バイオロボットは信仰の導きを得うるか
ウェンディはゆっくりとかぶりを振る。
「自分が自分であることに理由はない、か。私はたぶん、そこまで割り切れない。まあ、とびきりの美少女だったらべつに人造人間だとしても気にならないかもしれないけど、もし明日、目を醒ましたときに自分が巨大な芋虫になってたりしたら……」
「芋虫レベルの脳みそに自意識は宿らないから大丈夫よ。寝ているあいだに死んでしまったのと一緒で、苦しまずにすんでよかった……なんて思う神経ももうなくなってる」
とびきりつまらない応えを返したところで、そういえば自分が狼ではなく芋虫に変身するようになっていたらどうなっていたのか、と思考実験がケイの頭に浮かんできた。無様な芋虫なのに自意識が継続しているのは勘弁してほしいな、いや、脊椎動物ですらない芋虫に変身する人造人間を生み出すのは、たとえマスター・アムウェルでも不可能だろうか――などと、とりとめもない考えが次々と連鎖する。
ウェンディの不思議そうな視線が自分の横顔に照射されつづけていることを察して、ケイは我に返った。さすがに、狼に変身するということまでは話していない。人造人間であるだけでも突飛なのだから、これ以上余計なことをウェンディが知る必要はないだろう。ケイが変身する場面を見る機会もないはずなのだし。
「……あ、ごめん、ちょっとボーっとしちゃって。ほかになにか訊きたいことってある?」
気を取り直してケイが水を向けてみると、
「ケイちゃんはその研究所に向かってるところだったのね。ドクター・アムウェルのご専門ってなんなの? 機械系じゃなくて生物系なんでしょうけど」
と、ウェンディはすこし話題を変えてきた。
「ドクター・アムウェルの専門は生物工学、主な研究テーマは老化メカニズムの解明と抑制。簡単にいうと、不老長命の究明、最終的な目標は永遠の生命を実現することよ」
「だからF財閥の総裁……さゆりさまのお祖父さまがスポンサーになっているってわけね」
ケイの説明に、ウェンディはすぐ得心したようにうなずいた。フランツが不老不死を目指している、というのは、もはや一般市民にとっても明白なことらしい。
あまり機密保持という意識のないケイは――彼女自身が知っていて説明できることは本当の極秘ではないとわかっているという意味だが――ありていに私見を述べる。
「老化しないで寿命の長い生き物を新規に造ることはできても、すでに歳をとっている個体を後天的に不老長命にするっていうのは難しいと思うけどね」
「自分の若いクローンを作って記憶をコピーしていく。それが不老不死になろうとする財閥総裁の目的なんじゃないかしら」
ウェンディはSF小説レベルの知識なら持っているようで、平均的な女子高生よりは理系リテラシーが高いようだ。もちろん、現実はそんなに簡単ではないことをケイは知っている。
「コピーしてもそれは同一人物じゃないわ。人間の意識、個体の継続性、いわゆる霊魂の定義において異論の余地がない説が提唱されたという話を聞いたことはないけど、たとえひとつの個体が分裂したとしても、両方が同時に自分にはなりえない。分裂ですらなく、複製に記憶を書き込んだだけであれば、それで意識や人格の転写や移行を意味することは決してない。まあ、うちの研究室の専門外だけど。科学というより哲学の分野だから」
「うーん……よくわからないんだけど。ケイちゃんの見解では、フランツ総裁は無駄なことをさせてるってわけ?」
「すくなくともうちの研究室で人格の移植技術やソフトウェア化は取り扱ってないというだけよ。若き日のフランツ=レンドールと同様の肉体を造り出すことはできる。でもドクター・アムウェルとあたしが同一人物ではないのと同じ意味で、ヤング・フランツは総裁フランツにはなりえない、そういうこと」
「……あれ? じゃあ、ケイちゃん自身の……」
いいさして言葉に詰まったウェンディへ、
「意識、心?」
と、ケイがフォローを入れる。うなずきながらも、ウェンディは眉根をひそめていた。
「うん、それは、どこからやってきたの?」
「そんなに深く考え込むようなことじゃないわ。あなたにしろ、ほかのすべての人間にしろ、ひと眠りして目が醒めたとき、その個我の継続性を本当に確認する方法というのは原理的に存在していない。自意識のスイッチが一度オフになって、ふたたびオンになるまでのあいだ、それを根源的に保証するバックアップがあるワケじゃない。最初にちょっとたとえに出したけど、記憶喪失の人間がふと目醒めた場合とさして違いはないわ、あたしの場合。赤ん坊が、自分と世界への曖昧な認識をだんだんと確立したモノにしていって、ひとりの人間になる、という過程は経ていないけど、あたしはあたし、ちゃんと、ある」
「ええと……じゃあ、ケイちゃんはいまのそのケイちゃんの身体から移動したりはできない、ということになるのかな。……伝えかたヘタでごめんね」
「意味はわかるわ。ウェンディのいうとおり、あたしはこのあたしだけ。同じ肉体を作るだけなら簡単だけど、仮にそれを目醒めさせても、あたしの双子の妹みたいなもので、あたしにはならないし、あたしのバックアップやスペアにすることもできない」
「それって、どうしてなのかしらね?」
素朴だが、ウェンディの疑問に答えるのはひとすじ縄ではいかない。ケイは携帯端末を取り出して、べつの方向からたとえ話をすることにした。
「これと同じモデルは何百万台も作られてて、CPUも記憶装置も原則として一緒の規格品が採用されてる。だけどユーザによって中のデータは別々よね、利用してるソフトとか、登録されてる連絡先とか、保存してる写真や音楽とか。もちろんデータをコピーするのは簡単だけど、同じ内容が記録された端末を二台にしても、それを別々の人間が使っていたら、じょじょに違うデータになっていく。ひとつの端末から同型の新品にデータを移したとしても、移行前の端末が消えてなくなったりはしない。物理的にも、電子的な意味でも。コピーしたら古いほうを消せばいいのかといえば、本当にそうなのか? もし携帯に魂があったら『やめろ、僕はまだここにいる!』と叫んでいるのかもしれない」
擬人化された『携帯ちゃん』にくすっとしてから、ウェンディはしっかりたとえ話についてきていて、理解できていることをしめす反応を返す。
「データのコピーで魂を移すことができないなら、記憶装置のメモリーチップを取り出して物理的に新しい端末に組み込むしかないわね。人間だったら、身体をクローンで作って脳を移植すればいいんじゃない?」
「記憶は脳に蓄えられているといってほぼ間違いないし、脳と意識には密接な関係がある。だけどそれがすべてではないし、生体脳の移植でしか継続性を保持したまま肉体を新しくする方法がないのなら、それはかなり無意味になってしまう。脳が古いままでほかを新しくしてもさほど有効じゃない。脳をリフレッシュできるなら、なにもつぎの身体に脳だけ移植するなんてことせずに、そのまま全身を若返らせるほうが手っ取り早いし無駄もすくない」
「そうなってくれたほうが大勢の人が恩恵を受けられそうね。クローンを作って大手術なんて、お金持ちにしかできそうにないけど、若返りセミナーとか若返りの錠剤だったら、多少値段が高くてもなんとかなりそう」
「だからこそ、そんなにうまくはいかないだろうと思う」
「どうして?」
主観の体ではあるがほとんど断言するケイに、ウェンディは小首をかしげた。ケイは口の端をゆがませて、応える。
「あたしは神が存在すると思ってる。底意地が悪くて、人間のがんばりを踏みにじるのが大好きで、みんなが幸せになるのを許さないクソ野郎が。だからこそ、すべての人々が恩恵にあずかることのできるような技術は実現不可能にされた原理でこの世界は作られてる」
「そういう視点から神さまを信じてる人ってはじめて。私も神さまはいらっしゃると信じているけど、たしかにご加護を実感したことはないわ。……でも、なにもしてもらえないとしても、きっと、見てくれてはいる。だからこそ、できるだけ正しいことをしようと日々心がけるし、間違っているとわかっていながらも正しくない行動をしてしまったときでも、神さまはその理由を知っていて、赦してくださる――そう思って生きていける」
最初は唖然と、しだいに、魂の安息を知る人間だけが浮かべることのできる柔らかで優しい顔になったウェンディに対し、ケイは自分の足で立ってはいるが依拠している大いなる存在というものはない。心の支えになっている相手といえば『母』であるアムウェルと、もう『友人』といえるほどに親しくなったさゆりだが、ふたりは人間であって神や天使ではなかった。
信仰を持つ者に向け、信仰を持たざる者は、往々にしてそれを試すかのごとく辛辣な科白を吐いてしまうことがある。
「神っていうのは自分の良心の咎めに対するイイワケってことね。うちのマスターもいってた。人間が思いつくどんなに素晴らしいアイデアも、どうせ神のやつがあらかじめ実行不可能なように規制してる。だけど全部が全部封じられてるかどうかは、神ならぬ人の身にはわからない。だから試せる限りは全部試してみるし、もし上手くいったなら遠慮する必要はさらさらない。実行可能ということは、神が許してるって意味なんだから――って」
不遜で不躾なケイのものいいに、ウェンディは怒ったりすることはなかった。
「そうね。私は自分で自分に許可や赦しを与えることができるほど強くない。神さまが実在すると信じていなければ、なにもできないでしょうね。神は仮想のものであって現実の世界を律している法則を担ってはない、といい切る度胸はないわ」
「ああ、誤解しないで、否定しようってワケじゃないの。あたしにはわからないこと、体験していないことだ、ってだけだから。実際に目の前に神さまが出てきてくれれば、そっちのほうがいいと思うよ」
「頼れるだれかの腕にぶら下がっていられるならそのほうが楽でいい、神にすがる人間は親離れできない子供と一緒、そういうことかしら」
言葉の表面上ほど激しているわけではない、余裕の口調ではあるものの、ウェンディもなかなかどうして舌鋒鋭い。ケイはちょっと困ってしまった。議論でやり込めたいのではない。
「うーん、あえていえばないものねだり、ってトコ? 友達にカッコいいお兄ちゃんや優しいお姉ちゃんがいたとして、なんで自分はひとりっ子なんだろう、あるいはどうして下の弟妹しかいないのかな、とか、なんでうちは貧乏なのかな、パパもママも若くてきれいじゃないのはどうして、とか、そういう感覚に……たぶん近い。時間をさかのぼって、僕より先にお兄ちゃんを生んで、とか、もっと若いときに僕を生んで、なんて親に頼むことはできないでしょ」
必ずしも明瞭なたとえ話ではなかったが、それだけにウェンディはケイの悩みのニュアンスを読み取ったようだ。慈しむ表情になって、口を開く。
「神の概念すら知らなかったり、神をまったく信じていなかったり、そういう人がオトナになってから、場合によっては死の床で信仰の導きを得られることだってあるわ。神さまは時間の流れからも自由よ。信仰へ触れるのに年齢制限や出身制限はないわ」
「神さまは『僕』のために時間の法則を超越することができる?」
「それが本当に必要なことであればね。神さまを信じていれば対価として得られる、というものではないけど」
「その、なんでもありすぎるところが、神さまっていうのがピンとこない理由なワケ、あたしにとっては」
といって、ケイはうなずいてみせた。実際のところ、神に見捨てられていようが自分が特異な身の上であろうが、不安などはない。信仰を欲したことはないが、躍起になって否定する必要もない、その程度の話だ。
車内放送が独立記念公園駅への到着が近いことを告げた。横貫線東行きに乗り換えるべく、ケイとウェンディは席を立つ。




