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Phoenix Syndrome  作者: 大島くずは(原作)/仁司方(改変)
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過去の傷、現在の疼き


 それから、わたしたちはよい友達になれた……と思う。わたしのやったことはやはり特権階級のおごりにすぎなくて、偽善だったのかもしれないけれど。……ありがとう、あなたがそういってくれると、自分はまちがっていなかったのだと思えるわ。


 ルミはいつもわたしのすこしうしろからついてきた。ふたりだけのときは率直で、手厳しいこともいうのだけれど、ほかの人がいるときは、まるでわたしとはただ顔を知っている程度の関係でしかないように、離れているのが常だった。わたしの誕生日や、感謝祭のような佳節のパーティにルミがくることはなかったし、逆にわたしがルミたちのお祭りに行くこともできなかった。

 ルミたち流民の住んでいる雑然とした地区はエキゾチックでうさんくさくて、お祭りの期間はとくにあやしげで魅力的だった。立ち入ってはいけないといいふくめられていても、実際にはみんな遊びに行ったことがあって、話だけならいろいろと聞いたわ。でも、わたしは一度も訪ねられずじまいだった。


「私たちが親しいのだと知れてしまえば、きっと引き離されてしまいます。私を退学処分にしたり放校するのは簡単でしょうけど、たぶんさゆりさまのほうが、下賤な流民が住み着いていない街の名門校へ転入することになるのではありませんか」


 ルミがそういうのはおそらく正しくて、わたしは彼女が目の届く範囲にいて、不当なあつかいを受けないことで満足するしかなかった。公然とルミを庇護することができないなら、いっそ一緒にいじめられるようになれればよいのに、と思ったりもした。……でも、それもおごりだったのね。両親が祖父にしたがうことを選ばされた時点で、わたしもフランツの従属物になったようなもので、自分の個人的な意志や望みをとおそうとすると、いろいろなところに影響が出てしまう。


 わたしに目をかけられているということは、ルミにとっては、いままでと異なる形になっただけで、負担であるのに変わりはなかった。なにかあれば、わたしはすぐにでもほかの街、場合によってはべつの国へ移される。現に、いまのわたしは国どころか、大陸すらちがうこの街にいるのだものね。そういうわけにはいかないルミは、自分が盾になることで、部族の女の子たちが、上流階級の下限にぶらさがっている「お嬢さま」から目をつけられないようにしていたのだと気づいたのは、すこし時間がたってからだった。


 一生守ることができるわけではないのだから、わたしは最初から手を差し伸べるべきではなかった。ルミだけなら一緒に連れて行くこともできただろうけれど、それは彼女が承知しないでしょうから。……そうね、ルミもそういってくれた。もちろん友達になれたことに後悔なんてないわ。けれど、けっきょくわたしは、ルミにしてあげられたことより、はるかに多くを受け取ってしまったの。


    ****


「――生命より重たいものはないものね。もちろんすべてではないけれど、まずは生きていなければ、それ以外にどんなことがあっても、なんにもならないのだから」


 寝室に静寂が戻った。おそらく、この数分間で、さゆりは最近半年ぶんよりも多くの言葉を発しただろう。


 さゆりの話は断片的かつ主観的で、ケイは自分が全体のほんの一部の情報しか得られていないとわきまえていた。重要なのは、さゆり自身の口から語られた、という事実だ。さゆりの視点からの、過去の認識と解釈。おそらく、お嬢さまはケイとルミを重ねて見ているところがある。自分に影のようにつき従い、身を挺する存在として。そして、さゆりとルミには、スケールの差はあるが重責を負っている一族の娘として生まれてきてしまった、己の運命のままならなさを共有する同類意識があった。

 さて、ケイとさゆりのあいだに、その種の連帯感はあるだろうか。ないな、と冷静に結論づけてから、ケイは我知らず胸の痛みを覚えた。


「その……ルミさんがさゆりお嬢さまの身代わりになったのは、ヨリコさまとジョセフさまが亡くなった事件のときのことなんですか?」

「そう。交渉は決裂して、わたしの両親が射たれた。軍と警察は強行突入に踏み切って、テロリストたちは人質にしていた学校の生徒や関係者を殺していった。だれかが、わたしがフランツの孫娘だとテロリストに密告したけれど、息子夫婦を事実上見殺しにしていたフランツに、いまさら孫を人質に取って再交渉が通じるのか、テロリストのほうでも確信を失っていた。それでも、ただ自爆に巻き込むよりは彼らの示威表明になると判断されて、テロ組織の記録係のカメラが銃口とともにわたしのほうへ向けられた。そこにルミは飛び出してきて、わたしをかばって、何発も射たれた。わたしが抱きかかえたときには、もう息はなかった。けれど、その顔は穏やかな表情だった」


 当事者だというのにニュースキャスターよりも淡々と、さゆりは状況を述べた。両親と親友を一度に喪うようなことがあったのでは、感情の起伏が薄くなってしまっても仕方ないだろうな、とケイは思ったが、さゆりへなんと声をかけたらよいか、ちょっとわからなくなってしまった。たとえケイが見た目相応の歳の少女であっても、難しかっただろう。


「ルミさんは、さゆりお嬢さまを守ることができて、きっと後悔はしていません」


 ひとまず、そういってみた。――だが、


「そうだと、よいのだけれど。……でも、あのあとすぐに、わたしもやっぱり射たれたはずなの。銃声は聞いたし、そこで意識はとぎれていて、つぎに気がついたのは病院のベッドの上だった。なのに、わたしには傷のひとつもない。わたしが聞いた銃声は、わたしを射とうとしたテロリストのものではなくて、突入してきた特殊部隊のものだと説明されはしたけれど。同じ教室にいた人間は、テロリストも、人質も、みんな死んでしまったというのよ。なのに、まっさきに狙われたはずのわたしだけが無傷で生きのこった。そんなこと、あるかしら」


 こうさゆりがつづけたことで、彼女は単純なトラウマ(心的外傷)を抱えているわけではないようだと察した。お嬢さまは、自己の根幹に確信を持てていないのではないか。本当にいま自分が生きているのか、実感しづらくなっているのではなかろうか。


 とはいえケイは臨床心理の専門家ではないし、優秀な科学者の頭脳的形質を受け継いでいて実際に非常に賢いといっても、生まれてからまだ三万時間すらたっていない。


「奇跡というべきか偶然というべきかはわかりませんが、現にこうしてさゆりお嬢さまはここにいらっしゃる。……それとも、全部ご自分の夢か、走馬灯の延長だとお思いになりますか? あたしにとっては、どちらでも務めに変わりはないのでかまいませんけど」


 おそらくカウンセラーとしてなら失格であろう科白を口にしたケイだったが、さゆりは首を左右に振った。


「そういう意味ではないわ。現実は、現実だと思う。ただ……ケイ、あなたのような、人間そのものにひとしい存在を財閥が作り出せるのなら、わたしも同じものだとしてもおかしくはない――そう考えるようになったの。わたしは一度死んでいるのかもしれない。いまのこの身体は、造られたものなのかも」


 さゆりの言葉に、ケイははっとなった。もちろん、頭の中の知識としては、ケイを構成している技術、有機自動人形はまだハードウェアとソフトウェアに分離されてはおらず、肉体を乗り換えるような芸当はできない、とわかっている。財閥総裁フランツが求めている完成形は、スペアボディとしての容器ではあるが。ケイの人格と記憶はケイのものであって、素体であるアムウェルのものではない。


 それでも、ケイはそうであってくれればいいのにと一瞬思っていた。さゆりがいままでだれにも話したことがない、ルミとの思い出をケイに聞かせる気になった理由は、さゆりはケイに対してもルミのときと似たような同類意識を感じるようになったからだ、とわかったので。自分でも計りがたいほど、ケイはそれがうれしかったのだ。


 だが、口に出してはこういう。


「さゆりお嬢さまの生命は、ヨリコさまとジョセフさまが与えてくれた、そしてルミさんが守ってくれたものです。あたしを作り出した研究室は、まだ身体を取り替えることができる段階まで到達していませんし、仮にあたしの知らない最新技術が完成していたとしても、さゆりお嬢さまがさゆりお嬢さまであるのに変わりはありません」

「それはそうね。あなたがケイであること以外になにも必要だとは感じないように、わたしも、さゆりであるということ、あるいはそれ以外のなにかが、いまの身体がたとえ本来のものでなくなっていたとしても、欠けているとか、必要になったとか、そんなふうには感じない」


 そういってさゆりもうなずき、そして、ほんのほのかにだが、笑った。ケイはさゆりの笑顔を見ることができて、素直に喜びを感じた。

 ……そのいっぽう、いままでは存在しなかった、かすかな渇きを覚えずにはいられなかった。


 ケイはケイであること以外になにも必要はないと、自信を持っていい切れはしなくなってしまったのかもしれない。


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