迷ってなんていられない
夕飯を食べ終え帰宅した誠は、ダイニングに向かった。
「ただいま」
居間でテレビを見ている沙織をみつけ、声をかける。
沙織はチャンネルを手に取り、テレビを消す。
スッと立ち上がると、誠の方を向いた。
「お帰りなさい。遅かったね」
沙織はいつもの笑顔はなく、冷やかな表情を浮かべていた。
淡々としゃべる声には元気がなく、怒りが入り混じっているように感じる。
「ごめん、残業で」
誠は沙織の機嫌が悪いことに気付いたのか、苦笑いを浮かべながら、すぐに謝った。
「一人で?」
「いや、同期の石田と」
「ふーん……何で連絡しないの? 心配するじゃない」
「ごめん。今度からするから」
「そうしてね。私、もう寝るわ」
「台所にある食事、片付けておいてね。おやすみなさい」
いつもの沙織なら『もう誠さんったら、今度から気を付けてね』と、何だかんだ文句を言いながら、世話を焼いてくれそうだが、その様子は全く見られない。
心に余裕がないのか、誠に対してイライラを募らせ、今日はもう何もしたくないと、言いたげな雰囲気だった。
「分かった。おやすみ」
誠は返事をすると、洗面所に行く沙織を黙って見送った。
※※※
時を同じくして、晴美はまだ寝る様子はなく、カーペットの上に座り、キャンパスノートをテーブルに広げて、シャーペンで何やら書こうとしていた。
今から人物相関図を書こうとしているのか、ノートに自分の名前、沙織、誠、そして楓と書いていき、線で名前と名前を結んでいく。
いまの関係を線の横に書くと、シャーペンをテーブルに置いた。
「さて、これからどうするか?」
そう呟いて、顎に指を当てる。
「そういえば、楓の方はどうなったのかしら?」
晴美はテーブルの上にある携帯を取ろうと手を伸ばす。
何か考え事をしているのだろうか。
その状態で固まったまま動かない。
「何も計画を立ててないのに、変に刺激したら、足元すくわれるかもしれないわね」
晴美は楓の魅力を甘くみていないようで、そう呟くと姿勢を戻した。
「とりあえず、今は色々と想定してみよう」
またシャーペンを手に取ると、今度は線の上に〇や×を書いていく。
「もし沙織さんが元に戻ったら? ――それとも、誠君が老けることがあったら?」
晴美は目を見開いたまま、何やら怪しいことを呟き始める。
誠への想いが膨れ上がっているようで、書くスピードが加速していく。
白かったノートが、どんどん黒く染まっていった。
晴美は今、我を忘れるぐらいに集中していた。
※※※
次の日の朝。
誠と沙織はダイニングで、いつものようにパンと目玉焼きを食べていた。
蟠りがまだ解けていないようで、二人の間に会話はなく、どこか気まずい空気が流れている。
誠はカップを手に取り、コーヒーをゴクッと飲むと、口を開く。
「あのさ」
「なに?」
沙織は食パンにイチゴジャムを塗りながら返事をした。
「今度の日曜日、出掛けるから」
「誰と?」
「会社の人」
「石田君?」
「うん、あと楓さん」
楓の名前が出た瞬間、沙織の眉がピクリと動き、ジャムを塗り終えたのか、手が止まる。
「あれ? 楓さんとそんなに仲が良かったっけ?」
沙織は無表情でパンを皿の上に置いた。
誠は呑気に目玉焼きを半分に切り始める。
「いや、仕事で話す程度だよ。なんか急に石田と誘われてさ」
「へぇ……会社の行事ではないのよね?」
「うん」
沙織は黙ってパンを食べ始める。
何か考え事をしているのか、モグモグとゆっくり噛みながら、一点を見据えていた。
「私も付いて行っていい?」
仕事の行事でも無いのに何で誘うのか。
沙織はその答えを、女の勘で察しているようだった。
「どうだろ? 二人に聞いてみたいと分からないから、会社行ったら、聞いてくるわ」
「うん、お願いね」
※※※
その日の夜。
晴美は自分のアパートのお風呂から出て、カーペットに座り、ドライヤーで髪の毛を乾かしていた。
「今日は少し、絞って考えてみよう」
晴美がそう呟くと突然、テーブルの上にあった携帯がブルブルと震え、着信音が鳴る。
晴美はそれに気付き、ドライヤーを止めると、カーペットの上に置いた。
携帯を手に取り、電話に出る。
「もしもし、どうした?」
「今日さ、お母さんから電話があって。お父さん、持病が悪化したみたいで、そう長くはない。もって一ヶ月って、言われたみたいなの」
電話の相手は晴美の姉からで、深刻な内容だった。
晴美は突然のことで、驚きを隠せず、ポカンと口を開けている。
「え? 前に聞いた時は、まだ大丈夫だって……」
「それは数か月も前の話でしょ。とにかく、すぐに実家に帰って来られる?」
「――分からない。分からないけど、何とかしてみる」
「分かった。分かってはいるだろうけど、もって一ヶ月だからね。早く来なさいね」
「うん」
「それじゃ、またね」
「うん」
電話が切れ、晴美はテーブルに携帯を置く。
晴美の姿はまだ20代。
このまま家族に、姿を晒す訳にはいかない。
元に戻る決断の時が迫っていた。
もちろん晴美は浮かない表情をし、頭を抱える。
10分ほど経過し、晴美は天を仰いだ。
「もう迷ってなんて、いられない」
複雑な心境、そして状況が絡み合い、それが何を示しているのか、読み取ることは出来ない。
ただ一つ分かることは、晴美が何かを決断したことだけだった。
※※※
次の日のお昼休み。
誠は楓のいる生産管理課へと向かう。
既に楓はお昼を食べ終え、自分の席に座って、携帯を触っていた。
「楓さん」
誠が楓に声を掛けると、楓は上着のポケットに携帯をしまい、誠の方を向く。
「なに?」
「日曜の件ですが、もう一人、呼んでも大丈夫ですか?」
「えぇ、別に構わないわよ」
「良かった。何か手伝う事ありますか?」
「そうね……」
楓は机に肘を置き、頬杖をかいて考え始める。
「折りたたみの椅子やテーブルは、石田君に頼んだし、買い物は私がするから、特にないかな? そうだ、お金は後で集めるね」
「場所は○○川に駐車場があるから、そこで待ち合わせで、時間は11時ぐらいにしましょうか」
「分かりました」
「楽しみにしているね」
楓はそう言うとニコッと笑う。
「はい、俺もです」
誠も笑顔で答えた。
※※※
土曜日の夜。
ファンシーグッズが並ぶ可愛らしい部屋で、楓は明日の準備をしていた。
「何を着ていこうかしら? 誠君はどんなのが好みなのかな?」
タンスの中身をガサゴソと漁り、服を選びだす。
「デートみたいな服装は、その場に合わないかな? だったら少しシンプルにして、露出を増やすか」
服を手に取り、白のカーペットの上にドサッと置く。
「化粧はどうしようか? 濃いめ? ――でもせっかく若返ったから、薄めにしたいな。仕事以外で男の人と接するの初めてじゃないけど、久しぶり過ぎてドキドキしちゃう」
楓はウキウキしている様子で、全身が映る鏡の前に来ると、自分の姿を見つめていた。




