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Phoenix Syndrome  作者: 大島くずは(原作)/仁司方(改変)
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美女と優男と苦労人


 レイカ=グレイスはめずらしく定時に業務からあがって、暮れなずむテレシナの街へ出かけていた。

 こうしてひとりで市内を歩いていれば、仕事よりアフターに熱心な若いOLとして充分通用する。実際には今日中にケリをつけておきたかった案件をいくら残しているのだが、仕方ない。


 ヘリで移動中、機内の(ユニバーサル)(ツール)(ジョイント)ポートに紙の付箋が貼ってあることに気づいたのは午すぎだった。レイカはどんなときも常に仕事をしていると見越しただれかが、ラップトップのケーブルをつなぐさいに目にとまるよう細工したのだ。付箋をはがしてみると、手書きの文字でこうあった。


「セキュリティに関する重要なお話があります。業務外で願います。1800に15thStキーンセイ・ストリート酒場タベルナにて」


 レイカの記憶がたしかなら、ラッツ主任の筆跡であった。いかなるセキュリティなのかは記されていなかったが、さゆりお嬢さまのことに違いない。内部調査を行うかどうかは慎重に判断する必要がある、と伝えてからしばらくたっている。ラッツであれば、独自に動いていてもおかしくはなかった。警備部警護課の職員としては報告できないものの、放置もしておけないなにかをつかんだのだろう。


 この地に赴任してきてから、レイカは自分の足でテレシナ市街を歩く機会がろくになかった。だいたいどのあたりかはわかるけれど、上空を飛び越えるか車両でとおりすぎるばかりだったダウンタウンの一角で、古びたビルの谷間に差しかかり、電波状況が悪くなったのか、モバイルが位置情報を見失ってしまった。

 もうひとつ向こうの道かもしれないと、街区表示板を求めて視線をあげたレイカの眼に映ったのは、彼女のほうへ向けられていた複数の好奇の顔だった。労務者風の中年の男から、スケートボードと一緒に壁にもたれかかっている若い男まで。みな、こんな綺麗どころがどうしてこんな場末にいるんだ、と表情でありありと語っている。


 世界のF財閥、そのナンバー2はこの程度で怖じたりしない。男どもは、だれが一番に場違いな美女へ声をかけるか、お互いに様子をうかがっているが、レイカはその前にこちらから目的地がどこか訊ねてやろうと、一番近くにいたパンクファッションの坊やへ眼を向けた。


 ――と。


「時間に正確なあんたにしちゃ遅かったな。こっちだ」


 横合いから聞き憶えのある声が飛んできて、レイカはもうすこしでおどろきを表に出してしまいそうになった。本当にびっくりしたのだ。


「こんなところきたことないもの。ナビも頼りにならなくなるし、迷っちゃうかと思ったわ」


 そういいながら、レイカは半ば演技、半ば本気でクレス=カガミへしなだれかかる。うしろのほうから、露骨な舌打ちが聞こえてきた。


「しゃんと歩いてくれ。まだ時間が早いから大丈夫なハズだが、ゴロツキどもがどう動くかは読めん」


 クレスが耳もとでささやいた。レイカは自分の脚で体重を支えるようにしたものの、腕は彼にからませたまま、応える。


「いまこのあたりにいるのは、みんなマフィア戦争の生き残りよ。目の前の相手が強いか弱いか、銃を持っているかどうかはすぐわかる。あなたに勝てるなんて間抜けな判断をするような男は、もう全員海で魚の餌になっているか、土の下」

「あいにくだがいまは丸腰だぞ。職務じゃないんでね」

「たとえ素手でも、あなたはそこらの三下に負けたりしないわ」

「俺自身は無事でいられても、あんたまで守れるとは限らない」

「私は護身用の銃を携帯してるから、いざとなったら使って」

「そんないざはごめんだな」


 といって、クレスはビルの壁面に並んでいたドアのひとつを開けた。塗装が剥げかけの上に錆まで浮いていて、ゴミ出し用の勝手口かボイラー室の扉程度にしか見えなかったが、奥にはレトロで小洒落た雰囲気の空間が広がっている。カウンター席には椅子がなく、細長い店の奥に一脚だけ丸テーブルがあって、ラッツ主任が待っていた。


「てっきり主任だけなのかと思ってたわ。クレスもいてくれるのは、なにかしら、私に対するサービス?」


 レイカはすっかりいつもの調子になっていた。ラッツはまだ口を開かず、クレスが答える。


「最初は主任ひとりであんたに会うつもりだったんだぜ。このラッツさんが定刻ぴったりに帰ろうとするから、おかしいと思うじゃねえか。問いつめたら極秘の用件だって。あんたたちがふたりきりでいるトコなんざ、ちょっとでも事情を知ってるやつに見られたら、すぐに財閥が重大な警備上の問題を抱えてるんだなってわかっちまうよ」

「カガミのいうとおりです。軽率でした」


 ようやく沈黙を破ったラッツは、普段の彼らしくもなくしおらしい。レイカは鷹揚に首を振って応じる。


「本来私がやっておかなきゃいけない調べごとを、代わりにしてくれたんでしょう? 報告にしたって、堂々オフィスで面会できるようにしておいてしかるべきものを、私がぐずぐずしてたのが悪いの。主任には感謝こそすれ、余計な手間を増やして、だなんてあるわけない。ところで、ここはそういうお話しして平気なの?」

「もと警察仲間の紹介です。ここのマスターは秘密を必ず守ることができる、さまざまな意味で」


 いわれてレイカがカウンターの向こうを見てみると、背の丸い老人がにぃ、とすきっ歯口で笑った。耳が遠いのか、どうやらこの大陸が植民地になる前からの住民の血を曳いている人のようだから、現在彼女たちが共通語にしている旧大陸の言葉を知らないのか、あるいはその両方だろうか。そんなことを思っていると、ラッツが指を三本立てながら壁をしめした。老人はうなずくと、ビールをグラスに三杯注ぎ、カットしたライムの乗った小皿とともにカウンターへ並べる。まだ入口近くに立っていたクレスが受け取って、テーブルまで持ってきてくれた。


 青い果実をつまみ、最近異文化食風習に触れる機会が多くなってきたクレスはつぶやく。


「ビールにライムを絞るってのも、面白い呑みかただよな」

「私はけっこう好きよ、これ」


 といって、レイカは絞ったライムをそのままグラスへ入れた。さらに塩を振るのがご当地流で、テーブルには岩塩の入った小ビンもある。ライムのみのレイカとクレスに対し、こちらの大陸生まれであるラッツは塩もひとつまみ入れ、老マスターに関する情報をつけ加える。


「カクテルも絶品ですよ。ただ、細かい注文をするには少々馴れが必要ですが。お任せそのままでもいけますがね」

「あとで頼んでみたいわね。……まあ、呑みすぎる前に本題を聞きましょう」


 レイカがそういい、三人ともグラスをかかげ、軽く「乾杯サルー」とお決まりの科白を口にして駆けつけの一献をかたむけた。すぐに実務的な表情へ戻り、ラッツが私物のタブパッドを取り出す。独自調査の内容を会社からの貸与品に保存しておくわけにはいかない。


「物証はなにもありませんが、ある程度の情報を集めることができました」


 そう前おいて、ラッツはタブパッドを操作した。自身で編集したのだろう、レイアウトやエフェクトは洗練されていないが、わかりやすいスライドショーが表示される。


    ****


 財閥によってテレシナの「正常化」は着実に進んでいますが、麻薬組織やマフィア、ギャング、反政府ゲリラ、宗教原理主義、その他地下勢力はいまだ主要先進国の平均値より多く残っています。エル・アンゼリーナ連邦に限らず、この大陸でもっとも深刻なのは麻薬汚染です。そもそも代表的な麻薬植物のひとつであるコカの原産地で、有史前から盛んに栽培されている地域でしたが、ケシや大麻も旧世界との接触とほぼ同時に持ち込まれました。これら薬物の最大消費地は、地峡を経た北の(ユナイテッド)(・ステイツ・オヴ・)(リパブリカン)です。世界一豊かな国こそが世界最大のブラックマーケットでもあるのは理の当然ではありますが。

 ステイツでは若年層にとって大麻がタバコやアルコールよりも身近な嗜好品となってしまっていて、取り締まりが間に合わないこと、酒税と煙草税が減収になっていること、その他諸々の問題もあり、低容量大麻を合法化する州が増えてきています。ようするに、政府が麻薬組織から大麻のぶんのアガリを巻きあげようという、ある意味ではとんでもない性根の発想ですが。おかげで、以前は完全な非合法組織であった大麻流通の大手であるフリューデ・カルテルが、フロント企業を立てて、USR国内のみならず、テレシナはじめとするこの大陸の主要都市にもオフィスを構えています。


 カルテルのフロント企業である「ヘンプ・サービス」のテレシナ支社を張っていた連邦捜査官によりますと、先月の二二日に、合法部門の幹部であり、非合法活動への関与も捜査対象になっているカルロス・ディエゴ=スピノーラが外出し、ホテル・レンドール・テレシナの最上階に入っている会員制クラブ流れ星ラ・エストレイヤ・フハースを訪れたということです。スピノーラがそこでだれと会っていたのかは不明。ここ半年、スピノーラの動向がわずかでも未確認となったのは、その一度のみ。それ以外は、合法的ビジネスにせよ、コカインがらみの違法行為にせよ、どこへ出かけ、だれと同席していたのか、すべて追跡できているそうです。

 先月の二二日は、フランツさまがテレシナに一時滞在されていた時期と重なります。フランツさまに帯同中の第八秘書ロバート=シュルツ氏が、その日に流れ星へ行っていたらしいと小耳に挟みました。面会相手は「極秘」とのことですが。


 先月はじめに起きた、テレシナにおける初の対財閥テロである、さゆりお嬢さまの登校車列襲撃事件のさいに行方不明となった警護課要員は、このあたり一帯の旧宗主国エルパニョーラの出身で、前職では隣国トゥリパンからの越境薬物を取り締まる仕事をしていたそうです。トゥリパン共和国は世界でも早くから大麻解禁を打ち出したモデルケースとして知られていますね。

 西方連合オチデント・ユニオンでは合法国から非合法国への大麻その他の流出が問題になっていますが、トゥリパンには当然「ヘンプ・サービス」のネットワークがあり、表向きは周辺国の捜査当局に協力もしています。そもそも、フリューデ・カルテルが事業合法化の足がかりにしたのがトゥリパンでの大麻開放政策で、登記上の本社所在地でもあります。証拠はありませんが、当該人物は財閥に務めるようになる以前から、フリューデ・カルテルとなんらかのかかわりがあった可能性を否定できないのです。

 スピノーラの娘ヴェロニカはテレシナ大学付属高の在校生で、さゆりお嬢さまと同じクラスに通っているということは、すでにご周知であろうと思います。


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