光の壁
階段を昇っていくと、途中でテロリストが三人、倒されていた。ふたりは首を捻られているだけで血は流れていなかった。三人めは右肩から先を引きちぎられていたが、いまのケイに効率よく銃を黙らせる手段はこのくらいしかないので、やむをえまい。ケイはつぎの踊り場で待っていた。さゆりが追いついてきたことを確認して、音もなくさらに上へと消える。
おそらく一階へ戻ってきただろう、階段室から従業員用通路に出たケイにつづいて、クレスとさゆりも垂直方向から水平方向へ移動軸を変えた。安全作業の標語が壁面に掲げてあったり、運搬途中らしい台車が放置してあったりする。
気配を感じたクレスが横手のドアを見てみると、ロッカールームとおぼしき部屋があり、奥のほうでパーティションから顔を半分だけのぞかせて通路の様子をうかがっている男がいた。クレスと目が合って、あわてて引っ込む。どうやら従業員らしい。
テレシナの治安が改善したのは、財閥が介入するようになったここ一年足らずの話で、それまでの四年間は銃撃戦が日常茶飯事だった。市民は危険から身を遁れる術を身体で憶え込んでいるようだ。ここまでテロリストの群れに従業員が混じっていなかったのも、要領よく逃げる方法をまだ忘れていないおかげだろう。この騒ぎも、生き残りのギャングやマフィアが最後の花火を打ちあげているのだと思われていてもおかしくない。
そうだとすれば、財閥にとって都合の悪い話ではなかった。
ケイが鉄扉の前で立ちどまった。全身が映るサイズの姿見がおいてあるところからすると、この先は客用フロアだろう。開けようとクレスはノブへ手をかけたが、ケイが首を左右に振った。
「……なんだ?」
伝えたいことがあるのはわかるものの、狼の口腔と咽喉は人間の言葉をしゃべるようにはできていない。さしものクレスもテレパシー能力はないので眉をしかめたが、ケイの眼を見ていたさゆりが声をあげる。
「ここからはあなただけで行くというの?」
「なんでわかるんだ……?」
クレスが唖然となっているうちに、ケイがうなずき、さゆりはさらに侍女のいいたいことを汲み取っていた。
「わたしたちはほかのドアから出ればいいのね」
さゆりがそういうと、ケイは「ばふ」と、狼というより大型犬のような声をあげてしっぽを振る。会話は成立していないのに意思が通じているのは不可解ながらも、クレスもケイが提示したらしい行動に意味があることはわかった。
「ここからは吹き抜けの下に出るんだな。おまえは先に行って、見張りを始末してこようってワケか」
そうそう、とケイがうなずく。納得して、クレスは半身になってノブに手をかけた。わずかに扉を開くと、音もなく、流れるようにケイが隙間から飛び出していく。おどろきあわてる声が響き、サブマシンガンや拳銃の発砲音がたちまち連鎖した。
「よし、いくぞ」
鉄扉にロックがかかり、客用フロア側からは開かなくなったことを確認して、クレスはさゆりへ声をかけた。狼形態のケイの強さには全幅の信頼を寄せているようで、さゆりは心配そうな素振りもなくクレスのあとに従う。
……ただし、たとえ作戦が完璧であっても、どうしようもない状況が生じうる、というのが実戦のままならぬところである。まして構造を把握していない未知の建物の中だ。
従業員通路をまわり込み、バックヤードから客用フロアへ戻ってきたところで、パトカーのサイレンが聞こえてきた。クレスたちが出てきた扉はエレベータホールに面していて、進めばコンコースへ達するだろう。
「市警のお出ましか。機動課はなにやってんだ」
とぼやきつつも、警官隊相手なら射ち合う必要はないので、クレスはエントランス方面へ向かおうとした。そのとたん、複数の足音が迫ってくる。さらに、エレベータの到着を告げるチャイムが鳴った。
「〈傘〉を開いてしゃがめ!」
さゆりへ向け声を張り、クレスは銃を連射した。エレベータのドアが動きはじめるまでの数瞬で、ホールに走り込んできたテロリスト四人を倒し、素早く向き直る。銃声で危険を察知していたエレベータ内のテロリストたちはカゴのすみに隠れていた。飛び出す気を起こさせないよう牽制弾を放ち、クレスはさらに上行きのボタンを射ち抜く。
ドアは開くと同時にすぐ閉まりだした。完全に閉鎖されるまでクレスは不規則な間を空けながら牽制をつづける。弾倉が空になり、薬室の一発のみになる。
この階で降りるのはあきらめたようで、テロリストたちはエレベータに乗ったまま上方面へと戻っていった。クレスは空の弾倉を排出し、警護課の備品なのでその場にポイ捨てはせずポケットに入れた。つぎの弾倉を銃把にたたき込んで、さゆりへ手招きする。
「ここは敵さんの退却コースらしいな。早く離れねえと」
どうやら、テロ組織が撤収ルートに使う予定でいた通路を逆走してきていたらしい。ケイが考えた作戦とクレスの判断は的確だったが、出てきた場所が悪かった。
エレベータホールから角をふたつ曲がったところで、左手の階段と正面のメインコンコースのほうから一斉に駈けてくるテロリストたちと鉢合わせする。先方としても、もう襲撃計画は失敗したとみて撤退しようとしているのだろうが。
「とまれ」
さゆりへいいおいて、自身は通路の中央へ進みつつ、クレスは正面に対して半身になりながら引金を立てつづけにはじく。
テロリスト側からすれば、退路を断っている相手がそもそもの作戦目標、という皮肉な状況になった。階段にいたテロリストたちは段差が災いしてクレスの正確な射撃をもらうことになったが、コンコースよりも大分せまい通路を走ってきた連中にはひとつツキがあった。射角のないほぼ一直線上なので、味方を盾にできるのだ。
激しかったが時間にして二秒とすこしの銃撃戦で、クレスのほうへ飛んできた弾は二、三〇はあっただろうが、走りながら、あるいは急停止してのとっさの発砲はそうそう狙いどおりになるものではない。
クレスは超人的な技量と洞察力で、装塡されていた一三発をすべて命中させていた。射撃姿勢が正確な者、サブマシンガンのフォアグリップをしっかり握ろうとしている者――脅威の度合が高い相手から順に排除していく。
だが、強力な実包がここでは仇になった。防弾装備を射ち抜ける貫徹能力と、生体組織に大きなダメージを負わせて無力化する特性というのは、拳銃弾のサイズでは本来矛盾する。その両立を図って、堅い物に衝突したさいには直進し、柔らかい物に入射したならば横倒しになって肉や内臓を切り裂くよう設計されている弾丸なのだが、つまり人体は貫通しにくくなっているのだ。
階段上で倒れたテロリストは五人、正面では六人。仲間を壁に、テロリストがふたり生き残った。どちらも拳銃ではなく、サブマシンガンを持っている。腰を落とし、展開していたストックを肩づけして、完璧とまではいかずとも及第点には充分な保持体勢でトリガーを引いた。
平均的な成人男性の全力疾走で五秒ほどかかる、たとえ銃の信頼性が完璧であっても一弾必中を期すには最精鋭の練度を要する距離だったが、弾倉一個ぶんをバラ撒くなら、方向と角度さえ合っていれば関係ない。この間合からのサブマシンガン二梃の斉射を、床にダイブしたり柱の陰に駆け込んで避けたりできるのは、野生動物か、人間ではない空想上の存在だけだ。
三秒はかからず、サブマシンガンの咆哮が途切れた。延長弾倉から三二発の弾丸がそれぞれ吐き出され、射撃音の残響と薬莢が床に散らばる音が重なる。
クレスは立ったままだった。銃を持った右手ではなく、左手を前方へ突き出しているが、それ以外はサブマシンガンの斉射がはじまった瞬間と変わらない。さゆりの持っている〈傘〉と同じような、不可視のバリアが銃弾を空中で圧潰させていた。
弾切れを起こしたテロリストのひとりは弾倉をつけ替えようとし、もうひとりはサブマシンガンを投げ捨てて拳銃を取り出そうとした。クレスは手早く弾倉を換装し、遊底を再セットして、より的確な判断をしめしたやつから射ち殺す。間抜けなおかげで寿命が半瞬延びたほうは、サブマシンガンの弾倉をはずしたところで同志たちのあとを追った。
「――カガミ、あなたいったい何者なの……?」
斜めうしろにいたさゆりは、銃口へ向け突き出されたクレスの掌が、淡い翠色に輝いていたのを見た。ものを持ってはいないようだった。安全装置をかけた拳銃をホルスターへ収め、左手を掲げてクレスはなに食わぬ顔で答える。
「これも財閥の新技術さ」
それが本当なのか否か、さゆりには判断できない。ありそうなことだ、とは思うが。そこへ、こちらはまぎれもなく財閥お抱えの研究チームが生み出した存在であるケイが、上階から飛び降りてきた。吹き抜けホールの天井側を占位していたテロリストの司令塔役は、逃げ出したか、ケイによって排除されたのだろう。
周囲の空気もあきらかに変わっていた。市警が突入してきたようで、床に伏せるよう命じる、あるいは救急隊を要請する大声が聞こえてきた。物陰に隠れて息をひそめていた買い物客や通行人、従業員が這い出してくる気配もする。
警官隊はいずれここまでくるだろう。財閥関係者であると証明すれば拘束されたりはしないが、それでも多少わずらわしいことになるのはまぬがれない。銀狼の姿のケイへ、さゆりは声をかけた。