真面目な観測手とふざけた狙撃手
黒煙に閉ざされようとしている視界の中、五街区離れた現場の状況が安定したことを見届け、観測手は双眼鏡をおろした。
「そんな骨董品を持ち出してきたときはどうなることかと思ったが、大した腕だな」
声を受けた狙撃手のほうは、ひと仕事終えるなり商売道具を掃除しにかかっていた。ライフルの遊底を開放し、銃床のほうから銃身へ洗い矢を差し入れている。いまは仮の手入れであって、帰投したら部品ひとつにいたるまでバラして徹底的に整備するのだろう。
洗い矢を銃腔へ出し入れする手はとめないまま、狙撃手は口を開いた。
「救援がくるのが遅すぎる。もし風向きがすこしでも違っていたら、あるいは完全に無風だったら、煙で現場は見えなくなってたぞ、いまみたいに。うまくいったのはたまたまだ」
「機動課の拠点は市内じゃない。財閥といえど私企業、制約は多いんだ。こんな規模の組織だった襲撃があるなんて予想もされていなかったしな。見とおしの甘さは、情報課と調査課の取り組み不足だが」
「だから警護課の落ち度じゃありませんってか、ラッツ主任」
棘のある言葉を受けて、ラッツは相手をにらみつけた。
「あそこで射たれたのは私の部下だぞ! きさまからしても同僚だろうが、カガミ。警護課の業務内容に民間軍事企業の真似事は入ってない。そういうのがやりたいやつは、機動課や高強度保安課に行ってる。うちの課に戦争したくて入社してきたのなんてひとりもいやしないんだ、クソったれめ」
「なんだ、部下が理不尽な状況に晒されたことへの憤懣はあったのか。三日前にここにきたばっかの俺にはとくに感慨もないが、仲間の死をなんとも思わない冷血人間しかいない職場なのかと、一瞬引くところだったぜ」
感情をあらわにしたラッツだったが、狙撃手――カガミの飄々としたものいいに虚を衝かれて、つぎの科白を見失った。この新入りは、組織人としての意識を欠いている。
使い切らなかった銃弾のひとつを手に載せて、カガミはぬけぬけとつづけた。
「あんたらは装備こそ一級品をそろえてるが、運用はまるで幼稚だな。こいつはたしかにすばらしい弾丸だったし、あのヘリもとんでもない超兵器なんだろうが」
「マネジメントをやりたいなら上申書でも提出しろ。重役連の目にとまれば幹部候補試験の誘いがくるぞ、中途採用一週間めの雑草でもな」
「そんな面倒くせえことはごめんだ。生え抜きよりも即戦力のヘッドハンティング、トップダウンじゃなくボトムアップ、とね。くだらねえ、ただのコスト逃れと責任回避だ。どいつもこいつも人材とアイデアを略奪することしか考えなくなって、じゃあだれが最初の芽を育てるんだか。……って、あんたにいってもしょうがねえな」
キャリーケースに装備一式をしまい終え、カガミは立ちあがった。観測手がついているときの狙撃手は無線機のイヤフォンをしていない。ラッツのほうへ振り向きはせず、しかし訊ねる。
「お嬢さまがあのままヘリで屋敷に戻るってことは、今日の仕事は終わりだよな? 明日はどうなんだ」
「わからん。私は警護主任として、最低でもご通学ルートの安全再確認までは外出を控えていただくよう進言するが、決定権はない」
「まともな神経だったら、こんなイカれた街の近所からは永久におさらばするがな」
常識めいたことを述べたカガミだったが、そもそも装甲化したリムジンにマシンガンで武装した警備員がつき、さらに同じ装備をした四人ずつが乗った車を前後左右に五台連ねて送迎しなければならないという時点ですでにまともではなかった。いくらさゆりが〈財閥〉令嬢にして唯一の直系後継者といっても、否、だからこそ、こんな危険な地の学校に通う必要はない。財閥は文字どおりに全世界を股にかけている。治安の安定しているところなど選びたい放題ではないか。
「お決めになるのはフランツさまだ」
ラッツの口から神にも等しい財閥支配者の名が出た。三世紀のあいだ堅実だが細々とつづいていた家業を一〇代後半の若さで相続するや、一代にして世界随一の超巨大複合企業体に変貌させた生ける伝説。
総裁フランツはここ一〇年ほどかけてじょじょに息子へ権力を譲っていたのだが、ほんの半年前、帝王の座継承は完遂を待たずして不幸な事件によって頓挫した。後継者とその妻を一度に喪ったフランツは表舞台に全面復帰したのだが、その手はじめに下したのは、息子の忘れ形見である孫娘のさゆりをこの地へ移すように、という、意図を測りがたい指示であった。
たしかに、ある意味で「まともな神経」ではないといえよう。常識の枠内にとどまった発想をしていたなら〈財閥〉が誕生しなかったであろうことは疑いないのだ。フランツ・ジェイド=レンドールという人物に「普通の」考えは通用しない。
「やっぱわざとやってんのかね。ああいう実験をするために。けどそのために孫娘を囮にするってのは、ちょいと根拠が弱いよなあ」
独り言というにはあまりに露骨だったが、ラッツはけっきょく問い糺さないままカガミが螺旋階段を降りていくのを見送った。カガミのいった「ああいう実験」とは、銃撃されるや狼に変身したお嬢さま付のメイドのことであるのはあきらかだ。ラッツももちろんその光景は目にしている。すぐに「あの犬は射つな」と無線で指令がきたので、カガミに伝えた、それだけのこと。まだ深く考えられてはいなかった。道理に合っていないとは思うのだが。
「クレス=カガミ――きさま、何者だ……?」
ラッツはもちろん、警護主任として平よりは多くのことを知っている。ここ『テレシナ特別行政市』は、ほんの五年前まで「つぎの世界の中心」と呼ばれ、実際にそう目され投資が集まり、急速に発展していた。しかし債務不履行で国家は破綻。投下資本は逃亡し、見捨てられた都市はその立派な外見のまま、マフィアやギャング、テロリストの巣窟と化した。
財閥はこの地の再興を約束し、乗り込んだのだ。さゆりが市の近郊に住み、中心部の学校へ通うのには、この街が財閥印の私有都市に限りなく近いのだという、象徴的な意味がある。
カガミの存在はラッツにとって不可解な要素だった。ラッツはカガミをのぞく部下たちの身上調査の結果を知っている。財閥令嬢であるさゆりの警護要員となれば、本人のみならず、その親族や交友関係、誕生からこの職場で勤務するようになるにいたるまでの経歴に不審な点があってはならないからだ。しかしカガミは違う。財閥の系列企業にいたというわけでもない。シロだから入れろ、と、こうである。ラッツにその決定を覆す権限はない。あったらもちろん却下している。正体不明の男が部下に入り込んできて、そいつが問題を起こしたときに責任を取らされるのはラッツなのだ。
優秀な狙撃手というのは同時に対狙撃戦をこなせる人材であり、たしかに警護チームに必要ではあった。実際、こうして配属早々役にも立っている。が、世界でもっとも危険な大都市とはいえ、これまでの四ヵ月間はどうにか大過なくすごせていたのに、新人がやってきて四日めでこの惨劇というのも焦臭くはないか?
ほんの数分で優秀な部下が二〇名以上任務に就けなくなってしまったことを思って、ラッツはため息をついた。補充はすぐにくるのだろうか。身辺がきれいな上に財閥への忠誠心が篤く、体力・技能面でも問題のない人員というのが、そう簡単に調達できる気はしない。
まあ、それをどうにかするのが人事部の仕事だが。
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「……テロリスト三六人の死亡を確認。警護側の損害は、殉職者一六名、重傷五、行方不明一――か。大惨事ね、こりゃ」
速報版の報告書に目をとおし、レイカ=グレイスは天井を仰いだ。財閥総裁フランツの第一秘書であるが、さゆりがテレシナに越すにあたってその関係一切を任されることになった、実質上『テレシナプロジェクト』最高統括権を握る女である。
「市警から代理執行の認証を取りました。エル・ゼダス、フリューデ・カルテル、ムルグナイ解放戦線、マティーノ真教国正統政府――この四つの武装組織の拠点へ、三〇分前から高強度保安課の即応部隊が攻撃を行っています」
「手まわし早いわね」
まだ報告書の形になっていない最新情報を告げた男性秘書補のほうへ、レイカは感心したようなあきれたような顔を向ける。
「ある程度以上の規模の組織は常に監視対象ですから。臨戦態勢はずっと整っています」
「一般市民に被害出しちゃダメよ」
「現場も心得ています。攻撃は限定的です、警告射撃のようなものですよ」
秘書補はうなずいたが、配慮を指示した先からレイカは不謹慎なことを口走っていた。
「ほんとは街区ごとクレーターに変えて、造成からやり直すほうがお金も手間もかからないんだけど」
「隕石でも落ちてくれば面倒が省けそうですね」
如才ない秘書補はレイカの冗談にうまく合わせる。レイカのほうは、今度は口に出さずにつぶやくことになった。……じつはあるのよね、そのアイデア。極低周波爆弾を地殻に埋め込んで大地震起こそうとかいうやつも――と。
「あ、それで思い出した。B研のスタッフきてない?」
「はい。待ってもらっていますが」
なにが「それで」なのか、みじんも気にする素振りなく秘書補はうなずいた。余計な好奇心を表に出さない優秀な人材なのだろう。官僚や、こうした仕事をするのにはうってつけの。
「ごめん、先とおしてもらっていい?」
「はい、すぐに」
ドアが開き、白衣姿をした、いかにも研究者にございますという感じの男女ふたり組がオフィスに入ってきた。どちらも若く、男のほうは眼鏡をかけているが、それ以上ステロタイプな風貌ではない。財閥は以前から、最先端、あるいは非常識なまでに野心的な研究テーマを掲げた若手研究者を迎え入れ、資金を供与してきたが、テレシナプロジェクトに伴うことを承諾するチームはより多くの援助が受けられると提示し、移転をうながした。アムウェル=ロゼットをリーダーとする生体工学研究班は、移ってきたチームのひとつだ。
アムウェルは実年齢も弱冠二八歳であって研究主任ドクターとしては破格に若いが、すでに自ら開発したアンチエイジング技術の粋を我が身にふんだんに施しており、あと三〇年間は現在同様、一八歳の肉体年齢を保ちつづけると豪語していた。レイカも、裏の取れた範囲でその余慶に与っている。
もちろんレイカは最新の美容研究の成果を聞くためにB研のリーダーをオフィスに招いたわけではない。今日の事件に関することだ。アムウェルと彼女の弟であり助手のひとりでもあるブロウズに席をすすめ、秘書補にコーヒーを淹れるよう指示を出す。
応接セットで向かい合いになったところで、まずアムウェルが口を開いた。
「うちの〈シェパード〉が仕事をしたと聞きましたけど」
「ええ。申しぶんのない働きで、警備チームの増援が到着するまでさゆりお嬢さまを守ってくれたと報告を受けています。フランツの代理として、お礼をさせていただきますわ」
婉然たる表情を浮かべて、レイカは謝意を表した。重要なのは「フランツの代理」という言葉だ。この女が自分たちの生殺与奪を決める権利を持っているということを、もちろんふたりもわきまえている。
後継者を喪い、財閥をふたたび双肩に担うこととなったフランツにとって、アムウェルらの研究は期待を寄せるに値するものだ。供与される資金は青天井だが、同時にいち早く結果を出すことを求められてもいる。老境の域に差しかかっているフランツが壮年期の精強さを保持できるよう、そしてそれを、この先一〇年二〇年といわず、五〇年でも、叶うのならば、永遠にでもつづくよう……。
「つまり、あれは役に立たなくもないが、われわれにはほかにすることがあるだろう、という意味でしょうか?」
端的に訊ねたのはブロウズだ。レイカのほうは再度優美に微笑む。
「技術的なことはよくわからないけれど、あなたたちが様々な方向から最終結果に向けたアプローチをしているという点は承知しているつもりです」
「ご理解いただけて恐縮です。あの試験体は、複製人間と人造人間の中間的な技術の検証をするために作りました。アンチエイジングの究極形態として、ハードウェアである肉体そのものを乗り換え、個体の継続性を維持する、その可能性を模索するための研究です」
アムウェルの解説にうなずきながら、聞いたのか聞き流したのか、レイカはすぐに表情を実務的に変え、用件を切り出した。
「これはフランツさまのご命令ではなく、現場の必要性から個別にご相談したいことなのですけれど、その技術の応用で、即席にもう二、三〇人作ったりはできないものかしら?」
ロゼット姉弟は思わず顔を見合わせた。秘書補がコーヒーを持ってきてくれたので、ふたりともにカップを手にして間を取る。
……まったく、出資者というのは無理難題をおっしゃるものだ。