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Phoenix Syndrome  作者: 大島くずは(原作)/仁司方(改変)
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打ち砕かれる平穏


 すこし遅めの昼食をすませた三人は、中心街にそびえる摩天楼群からややはぐれているが、高さはひときわのビルへ向かっていった。テレシナ市とその周辺を一望できる、格好のビュースポットだ。


 このビルは、ほぼ完成したところで経済崩壊に巻き込まれ、まる四年のあいだテレシナでもっとも激しい抗争の舞台となった。なぜかといえば、当時は市内でもっとも高い建物だったからで、マフィアや麻薬カルテル、その他非合法団体がフロアを割拠し、テレシナ支配の象徴として、最上階をめぐって終わりなき戦いが繰り広げられた。

 まさになんとかと煙は高い場所を好むというやつで、そのバカバカしくも凄惨なドラマは、複数のジャーナリストやルポライターが取材してノンフィクションを刊行し、さらにそこから派生してハードボイルドやギャングモノのフィクションが書かれた。治安が落ち着きつつあるいまでは、オール現地ロケで映画化しようという話も進んでいるとか。


 すっかりもともとの名は忘れられ〈戦争の塔トッレ・デ・ラ・グェッラ〉と呼ばれるようになったこのビルは、犯罪組織こそ撤退したが、初期の計画のままのオフィスビルとしては再開発されず、弾痕や爆破された壁、柱が残る内部をめぐるツアーコースや、ちょっと悪趣味な心霊ホーンテッドホテルとして営業している。

 そんな中で、最上階だけは計画時点からの想定どおりに展望台として使われていた。破壊されていた直通エレベータはシャフトごと造り直され、穴だらけだった壁や天井もしっかりと修繕されて、ここだけは〈戦争の塔〉とは別天地の空気だ。じつをいえば、ケイとしては下のほうも嫌いではないのだが。


 展望台は老若男女でにぎわっていたものの、夜景の時間にはまだ早いので混雑しているというほどではなかった。いかにも観光客、お上りさんといった感じの人が多い。


「普段あたしたちが行動している範囲は、ほとんど見えるんですよ。学校はあっちです」


 とさゆりに向けていって、ケイは総ガラス張りの壁面の一方を指さした。沈みゆく太陽が左手に見える。

つまりケイがしめしているのは北のほうで、ここはテレシナのほぼ中心だから、たしかに学校はあちらに見えるはず――そう思いながらさゆりもケイにつづいてガラス壁へ近づいていった。市街の北区画は山の手で、中流階級の市民が多く家を構えている住宅地だ。あまり背の高い建物はない。工場や倉庫もないから、緑地やレンガ色の低層建築が四角形に広がっているのがキャンパスだろう。どこからどこまでがテレシナ大学で、自分たちの通っている付属高校がどのあたりなのかは、ちょっとわからなかったけれど。


 ついでケイは、夕陽がややまぶしい西のほうを向いた。


「お屋敷はこっちです。建物は前庭の森の陰で、ここからは正門しか見えないですけど」

「目がよいのね。わたしには緑の丘にしか見えないわ」

「レンタルの双眼鏡ありますよ。使いますか?」

「そこまでは必要ないわ、ありがとう。……こうしてみると、狭いものね」

テレシナ市(この街)が、ですか?」


 全世界でも二〇番めかそこいらで、この大陸では最大の都市である、という統計上の知識を持っているケイは小首をかしげ、でもお嬢さまが以前住んでいたのは世界で三番めか四番めの大都会だったから、そういうことかなと納得しかけたが、さゆりは首を左右に振った。


「わたしの世界が。これまでも、わたしは決まった、限られた範囲を往復するだけだった。これからも、そうなのかしら」


 さゆりの、観念的というか詩的というか分別しがたい述懐に、ケイがどう応じてよいやら困惑しそうになったところで、やや離れていたはずのクレスがいつの間にかすぐうしろまでやってきていた。


「風の向くまま気の向くまま、そんな人間はごく少数派だ。たいていは、自分の家と仕事場を往復するだけで人生の大半が終わる。べつに人間だけのことじゃなく、動物も手前の縄張りから理由なく離れたりはしない。鳥だって渡りの行き先は決まってるし、魚が回遊する範囲もおおむね一定だ。植物にいたっちゃ根が生えちまえば基本動けない」

「あなたはいろいろな世界を知っていそうね」

「どうだろうな。平均よりは多いと思うが、動きまわること自体を目的にした旅はしないんでね。この大陸にくるのも今回がはじめてだ」

「あちこち行くのはあくまで仕事、というわけ」

「まあそんなとこだ」


 さゆりはクレスと話をしているあいだ眼下の街を眺めたままだったが、外から視線を移すとケイを見て声をかけた。


「ここにはまた今度きましょう。つぎはどこへ行くの?」

「早く帰るだけならここのほぼ真下が摩天楼街ラスカシエロス駅ですけど、テレシナ中央駅まで歩くと、ショッピングモールを抜けていくことになります。帰り道がてら、ウィンドウショッピングをしていくのがあたしの楽しみなんです」

「見るだけ? なにか買い物はしないの?」


 そう訊ねるさゆりに対し、ケイは自分がハンガーであるかのように、着ているワンピースの肩を両手で持ちあげた。


「いま着てるのは、そこのモールにある服屋で買ったものです」

「わたし、自分で着る服を選んだことってないの。買い物、つきあって」

「はい!」


 勢い込んでうなずき、ケイは下界行きのエレベータのほうへとさゆりをいざなう。高いところに登ったついでに、テロ組織の狙撃手がひそむ可能性のある、高さがあって窓がはめ殺しになっていなそうな古いビル、外階段や開放された屋上のある建物を探していたクレスは、脳内の作りかけチェックリストを保留してふたりのあとを追った。


    ****


 先に感づいたのは、ケイだった。


 それぞれが思い思いに歩み、その動きがたがいに打ち消し合って、全体としては一定になるはずの雑踏のリズムに、流れがある。

 もちろん、宵闇の中、家路を急ぐため駅へと向かおうとする人々と、夜の中心街へ繰り出そうとする人々によって生じる、この時間、このショッピングモールでの基本的な流れというものはあるのだが、今日はこれまでと違っていた。周囲の群衆の動きの中にわずかな渦がある。そして、その焦点に、彼女たち三人がいるようなのだ。


「……ねえ」


 顔は正面を向けたままで、ケイはクレスへ声をかける。まわりが騒がしいこともあって、すぐ左うしろにいたさゆりは気づかなかったが、クレスは耳も良いらしくちゃんと聞き取っていた。


 呼びかけられたことでケイの感じた気配と同じものを認め、クレスはさりげなく腕時計型の端末へ目をやった。眉をしかめかけて、とどめる。


「俺はこのへん歩いたことないんだが、電波の入りはよくないのか」

「そんなワケないはずだけど……あたしのも圏外だ」


 ポシェットの口からモバイルを一瞥して、ケイも杞憂ではなかったことを確信した。ふたりの動きでなにかが起きつつあると察し、バッグに手をやりかけたさゆりへ、クレスが低い声をかける。


「そのまま歩きつづけろ」


 口を動かすと同時に、クレスはポケットから細い透明のピンのようなものを取り出し、へし折っていた。一度首をめぐらして周囲を見渡しつつ、先を歩いていた少女ふたりに大股で追いつき、ケイの背中を押す。


「一〇時方向、壁面」


 いわれたほうを見て、クレスの意図を諒解したケイは足を早めて人波に入り込んだ。クレスはそのまま、さゆりの前方をふさぐ。向こうから近寄ってくる人間がいるのだ。


「……あ、あの」

「ひょっとして、あなたって……」


 正面にまわり込みながらさゆりに声をかけようとしてきたのは、一〇代とおぼしき少女ふたり組だった。中肉中背の茶髪の娘と、ややぽっちゃりとした黒髪メガネ。純朴だけどちょっとミーハーです、といった風にいかにも見える。

 ふたりとも、撮影モードになっているらしいモバイルを手にしていた。


「さゆ――」


 口上を終える時間を与えることなく、クレスは腰のひねりで寸打を放ち、左の掌底を茶髪娘のみぞおちへぶち込む。半瞬とおかず伸ばされた右の手刀が、弧を描いてメガネ娘の頸筋へたたきつけられた。


 気を喪ったふたりはあっさりと身を折った。地面へ落ちた自撮り棒(セルフィ・スティック)が、いやに固くて鈍い音をたてる。スタンガンを仕込んだ偽装特殊警棒であることを、クレスは見抜いていた。

 ミーハー少女をよそおって有名人であるさゆりに近づき、記念撮影をねだるとみせかけ襲撃するつもりであったのは明白だ。

 とはいえ傍目には、大の男が少女たちへ理不尽な暴力を振るったようにしか見えない。


 しかしクレスの動きがあまりに迅速はやかったので、周囲の人々が気づく前に、ケイが目的を果たしていた。


 けたたましい音を発して、火災報知機が鳴り響く。突然のサイレンに人々が足をとめ、あたりを見まわしはじめたところで、クレスはさゆりの腕をつかんで走りはじめた。ケイも合流するべく駆け出す。


 即座に行動に移ったのはケイとクレスだけではなかった。作戦の出端をくじかれたテロリストたちも、まぎれていた通行人の中から正体を現わしていた。

 懐から、バッグから拳銃が抜き出され、アタッシュケースの外装がはがれてサブマシンガンに早変わりする。だが、あまりに唐突な展開に、無関係の人々はいまだなにが起きているのか、起きようとしているのか理解できないでいた。


 第一弾を射ったのはクレスだった。走り寄ってきたケイのほうへさゆりを押し放し、ショルダーホルスターから拳銃を抜く。腕を伸ばしながら安全装置を解除する一切の遅滞のない動きで、大型拳銃を両手で構えようとしていたテロリストの眉間を射ち抜いた。


 銃声が響いたことで、事態は一挙にエスカレートした。テロリスト側の反応は闇雲なサブマシンガンの乱射で、気の毒な通行人が幾名か弾を浴びる。悲鳴と絶叫が火災報知機のブザーと銃声すらもしのいで轟き、身の安全を求めて逃げ惑う群衆で、ショッピングモールのコンコースは完全なるパニックに陥った。


 ケイとクレスにとっては利用できる状況である。


「あたし武器持ってない!」


 さすがに普通に話したのでは聞こえないので、ケイはクレスのほうを向いて大声を張った。クレスは予備の銃を取り出し、説明する。


「いつもおまえが持ってるやつより重いが、そのぶん跳ねないから命中あてやすいはずだ。弾は八発、弾倉に七、もう薬室に初弾が入ってる。余分の弾はないぞ」

「おっけー」


 銃を受け取り、安全装置を一度解除し、箇所とやりかたを確認してまた戻す。駅方面へ逃げ出す人々の流れに乗りながら、クレスへ訊ねた。


「電波妨害されてるけど、これだけの騒ぎなら警備部も気づくはずだよね。街のど真ん中だし、市警のほうが先にくるかな」

「通報装置は作動させたから機動課のヘリが五分で飛んでくるだろうが、このへんは降りる場所が屋上くらいしかねえし、このままどうにか逃げ切るほうがいいかもな」

「使える通信機持ってるの?」

「発信機能だけだ。なにかあったな、ってことしか伝わらないんだとよ。ペアリングされた量子もつれがどうとか、まあよくわからんが、妨害は通用しないって話だ」


 先ほどへし折っていたピンが発信器なのだが、ケイはその場面を見ていない。ふたたびサブマシンガンの乾いた発射音が連続し、悲鳴があがって人波が乱れる。テロリストたちが標的であるさゆりを見失っているのはあきらかだった。明後日の方向で銃声と怒号が響き、サメに突入されたイワシの群れのように人の流れが割れ、急転回する。倒れたり足を射たれた人に後続が蹴つまずき、ドミノ現象が起きているところもある。もう大混乱だ。


 ケイとクレスに挟まれて走っていたさゆりが、いきなり立ちどまった。


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