き込まれていた。意識不明の重症者もいる。



 まさか、と思った。そんなまさか。またなのか。ありえない。だって、そんなこと。昼間、あれを逃れたのに。その帰り道で。


 そんなこと。まさか、あっていいわけがない。


 俺は再び電話をかけた。彼女は出ない。既読もついていない。彼女の両親に連絡、とも思ったが番号など覚えていない。当然「今」の自分のスマートフォンには彼女の両親の連絡先など入っているわけもない。


 ニュースでは事故に遭った者の搬送先などわからない。警察に電話をかけたが、当然見ず知らずの赤の他人に教えてくれるわけもない。病院にも電話したが同じこと。事故現場の近くの病院を虱潰しにあたる。それも考えたが、果たして身内でもなんでもない自分に教えてくれるのか。案内してくれるのか。それはわからない。わからなかったが、動くしかなかった。体はいつの間にか、走り出していた。


 夜。駅まで走る。電車に飛び乗る。気が気じゃない。何度もチャットを確認するがやはり既読はつかない。電話もするが通じない。ニュースを確認するが、被害者の名前はまだ出ない。


 事故現場の最寄り駅に着く。近い総合病院から当たっていく。走り続ける。疲れなど感じない。心肺機能の限界など越えても体は走り続ける。そうして病院に飛び込み受付に尋ねる。ここではない。次の病院へ向かう。走っていくには遠い。タクシーに飛び乗る。所持金は少なかった。元々少ない小遣いでスタンガンなどを買っていたため貯金もなくなっていた。けれども金のことなどどうでもいい。そんなものは関係ない。金なんかより、大事なものがある。金じゃ買えない、大事なものがあった。


 二軒目の病院に着く。飛び込み、走り、受付に行く。彼女の名前を告げる。友達だと言う。


「こちらに搬送されてきました。今は集中治療室におられます」


 その答えは、知りたかったけど聞きたくないものであった。


 やはり彼女はあの事故に遭っていた。轢かれていた。そして重症を負い、生死の境をさまよっていた。


 俺は走った。「病院内では走らないでください!」などという声も耳には届かない。嘘であってくれ。嘘だと言ってくれ。だってそんなこと、ありえないじゃないか。あっていいわけないじゃないか。


 そんな想いは、すぐにかき消される。集中治療室の前の椅子に、見知った大人が二人座っていた。

 彼女の、先沢梓の両親だった。


 一回目。あの事故の後。何度も会い、話した、彼女の両親。泣きながら、時には微笑みながら、彼女について話してくれた、あの両親。


 その両親が、絶望で顔を覆い、うなだれている。


 間違いない。もう、間違いない。事故に遭ったのが彼女でなければ、二人がここにいることもありえない。


 俺はその場に膝から崩れ落ちた。


 いきなり現れた、呼吸の荒い、汗だくの、娘と同い年くらいの男子。そういう俺の方を、彼女の両親が見る。目が合う。俺はなんとか気力を振り絞り、立ち上がり、二人のもとに近づいた。


「――先沢梓さんの、ご両親でお間違いなかったでしょうか……」


「……そうですが、あなたは……」


「……昼間、彼女と会っていたものです。その、昨日の事件、電車で、同じ車両に乗っていた、彼右と申します」


「あなたがあの……」


 彼女の母がそう言い、顔を上げた。


「娘から、話は聞いています。犯人を捕まえた、事件を未然に防いだ、みんなを守ってくれた恩人だって。同級生だとは聞いてましたけど、ほんとに、まだこんなに若かったんですね……」


「はい……その、先沢さんは、梓さんは、中に……?」


 俺はそう言い、赤くランプが灯った集中治療室の入口を見る。


「はい……」


「……本当に、あの事故で、バスの事故で……」


「そうです……」


「そう、だったんですか……」


 もう、逃れようのない事実。俺は息をつき、うなだれるしかなかった。


「不思議なものですね。不思議と言っていいのかわからないですけど、昨日、あんなことがあって。昼間も。連絡が来たんですよ。通るはずの道で、すぐ直前に、あの倒壊事故があったって。それですごく、死は近いところにあるんだなって、そういうことを思ったって。そういうことを、書いてよこして……そしたら、その後に、これですから」


 彼女の母はそう言い、絶望と諦めが混じったような、歪んだ笑みのようなものを浮かべた。


「なんなんでしょうね? まるで神様が梓のことを殺したがってるみたい。そんなことあるわけないっていうのはわかるけど、だってこんなの、おかしくない?」


「お前」


 と父親が母の肩を抱く。


「だってそうでしょ? こんなの、おかしいじゃない! あの子が何をしたっていうの!? 何か悪いことでもしたっていうの!? 死ななくちゃいけない、そんなことをしたとでもいうの!? この世にいちゃいけない存在だとでも言うの!? こんなの、あまりに、酷すぎるわよ……」


 先沢梓の母親は、そう言って涙を流し、両手で顔を覆った。もう、これ以上、話しかけることなどできない。


 しばらくして、赤いランプが消えた。集中治療室の中から医者が出てきた。黙って首を横に振り、「ご愁傷様です」と告げた。彼女の母親が、大声で泣き崩れた。それは俺が初めて見る、彼女の死の瞬間だった。彼女の両親が彼女の死を看取るその瞬間だった。多分前回も、前々回も、その前も、俺が知らないだけで何度もこれが繰り返されていたのだろう。この、あまりにも悲痛な光景が。


 その場で俺にできることはなかった。治療室の中へ向かう両親を、黙って見送るしかなかった。俺にはそこに入る資格などない。昨日会ったばかりの人間で、正確には友人ですらない。だいいち、そんな場所は耐えられない。両親と彼女の、永遠の別れの場。


 俺は近くの看護師に声をかけた。そうして「もしできたらで構わないんですけど、彼女の両親に彼右は帰ったと、お話できる状態の時で構わないので伝えていただけますでしょうか」と伝言を頼んだ。


「カノウさんですね。わかりました。彼女の、先沢さんのご友人の方ですね」


「……はい、そうです。ほんと、余裕なんてあるわけもないでしょうけど、でも彼女の両親の邪魔はしたくないので、できたらで、覚えてたらで構わないので。もしできたらよろしくお願いします」


 俺はそれだけ告げ、病院を出た。


 完全に夜になっていた。静かで、冷たい冬の夜。スマートフォンには親からの連絡があった。どこにいるの、何してるの、と。話す気にはなれなかった。俺はチャットで簡潔に「友達がバスに轢かれた。病院に来ていた。連絡しなくて悪かったけど、そんな余裕はなかった。今から帰る」


 とだけ打って送った。そうして寒空の中を、駅に向かって歩き出した。



 運命、運命。そんなものの存在は認めたくなかったが、もはや認めざるをえなかった。彼女は死ぬ。どうやったって死ぬ。何をしたって、死ぬ。その死を回避したところで、また別の死がやってくる。


 どうすればいいのか。正直わからない。無理なのかもしれない。けれども、諦めることなどできない。


 まだ終わりじゃない。まだたった三回じゃないか。まだできる。まだやれる。先のことなど、わからない。たとえ無理でも、何度だってやり直してみせる。いや、やり直すしかない。


 もらったものが違うのだ。もらったものが大きすぎて、何も返せていないじゃないか。彼女は自分の命を投げうって俺を助けた。彼女のおかげで、今自分は生きている。それを、絶対に返さねば。彼女に命を、返さなければ。


 諦めてられるか。まだたった数回だ。何度だって、何度だってやってやる。それが俺の義務だろ。俺にしかできないことだろ。あの、彼女の両親の涙を見ただろ。絶対に救うんだ。誰にもあんな顔はさせないんだ。涙を流させないんだ。


 やるんだ。やるだけだ。やってやる。運命がなんだ。そんなものは存在しない。そんなのただの諦める口実じゃないか。認めてたまるか。諦めてたまるか。


 彼女が、死ななくちゃいけないなんてそんなわけないだろ。


 認めない。絶対に認めない。彼女は死ななければいけないような人間ではない。彼女は、生きていなければいけない人間だ。神だろうと運命だろうと、知ったこっちゃない。そんなの俺が認めない。


 俺には力がある。戻る力が。やり直す力が。正しい方向に変える力が。


 彼女が生きてる。それが正しい明日じゃないか。


 希望はある。少なくとも今日、今回。正確には前回だが、彼女の死は一日延びた。始めは一五日に、電車内での事件で亡くなっていたのが、16日に延びた。たった一日でも、それは意味のあることだった。希望であった。


 何度でも繰り返す。繰り返し、抗い続ければ、その一日は延びていくかもしれない。わからないけど、わからないからこそやるんだ。


 大いなる謎。それは一生消えない。多分知ることも叶わない。けれどもそれでも構わない。もはやそんなことはどうでもいい。自分が知りたいから、そのためだけに戻るんじゃない。彼女を救うんじゃない。


 ただ、彼女を死なせたくないから。それが俺のすべてだった。



      *



 また戻った。一月一一日。また繰り返す。同じ道を辿っていく。いわば運命の分岐点まで向かっていく。三度目であればもはや慣れたもの。強烈な使命感のもと、もはや緊張感などありえない。恐れもない。そこはゴールではなく、出発点ですらありえない。ナイフを持った男。車内を燃やそうとした男。それがなんだ。俺はすでに素手で勝っている。そんなもの、もはや恐怖の対象ではない。彼女の死以外に、恐れるものなど何もなかった。


 すべてをなぞっていく。繰り返していく。回避していく。各ポイント。死の瞬間。死の条件。それらを避けていく。そして前回の運命の分かれ道にやってくる。


「俺もその友達のところ行ってもいいかな?」


 そう切り出す。


「いや、ほんと心配だし、俺なんかにできることあるかわからないけど、少しでも力になりたいし。もちろん、とりあえず行くだけで、まずは先沢さんが先に会って、それで俺にも会えそうだったら、相手に尋ねてって、そういう感じでいいし」


 そうして倒壊事故後も彼女とともに行動した。うまく誘導し、バス事故の現場を避けた。事故は起きたが、彼女は巻き込まれなかった。


 痛ましい事故だ。運転中に失神し、そのまま亡くなった運転手は当然に、その他にも負傷者が出た事故であった。でも自分にできることなど限られていた。それを止めることは不可能に近かった。それでも、俺はやることはやった。結果は動かせないかもしれないし、結果に責任は持てないが、過程は違う。自分にはそれをする責任がある。


 バス会社に電話をした。身元が特定されぬよう。生まれて初めて公衆電話というものを使った。探すのも一苦労であった。ともかく、公衆電話からバス会社に電話をし、「〇〇というドライバーは心臓に病気があるので運転させないでください」と告げた。それ以上、自分にできることはない。もちろん力づくで、それこそ運転手を襲って止めることだってできたかもしれないが、それでは次に続けられない。彼女を守るため、そばにいるため。先を知るため。自分は常に自由を確保しておかなければならない。


 ともかく、俺の警告は届かずあの運転手はバスに乗り、事故を起こした。自分のせいだとも思う。責任を感じる。けれども俺に何ができた? やることはやったはずだ。次はもっとうまく、確実にやればいい。


 次というものがあればの話だったが。



 事故を回避し、彼女は無事に家へと帰った。とはいえ不安は消えない。また、何かが起きるかもしれない。もはや彼女が家にいようと安心などできない。それこそ隕石が落ちてくることだってあり得る。なんだってありうるのだ。俺はもう、常識など通用しない世界にいた。未来はすべて未知な世界にいた。とはいえそれはループ以前の世界と、人生となんら違いなどなかったのだが、俺はそんなこと感じずに生活していた。未来の未知に対する恐れなど、一切なく過ごしていた。


 俺の人生は、もはや劇的に変わってしまっていた。



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