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「メグムー!それ終わらせたらこっちもお願ーい!」
「はいはーい!」
手の中でジャガイモを素早く転がすと、ナイフを当てたところから皮が一本のヒモになって落ちた。
我ながら目にも留まらぬ速さである。しかしいかんせん数が多い。
私の今現在の敵は大量のジャガイモである。
忙しい王宮の中でも特に厨房は目が回るほどで、即戦力だった私は一昨日入ったにもかかわらず重宝されているように思う。日本で料理の練習をしていてよかった。
厨房は常に誰かの大声と調理器具のかちゃかちゃという音が響いている。せわしない雰囲気が逆に心地良い。やりがいがあるし、私は案外この仕事が向いている。
ただ1つ―――アルに会えない。
当たり前だ。こうして少年に姿を変えて入る前からわかっていた。厨房の下働きがどうやったら王子に会えるというのか。
3日前バーニスの変身魔法で16歳の少年になった私は、次の日には王宮で働き始めていた。さすがカーサー公爵家。王宮の忙しさも手伝った。
名前はメグムと名乗った。平民なのでただのメグムだ。
昔から私の名前をえみじゃなくてめぐみと読む人が一定数いたので、めぐみと言われても自分が呼ばれている気になる。呼ばれても自分のことと気づかなかったら困るので、それを利用してメグムとしてみた。
少し高くなった目線も短い髪も、何もない骨ばった胸も、一向に慣れない。
それには理由がある。
あのときバーニスは私に変身の魔術をかけたあと、男の子の服を着せ、大層楽しそうに笑った。
『完璧ですわ!どこからどうみても普通の男の子です!』
『見破られたりしない?』
『わたくし変身魔法ならこの国で一番と自負しておりますのよ。疑われて解除魔法を使われたらさすがに解けてしまいますが』
『そっかあ、なら大丈夫かな』
『でもお気をつけて。毎晩0時から2時間は元の姿に戻るようにしてありますから』
『いや何で!?』
『貴方がずっと前にして下さってた『シンデレラ』というお話、結構好きだったので。それに、プリンセスのように幸せになれそうでいいと思いませんこと?』
『身から出た錆!』
『あら。アリスター様に一週間以内に貴方だと気付いてもらえなかったら一生その姿のままになるようにしてもよろしくてよ』
『ひい!『人魚姫』だけはやめてください!』
0時になるといつもの私に戻る。全く、自分の姿に違和感を感じる日が来るとは思わなかった。
大量のジャガイモを全てむきおえてため息をついた。なんとかアルに会いたい。
でも、会っても私だと明かすことは出来ないのだ。
これもバーニスが言っていたことなのだが、王宮はどこでも陛下の目があると思った方がいいらしい。エミとして接触は出来ない。
できることならメグムとして、アルのおつきにでもなれたら一番いいんだけど。
そんなことを考え手を動かしている間にお昼時の一番のピークが過ぎた。指示が飛んでこなくなり、代わりに雑談が持ちかけられる。
「エミ様はどこにいっちゃったんだろうねえ」
なんとまさかの私の話である。
何を返すか迷った私の返事は待たず、気の良い厨房の皆さんの話は進んでいく。
「アリスター殿下とは本当に一番の友達だったのに」
「やっぱり喧嘩でもしちゃったんじゃねえか」
「まさか!あのお二人が喧嘩なんかするもんか。誰も見たことないよそんなの」
「…そんなに、仲良しだったんですか?」
私とアルがどんな風に見えていたか人から聞くのは面白い。もっと聞いてみたくて言ってみた。
「メグムはお二人が一緒にいるところを見たことがなかったね。そりゃもう、何をするにも一緒だったよ。…ここで働いて長いけどさ、アリスター様はいつお見かけしても怖い顔なさって、正直よくわからないお人だと思ったものだよ」
「それがどうだよ、今じゃ俺らと変わらない、普通のお人だってわかったな」
「普通の人じゃ語弊があるけどさ。ああそうだ、あのとき。エミ様がアリスター様を連れていたずらを仕掛けて回ったことがあったんだ。私たちが手荒れに使ってる安物の油が、高級ハンドクリームに変わっているのに気づいた時と言ったら!」
「あれは最高だったよねえ!」
豪快に笑う皆さん。うん、そういえばそんなことした。
「お二人は最高のコンビだったよ。絶対喧嘩なんてしないし、まあエミ様もきっとふらっと帰ってくるさね」
そうして話は終わった。
なんだかあったかい気持ちになって、きっといつかアルと結ばれた日には、再びハンドクリームの差し入れをしようと心に決めた。
けど1つ言いたい。私は人並みに怒るしアルと喧嘩しそうになることもあるんだけど、あっちが絶対に私に怒らないから喧嘩にならないだけです。美しいお話じゃなくて申し訳ない。
一日お仕事が終わると、王宮で働く者の多くは寮に帰る。私も今は寮に住んでいる。だけど日課があるのですぐには帰らない。
厨房を出ててくてくと向かうのはアリスターとよく待ち合わせをしていた場所。いつも一緒とは言え私たちは男と女、王子と異世界人。一緒にいられない時間もたしかにあったから、待ち合わせをするならお互いの部屋かその場所だった。
それは庭の一際大きな木の裏側。
当たり前だが待ち合わせなどしていない。それでもこの3日間、そこに行くのが習慣だった。
慣れた調子で近づいて、思わず頰が緩んだ。
既に薄暗くなってきた空。さらに木の影に隠れるようにして、銀色が幹に身を預けているのが見えたのだ。
ああ、今日はいる気がしたんだよね。
私がどうしてもあなたに会いたい日は、きっとあなたも私に会いたいのだ。
振り返った彼は感情が一切表情に出ないけど。それでもわかる。それは「誰だこいつは」の顔ですね。って、表情を見なくても当たり前か。