服
誠は服を着替えると直ぐに家を出た。
服屋は大学の近くにあり、歩いても片道30分は掛らない。
だが誠は、事の重大さに気付き、少しでも長い時間、沙織と居たいからか自転車を選んだ。
5分程度、自転車に乗り、服屋に着く。
自転車置き場に置き、開店と同時に店内に入った。
携帯でサイズを確認しながら、女の子の服とズボンをカゴに入れる。
いくつか選び終えると、レジに行き、お金を払った。
店内を出て、すぐに家へと自転車を走らせる。
家に着くと、玄関の脇に自転車を置き、家に入った。
「お帰りなさい」
誠を待っていたのか廊下に居た沙織が出迎える。
「ただいま。はい、これ」
沙織に買った服が入った袋を渡す。
沙織は笑顔で受け取った。
「ありがとう。あとで着るわね」
誠は靴を脱ぐと、ダイニングへと向かった。
椅子を引き、ドカッと座ると項垂れる。
息切れしている様子はない。
だが酷く疲れているように見えた。
そんな誠の横に沙織は立ち、ハンカチを差し出す。
「使って」
誠はハンカチを受け取ると、目頭をギュっと抑えつけた。
「泣かないで」
今まで溜め込んでいた感情が吐き出されるかのように、ポロポロと涙が零れ、ハンカチが湿っていく。
今までの様子から、明日には沙織は居なくなる。
誠は子供服を買うことで、死のカウントダウンを強く感じてしまったのかもしれない。
沙織はしゃがむと、心配するかのように誠の顔を覗き込む。
「私はまだ、ここに居るよ」
本当なら沙織の方が苦しくて、泣きたいぐらいだろう。
それなのに涙も見せず、心配をしてくれる沙織を見て、誠はハンカチをテーブルに置き、苦笑いを見せた。
「そうだね。ごめん、縁起悪いね」
誠は鼻をすすり、謝った。
「うん」
沙織も精一杯の笑顔を見せ、スッと立ち上がる。
「せっかく買ってきてくれたから早速、着替えてくるね。ご飯は台所にあるから」
「分かった」
沙織は服が入った袋を片手に、廊下の方へと歩いて行った。
誠はご飯を食べる訳でもなく、無表情で台所の方を見据える。
そこへ携帯に電話が掛ってきた。
誠はズボンから携帯を取り出すと、着信表示を見る。
「なぁ、晴美」
誠は沙織から、一人の時は、晴美からの電話に出ない様に言われていたはず――だが躊躇いもせず電話に出ていた。
「なに?」
「本当に若返り薬は止まらないのか?」
怒る気力もないのか、誠の声はどこか冷静だった。
「沙織さんから聞いたの?」
「うん」
「そう……えぇ、体に浸透してしまうから無理よ」
「そうか……」
「ねぇ。沙織さん、もう小さい頃に戻ってしまったんでしょ? それでも好きなの?」
晴美は今までの様な狂気は感じられず、誠の事を案じるかのように優しく話しかける。
誠は目を瞑り、天井を見上げる。
スゥーッと鼻で息をすると、込み上げてくる想いを落ち着かせるかのように、はぁー……息を吐きだした。
そして、パっと目を開ける。
「あぁ。それでも俺は、一人の女性として、沙織さんを愛している」
「このままいけば、死んでしまうことは分かっている。だけど冷めるどころか、好きだという気持ちが膨れ上がっていくんだ。だからきっと、お前に何を言われようが、この気持は変わらない」
誠は真っ直ぐな意志を表すかのように、真っ直ぐ台所の方を見据え、断言した。
晴美は何も思い浮かばないのか、言葉を詰まらせるように黙り込む。
「そう……惨敗ね。沙織さん、近くにいる?」
負けを認めた晴美は、沙織に何を伝えようとしているのだろうか。
どこか穏やかさえ感じる晴美の口調は、怪しさは感じられない。
誠は素直に、ダイニングの入口に目を向ける。
そこには、着替え終わった沙織が立っていた。
誠は話に集中して沙織の存在に気付いていなかったようで、一瞬、驚いた表情を見せるが、すぐに表情を戻した。
「いるよ。代わる?」
「うぅん。スピーカーにしてくれない?」
「分かった」
誠はスピーカーに切り替えると、沙織に向かって手招きをする。
「沙織さん。晴美から」
沙織は何を言われるのか不安に思っているのか、複雑な表情を浮かべて近づく。
「しゃべって、大丈夫?」
「うん」
「分かった――まず謝ります。ごめんなさい。若返り薬の事だけど、きっと大丈夫。今日で止まるわ」
「え? どういうこと?」
沙織が驚きを隠せず質問する。
「全部、お茶を飲み干しても5歳ぐらいで止まるように調節してあったの。沙織さんは全て飲まなかったから、予想だけど10歳前後で止まるはず」
晴美がなぜ若返り薬を調整出来たのか、それには理由があった。
若返り薬に出会う前日のこと。
晴美はその日も嫌なことがあり、酒で忘れようとしたかったのか、遅くまで飲んでいた。
帰りに高層ビルに挟まれた、細くて薄暗い路地裏を通っていると、露店をだしている20代ぐらいの若い女性を見かける。
女性はデニムのジーパンに白のTシャツを着ており、フードを被っている等、怪しい雰囲気は感じられない。
ポニーテールに、目立たない程度の御化粧をしている普通の女性だった。
晴美は何か気にする様子はなく、千鳥足で露店の前を通った。
「いらっしゃいませ」
女性は不気味な声を発する訳でもなく、普通に晴美に声を掛ける。
晴美は足を止め、女性の方を向いた。
「滅多に入らない薬が、ありますよ」
「薬? いますぐ死ぬ薬ってある?」
晴美はよほど疲れているのか、女性にそう質問をする。
「いいえ」
「あら、そう」
晴美は素っ気なく答えると、帰ろうとした。
「似たような薬なら、ありますけどね」
女性がそう言うと、晴美は足をピタッと止めた。
女性の一言に興味を持ったのか、もう一度戻り、女性の前に立つ。
「似たような薬?」
「はい、若返りの薬です」
「それ、本当なの?」
晴美は一気に酔いが醒めたように、真剣な顔つきを見せる。
「はい」
「詳しく聞かせて」
「えぇ」
晴美は疑問に思っている事を質問する。
「大体分かった。どうやって使うの?」
「この薬はとても濃いものです。ちょっと飲むだけで一気に若返りますので、薄めて使ってください」
「分かった。何でも良いの?」
「はい、お茶でもお酒でもお水でも、何でも構いません」
「分かった。どれぐらい薄めれば良いの?」
「それは御購入後、説明書を同封いたします」