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Phoenix Syndrome  作者: 大島くずは(原作)/仁司方(改変)
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野生の勘に触る男



 事件の翌日――


 ケイはこれまでと同様、さゆりの斜向かいに座ってリムジンにゆられていた。さゆりの心身に問題がないのなら今後も普段どおりにすごすように――というのが祖父にして財閥総裁であるフランツからの指示であり、さゆり自身はいつもの無表情で「なんともありません」と答えたからだった。


 襲撃を受けたのは昨日の下校途中で、ほぼ全滅してしまった警護陣を半日で立て直すのはさすがに無理がある。今日の登校車列はいつもより二台すくない四台編成だった。その代わり、機動課の静音ヘリが上空から周囲を睥睨している。

 リムジンのハンドルを握っているのは、さゆりの身辺警護責任者であるラッツだ。ケイは主任のことなら知っていた。いままでは離れた場所から無線で警護チームに采配を下していたが、どうやら自ら陣頭指揮を執るハメになったようだ。昨日の大損害を埋めるためにオフシフトだった要員を呼び集め、さらにほかの現場から応援を募ってと、おそらく胃の痛い思いをしているだろう。


 なぜだかケイの気になっているのは、これまで見たことのなかった顔ぶれの中でも、リムジンの助手席に座っている、とりわけの変わり種の存在だった。緑の黒髪、という表現がずばりはまる、男のくせになんでそんなにきれいなんだといいがかりをつけたくなるほどに見事な髪と、宝玉のような濃いみどり色――こちらは比喩ではない――の眼が印象的だ。

 かおだちは間違いなく美男子の部類に入る。そして、ラッツ主任とはそりが合っていないなと一目でわかる、そのラフな雰囲気。スーツの前ボタンをとめていないというのは、いつでも拳銃を抜き出すためであって、警護スタッフ共通だ。しかし彼は、その上にネクタイがゆるく、シャツのボタンもきちんととめておらず、裾にいたってはズボンに入れず出しっぱなしだった。ほかのスタッフとはあきらかに毛色が違う。服飾規定には確実に抵触しているだろう。


 財閥警備部に所属しているのは、ほぼ例外なく、世界各国で公務員として働いていた人材だ。高強度保安課や機動課には国防機関で、情報課にはその名に違わず情報機関で、調査課や警護課には警察・法執行機関で、それぞれ平均水準を大きく上まわるキャリアを積んできたエリートたちが、高額な報酬に惹かれて集まってきている。

 しかしラッツ主任のとなりで大儀げな半眼をしている青年が、もとお巡りさんやもと兵隊さんには、ケイの目にはどうしても見えなかった。


 昨日さゆりへ説明したように、ケイの人生経験は見た目の年齢の五分の一程度しかない。だが、その動物的勘の鋭さは文字どおりの意味だ。彼女の超越的な感覚は非理論的ではあるものの、説明はつく。ケイには実際に人間ではない生物の設計情報(DNAコード)が組み込まれているのだ。発現される能力とそれをもたらす因子のあいだに一対一の対応関係はいまだ見出されていないが、確定されれば本当の意味での〈超人〉創造へつながる可能性が拓かれるだろう。

 そんな半野生の勘が、ケイの意識を正体不明の青年に向けさせる。警戒感ではなかった。ただ、なにか重大なことが起きる、それにこの青年はすくなからずかかわってくる、そう感じるのだ。


 機動課のバックアップのおかげか、あるいはテロ組織にとっても昨日の損害は重たく、すぐに大規模襲撃の再準備はできないのか、車列はテレシナ大学付属高校の正門前に予定時刻まで三〇秒ほどあまして到着した。一四人の黒服とひとりのメイド服が、財閥令嬢さゆり・フローラ=レンドールを最敬礼で送り出す。

 ……約一名最敬礼はしていなかったかもしれないが、ほかの者はしっかりと頭を下げていたので気づかなかったし、さゆりはそういうことをいちいち咎めるような性格ではなかった。


「いってらっしゃいませ、お嬢さま」


 ケイが頭をあげると、すでにさゆりの背中は三〇歩ほど離れていた。歩くペースもいつもどおりだ。本当に「なんともない」ように見える。

 いまでは学校敷地内の警備を請け負っているのも財閥傘下の会社なので、警護チームは校門の中までは出しゃばらない。とはいえむろんながら、さゆりが帰ってくるまで休み時間というはずもなく、仕事はまだまだつづく。

 ラッツの指示で、スタッフたちは最少編成にわかれて散っていった。周辺の警戒をするのだ。ほんの数年前までは、対立するマフィア組織の大物の子弟たちが通っていたために、校内がバリケードで分断されていたという。じつをいえばいまでも組織の関係者は在学している。テレシナが巨大都市になる前から、そして混迷をきわめていたあいだも、テレシナ大学と付属の下級学校は一貫して名門でありつづけていた。


 部下の配置をほぼ決め終わったラッツ主任が、あまり者へ目をやった。


「――カガミ」

「なんすか主任」

「正面はきさまに任すぞ。われわれは側面と裏を固める」

「俺ひとりでいいのかい?」


 クレスの皮肉げな口調は、自分が信用されていないことを承知していると語っていた。ラッツは、仕事は仕事、と割り切っている声で配置を決めた理由を説明する。


「こっちは見とおしがきく。不審者が接近してくればひとわかりだ。ありうる脅威とすれば狙撃だが、それに対処する能力はチームの中できさまが一番のはずだろう」

「あいさ、人手不足だ、しょうがねえ。ま、敵に狙撃屋がいたってお嬢さまを射ったりはしないはずだがな。殺す気があったら昨日の時点でロケランが四発全部リムジンに命中してる」

「その誤った先入観が半年前に取り返しのつかない事態を招いた。二度と繰り返すわけにはいかん」


 ラッツの言葉には沈痛な悔悟の響きがあった。ケイもその事件について、聞いたことだけはある。さゆりの両親であり、フランツから譲り受けた総裁の椅子を固めているさなかであったジョセフ・フランチェスコ=レンドールと、その妻ヨリコが、白昼公衆の面前で兇弾に倒れた惨劇。


「半年前のことは知らねえが、俺はこれでも、仕事が確実な男、って触れ込みで今日までとおってきてるんでね。まだ看板を返上する気はないな」


 不敵な科白に対し、


「そう願いたいものだ」


 といいおいてラッツ主任は自分の持ち場へと向かっていく。その背を見送って、自称「仕事が確実な男」は肩をすくめた。


「……やれやれ、大した忠犬だぜ。長生きできそうにねえタイプだな」


 独り言もそこそこに測距計つきの双眼鏡で周囲の建物を見まわしはじめた青年へ、ケイはようやく話しかける機会を得た。


「あなた、昨日の現場に狙撃弾を射ち込んできた人だよね?」

「ああ。主任とグルになってあんたを見殺しにした、な」

「さゆりお嬢さまをお守りするのが仕事なんだから、それはしょうがないよ。逆の立場だったらあたしもお嬢さまを優先する」


 そういったケイへ、青年は双眼鏡からはずした翠の眸を向け直した。


「あんたも忠犬のクチか。文字どおりのってワケだ」

「財閥がどうなろうとあたしの知ったことじゃない。でもさゆりお嬢さまは守りたいの」

「ふうん。人型の狗と生皮被ったロボットばっかの職場なんだろうなと思ってたが、意外と面白そうだ」


 隠喩なのか明喩なのか計りがたい科白を述べた青年へ、ケイは思い出したようにいずまいを正した。


「そういえば自己紹介してなかった。あたしはケイ=ヴィネット。さゆりお嬢さまの侍女を担当させてもらってます。まだ半年たってないけど」

「クレス=カガミだ。たぶんあんたと同じく、お嬢さまがこの街に移るにあたっての新体制に伴って採用されたんだと思うが、ビザがなかなか下りなくてな。今日で五日めだ。関連会社のバイトならともかく、総裁直轄企業の職員としては一番のペーペーってことになるか。よろしく先輩」


 青年――クレスは右手を挙げて敬礼めいた仕草をした。ケイはスカートの裾をつまんだ礼で、大仰に応じる。フランクなものいいをしているようで、この美青年はなにかを隠しているような感じがする。

 隔意があるだろうと水を向けてきたケイの態度に対し、クレスはとぼけはせずに率直に口を開いた。


「それも任務のうちなのかね。お嬢さまに近寄る人間を鑑別する、そういう能力があるってわけかい?」

「個人的に気になるだけ。あたしに警護員や従者をどうこうする権限はないから安心して」

「仕事でやってるんじゃなくお嬢さまが好きでやってる、とな。それなら学校も一緒についてって授業受けりゃいいじゃねえか」

「制服持ってないし」


 それに高校のカリキュラムなんて教わる価値もない――と思いはしたが、クレスの言に意外なほど心動かされたことにケイはおどろいていた。学校までさゆりについて行こうだなんて、これまで考えもしなかったのに。お嬢さまはどんな学校生活を送っているのだろう。友達はいるのだろうか。短いといっても侍女になってもう五ヵ月めになるが、そんな話をしたことはこれまで一度もなかった。


 クレスのほうは、ケイの心理的動きにとくに気を払ったりはしていないようだ。正門へ向かっていく、さゆりとおそろいの恰好をした女生徒を横目に、つぶやく。


「そういや、妙な制服だな。ここは海軍の士官学校じゃねえだろ」


 これには、我に返ったケイが怪訝げにクレスへ視線を送ることになった。


「あれ? セーラー服が女学生のトレードマークなのって、旭東皇国ライザントの風習でしょ? あなた、カガミさんじゃなかったっけ」

「……ああ、たまに訊かれるが、うちのカガミは音が同じなだけで由縁は違う」

「そうなんだ。いわれてみれば、髪が黒いってだけで東洋風の顔じゃないね。――このあたりの地方は、前の世紀に旭東皇国からの移住者が開拓したらしいよ。ヨリコさまは開拓団の長だったイチノミヤ氏の縁戚の、お国に残った本家筋のお嬢さまで、財閥を継ぐつもりはなかった若いころのジョセフさまが放浪暮らしをしてたときに出逢ったんだって」

「その縁でさゆりお嬢さまはこの街に住むことになった、と。そんな程度の理由なら、月の裏側でもよさそうだ」


 ケイの簡略だが要を得ている説明を、クレスは皮肉げに片づけた。つまんないこという男だな、とケイは白眼を向けかかったが、ふと思い出して時計を見る。だいたいいつもの時間になっていた。


「警護スタッフのみんなは持ち場をはずせないから、あたしが買い物係引き受けてるの。なにか欲しいものある?」

「なら、飲み物頼む。カフェインレスで甘すぎなければなんでもいい」

「おっけー。注文集めてから買ってくるから、三〇分くらいかかるけど」


 メモを取ることもなく、ケイは学校の敷地ぞいに散っている警護陣の要望をまとめるために歩きはじめた。せわしなく足を動かしているようには見えないが、彼女の小柄な体格からすると破格に速いことをクレスの眼は看取していた。身体さばきに無駄がない。


「最後の最後であの犬っ娘が意外な壁になるかも、か」


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