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亡くなった彼女から手紙が届くよくある系かと思ったら、すっかり騙される話

作者: 黒縁めがね

書き慣れていなくて本当に申し訳ないのですが最後まで読んでいただけたら、あなたの心に少しでも響いてくれるのではないかと願いをこめたお話です。最後まで読んでくださったら泣いて喜びます。

    佐藤1

白い封筒を強く握り締め、僕は暗い部屋の中で膝を抱え、君の事を考える。うっすらとした光を放つテレビ画面。流行の歌が流れるテレビの横に、画鋲で四隅をしっかりと固定したカレンダー。七月七日大安と書かれたその余白には、赤いペンで力強く書いた「絶対成功!」の四文字と感嘆符。

 誕生日、夏祭り、クリスマス、君との約束でぎっしりと埋まったカレンダーを僕はもう捲らない。

七月七日佳緒が亡くなった…

佳緒のお母さんからも話を聞いて、心臓を止めて行うリスクの高いものだと判っていた筈なのに、僕は手術が失敗する事なんて微塵も考えてはいなかった。

いや考えていなかったのではなく、佳緒がいなくなるなんて想像すら怖くてできなかったのだと、今になって思う。

偶然にも(佳緒は必然だと言ってくれたけれど)佳緒と僕の誕生日は同じ七月七日。

佳緒が一年で、もっとも大切に思ってくれていた、その日に手術が行われた。

もう二度と佳緒と会えないのだという事実を受け止める事が出来ず、昨日佳緒が亡くなってから、僕はまだ一度も泣いていない。いつか本で読んだように、泣くという行為が、少しでも悲しみが減るように行われる防衛機能だというのならば、僕の頭と身体はそれさえも拒否してしまっているのだろうか…

長い時間すがるように握り締め続けていた白い封筒。

もし手術が失敗するような事があったら開けるようにと、佳緒から手渡されていたそれに、僕は震える手で鋏を入れる。右上がりで少しだけ丸みを帯びた、佳緒の性格を表すような、見慣れた字で書かれた文章に視線を落とす。

『あっちゃん。あっちゃんが、この最後の便り読んでるって事は佳緒死んじゃったんだよね。みんなは私の事早くに死んじゃって可哀想だって思うかも知れないけど、中三からあっちゃんと過ごした二年間のおかげで佳緒は本当に幸せだったよ。

初めてのデートで、二人で浴衣着てお祭り行った時、あっちゃん夜店で指輪買ってくれたよね、誕生日も過ぎてるし貰えないよって佳緒が言ったら、まだ僕が佳緒と出会っていない、一歳の誕生日プレゼントだってそう言って渡してくれた!

駅前の自転車置き場、海の家の焼きそば、まんまるのお月様、二つに割れるアイスとか、あっちゃんと一緒にいると、佳緒は大好きな物がどんどん増えていったんだ。あっちゃん佳緒を好きになってくれて本当にありがとう』

便箋に書かれた文章は佳緒がいつも僕に会うたびに言ってくれた、ありがとうの言葉で締められていた。

 少し寂しく感じる位にワガママを言ってくれなかった佳緒からもしもの事があったら開けるようにと、もしもなんて絶対ないから必要ないと嫌がる僕に、お願いだから持っていてと、半ば無理やり手渡された手紙。佳緒の想いに触れる事が出来るその手紙を、僕は狂ったように何度も何度も読み続ける。佳緒はもう僕の隣にいない、今何をしたらいいかわからないだけではなく、これからなぜ生きていかなくてはいけないのかわからない。

 佳緒からの手紙を一言一句暗記してしまう読み返す内に、胸の中に微かな違和感が生まれる。『最後の便り』手紙に使われていた、その言葉は、僕の知る佳緒らしくない言い回しだった。ただそれだけの事が、気になってどうしても腑に落ちない。

 色褪せずに映像のように残る、記憶と言ってしまうには鮮明すぎる、佳緒と過ごした時間を振り返っている内に、不意に『No news is good news』便りのないのは良い便りということわざが脳裏に浮かぶ、その瞬間僕は部屋を飛び出し駅にむかって、自転車を走らせた。





















   佐藤2

 佳緒と毎日二人で乗った電車の中、携帯をいじる女の子や、通勤途中のサラリーマン。車窓から見える景色へと順に視線を移していくと、ずっと使っていた電車なのに、その景色にあまり見覚えがない事を不思議に思う。

 佳緒と付き合い出すまでは下ばかり向いていて、佳緒といる僕は、本当に彼女ばかりを見ていて、周りなんか見ていなかったのだと、あらためて気づかされる。

 吊革につかまり、電車の揺れに身を任せている内に、少し視線を落とせば、そこに佳緒がいるような錯覚に捕らわれる。

 彼女の髪の香りや、笑い声、柔らかな手や優しい笑顔。

 それらを感じる何より大切だった時間はもう二度と僕には訪れないのだと、生きている限りは、どこにいても、何をしていても、ただそれだけを、これからの僕は強く感じ続けるのだろう。

 降車する人たちの波をかき分け、逃げるように電車を降り、佳緒と付き合い始めるきっかけとなった、校舎裏の建物に向かって僕は走った。


 生い茂った草むらの中に、ぽつんと立てられた木製の看板に、赤いペンキで書かれた立ち入り禁止の文字。その文字も風雨でかすれてだいぶ読み辛くなっている。

 腰の辺りまで伸びた草を、両の手で左右に掻き分けながら、佳緒と二人で通った中学校の校舎裏の建物へと足を急がせる。

 

 なぜ取り壊されないのか、不思議がられていたその建物の、褪せた茶色の壁には、以前より遥かに増した緑の蔦が這っている。 

 だいぶ薄くなってしまった赤色の屋根の天辺に設置された風見鶏から、僕たち生徒の間で風見鶏の館と呼ばれていた建物。古びた木製の扉は壁と同じように、びっしりと蔦で覆われている。

 扉を覆う蔦を引きちぎりながら、観音開きの重い扉を開き中に入ると閉ざされた空間独特の湿気や、カビの匂いが鼻に衝く軋む床を良く見てみると、開いたままの入り口の扉から差し込む日の光を受けて、埃の積もった床に足跡が浮かび上がっている。足跡が少し前にここに人が来た事をおしえてくれる。

 

 予感めいた思いが確信へと変わる。


 広間の中心からまっすぐとのびる階段を一息で駆け上がり、目的の部屋の扉を開けると、薄暗い部屋の中央に天窓から柔らかな円形の光が降り注いでいた。

 光の中心に身体を置き、背伸びして丸い天窓を開けると、新鮮な空気が室内に流れ込んで来る。

 逸る気持ちのまま、窓の淵を掴み、懸垂の要領で上半身を一気に外まで持ち上げると、屋根の天辺、錆び付いた風見鶏の足元に紐で括りつけられた、ビニールの塊が視界に入った。窓の縁に足をかけ勢いをつけて屋根の上に身体を上げると、這うようにして風見鶏の足元までたどり着くと、塊を引き千切るように外し、何重もに包まれた包装をほどいていくと佳緒に手術前に手渡されたのと同じ、満月が描かれた封筒が出てきた。

 封筒を開けてみると、便箋に佳緒の見慣れた字が…

『あっちゃん、こんなクイズのような形で言葉を伝える事になってごめんね。あっちゃん佳緒が死んだら自分も死ぬからって真面目な顔でそう言ってたよね、それが佳緒はとても心配です。今もその気持ちが変わらないのなら佳緒の携帯に空メールを送ってみて下さい。佳緒を早く忘れたかったら、この手紙は見なかった事にして、捨ててしまって下さい』 

 僕は一瞬も迷わずに、すぐさま佳緒の携帯に空メールを送る。少しして佳緒の携帯からの返信メールが届く。メールにはあっちゃんへという題名と、動画が添付されていた。

 動画を開くと携帯画面に病室のベットに座る佳緒の姿が映し出され、もう二度と聞く事が出来ない筈だった佳緒の優しい声が流れだす。

『佳緒の作ったメールや動画を、これから一年間毎日あっちゃんに届けてもらうように大事な友達にお願いしてあります。

 あっちゃんに伝えたい事365通のメールでも、まだ全然足りなかったよ。あっちゃんと付き合えた、この二年間佳緒は本当に幸せだったけど、もっともっとあっちゃんと同じ時間が過ごしたかったです』

 そう言って涙ぐみ俯く佳緒。再生が終わり真っ暗になる携帯画面。佳緒が亡くなってから初めて流れでる涙が止まらなかった。

 干からびてしまわないのがとても不思議なくらいに、僕は一晩中泣いた。







   佐藤3

 淀んだ空気の溜まった、閉じこもり気味の部屋の窓を開けると、庭には曇り空の下、秋桜の花が咲いていた。

 エアコンで湿度や空気を一定に保ったこの空間を置き去りにして、季節はいつのまにか過ぎていく。毎日佳緒から届くメールにすがる事で、僕は生きている。

 今日の佳緒からのメールには、動画が添付されていた。携帯画面の中の佳緒は今日も綺麗だ。

『ねえあっちゃん、この熊の絵本の事、覚えていますか?佳緒が小さい頃に死んじゃった、本当のお母さんが、良く読んでくれていた本を、今のお母さんに勘違いから捨てられちゃって、佳緒が落ち込んでる時に、絶版になってたけど偶然古本を見つけたって言ってプレゼントしてくれた事があったよね。

 ネットで見つけたって言ってたけど…ほら表紙を外すとここに、佳緒と同じ幼稚園だった子の名前が書いてある。

 本当は佳緒が、幼稚園で配られた絵本だって話した事があったから、必死に探してくれたんだよね?

 この熊の絵本はお母さんが読んでくれたあの本より、もっと大切な佳緒の宝物です』

 画面の中で佳緒が、僕があげた絵本を、そっと抱きしめる。

 佳緒が大事にしていた絵本を、今の佳緒のお母さんが、あんまりボロボロだったので捨ててもいいか聞いた時、佳緒が怒りながら「その絵本は、ほおっておいて!」と言ったのに絵本が捨てられてしまう事があった。

 後からわかったのは、新しい佳緒のお母さんの生まれ故郷では、捨てることを『ほうる』と言うために、ろくに会話もなく佳緒がその絵本を大切にしてるという事も知らなかった為に勘違いしてしまったらしい。

 毎日一通だけ届くメールには時折、今日のように動画が添付されていたりする。佳緒からの聞いた事のない話や、見たことのない表情、それらが見られるだけで、僕が生き長らえるには充分な理由だった。佳緒の画像を繰り返しみている時、手にしていた携帯がなった。

 『星に願いを』佳緒からの着信は、通話とメールで区別していたので、通話に設定されている、その曲が鳴るということは、今の佳緒の携帯を持っている人からの連絡だと思い、せりながら通話のボタンをタッチする。

「もしもし」

「もしもしじゃねーよ馬鹿、あんた何、私の携帯からの着信はずっと拒否してんの?」

 携帯から聞こえてくる声は、佳緒のものではなく、佳緒と本当に中の良かった千秋ちゃんのものだった。

「毎日佳緒のメール送ってくれてんのやっぱり千秋ちゃんだったんだね…ありがとう」

「お礼なんて言われるためにやってんじゃない!高校にも来ないであんた一体毎日何やってんの!」

「もう誰にも会いたくないんだほっといてよ…千秋ちゃん、千秋ちゃんも毎日大変だろうし佳緒の携帯、僕が預かるわけにはいかないだろうか?」

「一年間あんたにメールを送るのは私が佳緒とした最後の約束だよ!それをやぶるわけがないじゃん!何もあんたの心配なんかしてないけど、ただ佳緒のやつ自分が死んじゃうかも知れないのに、残された時の、あんたの事を心配して泣いたんだ…学校も来ないでウジウジしてると、周りの奴らがあんたが可哀想だって言い出すだろ、私はそれが心の底から気に食わない!佳緒と逢えて本当に良かった幸せだったって、あんたは一人になっても笑ってなきゃいけないんだ!佳緒が死んだら自分も死ぬとか、そんな佳緒を悲しませる事、絶対に口にしちゃいけなかったんだよ」

 嗚咽まじりの声で伝えられたその言葉に僕はごめんとしか言えずに通話を切る。

 佳緒が大切にしていた熊の絵本の内容は、何でも吸い込む魔法の袋を持った熊に、小さな男の子が、嫌いな物をどんどん吸い込んで貰う内に、世界でたった一人になってしまい、最後に本当に駄目なのは自分だったのだと気づいて、袋に自分自身を吸い込むと、そこには、いままでと何も変わらない世界が広がっていたというお話だった。

 死ねばそこに佳緒がいるというなら、今この瞬間にも僕は命を絶つだろう。死んでしまってもなお、佳緒はこんなにも大切な時間を与えてくれているのに…












    佐藤4   

 佳緒からのメールを読むようになって、もう半年が経つ。

 窓の外に目を向けると雪の中、高校生位の男女が手を繋いで歩いている。雪に残っていく足跡を見ながら好きな人と歩いていけるって、なんて幸せな事なんだろうと、夏から捲っていないカレンダーをふと目にして、そんな風に考える。

 クリスマスイブの今日、僕は一人部屋に閉じこもり、何十回と繰り返し緒緒からのメールを見ている。

『あっちゃん、いつも佳緒が、私達が同じ日に生まれたのは運命なんだよって言うと、笑ってばっかりいて、あんまり真面目に聞いてくれなかったのに、二人で過ごす初めてのクリスマスの夜、佳緒の大好きなアイスをいつものように2つに割って半分こして食べながら話してくれた事、今でも覚えてくれているかなあ?

 生まれる前に天国で結ばれていた二人は、神様からアイスを一個貰って、それを二つに割って、お互いが半分づつ持ち合ってこの世界に生まれてくるんだけど、広い世界で約束の相手にもう一度出遭うのは本当に難しくて、なんとかアイスの割れ目の形を削って他の人と一緒になったりするんだけど、僕はこんなにも早く運命の相手に出遭えた事を、神様に感謝しなくちゃねって言ってくれたよね。佳緒はあっちゃんがそんな風に思ってくれている事、涙が出る位、嬉しかったんだよ。

 クリスマスの夜に食べたアイス、棒のところに大当たりもう一本って書いてあって、っ二人で凄いねって笑いあったっけ、あっちゃんと付き合うまでは、世の中ってくだらなくて、佳緒もくだらない世の中に、負けない位に本当に最低で…でもあっちゃんと一緒にいると、まるで自分が映画の主人公になったみたいにキラキラした事でいっぱいだったよ。

 あっちゃんは佳緒との約束一度だって破った事ないのに、佳緒は守れない約束がたくさんあるね。

毎年一緒に海の家の焼きそば食べに行こうって約束守れなくてごめん。


 二人でお金貯めて初めての海外旅行は絶対にフランスの砂糖とチョコレート博物館行こうって約束守れなくてごめん。

 

 誕生日とクリスマスは何があっても絶対に一緒に過ごすって約束守れなくてごめん。


 絶対元気になるって約束を守れなくて、あっちゃんを残して先に死んじゃって本当にごめんね』 

 僕の手の届かない携帯の画面の中で、佳緒が大事そうに、アイスの当たりの棒を持って肩を震わせて泣いている。

 僕が今まで見てきた沢山の本や、先生達の言葉では、人生に取り返しのつかない事なんかないってのが良くでてきたけど、取り返しのつかない事はある。どうしようもないほどに…

 今画面の中の佳緒を泣かせているのは佳緒が死んだら自分も死ぬなんて本当に最低な事を言った自分なのだと気づきながら、運命の相手にめぐり逢い、あまりにも早く、その相手を失ってしまった時、残された方は、いったいどうすればいいのだろうかと考える。

 何かにとり憑かれたように、繰り返し、繰り返し携帯だけをみる毎日。佳緒と出遭ってからは喜びも怒りも、悲しさも楽しさも、喜怒哀楽の全ての感情が彼女と共にあった。亡くなってもなお、キラキラした佳緒の存在に僕は生かされている。























  佐藤5

 窓さえ開ければ、春の風が草花の香りを僕の部屋にも平等に運んできてくれる。どんなに悲しくても、どんなに辛くても喉は渇くのだなあと、そんな事を考えながら、冷蔵庫から出した良く冷えた炭酸に口をつける。そういえば佳緒は炭酸のジュースをいつも涙目になりながら飲んでいた。苦手なら飲まなきゃいいのにと僕が笑う度に、でも炭酸好きなんだもんと、ちょっと拗ねた顔をして僕を睨んだ佳緒。

 佳緒のことを考えていると、携帯がメールを受信する。毎日が佳緒からのメールをみることから始まり、夏、秋、冬、春と季節が変わっていき、今の僕は全てのメールを見終わる事を何よりも畏れている。

 メールに添付された動画を再生すると画面に、病室のベッドの上に正座した佳緒が映る。佳緒の首元には、勿体無いから大事な時だけつけると言って、いつも嬉しそうに眺めるだけで、なかなかつけてくれなかったお月様の形をした首飾りがかかっていた。

『あっちゃん、佳緒はだんだん思うように動かなくなる身体の不安から、最近あっちゃんにワガママばかり言ってしまっている気がします。

 昨日も佳緒がして欲しい事なら何でもしてくれるって言ったあっちゃんに佳緒お月様が欲しいって言っちゃって…あっちゃん少し困った顔した後にわかったって言ってくれて、佳緒そのすぐ後に薬のせいか眠っちゃって、夜になって目を覚ました時、まだ夢をみているのかと思った。だって天井が星で埋め尽くされてるんだもん!

 あっちゃん肩車して佳緒にお月様をプレゼントしてくれたよね。

 佳緒、平気だよって強がってたけど本当は死ぬのが怖くて怖くて堪んないんだ。だって死んじゃったら、もうあっちゃんと会えないんだもん。この動画を佳緒、心配しすぎてこんなの撮ってたんだよって、あっちゃんと笑いながら観れたらいいなあ』

 佳緒の願いなら何でも叶えると、そういつも言っていたのに…急いで買いに行ったオモチャのプラネタリウムと満月モチーフの首飾り、人によっては子供騙しだと笑われてもおかしくないような僕の行為。セロテープで天井に貼った首飾りに手を伸ばしながら佳緒があの時言ってくれた言葉を思い出す。

『暗闇だから辛い状況だから、こんなにも輝いてみえる物があるんだね』と…

 あの時、佳緒を肩車しながら自分の泣き顔が見られないように俯いていると、佳緒は僕の頬を後ろからそっと包み上を向かせ目が会うと泣きながら微笑んでいた。

 携帯画面の中の佳緒が、あの日あの時とまったく同じ表情で僕をみている。



  佐藤6

『七月七日』佳緒からの最後のメールが届いた。メールを開く事が出来ないまま、長い時間が過ぎていく。佳緒は誰よりも優しくそして残酷だ。僕は二度最愛の人との別れに直面することになる。

 怯えにも似た気持ちで携帯のボタンを押し添付されていた動画を再生すると、画面の中の佳緒は病室のベットの上で、いつもの寝巻き姿ではなく、空色のワンピースを着て座っていた。

『あっちゃん今日は佳緒とデートしよう。佳緒初デートで行った海にまた二人で行きたいな!一緒に食べた焼きそば本当においしかったよね今日もまた食べようね』  

 短い映像が止まる。365通の佳緒からのメール全てが届いた…

 窓を開けると空を厚い雲が覆っている。家をでて自転車に飛び乗り、佳緒と行った海に向かってがむしゃらにペダルを漕ぐ、ポツポツと降り出した雨が僕の大量の涙を誤魔化してくれる。汗と雨と涙でTシャツがびしょ濡れになった頃、佳緒との思い出の海に僕は辿り着いた。

 土砂降りの中、周囲の店は全て閉まっているのに、佳緒と行ったあの海の家だけが、降り込んでくる雨を無視するかのように、営業中の旗を立て、昼なのに薄暗いその景色の中で灯かりを灯し浮かび上がっている。

「いらっしゃい」

店に近づくと、あごひげを生やし、がっちりとした見覚えのある、おじさんが、満面の笑顔で僕を迎え入れてくれた。

 店内に僕以外のお客さんは誰もいなかったのだけれど、お店自体に染み付いているのか、香ばしい油の香りが漂っていて、前来たときと同じように、壁面には薄茶色に変色したメニュー表が変わらず貼られていた。

「君が佐藤君だろ?良かったよ店開けといて、この雨だろ、来ないかとも思ったんだけど、あの娘本当に必死だったからなあ~来年の七月七日に佐藤君って子がきたら渡して欲しいってお母さんに連れられてきた子から手紙を預かってね、絶対渡してあげようと思って朝から君の事待ってたんだよ、あの可愛らしい彼女は今どうしてんの?」

「去年病気で…」

 そう一言だけつぶやくと、おじさんは一瞬だけ驚いた表情で僕を見た後、預かっていたという手紙を渡してくれる、封を開けるとそこには佳緒の字。

『あっちゃん覚えてる?海で遊んだ後、帰り道で雨が急に降り出してきて、知らない家の軒下で雨宿りさせて貰っていたら、その家のおばあちゃんが風邪ひくからって中に入れてくれた事。私達にお孫さんの為に作った浴衣まで貸してくれて…

 二人とも疲れてたのか家に連絡もしないで、おばあちゃんの家で朝まで眠っちゃったよね、お父さんとお母さんには散々怒られたけど本当に楽しかったなあー。

 佳緒、新しいお母さんに怒られたの、この時が初めてだったんだ。どれだけ心配したと思ってんのって声出して泣いてくれて、思えばお母さんにわがまま言えるようになったのこの時からのような気がします」

 大事な手紙の上に涙が落ち文字が滲む。

「奢りだ食ってきな」

 そう言っておじさんが出してくれた湯気の立ち上る焼きそばは、佳緒と二人で食べたあの日よりちょっとしょっぱく、あの日のように温かかった。
























  佐藤7

 ずぶ濡れで家の前に立っていた僕をおばあさんは、あの日と同じように家に入れてくれた。佳緒から預かったと言い、手紙と綺麗に包装された小包を渡してくれる。

『この手紙があっちゃんに伝える事が出来る、佳緒からの本当に最後の言葉になります。あっちゃんが今までの人生で一番幸せだった事は何ですか?

 佳緒はあっちゃんと一諸に美容院に行った事です。あっちゃん私が美容師のお兄さんと楽しそうに話してたらやきもち焼いて、将来自分が美容師になって他の人には佳緒の髪を絶対に触らせないって言ってくれたよね。あっちゃんとの思い出はどれも宝物のように輝いているけど、一番嬉しかった事は何だろうと考えると、やっぱりあの日の事が頭に浮かびます。佳緒はずっと自分自身が大嫌いだったけど、あっちゃんが名前を呼んでくれたあの日から好きになる事が出来ました。

 あっちゃん本当は、自分の事、名前で言う女の子とか嫌いだよね…でも佳緒はそれがわかってても直せなくなる位に、あっちゃんのおかげで自分の名前を好きになる事が出来ました。あっちゃんなら絶対に女の子たちを素敵に変える事が出来ると思うから、夢を叶えて世界一の美容師さんになってね、約束だよ。本当の本当にあと一つだけ!あっちゃん佳緒を好きになってくれてありがとう」

 佳緒から贈られた小包を開けるとそこには革のシザーケースと大当たりもう一本と書かれたアイスの棒が入っていた。

「佳緒の頼みを聞いてくださって本当にありがとうございます」

 目の前のおばあさんが、とても優しい目で僕を見ている、どこまでも優しいまなざしのその人に心配をかけないように、精一杯の笑顔で感謝を伝える。

「若いうちから無理して笑う事を覚えたらいけんよ、悲しい時は泣けばいいんじゃから」

 おばあさんはそう言うと僕の頭にそっと手を置く。

僕は泣いた。叫ぶように。近所迷惑な僕の頭をおばあさんは僕が泣き止むまで、ずっと撫ぜ続けてくれた。

自宅への帰り道、自転車を引きながら、ポケットにアイスの棒を大事にしまう。雨はいつのまにか止んでいた。

僕は一人じゃない365通の佳緒からのメールと直筆の手紙を読み、佳緒からの動画を再生する日々が僕に再び生きる力を与えてくれた。

雲の切れ間から覗く青。佳緒を想い、空を見上げそっとつぶやく。

「ねえ佳緒、僕は佳緒といると大好きな物がどんどん増えていったんだ、駅前の自転車置き場、海の家の焼きそば、まんまるのお月様、二つに割れるアイスとか…すべてがキラキラした色で今も輝いているんだよ」

世界一の美容師だろうが、総理大臣だろうが、何にだってなってやる。僕が佳緒との約束をやぶった事なんて、今で一度だってないんだから。




                               



























  ちよこ1

早朝、混雑した電車の中、妊婦さんが辛そうに立っているのに誰も席を譲ろうとしない。

優先席に当たり前のように座り携帯画面に夢中の同じ中学の制服を着た男子達。そいつららの頭を思い切りひっぱたいて注意してやりたいと思うのだけど、結局なにもしない自分。見て見ぬふりの周囲の人達、そいつらの事を最低だと思いながらも何も言えない…だって私は女の子だからとか自分を守る言い訳まで用意している。

最低な世界に良く似合った最低な自分。

想像の中で優先席に座る男子達に蹴りをいれていると、正面に座っていたメガネの少年が、読んでいた小説から視線を上げると、今気づいたといった様子で、妊婦さんに席を譲ろうと立ち上がり、自分の座っていた席を指差す。

妊婦さんが申し訳ないからと、顔の前で手を振りながら遠慮している。そのやりとりを幸せな気持ちで眺めていると、身体が電車の進行方向に向けて急に傾いた。電車がブレーキ音と共にスピードを落としていく。私の背後の扉が聞きなれた音を立てながら開くと、少年が『僕ここで降りるんで』そう言うと私の隣をそっとすり抜ける。

電車の扉が閉まり小さくなっていく少年の背中から目を離す事が出来ない。

だって私は『優しい嘘』を聞いたのだ。


 教室の四角い窓から見える嘘みたいに青い空を、飛行機雲が二つに割っていく。安っぽい映画みたいなその光景を眺めながら、朝の出来事を思い返す、優しい嘘をついたメガネの少年、同じクラスあの人の事を…朝から何度繰り返したかわからない、幸せな回想に耽っていると、頭上から、私の大親友を自称する尚美の声が降ってくる。

「ちよこ佳緒から聞いたよ好きな人出来たんだって!」

「そんな事誰もいってないよ」

 朝の出来事を佳緒に話した時、口止めするのを忘れた事を後悔しながら、尚美にも電車で見たやり取りを説明する。

「なにそれ?妊婦さんに席譲る為に自分の中学の三駅も前で電車降りちゃって、そんで無遅刻、無欠席駄目にしたんだ!馬鹿じゃんテストメガネ」

「馬鹿とかいわないでよ、それにテストメガネってなに?尚美のつけるあだ名、本当に意味わかんないから!」

「ちよこ朝から風見鶏に向かってなんかお祈りしてるし、あいつに恋しちゃってんじゃないの?彼氏ほしいならあんなんじゃなくて佳緒みたくイケメン捕まえなよ」

「私、佳緒みたく可愛くないし…」

 言ってて悲しくなる返事をしながら、風見鶏にお祈りする所を尚美に見られていたとわかり、顔が熱くなっていくのを止める事が出来なかった。

































   ちよこ2

 私達の通う中学校の校舎の裏には、なぜ取り壊されないのか不思議な位の古ぼけた建物が存在する。正面には立ち入り禁止の立て札があり、生徒の誰一人として、この建物が何かに使用されているのを見た事がないと言う。茶色にくすんだ壁や窓を緑の蔦が覆い、中がどうなっているのか見る事すら出来ない。

 この一体いつから、なんの為にあるのかも、わからない建物にはずっと伝わっているらしい伝説がある。好きな人と両想いになれるようにお願いした時、建物の屋根の天辺にある風見鶏が1回転すると両想いを願った相手と永遠に結ばれるというものだ。

 でも先月あった台風の日でさえ風見鶏は1回転どころかピクリとも動かなかったらしい。たぶんもう錆び付いてしまっているのだろう。この風見鶏伝説は消えそうになると、新しい噂が生まれ、私達生徒の間で話題になり続けている。

 この中学校で、出遭って付き合い始め結婚した女の人が告白の前、両想いになれるようお願いした時に、風見鶏が回っただとか、最近では同じクラスのアキラ君が佳緒に告白する前に、風見鶏の回るのを見たと言っていた。

 あんなイケメンにそんな風に告白されたら、それが嘘でも恋に落ちてしまうんじゃないだろうか。佳緒ならアキラ君みたいなイケメンと並んでも本当に絵になるもんなあと、そんな事を思う。

 なんとなく周りに合わせた格好をしている私や、ギャル系とヤンキーの間の服装を行ったり来たりしている尚美と違い、派手な服装をしている訳じゃないのにいつも凄くお洒落だ。道行く人が振り返るほどの容姿に、性格でも悪ければストレス解消の悪口の対象にでもなるのだろうけど、私は生まれてから佳緒ほど魅力的な性格の子に会った事がない。

 一諸にいるとよけいに比べられてしまい、嫌な思いをする事もあるけど、それでも私は佳緒とずっと友達でいたいとそう思う。私が風見鶏の伝説について考えていると、急に近づいてきて、背後から私の肩の上にあごをのせ尚美が話しかけてくる。 

「なにまた何か考え事しちゃって、頭で考える前に行動だよ、行動、命短し恋せよ乙女なのだよちよこ君!大体ちよこは消極的すぎんだよねえ、この前、私がせっかく理想ピッタリの人紹介してあげたのに、もう二度と会わないって勝手な事、言うしさ」

 自分にない物を求めて、確かに私は尚美に、信念があって、周りの目とか気にしないで行動する人がタイプだと言ったけど、尚美が無理やり紹介するからと言って連れてきたのは、特攻服をきたヤンキーだった。共通の話題もまったく見つからず、警視庁24時にモザイクで出演した話をずっと聞かされた苦い思い出が残っている。

「私の心配する前に、尚美こそ彼氏作ればいいじゃん」

「あっ下の名前で呼ばないでよね、私は千秋、千秋ちゃんでしょ!ほら私くらいの恋愛の達人になると、中学生なんか相手にしてらんないわけよ、アキラ君クラスなら考えるけど、それでも同い年はなあ、それにアキラ君とか運動も勉強も出来て、イケメンで家は金持ちとか出来すぎてて、ちょっと怪しいし、それにアキラ君って私や佳緒とか可愛い子にだけ優しい気がするんだよね」

 親が大ファンで名づけられたという、大御所、演歌歌手と同じ読み方の名前を嫌う尚美が、実は密かにアキラ君に憧れていた事を思い出し、軽い口調で話しを合わせる。

「そう言えばアキラ君、私にも優しい気がする」

「ふーんじゃあ可愛い子にだけ優しいって言うのは、やっぱり勘違いか…それに私の狙いは同い年のガキなんかじゃなく、来週から来る教育実習生という大人の男性に絞られてるのだよ」

 私に対してどこまでも失礼な尚美が、少しでも凹むようさっき聞いたばかりの情報を教えてあげる事にする。

「尚美しらないの、うちのクラスに来る教育実習生、女の人だよ』

「えっ嘘でしょー!」

 大袈裟に頭を抱えて悔しがる尚美を見て、私も尚美も彼氏とか当分出来そうにないなと、自然と笑いが込み上げて来た。

















  ちよこ3

 聞きなれたチャイムの音が授業の始まりを告げる。クラスメイト、特に男子達が騒いでいる。今朝の全校集会であった教育実習生がくるからだ。周囲の盛り上がりをよそに、私の目はあの人を追ってしまう。前日の席替えで手に入れた、片思いの私にとっては、隣の席よりも断然幸せな、教壇と一直線上に並ぶ彼の斜め後ろの席。

授業中ずっと好きな人を見続けていられる幸せを噛み締めていると、担任の小山先生の後ろについて、教育実習生の女の人が教室に入ってきた。

少しきつめだけれど整った顔立ちに、自然な感じの流行のメイク、大人の女性の色っぽさと清楚さが同居していて、男子達が騒ぐのもわかる気がする。

実習生はクラス中の視線を一身に受けながら、黒板に定規で書かれたような読みやすい綺麗な文字で名前を書く。

「有川美紀と言います。短い期間ですが、あなた達とたくさんの事を学んでいきたいです。宜しくお願いします」

 そう言ってお辞儀をする美紀先生を見て、美人って私みたいな平凡な容姿の人に比べていったいどの位の得をするのだろうと、そんな事を考えてしまう。

 小山先生は綺麗な若い実習生が来たのがよほど嬉しいらしく、ずっとニタニタしている。そんなだから30過ぎても彼女が出来ないのではないかと心の中で失礼な事を思う。

「美紀先生は彼氏とかいんの?いないなら俺と付き合ってよ」

 チャラついた一人の男子が口火を切ると、俺も俺もといっせいに騒ぎ出す。小山先生が騒ぐ男子生徒達を、真っ赤な顔で怒鳴るのだけど、まったく効果がない。尚美じゃないけど、こういう時、同い年の男子の言動は少し子供っぽいなと感じてしまう、

 私が少しだけ困った顔をした美紀先生を見ると、不意に美紀先生が胸元から白いハンカチを取り出し、教壇にあったペンでそのハンカチに何かを書き始めた。

「いいわよ、じゃあこうしましょう。私が今から出題する問題に答える事が出来た子とならお付き合いします」

 ただオロオロとする小山先生を無視して美紀先生は言葉を続ける。

「私が今このハンカチに書いた言葉を答えて下さい。ヒントは最後のニュースです。期限は私の教育実習期間終了までとします」

 美紀先生がそう言って女の私でも目を奪われる位の素敵な笑顔で微笑むと、クラスの男子達のテンションは最高潮まで上がっていった。


次の休み時間は、クラス中が、美紀先生の出したクイズの話題で持ち切りだった。

「ねえちよこ!あの教育実習生、クイズに答えられたら付き合うだとか、何か馬鹿にしてると思わない?」

 中学生なのに必要以上に薄くしてしまった眉をアイブロウで書き足しながら、尚美が同意を求めてくる。

「からかわれてるだけなのに、男子は実際にがんばっちゃう訳だから馬鹿にされても仕方ないじゃん」

 そう言ってしまった後、自分達の会話の内容が、学園ドラマの悪役女子みたいに思えてきて何だか悲しくなっていると、背後から急に抱きつかれる。

「それじゃあ私達で男子達より先にクイズ解いちゃおうよ」

 佳緒が後ろから私に抱きついたまま何だか魅力的に思える提案をしてくる。佳緒といい美紀先生と言い、とてつもない美人には人を引き付ける特別な引力のようなものがあるようにおもう。気づくと、いつのまにか、その人を中心に世界が回っている。

「いいねそれ!いっちょやったりますか!」

 私より早く佳緒の引力に引っ張られた尚美が言う。背後から、私の鼻先をかすめる佳緒の少し甘いシャンプーの香り。あまりに心をくすぐる、その匂いに思わずどこのシャンプーか聞いてしまう。

 佳緒に対する少しだけの嫉妬と大きな憧れが、私の返事をいつも尚美より1テンポ遅らせる。

「いいね佳緒やろう」

 私がそう言うと佳緒がとても嬉しそうな無邪気な顔で微笑む。何だかその笑顔は少しだけ美紀先生に似ている気がした。



 クラス中を巻き込む盛り上がりをみせた美紀先生のクイズ、最初の一週間は最終のニュース番組に謎が隠されているとか、ニュースって言うのは手紙の事じゃないかとか騒いでいたのだけど、まったく解けないその問題にだんだんとみんな興味を失っていき、今では口にする生徒すらいなくなっていたのだけど、そんな中で天邪鬼な私は、簡単に諦める周りに反発して教室の自分の席であぐらをかき、食べ終わったアイスの棒をガジガジとかじりながら、昨日の夕刊の最終ページを広げている。

「ちよこ、あぐらは止めようよ、新聞、開いてる姿、何かおじさんみたいだよ」

 佳緒が苦笑しながら言う。

「パンツ見えそうだっつうの嫌なもん見せないでよね、あんたまだあのクイズの事、考えてんの」

 あぐらなんてかかなくても、パンツの見えそうな短い丈のスカートの尚美がさっきの授業で配られた進路希望調査のプリントを丸めて私の頭を叩いてくる。

「だってこのまま諦めるのって、何か悔しいじゃんか」

 美紀先生の教育実習の期間も、残り少なくなってきた。クイズからクラスメイト達が興味を失っていくのと反比例するかのように、美紀先生の人気はどんどん上昇していった。

 優しい性格に上品な物腰、気さくな態度で、美紀先生の事を最初は嫌っていた尚美が、今では恋の相談までしているのだからその人気は本物だ。

 勇気をだして多くの男子が、最初の頃の冗談半分ではなく本気で告白したのだけど、結果は聞くまでもなく全員玉砕だった。

「クイズ解いたって美紀先生が本当に付き合ってくれる訳ないんだし、第一ちよこは別に美紀先生と付き合いたい訳じゃないんでしょ」

 呆れた口調で尚美がつっ込んでくる。

 進展のないまま刻々と近付いてくるクイズの期限と、もう諦めてしまった佳緒と尚美の態度に少し不満を感じながら、窓の外に目を向けると、校庭の銀杏の葉が風見鶏の周りをクルクルと舞っていた。


















  ちよこ5

 美紀先生の教育実習期間の終了がとうとう明日に迫っても、私にわかった事と言えばニュースって集中して観ると意外と面白いって事位だ。

 いったいどこで間違えたのか、いつのまにかジャニーズのNESWの大ファンになっていた尚美が携帯画面から視線を外さないまま話しかけてきた。

「ねえねえちよこ、あんたの生年月日教えてよ、すげー良く当たる占いサイトがあんだよね」

「尚美って本当に酷いよね、この前教えたばっかじゃん私の誕生日忘れる人ってあんまいないんだけど」

 私の言葉を完全に無視して尚美は携帯をいじり続ける。

「あっコレ相性占いも出来るんだ、ちよこ占ってやるからついでに、テストメガネの誕生日教えなよ」

「誕生日とか知らないよ、それにテストメガネって失礼な呼び方やめてくんない」

 言いたい放題の尚美の肩を叩いて言うと、佳緒がお腹に手をあてて笑いながら近づいてきた。

「ほんと仲いいよね、ちよこと尚美って!ねえ尚美、私とアキラ君の愛称占いって出来るかな?」

「彼が何か隠し事してるかも…良く話しあってみてだって」

 とてもサイトで調べたとは考えにくいあまりに早い切り返しで尚美から発せられた言葉。

 その占いの内容に驚いて尚美を見ると、今までに見た事のないような真剣な眼差しで佳緒をみていて、余計に驚かされる。

「ちょっと飲み物買ってくる」

 尚美がそう言い残して席を離れたのだけど、尚美の使っている机の上に置かれた水筒のふたには、最近の尚美のお気に入りの痩せるお茶がまだなみなみと入っていた。

「尚美って本当にいい子だよね、他の子はこそこそ噂してるだけだったのに」

「噂って何?」

 聞いちゃいけない、聞かなきゃいけない。佳緒の今にも泣き出しそうな笑顔が、私の中に両極端の2つの気持ちを湧き上がらせる。

「アキラ君に私が二股かけられてるって噂だよ。まあ実際そうだったから噂じゃないんだけどね。女の子と手繋いで歩いてるの見たって子がいるんだってって問い詰めたら、私がなかなかヤラセテくれないから、もうめんどくさくなったって…風見鶏の話もよくあんなの信じたねって笑われちゃった」

「笑わないで!そんな悲しい事言いながら笑わないでよ佳緒!」

 今このタイミングで私が先に泣くのは酷い事だって分かっているのに涙を止める事が出来ない。

「何で私が泣いてないのに、ちよこが泣くの?同情してんのなら止めてよ」

「同情なんかじゃない、佳緒がどんなに辛いかなんて私にはわかんないし、ただ何か悔しい…悔しいよ」

 こんな人目の多い場所で佳緒の迷惑も考えず、子供みたいに泣いてる私を佳緒が黙って抱きしめて来る。

「あんたら何二人して泣いてんだよ」

 尚美が佳緒目当てで心配そうに近づいてくる下心男子達を蹴散らしながらそう言うと、私の大好きな炭酸ジュースとお茶を両手に持ったまま抱きついてくる。

 私達三人は、まぶたが膨れ上がり、嗚咽が自分の意思で止められなくなるほど、ただひたすら泣いた。



 


















  ちよこ6

 クイズの答えの糸口すらも見つからないまま、美紀先生の教育実習の最終日がやってきた。クラス内を見渡すと数人の女子がハンカチで目元を押さえている。

 中学三年にもなると、短い期間の付き合いになる教育実習生がいなくなるからと言って、泣くほど悲しむ子はあんまりいないのだけど、美紀先生との別れは特別なようだ。

 教壇では美紀先生が、みんなからの視線を一身に受け微笑んでいる。

「みなさん本当に素晴らしい時間をありがとう。幼い頃からずっと憧れていた教師という職業が、いかに大変で、どんなに大切なものか私はこのクラスで学ぶ事が出来ました」

 悲しむ私達を暖かい眼差しで見つめながら、美紀先生が涙声だけれど何故か教室の隅まで良く透る声で語りかける。

「私が初めてあなた達に出会った、あの日に出したクイズ、誰か解けた人はいるのかしら?」

 美紀先生のその言葉に周囲を見渡すと、現在単独トップで私のぶん殴ってやりたい男ランキングに位置するアキラがただ一人手を上げていた。

「まあアキラ君答えが解かったの?」

 美紀先生が嬉しそうにアキラを見る。その直後のアキラの行動は、私の想像の遥か斜め下をいく最低な物だった。

 アキラは両手のひらを机につき、もったいぶった感じでゆっくりと立ち上がると、ちらりと佳緒をみた。「佳緒さんが、こんな簡単なクイズ何でみんな解けないんだろうって言ってました」

 アキラのその発言を聞いて、私は全身の血が沸騰しそうになる。なんてレベルの低い嫌がらせをする男だろう。佳緒を見ると悔しそうに下唇を噛み泣きそうな顔でうつむいていた。私はこの時ほど自分の名前に感謝した事はない。

 大きな音をわざと立て、座っていた椅子を後ろにはじき飛ばす程の勢いで立ち上がりみんなの注目を集める。 

 考えが頭の中でまだ文章として機能しないまま、私は勢いだけでしゃべりだした。

「えーっと美紀先生の出したヒントの最後のニュースって言うのはジャニーズグループのNEWSの事で…」

 考えがまったくまとまらず、よりにもよって尚美が力説し、私と佳緒とで大笑いしていた答えを思わず口走ってしまう。

「ちよこさん美紀先生とそんなに付き合いたいの?」

 アキラの言葉に、クラスの男子達が笑い声をあげる。悔しくて悔しくて堪らないのに、ここでキレたら佳緒に迷惑がかかると思いぐっと耐える。 

 気がつくと私はどうっしてもらえる訳もないのに無意識の内に大好きなあの人を見てしまっていた。彼は周囲の男子達のように私の事を笑ってはいなかったけれど、興味なさそうに窓の外を頬杖して見ていた。私が自分勝手に落胆して彼から視線を外そうとしたその時、彼が不意に立ち上がった。

 立ち上がったその姿に何故か電車で席を譲っていたあの日の姿が重なる。一瞬も目を離す事が出来ないでいると、彼がイメージと違う強い口調で言葉を発した。

「何もしてない奴らが、頑張ってる人を笑うなよ」

 クラス中の視線が彼に集まる中、自分を非難する彼の言葉に苛立ちアキラが怒鳴る。

「おい黙れよメガネ!」

 そんなアキラの言葉に、微塵も動じる様子を見せず、彼は静かにアキラの席に近づいて行くと、メガネを外し机の上に置いて言った。

「アキラ知らないなら教えてあげるけどメガネは元からしゃべんないよ」

 予想外の彼の行動に、アキラは言葉さえ出なくなっている。

「みんな笑ってたけど、西岡さんの答えはかなり正解に近いよ」

 私は予期せぬタイミングで、彼に初めて名前を呼んでもらって鼓動が速まる。緊張し過ぎて私が彼の言葉を理解出来ないでいると美紀先生が彼に話しかける。

「あら安吾君は、答えが解かってるみたいね」

 彼は…安吾君は美紀先生の言葉に肯定の意味を込めるかのように、浅く頷くと話し始めた。

「ジャニーズのNEWSってグループ名は、新しい情報って意味とNorth【北】East【東】Wast【西】Sous【南】の頭文字を取って世界の全方向で活躍出来るように名づけられたもので、美紀先生の【ニュース】って言葉は東西南北を示していて、【最後の】って言葉は寄席なんかで…紅白歌合戦の方がわかりやすいかな、最後に出演する人を【取り】って言うんだけど、これをもじっていて【鳥の東西南北】つまり【最後のニュース】ってヒントは、この教室の南側から見える風見鶏を示していて、その風見鶏の足元にハンカチを結んでおいた、それが正解ですよね美紀先生」

 安吾君が一息で話し終えると、私は自分が涙ぐんでいる事に気づく。湧き上がってくる、あまりに強い安吾君を思うこの感情をどうしたらいいか分からず、私が戸惑っていると美紀先生が安吾君の答えを肯定する。

「凄い安吾君!大正解よ。じゃああのハンカチに何て書いてあったか、みんなにも教えて貰えるかしら」

「あなた達は本当に大切な、私の初めての生徒ですと書いてありました。つまり僕達は付き合う【対象ではない】ってそういう事ですよね」

 安吾君の答えに美紀先生が本当に驚いた表情で、薄いピンクのマニキュアを塗った右手を口元に添えて微笑む。

「まあ残念、先生安吾君とならお付き合いしたかったな」

 美紀先生はそう言うと今まで見た事もない、妖艶とまで思える表情で笑った。





























   ちよこ7

 放課後、安吾君の事をいつもテストメガネ呼ばわりしていた尚美が、足をバタバタさせて興奮しながら私と佳緒に話しかけてきた。

「ちょっとヤバイよねテストメガネの奴、何あれ格好良すぎでしょ!ちよこライバル増えちゃうんじゃないの!」

 尚美の言葉に、佳緒が頷きながら話しを続ける。

「確かにあれはキュンときちゃうよね。安吾君みたいな子と付き合えたら幸せにしてもらえそうだよね」

 佳緒のその言葉に私は、胸が締め付けられそうな気持ちになりながらも、不安に思った事を二人に話す。

「でも安吾君、アキラにあんな態度とって明日からクラスでいじめられたりしないかな」

 私の質問に尚美が顔の目の前で、大袈裟に手を左右に振りながら答える。

「私も気になって男子達にそれとなく安吾君の事、聞いてたら女子は本当に分かってないなあって言われちゃった、何か男子は困った時、安吾君に助けられた子がたくさんいるたいで、アキラより断然みんなの信頼つい厚いんだってさ」

 ホッとした私の表情に気づいた尚美が、最近いつも見ている占いの携帯アプリを見ながら言った。

「平成○年7月7日生まれのちよこの運勢ちょっと凄いよ!今日好きな人に告白出来て両想いになれれば、その相手と生涯結ばれるって書いてある」

 佳緒の名前と存在を知ってから、私はずっと勝手にコンプレックスを持ち続けていた。佳緒に敵うものなんか私には一つもないと思って思いるのに、それでも譲れないこの気持ちに、強い感情に尚美が気づかせてくれた。

「ありがと尚美行ってくる!」

 尚美と佳緒の声援を背中に受けて私は走り出す。


 夕焼け空の下、猫背気味で下校する安吾君の背中を発見し私は叫んだ。

「安吾君待って!」

 声をかけただけで、すでに震えるほど緊張してしまい、心臓の止まりそうになっている自分を尚美の言葉を思い出し奮い立たせる。

「今日、本当に凄かったよね、テレビに出てくる名探偵みたいだったもん、でも先生が立ち入り禁止の場所に答え用意するのはまずいよね、それでも調べたのは、安吾君も美紀先生の事好きだからなの?」

 こんな事聞くつもりじゃなかったのに、一番気になっていた事が、思わず口から出てしまう。

「あの建物には入ってないし、ハンカチになんて書いてあったかも知らないよ」

「だって安吾君ハンカチにあなた達は大切な私の初めての生徒ですって書いてあったって…つまり僕達は付き合う対象ではないって言ってたよね」

 そう聞き返す私に安吾君は少しだけ困った顔をした後、話し始めた。

「ある線を中心にして図形が重なる事を線対称って言うよね。美紀先生が好きだって言ってた作家さんの小説の中に、東西南北を漢字で書くと、重なり合いそうで4文字全てが跳ねや払いで微妙に重ならないって話しが出てくるんだ。それでハンカチに何て書いてあったか分かりませんじゃみんな納得しないかなと思って僕達は付き合う【対象(対称)】ではないって言ったんだ。美紀先生がどこまで計算づくか分からないけど、ニュースを良く見るようにとか、一回転すると両想いになれるって噂があるのに、絶対動かない風見鶏がクイズの答えとか、考えれば考える程、付き合える訳がないって気づくように出来てたクイズだと思うんだ。もしかしたらハンカチなんか最初から結んでないんじゃないかなあ」

 私は安吾君の頭の回転の速さに、ただただ感動してしまう。

「安吾君は美紀先生と付き合いたかった訳じゃないんだよね、じゃあ何で私の事かばってくれたの?」

「西岡さん困ってたから」

 それをまるで当たり前の事のように言う安吾君。

 私が特別な訳ではないと、再認識しながらも想いは加速していく。尚美の教えてくれた根拠のない占いを唯一の心の寄り処に私は安吾に想いを伝える。

「良く当たる占いサイトに載ってたんだけど、平成○年7月7日生まれの人が今日両想いになれたら、一生幸せになれるんだって、だから安吾私と付き合って貰えませんか!」

 一生とか温度差ありすぎる事を口走ってしまい耳まで熱くなっている私を見て、驚いた顔をした後で、安吾君が微笑む。

「それ凄い殺し文句だ。西岡さんの誕生日7月7日で僕と一緒なんだね」

 そう話す安吾君の顔も私につられたのか赤くなっている。

「前から気になってたんだけど【佳緒】さんが【ちよこ】って呼ばれてるのは、僕が千秋さんに【テストメガネ】って呼ばれてるのと同じような理由なのかな」

 安吾君にそう聞かれて、私は正直に自分の気持ちを話す。そんなに良くある名前じゃないのに、漢字まで一緒の名前がクラスに二人もいると紛らわしいし、佳緒って名前聞くと、みんな綺麗な方の佳

を思い浮かべるから、部活とか委員会でもみんな佳緒って名前を先に聞いていて、私だって分かると露骨にがっかりするし、ちよこってあだ名は、尚美が安吾君を【サトウアンゴ】だから、真ん中4文字とって答案だからテストメガネって呼び出したみたいに【ニシオカカオ】カカオだからチョコでちよこだって言って、あっ!佐藤とちよこってなんだか砂糖とチョコみたいで相性良さそうだよね」

 私が緊張のあまり自分でも何言ってるのか判らなくなっていると、安吾君がお腹を抱えて笑い出す。

「そっか砂糖とチョコレートか、気づかなかった。僕は佳緒って名前を聞くと、どうしても西岡さんの事が思い浮かぶから、今度から西岡さんの事、佳緒さんって呼んでもいいかなあ?」

 安吾君がそう言ってくれた瞬間から、嫌いだった自分の名前を、名前だけじゃない自分自身を、私は何だか好きになれる気がしたんだ。



 



















 ちよこエピローグ

 感情の流れに身を任せ、立ち入り禁止の柵を飛び越え、草を掻き分け風見鶏の館に私は走る。蔦を引き千切って、重い木製のドアを開け、軋む階段を一息で駆け上がり、脚立を使い天窓から屋根に登り、風見鶏に向けて手を伸ばす。

 風見鶏の足には白いハンカチ。結び目をほどくとハンカチが風を孕み、なびき、広がる。ハンカチには雨で少しだけ、にじんだ字で【あなたにはきっといます運命の人が】と書かれてた。

 私は願う。


 他には何もいりません。


 神様どうか安吾君の気持ち私に下さいと。


 強い強い風が吹き髪がなびき、服が風を孕む。その瞬間まるで願いが聞き届けられたかのように風見鶏はクルっと一回転した。



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