ビルの森に立つ銀狼
口では間の抜けたことをいいはしたものの、ケイの足は迅速に動いていた。しかし彼女がリムジンのほうへ戻るべく半分も進む前に、遮蔽を奪われた後方車両詰めの要員たちは全員兇弾を食らって地面へ血を撒きながら倒れる。
右前方で生き残っていたふたりの警備スタッフのうち、片割れが防壁の失われた後方へ向け突撃を敢行したが、英雄的というよりは自殺行為でしかなかった。たちまち、複数の方向から飛んできた弾丸が彼の総身を縫いとおす。その犠牲のおかげでケイに向けられていた銃口が減ったので、〈傘〉の提供してくれる一方面の守りだけでどうにかリムジンのすぐそばまでやってこられた。
ケイが走っているあいだに、突撃はしないでいた右前方唯一の生き残りも後方から射たれて倒れていた。リムジンの運転手は、車体に背をもたせかけて地べたに座り込んでいる。まだ息はあるようだがとても応戦できる状況ではない。ケイは弾倉を持ってきたので運転手のPDWを拾えばまだ射つことはできるが、取りまわし重視の構造といってもマシンガンはマシンガンだ。小柄なケイではどうやっても片手保持はできない。ここで〈傘〉を手放すなどどだい無理な話だった。
抵抗の排除を確信した襲撃者たちはじりじりと包囲網を狭めてくる。ビルの陰から道路上に出てきた襲撃者の数はケイがざっと見ただけで二〇人ほどいた。ロケット弾を撃ち込まれた車両が煙を吹いているせいで視界が限られていることを考えれば、もっと多いはずだ。
――と。
襲撃者のひとりが、全身から突然力が抜けたかのように頽れた。ふたりめは、右から透明人間に突き飛ばされたかのように横倒しになる。三人めの左眼孔が内側からはじけ、目玉の残骸と血と脳漿をぶちまけたところで、ようやく銃声が聞こえてきた。小口径、高速弾頭による遠距離狙撃。
襲撃者の動きははっきりふたとおりにわかれた。ビルや車の近くにいた連中は遮蔽の陰に隠れて身を守ろうとし、道路の真ん中まで出てきてしまっていた連中はリムジンを確保しようと突進してくる。
狙撃手はリムジンから近い順に襲撃者を射っていた。ケイは〈傘〉を構えたまま、右のほうから走り寄ってくる襲撃者どもへこちらから突っ込んでいく。小気味よいハイビートで刻まれていた銃声だったが、五連発したところで半テンポ休みが入った。つぎの挿弾子を塡めているのだ。
五発の銃声で五人の襲撃者が倒されていた。すでに襲撃者たちは半狂乱になっている。アサルトライフルがめくら滅法に弾丸を吐いた。真っ正面のケイのほうへまともに飛んでくるのは半分くらい。それも〈傘〉が空中で圧壊させる。
二セットめの五連射がはじまり、ケイの眼前の襲撃者が順に倒れていった。だがこの集団は六人いる。だからケイも向かっていったのだが。
六人めへ向け、ケイは〈傘〉を突き出した。銃弾を防げるバリアが人体に対して無害なはずもない。六人めの持っていた銃はひしゃげて粉々になり、ついでに両腕も半分くらい赤黒いミンチと化してなくなった。音もなく。
自分の身になにが起こったのか理解できていなかった六人めだが、遅ればせながら事態に気づいたようだ。ヘッドショットできれいに殺してもらえた仲間たちと自分の差を察したか、口を大きく広げる。
六人めが絶叫をあげる前に、ケイはモードを切り替えた〈傘〉を横殴りに振り抜いていた。鍋蓋の形から肉切り包丁の形に変わった見えない力場が、六人めの首を宙に飛ばす。だが情けをかけて介錯している場合ではなかったようだ。まあ、ケイとしては泣き喚かれるとやかましいから殺ったのだが。
別々の角度から、三梃の銃口がケイに向けられていた。あらたな挿弾子を塡めた、狙撃手の第十一射と第十二射がそのうちふたりの頭蓋を貫く。だが路肩のすみからケイを狙っている三梃めは放置された。よりリムジンに近寄っていた、べつの襲撃者が三人倒される。狙撃手はあくまで財閥令嬢であるさゆりが乗ったリムジンを守っているのであって、ケイの援護は主目的ではない。
ケイが〈傘〉をバリアモードへ戻そうとした、その一瞬前に、三梃めが火を噴いていた。純白のエプロンに、血の花が咲く。小柄なケイの身体は着弾の衝撃なのかはね飛ばされ、しかし地面に落ちることはなかった。
舞い散ったのは、かつては衣服だった布地の端切ればかり。
小娘を射ったという確信と、しかし獲物が煙のように消えてしまった当惑で、三梃めの銃を構えていた男はそのままの姿勢で硬直していたが、狩られる立場はすぐに逆転していた。つぎの刹那、男の身は引き倒され、斬り裂かれている。
ようやく、ケイの持っていた〈傘〉と拳銃、PDWの弾倉が道路上に落ちて、乾いた音をたてた。
これまでは、騒々しいながらも飛び交っていたのは発砲音と爆音に自棄っぱちの奇声ばかりだったが、はっきりと恐怖の絶叫があがった。狙撃を避けてビル陰へ逃げ込んでいた襲撃者たちの声だ。警備側が壊滅し、狙撃手の出現によって襲撃者たちが退避したことで一度収まりかかっていた銃声が、無秩序に飽和した。だが、その音も次々に静まっていく。一梃ずつ、しかし手早く黙らされているのだ。
「どうなっているの……」
ただひとりリムジンの後部座席に残っているさゆりは、思うように外の様子を確認できないことに柳眉をひそめながらも独りごちていた。周囲で展開されている凄惨な光景も、音が半減し、臭気も完全にシャットアウトされているのであまり現実味がない。ケイが飛び出していったときに流れ込んできた厭な臭いの空気は、高性能なカーエアコンがすぐに中和してしまっていた。
自分の貸した〈傘〉がリムジンと路肩の中間あたりに落ちていることにさゆりが気づくのには、しばらく時間を要した。ケイが持っていたとおぼしき拳銃と、運んでいたのだろう弾倉も路上に転がっている。だが当人は影も形もない。
車外へ出ようかとさゆりが迷いはじめたところで――
ビルの狭間の路地から、車道へ向け襲撃者らが飛び出してきた。自分たちの走ってきたほうへ銃口を向け、しかし顔はそむけながら弾をバラ撒く。標的が遮蔽の陰から出てきたのを狙撃手が見逃すはずはなく、発砲を再開した。襲撃者たちは淡々と処理されていく。一度は安全圏に逃げ込んでおきながら、なぜ確実な死が待っているひらけた場所へ走ってきたのか。
その答えは、五連ひとつづりの死のビートが半拍中断したところで姿を現した。さらに駆け出してくる襲撃者が四人。路地から四人めが一歩を踏み出すやいなや、背後より白い影が飛びかかってきて覆い被さった。さゆりの耳には届かなかったが、肉と骨が断たれる音が響いて男の首がねじ切られる。
「狼……?」
さゆりがつぶやくあいだに、銀色の巨獣は首を振って犠牲者の頭部を投げ捨てると、つぎの獲物へ狙いを定めていた。追いつかれると察したその襲撃者――いや、もはや彼らが襲撃される側であった――は向き直ってアサルトライフルのトリガーをフルオートで絞る。が、実体がないかのように銀の獣はふわりと男の右へまわり込むと、無造作に喉首を咬み裂いた。
男は頸動脈から鮮血を撒きつつ、ライフルの弾が尽きてもなおトリガーに指をかけたままでいた。
血と弾丸の噴出が収まり、男の身が崩れる。
獣は動きをとめていた。四セットめの挿弾子を塡めた狙撃手が最後のふたりを先にしとめていたからだ。狙撃手の銃にはあと三発弾が残っているはずだが、銀狼を射つことはなかった。銀狼もまた、襲撃者の排除を確信したのか悠然と佇立している。そもそも、ここは都市圏内の幹線道路上だ。この獣はどこからやってきたのか。
さゆりはリムジンのドアを開け、外へ出た。その美しい貌がしかめられたのは、ロケット弾を食らった車両の内装の合成樹脂とタイヤのゴムが焼ける臭い、燃料タンクから漏れたガソリンの臭いと、それの一部が燃えはじめていてアスファルトが焙られている臭い、硝煙の臭い、さらに血と臓物の臭いが混じり合って鼻をひどく刺激するからで、惨劇に心を痛めたからでは必ずしもなかった。さゆりは人の心を持っていないというわけではない。だが、車外に出てみて映画のワンシーンではないとわかったものの、やはり現実感が乏しかった。
現実感を希薄にさせる最大の要因へ眼を向け、さゆりは口を開く。
「……ケイ、よね」
その声を受けて、銀狼はためらいがちにさゆりのほうへ近寄ってきた。血に染まった口をさゆりへ向けがたいのか、顔はうつむき加減だ。さゆりはそれにかまうことなく、わずかにひざを屈して狼の頭をかき抱いた。
「ありがとう」
さゆりの言葉に、銀狼の耳が垂れる。たしかにこの獣はケイであるらしい。なにがどうなれば小柄な人間の少女が巨大な狼に変化するのかはともかく。
ふいに、ビル街にはありえない、直上からの風が吹きおろしてきた。さゆりとケイが振り仰ぐと、燃える車両から逆巻く黒煙を裂いて、特殊作戦仕様の静音ヘリが威嚇的な姿を現す。ヘリ特有のやかましい回転翼ノイズをほとんど響かせないその機体は、やはり財閥傘下の航空機メーカーの最新鋭、発注した某国海兵隊にもいまだ納入されていない虎の子であった。視界の悪い中ビルのあいだを縫って地面すれすれまで降下してきた、パイロットの腕前はそうとうのものだ。ヘリからワイヤが投じられ、それを伝って続々と空挺隊員が降りてくる。だが彼らも軍や警察の所属ではない。あくまで財閥の警備部スタッフだ。
ケイが人間の姿であれば、
「……おっそ。やっときたワケ?」
とでも毒づいただろう。
警備部増援部隊が周囲に脅威がないことを確認し、救護班の要請をするあいだ、さゆりは無表情のまま銀狼を従えて惨禍の中心に立ちつづけていた――
このお話は文庫本で350ページほどの「ちょい読みごたえある」長さに収まっています。
テキストは全部完成していて、あとは「海苔」を切り離す作業だけです。
原稿はInDesignで作ってたんで、ルビやフォントを結構凝ったのですが、そのへんの再現はウェブ上横書きゆえ出来ませんのであしからず。
土日休は2回以上、平日最低1回更新で進みます!