36.厭世皇女と世界
しんみりとした静寂が包む夜。
何の音も聞こえず、
賑やかだった街並みの明かりは所々点いている程度で、
外にいる人は誰もいない。
アスターシアは普段隠れ家として使用している第五宮殿ではなく、
第一宮殿の屋根の上に一人突っ立っていた。
どう考えても高さは結構あるし危ないところだというのに、
風が吹き付けてきてもその身体はびくりとも動かない。
そこから街を見下ろすアスターシアの瞳は何の光もなかった。
女皇である母と皇廃である父を殺し、
義弟となったノルベルトを殺し、
実妹のフィーリアを女皇に即位させ、
実弟のアフェクをその摂政として自分は表舞台から降りた。
『アスターシア・コンヴィクション』という存在は今や死去した皇女の名だ。
そしてアスターシアの死は世界にも大きな影響を与えた。
数多ある能力者の中で最強の能力者と謳われたアスターシアは、
一部の能力者たちや権力者達の抑止力となっていた。
それがなくなったのだ。
今やアスターシアという存在に怯え下手な動きもできなかった有力者たちは好き勝手に動き回っている。
その最もな例がオスクリタ公国だろう。
最強の能力者を失ったエスポワール帝国はこのオスクリタ公国に狙われ始めている。
加えてもう一つ──人では無い種族『魔族』からも。
アスターシアが見た予知夢は………………で、
………………だった。
「これからどう動いてくるのかしらね」
吹き付ける風に靡くドレスの裾とその長い黒髪。
何も映さぬその瞳にはほんの少しだけ明るい炎が灯った。
これで私たちの最期を彩ろう。
彼女が何を思い、何を考えたのかは誰にも分からない。
ただここから全てを絶望の淵へ突き落とすための準備は整っているということだけは、
彼女の不敵な表情から分かることだった──……。
■
「もうそろそろ陛下の元にたどり着きますね……」
「陛下がどう思って行動してようが関係ねぇ。
俺だけじゃなくお前たちの人生までめちゃくちゃにしたんだ」
フォルトゥーナは不安げな表情のまま、
この先の大扉の向こうにいるであろう女皇にこれから会う。
その隣にいた●●●は苛烈な怒りの表情を見せている。
その会話を後ろから見ていたアフェクの表情は優れない。
彼だけがその裏に潜む本当の元凶を知っているからだ。
「摂政殿下?」
「アフェク様……顔色が悪いようですが大丈夫ですか?
ごめんなさい……女皇陛下はアフェク様の妹君なのに……」
「いいや、問題ない。ありがとう。
兄として妹を正しい方向へ導くのが務めだ。
……ルーナ、すまないが妹を説得してほしい」
「私にできるでしょうか……」
「アフェク殿下だけでなくこの場にいる全員を救ったんだぞ?
もっと自分を誇れよ、ルーナ!」
明らかに様子がおかしかったアフェクの強気な言葉と、
何を気にしているのかが気になっていた●●●だが、
きっと妹をきちんと説得できるかどうか悩んでいたのだろうと思考を切り替える。
この時の彼らはまだアフェクやフィーリアの裏に潜む、
本当の元凶を知らない。
フィーリアを説得しこの状況を変えてくれさえすれば解決すると思っていた。
説得するという手段を取ったのはフォルトゥーナであるけれど。
彼らは自分たちを救ってくれた彼女の意思を尊重した。
フィーリアには言いたいことや文句がたくさんあるけれど、
それらは心の内に封じ込めて。
「(姉上は……この状況を許すだろうか。
国を変えようとする俺たちを。
あの方はこの国の破滅を望んでいるように見える。
母上たちのみならず兄上まで排したあの人のことだ、
自分の目的の邪魔をするのなら俺たちだって……)」
せっかく出会えた彼らとすぐにお別れだなんて嫌だ。
ここまで色々あったしぶつかり合いもしたけれど、
それでもアフェクの中では大事な人達なのだ。
──特にフォルトゥーナは。
彼女には感謝してもしきれない。
妹を変えることもできず、
国を守ることすらできなかった自分を受け入れ、
尊敬し、『できる』と励ましてくれた彼女だけは。
人を愛し、救うことのできる彼女だけはどうか……。
そう思ってならない。
だがその前に守ることも元の彼女に戻してやることもできなかった妹を救う。
自分の欲などその後でいい。
そう覚悟を決めたアフェクはフォルトゥーナ達と共に玉座のある広間へと足を踏み入れた。
■
「そろそろ始まるみたいね」
アスターシアはその様子を傍で見ていた。
彼らが気づかなかったのは、
彼女の『絶対遵守』によるものだ。
自分自身を認識できないようにしていたからこそ、
強力な能力を持つ彼らに気付かれることがなかった。
「フィーリアを救う気でいるなんて……」
『今更』と言いたげな瞳でアスターシアは、
広間の中へ入っていくアフェク達を見つめる。
──弟が恋した相手が見つかったことは嬉しい。
皇族として自由恋愛は許されないとしても。
それでも”姉”としては嬉しいことだけれど……。
「ごめんね、アフェク。それは許されないの」
ひっそりと悲しげに呟いた言葉は誰にも聞かれることなく空に消えていった──……。




