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私にはこの行き詰まった状況を変える策が何もないが、今王宮に行ってもどうにもならないことくらいはわかる。
人に見つからないように奥の路地へと歩きながら考えを巡らせていると、胸元がなにやら温かくなった。
服の中から取り出したのは小さな水色のクリスタルがついたネックレスだ。
魔力を通すと登録した相手と遠くにいても話をすることができる。この世界の携帯電話だ。私には魔力がないので受信専用。
私の登録人数は一人だから相手はわかっている。アルではない。アルが遠くにいる場合を想定したことがなかった。
クリスタルを口元に持っていって応答する。
「もしもーし」
「『モシモシ』。意外と元気そうですのね」
「ううん、一晩で指名手配犯になっててびっくりだよ」
「仕方ありませんから匿って差し上げます」
「え、バーニスのおうち!?わーい、ありがとう!」
「別にあなたのことが心配なわけではありませんのよ!」
「うんうん、わかってるよ」
上ずった声で通信を切った彼女は、御察しの通りツンデレ属性だ。
準備のいいことで、切られてすぐ目の前に馬車が止まった。クリスタルのおかげで居場所は筒抜けなのだ。
一体いくらするんだと言う感じの豪奢な馬車。不思議な文様は公爵家の家紋だと教えてもらったことがある。
馬を預けて乗り込むと中に彼女本人がいた。
艶やかな茶色い髪が美しいバーニスはカーサー公爵家の娘であり、この世界で唯一の私の女友達だ。
「申し訳ないですけれど、うちに来てもらうのは不可能ですわ。貴方がわたくしの手を借りると予想する人間はいるでしょうから」
「あったしかに!」
「これでしばらく王都を回ります。わたくしがこの馬車に乗っているのは知られていないはずですから、ささ、安心してこれまでのことを洗いざらいお話しになって」
バーニスはそう言って大輪の花のごとく微笑む。
彼女に会うといつもただただ『すごいな』という感想が出てくる。アルにくっついていると王宮でたくさんの人に会う機会があるけど、バーニスはその中でも飛び抜けて気品がある。今日の水色のドレスもため息が出るほど似合っていると思った。
高圧的に見えてただの友人想いである彼女との出会いは今から半年ほど前のこと。
まずはバーニスが王宮の庭にある木から降りられなくて困っているのを見つけたところから――――
「やめなさい」
「…えっ」
「今わたくしとの出会いを回想しようとしていらっしゃったでしょう。あのときのことは記憶から消去するよう申し上げたはずです。やめなさい」
何故わかるのか。人の精神に干渉しないでほしい。
字面を見ると言葉がキツいが、実際には顔を真っ赤にしているので何も怖くない。
あのときのことは公爵家の娘としてなかったことにしたい過去だそうなので、彼女の面目のためにも回想は控えよう。
私は気を取り直してバーニスに今までのことを話した。
アルが恋人になろうと言ってくれたところから、アルが陛下にそれを話したあと記憶喪失になって、アルと共に王宮を出て、精霊に会い、アルだけを王宮に飛ばしたところまで。
一通り聞いたバーニスの第一声は、
「親友とか言い張っていらっしゃったけど、いつくっつくかと思っておりましたわよ、こっちは。」
だった。恥ずかしくて言葉が出てこない。
バーニスは「なるほど」と続けた。
「あの堅物な第一王子が勅命なんて随分荒ぶっていると思いました、そんなことがあったのね」
「でも、今私が王宮に行ってもしょうがないよ」
「そうですわね…取り敢えずアリスター殿下が記憶を取り戻さないことにはどうにもなりませんわね。あの方なら政略結婚なんてせずとも万事やってのけそうだとは思いますけれど、使えるものは何でも使いたい陛下のお気持ちもわかりますもの」
「そうなの。陛下に知られずにアルに近づく方法ない?」
「ありますわ」
「えっ!」
バーニスは何かを取り出した。何だろうと見てみて頰が引きつった。洋服小物合わせて数点、全て男物である。
「わたくしの得意分野ですの」
妖艶に笑った友人。彼女は公爵家の名に相応しい魔術の才能の持ち主で、特に秀でるのは変身の魔術。
まだ幼かった頃、ヤイナに変身の魔術を教えたのは彼女だ。
***
第一王子から勅命が出た翌日、王宮は未曾有の忙しさに見舞われていた。
理由は3つ。
1つ目、勅命を受けて姿を消した異世界人について国民から多く情報が寄せられていること。
対応と調査にかなりの人員が割かれている。
2つ目、第一王子が近頃滞り気味だった政務を纏めて片付け始めたこと。
その仕事ぶりは眼を見張るものがあり、資料を喰らっているのではと言われるほどだった。
サポートのため引き抜かれた文官たちは、要求される仕事の速さと質の高さにひいひい言うばかりだった。
3つ目、これが一番大きいのだが、特に信頼されている家臣たちに昨日国王が直々に呼び出しをかけ、臨時の会議の開催が宣言されたこと。
5日後に行われる運びとなった会議の準備と到着した一行へのもてなしとが同時進行かつ急ピッチで進められ、王宮はてんやわんやである。
まさに猫の手も借りたい状態。
貴族の子弟や、その推薦を受けた者たちが急遽手伝いに駆り出されたくらいだった。
その中にその少年はいた。
仕事は厨房の下働き。以前王宮で働いていた女性の後任だった。その女性はカーサー公爵家の紹介で働いていたのだが、先日寿退職しており、王宮がそんなに忙しいのならと取り急ぎ後釜に据えられた。
難なく王宮に入ることに成功した小柄な少年。
自らの茶色の巻き毛を物珍しそうに弄んで、「バーニスってば」と小さく呟いた。