フランツの野望
フランツ・ジェイド=レンドールは、生まれながらの帝王ではなかった。
レンドール家は代々旅籠を営んでおり、フランツの祖父が、もと伯爵の邸宅を買い取って改装してからは、雰囲気のある高級ホテルとして知られるようになっていた。大学入学を控えていたフランツに予定より一〇年以上早く支配人のお鉢がまわってきたのは、彼の父を含む乗員乗客四百数十人とともに、その搭乗機が忽然と消息を絶ったためであった。
当時世界をふたつに割っていた二大超大国の勢力が重なり合う空域を飛行している最中のできごとであり、どちらかの軍に敵機と誤認されたか、あるいは偶発戦闘に巻き込まれたのではないかと推測されているが、半世紀以上を経た現在も真相はあきらかでない。
それまでの歴代支配人と異なり、フランツは家業について学んでいなかった。レンドール家の跡取りは少年のころからホテルマンとしての修行を積むのが習わしであったが、フランツの父は息子が近代的な経営者となってくれることを望み、下働きを免除して勉学に集中させていた。フランツは父の期待に応え、一七歳にして世界最高と目されるビジネススクールの入学資格を得たところだったのだ。
不慮の事態で父を失ったフランツは、隠居していたが健在の祖父に復帰を要請し、ホテル・レンドールを任せて大学へ進む選択肢もあったが、自ら支配人となる途を選んだ。現場には立たず、経営の効率化と拡大を推し進め、世界各地にセレブリティから支持される逗留・保養のネットワークを築いていった。既存の超一流ホテルがあればそれを買収し、一流、あるいは一流半しか存在しない地であれば、買収して改修するか新設によって超一流ホテルを誕生させた。
だが、フランツにとってホテルチェーンの経営など、手段のひとつにすぎなかった。
フランツがきちんとホテルマンとして教育されていれば、その発想はされえなかったであろう。権力、財力、あるいはその両方を持つ、企業家、指導的地位にある政治家、王族などが定宿にしているホテル経営者としての立場を利用し、フランツは彼らの私的、公的な会話や通信を傍受し、機密情報を盗み、蓄えるようになったのである。情報はときに売られ、あるいはフランツが自ら利用した。
フランツの代になる前からホテル・レンドールはすでに五つ星の地位を確固たるものにしていたが、一〇年足らずで全世界展開を果たしたのはさすがに早すぎる。おそらくは、フランツが支配人となって二年めに開催された先進国サミットの会場に、ホテル・レンドールが選ばれたさい、ひそかに輪光王国情報機関と協力して諜報活動の便を図り、多額の報酬と情報収集のノウハウを得たのであろう。
もちろん、フランツにせよ、彼と協力して機密を盗んだ国家情報部にせよ、入手したネタを直接利用するほど短絡的ではなかった。そんなことをすれば、どこで秘密が漏れたか早晩解明されてしまう。
たとえば、A国が新型ミサイルを、敵対国Bに隣接する衛星国Cに配備する計画を持っていると判明したならば、C国へ直接攻撃を行うのではなく、B国とC国の国境地帯に迎撃ミサイルや警戒レーダーを準備しておくのだ。その上で、A国とC国の関係を悪化させる工作、あるいはC国をB国の陣営に取り込む工作、場合によってはB国も友好国D国に働きかけて新兵器の配備計画を立案するなど、A国の新型ミサイルがきっかけではないと思わせる間接的な対向措置を講じていくことで、なにを本当に知っているのかをぼやかすのである。
フランツの立場であれば、二大勢力間の緊張が高まることがわかれば、変動しがちな証券や債券を手放して貴金属などの換金性の高い現物、あるいは石油などの軍需物資を蓄え、紛争リスクが去って経済が活性化することがわかれば、成長の見込める新興国の国債を買い、平時に伸びる娯楽、観光、大衆市場関連の株や社債を買えばよい。かつて旭東皇国の豪商は首府の大火災を知るなり船をかき集め、再建需要を見込んで大量の材木を積み即座に出航させたというが、フランツはいつどこで火事が起こるかあらかじめ知っているようなものであった。
ホテル・レンドールが中核事業からはずれ、系列のささやかな小遣い稼ぎにすぎない存在となるころには、フランツは情報を任意に作り出すことすらできるようになった。その情報が現実に即しているかどうかは関係ない。現実のほうが、作り出された情報に踊らされ、誘導されるようになるのだ。
フランツは銅鉱山を新開発するのと並行して既存の世界最大の鉱山が位置する国に政情不安を惹き起こし、その操業と産出物の流通を停滞させ、自らの銅鉱のシェアが充分に高まったところで情勢を安定化させた。しかる上でかつてのトップシェアの鉱山をも保有会社ごと吸収し、ほぼ以前の二倍の埋蔵量と産出量をあまさず我がものとしたのであった。
鉄鉱、石炭、石油、錫、金、銀、パラジウム、ウラン、その他諸々……フランツは銅鉱に対して使ったのと似たような手段で多くの地下資源を支配し、工業製品分野でも、買収と豊富な資金を駆使しての新規参入でシェアを高めていった。出発点がホテルチェーンであったため、サービス産業界への蚕食は一次産業に手を出すのに先んじて行われていた。
F財閥――いつしかフランツの率いる複合企業群はそう呼ばれるようになっていた。豆、キャベツから、ダム、宇宙ステーションまでありとあらゆるモノを作って売り、街のホールでのコンサートから、革命、戦争まで、ありとあらゆるイベントをプロデュースし、ビルの清掃人から、傭兵、パイロットまで、ありとあらゆる人材を派遣する。財閥、といわれはするが、現在フランツが経営しているのは、総合セキュリティと情報サービスを提供する一社のみだ。
いわゆる『警備部』がそれにあたり、もはや内部の人間からすら本来の社名で呼ばれることはない。その他の傘下企業はいくつかのグループにわかれており、グループを束ねる持ち株会社の株をさらに上位の持ち株会社が持っているという多重構造で、最終的にフランツが数社の株を保有することで間接的に支配がおよんでいる。
いくどか戦争を起こし、そして停め、充分な力が己に具わったと判断したフランツは、世界を二分していた秩序へ挑戦した。自らがつぎなる秩序を築こうというわけではない。片方の陣営に肩入れし、二極状態を終わらせようというのである。そして、成功した。
いま、世界はフランツの思うとおりに動いたりはしていない。ふたつに割られていた世界が統一されはしなかったし、もちろんそれはフランツの目的でもなく、そんなことを期待してもいなかった。
均衡を崩された世界は、片方の皿から重りを取り去られた天秤のようにはならず、一番上に不格好な重りが乗ったブロック崩し―ジェンガとダルマ落としの間の子のような混沌たる状況になっている。
すべては意図していたこと、想定どおり、というのは、いかにフランツといえど強がりになるだろう。この一〇年間ほど、レンドール家を標的とするテロ攻撃がつづいているのは、かつてフランツがなにをしたのか、知っているものの存在を示唆していた。崩壊させられたかつての二大超勢力の片翼、その情報機関の流れを汲む人間が、テロ組織、あるいはその協力者にいるのかもしれない。
しかし、フランツに立ちどまるつもりはなかった。その目的は、世界の支配ではない。あくまでも制御であり、管理である。
フランツには己が事業を完遂させる自信があった。問題がひとつあるとすれば、時間だ――