異変
かつての植民地時代、数のすくないエルパニョーラ兵で支配を維持するためにテレシナ総督府が重視したのは、機動性の確保であった。
当時の機動力といえば馬であり、精強な騎兵隊を育成するため、平坦で広大な土地が練兵場にあてられた。現在、その一部はテレシナ大学のキャンパスとなっている。テレシナが形を変えながらも大陸の中心都市でありつづけている理由は、山の手の一等地を時代のニーズに合わせて活用してきたからだといえるだろう。
テレシナ大の在籍生にはエル・アンゼリーナ連邦の国内のみならず、周辺国や、USR、旧大陸から留学してきている者も多い。宗主国と決別することを選んだ連邦の最初の指導者たちは高等教育の重要性を熟知していたから、それを担う第一号の専門機関であるテレシナ大はさまざまな意味で物惜しみなく造られた。学を志す若人が生活の不安なく本分に専念できるよう、無償の学生寮が敷地内に完備されているのだ。
いまとなっては窮屈な寮暮らしを好まない学生も、殊に富裕層出身者には多いが、それでも入居率が低くなりすぎたので取り壊されるだとか、ほかの用途に建物が使われるようになったというようなことにはなっていない。変わった点といえば、大学生のみでは充足率が一〇割に届かなくなったので、付属高校の生徒も希望すれば入寮できるようになったくらいだ。
そんな学生寮の一角に、ケイはさゆりとともにやってきていた。旧大陸での戦争の影響を受けず、このあいだまでのマフィア抗争期でも『聖域』として武装中立は守られていたテレシナ大のキャンパスは、世界でもっとも二世紀年前の建築がまとまって現存している場所のひとつだろう。現在さゆりが住んでいる邸宅は植民地時代終盤のものだが、その重厚で荘厳な様式とは異なる、軽快で質実なつくりの開放的な建物が並んでいる。当時の人々の、自由と解放を勝ち獲り、未来への希望に満ちた表情までもが見えてくるようだ。
つねづね自分の職場のことを「博物館じみてるなあ」と感じていたケイは、どうせ毎日寝起きして仕事をするなら、こんな風な建物のほうがいいな、と思いながら案内状に記されている番号の部屋の前までやってきた。
さゆり、ケイのふたりともに、付属高校の制服のままだ。
クラスメイトのシャーロットが、放課後に誕生日のパーティを開くからきて欲しいと招待状を二通差し出してきたのは三日前のことだった。大学に在籍している姉と一緒に、寮に住んでいるのだという。
警備の行き届いているキャンパス内、男子禁制の女子寮ということで、それなら大丈夫であろうと、侍従長とラッツ主任も交えての話し合いの末に、ようやく今朝になって参加が許可された。もちろんケイは注意を怠らないよう念を押されたし、キャンパスの警備を請負っているゼネラル・セキュリティのテレシナ支社へは、リンゼイ姉妹が入居している寮周辺に特別体制を手配するように財閥総務から通知が出されたが。
学生寮は外見のみならず、内部も近代化こそされているが様式は当時のままだ。天使を象ったノッカーをさゆりが敲くと、シャーロットが顔を出す。さゆりの斜めうしろにケイもいることを認めて、表情がパッと明るくなった。
「ああ、よかった、おふたりともきてくれて。ひょっとしたらこれないのかなって、ちょっと不安になってきてたんだから」
「遅くなってしまってごめんなさいね」
そうさゆりが応じたところで、ケイが進み出て包みをシャーロットへと差し出した。
「配達は無人機がやってくれたけど、キャンパス上空は飛行禁止だから、校門まで取りに行かなきゃいけなくって。はいこれ。プレゼントは……あとのほうがいいかな」
「あ、このマカロン、好きなんだけど高くってなかなか食べられないのよね。ありがとう、さっすがF財閥」
わりと反応が下世話なシャーロットに、ケイは微苦笑しながら余分な情報を補足する。
「ギリギリまでこられるか決まらなかったから、特別なオーダー品ってワケじゃなくて、ただのアリモノだけどね」
「そんなのぜんぜん気にしないよ。むしろ、さゆりさま呼んだらお土産が超豪華なんて噂が広まったら、みんななにかと口実つけて誘おうとして面倒なことになるでしょ。――ささ、入って入って、ほかは全員そろってるから」
といってシャーロットはふたりを部屋の奥へ招じ入れた。リビングは素人仕事ながら創意のこらされた飾りつけがされており、テーブルの上にお菓子や料理の載ったトレイが並んでいる。
集まっていたのはクラスメイトを中心に少女が一一人、主役であるシャーロットとその姉を込みで数えれば、さゆりたちのほかに一三人いることになる。寮としては贅沢な造りになっているとはいえ、さすがにちょっと人口過密ぎみだ。
招待客の中にヴェロニカ・ロザリンド=スピノーラがいることを確認して、ケイはさりげなく、彼女とさゆりを隔てる位置に立った。ヴェロニカは麻薬組織幹部の娘であり、さゆりお嬢さま襲撃にその組織が関与している可能性が否定できないということは、ラッツ主任から聞いている。
参加予定者が全員そろったので、お菓子や飲み物を手におしゃべりに興じていた娘たちもテーブルのところへ集まってきた。すこしばかりはにかみながら、シャーロットが集まってくれたことへ感謝のあいさつをする。
ハッピーバースデイ! のお決まりの科白とお誕生日ソングを皮切りに、パーティがはじまった。ケイにとっては初体験、さゆりにとってはずいぶんひさしぶりとなる、庶民的な他愛のない集まりだ。豪勢さはなくても肩肘張る必要がなく、心がこもっていることはむしろ虚飾にまぎれていないぶんわかりやすい。
放課後開始だった上に古風な女子寮の門限に合わせた会なので、時間としては短かったが、ケイは本当に楽しむことができた。さゆりも、破顔満面ということはなかったが、そもそもそうした笑いかたをするように育ててこられなかっただけで、その表情に偽りはなかっただろう。くることができてよかった、ケイは心の底からそう思った。
パーティの参加者はほとんどが寮住まいで、キャンパス外へ帰らなければならないのはさゆりとケイのほかはウェンディだけだ。お開きの時間が迫ってくる中で、一度席をはずしていたシャーロットの姉エレミアが、なにかのカードを持って戻ってくる。
「校門まで送っていくわ。歩くと一〇分かかっちゃうもんね」
キャンパス内専用の、シェアリング電気自動車を借りてきてくれたらしい。基本的には敷地内のどこにでも自動運転で連れて行ってくれるが、いちおう免許証が必要なので高校生だけでは使えない代物だ。
「ありがとうございます。――今日はとても楽しかったわ、またこういう機会があったら、ぜひ誘ってちょうだい」
さゆりがエレミア、シャーロットの順に礼をいう。ウェンディだけでなく、寮の別棟に住んでいる娘もここで帰ったほうが無難だろうとなって、シャーロットも一度見送りに表まで出てきた。近所の四人は歩いて自分の部屋へ帰っていき、さゆりとケイはEVの後部座席、ウェンディが助手席に乗り込む。エレミアがカードキーをダッシュボードの上に放ると、計器盤が灯って、低くモータの駆動音が聞こえてきた。
「正門でいいんだよね?」
「はい」
ケイが答えると、エレミアはナビの画面をタップしてパーキングブレーキを解除する。それ以上の操作は不要なようで、すぐにEVは自動運転で走りはじめた。
ウェンディが、つぎはキャロラインの誕生日が近いと教えてくれ――もちろんケイはそうした個人情報は承知なのだが――今度は既製品やケータリングのメニューばかりじゃなく、ケーキを手づくりしたい、など、さゆりを交えて話が盛りあがっていたところ――
「……あれっ?」
といいながらエレミアがハンドルを握ったので、ケイは鋭く訊ねた。
「どうしたんですか?」
「ここ真っ直ぐでいいのに、なんで曲がるのこいつ――どこ連れてく気よポンコツ!」
ハンドルを切り、ブレーキを踏みながらエレミアはEVを罵ったが、マニュアルのコントロールに車が従う気配はない。ナビの画面を連打し、計器盤のパワーオフボタンを押しても、自動運転は解除されなかった。
ハッキングされた――ケイは瞬時に判断し、後部ドアと一体になっているサイドパネルへ手を伸ばした。ロックが解除されないのは想定内だ。UTJポートへ、自分の携帯端末のケーブルを挿し込む。車載コンピュータへ割り込み、自動運転モードの解除を選択。
だが、返ってくる反応は「エラー」のひと言のみ。エラー・コードの通知すらない。財閥警備部から貸与されているこの端末は、世の中のたいていの電子システムに対し最上位の権限で命令を下すことができる「魔法の鍵」だ。それが通用しないというのなら、最初からほとんど疑っていなかったけれど、エレミアの取り乱し様は演技ではない。
「さゆりさま、できるだけあたしから離れてください」
電子的な制御が利かないなら物理的に対処するのみ。使えばすくなくとも充電するまで、最悪壊れてしまうが、この端末は七〇万ボルトの超高電圧を発することもできる。スパークを一瞬だけ発生させるスタンガンとは違い、完全に電子戦用途だ。人間どころか熊でも死ぬので本当の緊急時以外生き物に対して使ってはならない。落雷の直撃を想定しているような設備でない限り、回路が焼き切れてダウンすること確実だ。
……離れるようにいったのに、なぜさゆりお嬢さまが自分のほうへ身を乗り出してくるのか――疑問に思ったのと、ケイが未知の感覚に捉われたのは同時だった。四肢から力が抜け、まるで見えない巨大な手が自分の足をつかんで吊りあげたかのように、上下と左右がわからなくなる。
生まれてはじめて体調不良に陥ったケイは、具合が悪い、とはどのような状態のことを指すのか自ら体得する前に意識を喪っていた。




