嵐の前
「美乃梨様、お帰りなさいませ。薫様と紫乃凛様が奥でお待ちですが、お疲れのようでしたら先にお休みになりますか?」
出迎えてくれた貴翠がそう言った。
「お気遣いありがとう。でも大丈夫。そんなに疲れていないから。」
迎えてくれた貴翠と一緒に帰って来た京翠と共にお父様達の待っている部屋へと向かった。
部屋の前に着き、ノックをすると中に居た京駕さんが扉を開けてくれた。
「美乃梨様、お帰りなさいませ。お茶を淹れて参りますね。」
「ありがとうございます。」
そして京駕さんがお茶を淹れに行ってくれている間、お母様とお父様に挨拶をした。
「美乃梨、お疲れ様。色々あったと思いますが、どうでしたか?」
「とても、楽しかったですよ。」
「休まなくても大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。お父様の方こそお忙しいのでは?」
「私は大丈夫だ。」
そして京駕さんがお茶を淹れて持って来てくれた。
「では、本題に入る。美乃梨を襲おうとしたあの者の名はアリナと言うそうだ。何を聞いても答えない為律に読心魔法を使って貰ってな。」
お父様はそう言うと一度お茶を口に含んだ。
「しかし、読めたのはアリナという者がフェリクス様が追っている者の一味であるという事だけだった。他の情報を吐き出そうにも……」
律ちゃんの読心魔法は相手の考えている事を読む事が出来るが、相手が何も考えていない場合殆ど読むことが出来ない。
「あの子は何も考えていなかったって事ですか?」
「ああ。そうだろうな。」
その時、部屋の扉が開いた。
「失礼する。アリナとやらについて軽く調べてみはしたが、特に情報は出て来なかった。」
「リクスお兄様!」
「美乃梨、お帰り。帰って来て早々申し訳ないが、アリナと会話を交わしたか?」
「……『捕まえなきゃ』って言っていたわ。他には何も。」
私がそう言うと、リクスお兄様は少し考えるようなそぶりをした後、言った。
「もう時期、会う事になるな。私が追っている者達、つまりは其方らの先祖にな。」
「発言をお許し下さい。」
「ああ、何だ?」
「フェリクス様、それは対戦する事になるという事でしょうか?」
京翠がそう聞いた。
リクスお兄様は「ああ」と頷いた。
「今まで煌と美乃梨を狙って居る奴は七倉蓮介意外にも数人は居たが、大した実力も無いもの達ばかりだった。しかし、今回はそんな奴らとは比べ物にならない程の実力を持っている者が居る。」
「その者も煌と美乃梨を狙って居るんですね?」
お父様がリクスお兄様にそう聞いた。
「そうだ。特に煌は操縦魔法を使える事を勘付かれている可能性がある為、気を付けなければならない。」
「そうですか。」
「薫、一応言っておくが危険なのは美乃梨と煌だけでなく、紫乃凛もだからな?操縦魔法としては紫乃凛が一番手練れだろうしな。」
リクス兄様はそう言った。
お父様は目を見張った。
お父様が私達子供の事を愛してくれている事は十分と言うほど理解しているが、やはりお父様にとって一番大切な人は今までもこれからもきっと、お母様なんだろうと改めて気付かされた。
それ程までにお父様に、誰かに愛されているお母様は、私の誇りだ。
「フェリクス様、その相手と対戦する事になった場合、私は紫乃凛を、子供達を、家族を護る事が出来るでしょうか?」
お父様の不安そうな表情は初めて見た。
今まで私達を心配する顔は何度もさせてしまっていたけれど、こんな表情は見た事がなかった。
「今の薫だと五分五分と言った所だろうな。」
「分かりました。」
お父様はお茶を飲み干すと席を立った。
「フェリクス様、私は用が出来たので失礼致します。」
「ああ。」
リクスお兄様は笑顔でお父様を見送った。
お父様が部屋を出た直後、扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します、三日月です。」
訪ねて来たのは三日月先生だった。
「アリナという者についてお話しようと思いまして参りました。薫さんはどちらに?」
「薫は先程席を離れました。渡さん、お話をお聞かせ願えますか?」
お母様が三日月先生を促し、三日月先生は話した。
「私と本堂弟、いえ、篤季は実際アリナと対戦しましたが見た目の年齢からは想像出来ないほどの実力者でした。基礎魔法は全て扱えるようでしたし、倉津木家に使い手の多い変容魔法も扱えて居ました。彼女は恋咲以外にはひと言も発しませんでした。」
三日月先生がそこまで言うとリクスお兄様が軽く頷いて私に言った。
「美乃梨、アリナと会えるな?」
「はい、勿論です。」
私は頷き、貴翠と京翠と共にアリナさんの居る別棟の最上階に向かった。
私が部屋に入るとアリナさんは怯えたような表情をして頭を下げた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ほんとうに。ごめんなさい……」
涙ぐみながら頭を下げられ私はなんとも言えない感情になった。
リクスお兄様は何を聞いても返事をしなかったアリナさんが自分から言葉を発した事に少し驚いたようだった。
「アリナさん、ちゃんと話すのは初めましてよね?私は恋咲美乃梨です。」
「……アリナ・ペルソン、6さいです。」
「どうして私を捕まえないといけないと思ったのか教えてくれる?」
「言われたから。言われたことできないと、あとでおこられるから。」
「そう。アリナさんのご家族は?」
「ママがいたけど私が今よりもっと小さいころにしんじゃって、アンヘルたちがひろってくれたんです。」
「そう。アンヘルさん達についてもう少し教えてくれる?」
私がそう言うとアリナさんは少し躊躇いを見せた。
「安心しなさい。其方の安全は私が保証しよう。」
リクスお兄様がそう言うと、アリナさんはホッと息をついたようだった。
「私をひろってくれたのはアンヘルとユリウスとヘレナの3人です。3人は皆んなやさしくておもしろい人たちです。」
「アリナさんは3人がしようとしている事について、聞いたことがあるの?」
アリナさんは少しの沈黙の後、頷いた。
「せかいをへいわにしたいって言ってました。」
「それは本当か?」
すかさずリクスお兄様がそう聞いた。
「はい。わるい人が居ないせかいをつくるって、アンヘルたちはいつも言ってました。」
リクスお兄様はどういう事だ?と頭を捻らせていた。
「でも、アンヘルたちは魔法使いがせかいのいちばん上に居ないとせかいはへいわにならないって。皆んなが皆んなにやさしいせかい、できないって。」
「他には?」
リクスお兄様はアリナさんをじっと見つめた。
「そのためのぎせいはしかたないって言ってました。アンヘルもユリウスもヘレナもわるい人にかぞくをうばわれたから、私と同じ。いつもかなしい。わるい人のせいでいい人がいなくなるのおかしいからっていつも言ってました。」
「ええ、そうね。」
「でも、」とアリナさんは続けた。
「おねえちゃんとおにいちゃんを捕まえて来てってたのまれたとき、私、おかしいって思った。アンヘルに言ったらへいわのためだからぜったいに連れて来てって。連れて来なかったらへいわがはじまらないよって。言ってた。そうしたら、またかなしくなるよって。」
「そっか。」
「おねえちゃん、ごめんなさい。けがしてたの助けてくれたのに、こうげきして。」
アリナさん、アリナちゃんはポタポタと涙を溢しながら頭を下げた。
「アリナちゃんに取ってアンヘルさん達はどんな人?」
「たいせつな人。だから、おこらせたくない。アンヘルがおこるとき、いつもかなしそうだから。アンヘルたちと戦うことになったら私はおねえちゃんたちの方につきます。」
アリナちゃんはそう言った。
6歳にして、この子が背負って来たものはどれだけ重いものなんだろう。恋咲家の外に殆ど出ない私には想像もできないものだろう。
私は少し屈んでアリナちゃんを抱きしめた。
「アリナちゃん、教えてくれてありがとう。私達、少しアンヘルさん達の事を誤解していたみたい。アリナちゃんが教えてくれなかったらそのままアンヘルさん達を悪い人だと思ったままだったわ。本当にありがとう。」
アリナちゃんは声を出して泣いた。
悪い人だと思っていた人も、別の角度から見たら悪い人ではなかった。私はいつのまにか心の中で、人の一面を見て決めつけるようになってしまっていたのかもしれない。アリナちゃんのお陰で自分の身勝手さを知る事が出来た。
しばらくしてアリナちゃんは泣き疲れたようで眠たそうにあくびをした。
「アリナちゃん、私の部屋に来ない?」
私はアリナちゃんを連れて自分の部屋に向かった。
部屋に着くと、アリナちゃんをベッドに寝かせた。
「好きなだけ、寝ていいからね。」
アリナちゃんにそう言って、私は部屋の扉を閉めた。
フェリクス様に今の私の実力では五分五分だと言われ、危機感を覚えると共に、訓練場に向かった。
魔法の訓練など、しばらく振りだからまずは基礎魔法から練習しよう、そんな決意をし、小一時間ほど練習した。身体があったまって来ると応用も久しぶりに使えるよう練習を始めた。すると、訓練場に人影が近付いてきた。
「紫乃凛、どうしてここに来たんだ?」
幼い頃より知っている気配により練習は中断された。
「やはりここに居たのね、薫。何をしているの?」
「見て分かるだろう?魔法の特訓だ。」
「そう。」
紫乃凛は少しずつ近付いて来て、私の前に立つと私の頬を両手でバシッと挟んだ。平手打ちされたのかと思うほどの衝撃だった為、頬にヒリヒリとした痛みを感じた。
「馬鹿ね。私が貴方に護られるために結婚したとでも思っているのかしら?勘違いも程々にして貰えないかしら?」
「し、紫乃凛?」
何故か分からんが怒っているようなので宥めようと紫乃凛の肩に手を置いた。
「はあ〜〜〜、私は貴方に護られる為に貴方と結婚したわけじゃありません。私が貴方を選んだのは、貴方とならお互い支え合える関係になれると思ったから。薫、夫婦は対等な存在じゃないの?家族に頼られて嬉しく思うのは貴方だけでは無いわ。」
紫乃凛には私の考える事など全てお見通しなのかもしれない。それでも家族を、世界で一番大切な人を失うかもしれない怖さは拭えない。
「薫は随分と私の事を甘く見てくれているようですね。私、自分で言うのもなんですが私達の世代では一番実力のある魔法使いなのよ?もしかして忘れたの?」
紫乃凛に言われて思い出した。
確か、一対一の新人魔法使い同士のトーナメント戦で紫乃凛は高校生にあたる16歳から18歳までの3年間全て優勝していた。私はどれほど努力しても2位が最高記録だった。
「……魔法に関しての心配がなくとも、その、なんだ。昔の魔法使いと言うのだから御先祖様の血が濃いのだろうし、」
「それが何ですか?はっきり言って下さらない?」
「美形だという事だ!」
「……はい?もしかして今更私が他の人に目移りするとでも考えているの?」
呆れたような目をした紫乃凛に見られ、スーッと視線を逸らした。
「本当に、馬鹿なの?薫、私と結婚して今年で何年目?」
「……16年目、です。」
「ええ、そうね。私の事をどう思ってるの?」
「世界で一番大切です。」
「私より何倍も美しい人が目の前に現れたとして、目移りするの?」
「絶対にしません!紫乃凛一筋です。」
「あの、恥ずかし気もなく言い切るの、聞いてるこちらが恥ずかしくなるのだけれど……まあ、良いわ。」
紫乃凛が何をしたいのかよく分からず、とにかく聞かれた質問に答えていった。
「私も薫と同じよ。何より、好きでも無い人と16年間も結婚生活が続くかしら?少しは私の事を信用してくれても良いんじゃない?」
「はい、仰る通りです。」
「美乃梨と煌の事も勿論だけれど、貴方自身も大切にして貰わないと困るわ。分かりましたか?」
「はい。すみませんでした。」
「本当に、家族の事になると周りが見えなくなる人ね。」
紫乃凛は眉尻を下げてそう言った。
家族が大切という事は言わずもがな紫乃凛も同じだ。
「紫乃凛、ありがとう。」
私は紫乃凛の言葉を受け、当主として、父親として、また一人の夫として、護るべき者達の為に、自分自身にも少し気遣おうと思った。




