ケイの「家族」
ケイはB研のラボで定期検査を受けていた。採血し、血圧、心拍を計り、ペンライトで瞳孔を照らされたり、ヘッドホンをして音が聞こえたらボタンを押す――人間の受ける検診と内容に違いはない。ケイは身体的にはほぼ人間なので、当然なのだが。免疫系が強化されているので風邪ひとつひいた例しもないが、もし病気になったら人間と同じ治療を受けることになるだろう。
アムウェルが手にしたスマートシートに検査結果を呼び出して、ざっと目をとおしながら口を開いた。
「今回も所見なしか。このまま実用化できるんじゃないのってくらいだけど、わたしのデータをそのままフランツじーさんのと置き換えて、ほんとに不具合が発生しないのかっていえばちょっと疑問よね」
「フランツ老人のコピーを作るなら、変身機能とか余分だしね。本人が『ピチピチの一八歳になりたい』とかいい出したら手間も増えるし」
と、ブロウズが応じる。試作第一号である上に実験要素を山ほど盛り込んだケイがまったく問題なく機能してしまっていることは、B研にとってある種の悩みの種であった。うまくいっている理由がわからない、というのは、失敗したときにエラーを洗い出すのが難しいということをも意味している。
素体が男性であったら、狼ではなく馬に変身するようにしたら、あるいは変身機能をオミットしたら、どうなるか保証の限りではない。
「マスター・アムウェル、あたしを作るときにご自分をベースにしたのはなぜなんですか?」
検査衣姿のケイがそういったので、アムウェルとブロウズはちらと横目を交わした。これまで彼女がこのような質問をしてきたことはなかった。己の出自に関心をしめすというのは、新しい兆候だ。
もちろん理由はいくつかある。訊かれなかったから教えてこなかっただけで、隠していたわけではない。
「そうね、第一には、わたし自身のDNAコードが完全に解析済で、材料として使いやすかったから。第二に、財閥はマスコミもほとんど全部意のままにできるけど、まだ独立系や、公営のメディアは存在してるし、研究内容が漏れると倫理がどーのこーのとうるさく騒ぎたてられる可能性が残ってるから、無関係の人間の準クローンを作るよりは、自分を実験素材にしたほうがまだイイワケしやすいということ。第三に、この技術にわたしたちは自信を持っていたけど、実際に作ってみたら思わぬ不具合が出てくる可能性は否定できなかった。やっぱりこれも倫理的問題ってやつなんだけど、生まれてすぐに死んでしまったとか、回復不能な障害が出てしまったというときに、他人がベースだと、まあ、気まずいわよね。実験台には、自分自身がなるか、わが子になってもらうのが消去法で残る選択肢になりがちってこと」
スマートシートからあげた眼を愛娘のほうへ向けて、アムウェルは答えた。ケイはとくに深刻そうな表情にも声色にもなることなく、質問をつづける。
「財閥から依頼されているのは不老不死の実現ですが、それとあたしが変身するのに関係ってあるんですか?」
「人体って構造的にはさほど強靭なものじゃないから。あなたが変身と人型形態への復帰を経ても記憶と個体意識を継続できているというのは、今回のプロジェクトの大きな収穫のひとつよ。――といっても、わたしの一五歳のころの複製を作るって話になったとき、いかがわしい使い道を考える向きがごく一部にあったから、そういう輩に変な気起こさせないように仕込んだってのが実際のトコよ、ぶっちゃけると」
アムウェルがそういうと、ブロウズが肩をすくめた。
「それで実際最初に食い殺されかかったのは僕だったけどね。採血検査でちょっと針刺しただけだったのに……」
「ちゃんと注意したじゃないの。意志で制御できるようになるまではちょっとした傷でも変身するから、抑制剤投与してからにしなさいって」
今度の会話はとんでもないものだったが、ケイにとってはいつものことなので「普通」でないと気づいたりはしなかった。
「じゃあ、あたしはべつにさゆりお嬢さまのお付になる予定はなかったんですか」
「三年前の時点ではね。でも当初から、あなたはそういう仕事もできるように作られてた。最近学校に行ってるんですって?」
アムウェルはそれとなく、ケイの新しい「興味」について話題を誘導する。人間としてゼロから成長してきたわけではないケイの精神・情動の面に気を配るのは、制作者として、親として当然の責任であり、同時に貴重な研究サンプルだ。
「はい」
「どう、楽しい?」
「授業は退屈です、簡単すぎて。楽しめる余地はあると思いますが、さゆりお嬢さまがあまり周囲とかかわろうとなさらないので……。無理もないことですが」
「ご学友全滅なんて目に遭ってから、まだ半年だものね。なにかあったらまた巻き込んでしまうと思えば、なかなかまわりとの距離は詰めにくいか」
さゆりと直に接点のないアムウェルはとおりいっぺんの一般論を述べたが、ケイにとってのお嬢さまはもはや「出資者の孫娘」ではない。気遣わしげな貌で、訊ねる。
「あたしに、なにかできることってないでしょうか?」
「ことさらに構えず、気楽にやってればいいわよ。特別でない人間だって、新しい環境に慣れるまで半年かかるのはめずらしくない。お嬢さまはここ最近、以前の失語症じみた状態からだいぶ改善してきてるそうじゃないの。それはあなたのおかげよ、ケイ。なにか学校で気になったら、お嬢さまに訊いてみればいいし、向こうからあなたに話しかけてくる人がいたら、お嬢さまも加われる範囲で相手をすればいい。べつにお嬢さまに強引に話を振る必要はなくて、声が聞こえて混ざってこられる位置で話してればいいのよ」
「普通にしていれば、それでいいということですか……?」
「さゆりお嬢さまに必要なのは、普通の毎日、そうじゃない? 意識して、普段どおり、普段どおり……なんてやってたら、逆にいつまでたっても普通の状態に戻れない。あせる必要はないわ」
アムウェルのアドバイスはさして斬新ではなかったものの、ケイの表情はパッと明るくなった。言葉を覚えたり歩く訓練をしたりする手間は省けているといっても、やはりケイには人生経験が三年しかない。年長者との会話はそれ自体が重要な学習プログラムだ。
「気にせず普段どおり、ですね。わかりました。それでは、任務に戻ります。マスター・アムウェル、マスター・ブロウズ、また今度」
ケイはかろやかな足どりでラボから退出していった。その背中を見送って、アムウェルとブロウズは試験体としての彼女について意見を述べ合う。
「さゆりお嬢さまの侍女をするようになってから、変化が加速度的になってきてるわね」
「やっぱり同年輩の人間と交流があるからなのかな」
「幼児期や青年期、壮年以降のサンプルも作って試してみないとたしかなことはいえないけど。でもまあ、身体の状態が精神を規定するのはあたりまえっちゃあたりまえ」
科学者であるアムウェルの主義は当然のように一元論であり、精神が脳の化学的・電気的パルスで生み出されている以上、ケイが三歳ではなく、一五歳であるのは不思議なことではなかった。もし老人のバイオロイドを作ったら、たとえ生まれたてであろうと、その精神は良くも悪くも若さを欠いているはずだ。もちろん、理論上は外見の年齢と脳の年齢を一致させずとも人造人間は作れるが。
姉の見解を受けて、ブロウズは腕を組んだ。
「フランツ老人を一八歳にしたら、かつての野心がよみがえるかもしれないってことか」
「いまの時代にもう一回あんなことしたら、確実に潰されるわ。財閥の未来のためには、総裁は老練で保守的な判断力を持っておくべきってトコでしょうね」
一代にして超国家企業群を築いたフランツだが、その強引かつ脱法的な手段は現在でも通じるわけではない。当時の国際情勢と、若きホテル王フランツの極端な上昇志向と怖れを知らぬ不遜なまでの精神が噛み合った結果だ。
いまのフランツが、なおも足るを知らぬ貪欲さをしめそうとするなら、待っている答えは「排除」となろう。合法的にか、超法規的にかはともかく、支配者のフランツは取りのぞかれ、財閥は解体されてそれぞれの企業は個別に存続させられる。そして、一般社会には表面上なんの影響もおよばない。
永遠の生命が研究テーマであるロゼット姉弟にとって、資金の出どころはフランツの私的欲求といって差し支えなかった。なので、総裁がどうするつもりでいるのか、にはそれなりの関心がある。
だがスポンサーであるという以上の親近感や忠誠心があるわけでもないので、ブロウズの口調は真剣味を欠いていた。
「でも、老人のままでいいなら、最初から不老不死なんて求めないんじゃないの?」
「そのへんの選択はフランツじーさんしだいよ。わたしたちは求められた仕様を満たす技術を開発すればいい。ま、わたしだったら肉体のほかの部分はともかく頭脳を一〇代にしようとは思わないわね。まだまだ自分のピークがきたとは感じないわ。年を重ねるごとに伸びてる」
「総合的な人間のピークってのが何歳くらいなのかってのはともかく、すべての能力が同時に頂点に達して落ちていくってワケじゃないもんね。たとえば免疫力なんかは一〇代のころが一番数値的には高いし、筋力や骨量だったら二〇代の前半まで成長するけど、反射はもう最盛期を過ぎちゃってる。でも身体を制御する脳と神経の連動は三〇代以降も向上するらしいよ。だから反射勝負なら若いほうが強いし、身体能力勝負なら二〇代、技術の要素や駆け引きがあると、歳いっても身体の衰えを経験でカバーしていける」
くどくどとした長口舌ながら基本的には姉に賛同していたブロウズだったが、アムウェルのほうはしょうもないことをいう。
「一〇代前半で頂点といえば、ペニスの勃ちとかか。フランツじーさんの望みも、あんがい安直にシモの若返りだったりするのかな」
「……よくそういう科白を平然と口にできるよね」
中身はアラサーとはいえ見た目は一八歳の乙女なのだから、すこしは慎ましく発言するべきじゃないのかとブロウズは半眼になったが、羞恥を感じる能力が衰えたというべきか、タブーを恐れない精神の強さが伸びてきたというべきか、アムウェルのほうはぜんぜん気にする様子がない。
「マイブラザーよ、きみも遠慮することはないぞ? もはや全盛期の威力はないだろう? 研究して道を拓いてもいいんだよ」
「僕はそういうことのために研究してるワケじゃないし」
そっけなく返ってきた弟の言に、生まれもっての自らの美をさらに磨くために研究し、その成果で実益もあげている姉は意外そうな顔になる。
「え、やらない? 確実にお金になるのに」
「収益目的なら、姉さんが自分でやればいいじゃん」
「いやあ、男性回春の研究をわたしが自分でやるとか、どんだけ飢えてるんだこの淫乱、とかあさましいモノを見るような目がこっちに向けられそうで……」
「それいったらさ、僕がやったら、その歳でもう不能なのか、って、可哀想なモノを見る目に囲まれるよ」
「うーん。回春以外で収益鉄板なアンチエイジングといえば毛髪復活だけど、きみがやったら、若いのにヅラだったのかって目で見られるかなあ」
研究漬けの毛根にやさしくない日々を送っている自覚はあったので、ブロウズは頭をさすりながら応じる。
「……やめてよ、ちょっと気になってるんだから。ところで、急にお金の話なんか、どうしたのさ。独自の資金源を確保しなきゃならない事態にでもなりそうなの?」
「いやべつに。ただま、あらゆる可能性にそなえておくに及くはないかなと」
どうやらただの「女の勘」らしいが、姉の予感はよくあたると経験上承知しているブロウズは副産物を望めそうな派生研究について考えてみることにした。いわれてみれば、歩くアンチエイジングの技術カタログと化しているアムウェルに較べると、ブロウズは自身の美容や健康にずっと無頓着だった。
もっとも、ブロウズは「死ぬまで健康」ならそれでいいんじゃないかと思っているが、スポンサーのフランツが要求しているのは「残りの人生二〇年間QOLを保証します」というようなレベルの話ではない。たとえ「不健全」であろうとも不滅であることを望んでいるのだ。ほかに手だてがなければ、機械に意識を転写して、財閥の中枢コンピュータとして存在しつづける途でもフランツは受け入れるのだろう。実際にそういう方面の模索をしている研究ユニットも、当然ながらあるはずだ。
「どんな手段を使ってでも、自我を保ってこの世に存在しつづけたい、って、姉さんは思うことある?」
そう訊ねてみたところ、
「若さと美しさが伴ってないなら意味ないわね。永遠の若さがあって美貌を磨きあげていけるなら、飽きるまでは生きててもいいかもしれないけど、でもこのまま研究つづけてれば達成できそうよね、それって」
と、姉からはらしい答えが返ってきた。