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 さらに数名の人間が後から到着し、国王陛下による『王子の記憶喪失についての説明会』が開かれた。


「今日はアリスターと話をする約束だったんだけど、来ないから不思議に思って探しに行ったんだ。そしたら途中の廊下で倒れていた。怪我は無さそうで安心していたのに目覚めたらこれだ。周りの人間どころか自分の名前も覚えていなかった。」


 国王陛下はいつも和やかな方だが、今回はかなり気落ちしているようだ。よくしてくれる人なので見ていて胸が痛い。

 隣のアリスターはといえば、自分の話なのに堂々としすぎているように思う。記憶喪失の人って普通もっと不安そうにしてるものじゃないの?


 もうちょっとしおらしくしていろと目で訴えた。彼は首をゆるく振り、拒絶の意向だ。なら仕方ない。…いいや待て、なんで正しく伝わってるんだ。やっぱり記憶あるんじゃないのか。


「医者にも魔術師にも見せたが原因は不明だ。病気ならまだいい。隣国の刺客の仕業という可能性がある…この国はアリスター以外に世継ぎがいないからね」


 王妃様もさめざめ泣き始めてしまった。隣の親友甲斐のない男を仰ぎ見る。どこ吹く風だ。私をまじまじと見つめ返している。

 そういえば落ちてきたばかりの頃は彼の心の機微を掴みとれなくて不思議な思いをしたことも多かったっけ。本当に手に取るようにわかるようになったのは山から帰ってきた後だっただろうか。


「サフィーナ、泣かないでくれ…。とりあえずはこのまま様子を見る。幸い普段から何を考えているかわからん息子だったから、他人の目はある程度ごまかせる。頭が回るのは変わらないようだし。従者を一人つけるから、少しでも何か思い出せるように王宮を回って――――エミ、アリスター、見つめ合うのは後にしてくれると助かるんだけど」


 しまった。ガンを付けていたのを国王陛下に見られたようだ。私の凶悪な視線に全く怯まなかったアリスターが声をあげた。


「陛下。王宮の案内なら彼女に頼みたい。俺の友人だというのを確かめる」

「だめだ」


 陛下はきっぱりと言った。


「何故だ」

「アリスター。だめなものはだめだ」


 有無を言わせない口調。アリスターは腑に落ちない様子だ。


 陛下をじっと見つめた。目が合えばいつも微笑んでくれた人の顔には、隠しきれない心労。私の視線に気づいているだろうに目が合わない。代わりに口が「すまない」という形になったのを見た。


 やっぱりか。


 アリスターの記憶が無くなったとなると、おそらく私はもう王宮にいられないのだ。



***



 一通りの説明が終わってみんなが解散した後、近くの廊下をぐるっと一周して元の部屋に戻ってきた。陛下がそれを望んでいるんじゃないかと思ったのだ。

 案の定陛下だけがまだそこにいた。先程と同じ、俯いた姿勢のまま少しも動かない。向かいに腰掛けてもこちらに視線の一つもやらない。


「本当にすまない」


 陛下は今度は口に出した。


「私は許されないことをした」

「やっぱりあなたでしたか」


 陛下はガバッと顔を上げ、やっと私を見た。そして呆然と「わかっていたのか」と呟いた。


 そんな気はしていたというだけだ。ここは王宮。この国で最も警備体制が厳重な場所だ。王子に記憶を奪うような大掛かりな魔法をかけた上なんの騒ぎも起こさず脱出するなど、土台無理な話。



 アリスターから記憶を奪ったのは、他ならぬ陛下なのだ。



「昔から使われてきた手だ…。想い人や恋人がいるために政略結婚を嫌がる王族に。苦しみから逃れるため、自分に術をかけてほしいと自ら言いだす者すらいた」


 口を挟まず、黙って聞いた。


「その方が良いと思ったんだ。あの魔術は大事な人間を記憶から存在ごと消す。最初こそ漠然とした喪失感を感じることもあるが、すぐに気にならなくなる。――私もそうだった。そしてサフィーナと結婚した。今でも誰のことを忘れたのかさえわからない。結果今幸せなんだから、アリスターも、その方がいいと。なのに……途中で激しく後悔したんだ。魔術師にね、言われたんだよ。『奪いきれない』って」


 何が言いたいのかわかって、胸がズキンと痛んだ。目元に力を入れて視界が滲むのをこらえる。


「君に関する記憶はアリスターの中で大きすぎ、深すぎた。魔術師は魔術の出力を上げた。私はそのときやっと『やめろ』と叫んだが、遅すぎたよ。アリスターから強引に君を全て奪った時、アリスター自身も全て無くなっていた。

――――君はまさしく、アリスターの『全て』だったんだ」


 陛下は一つ勘違いをしている。私たちは本当にただの大親友だった。『昨日までは』。


「だけど私はやり終えてしまった。アリスターから君を奪い終えてしまった。一度やったことを貫き通すのもまた、一つの責任であり償いだ。酷い話であるのを承知で君に頼む」


 懺悔を終え顔を上げたその人はいつもの『アリスターの優しいお父さん』ではない。この国の未来をその肩に負う男だ。


「アリスターの前から姿をくらませてくれないか」

「はい、わかりました」


 何を言われるかはわかっていた。だから用意していた答えを言った。

 陛下は自分で言ったくせに、私よりよっぽど辛そうに顔を歪めるのだからずるい。この人を恨めなくなってしまうではないか。


「君のことは娘のように思っていた」


 陛下は震える声で言った。


 廊下で会えば必ず声をかけてくれた。いたずらをしても煙たがらないどころか、まるで自分の子供のように叱ってくれたのが嬉しかった。


 私も、あなたを2人目の父親のように思っていた。この人もまた、この世界に私の居場所を作ってくれた一人なのだ。


 だけどやっぱり。

 意趣返しに口を開いた。


「陛下、一つだけ言わせてください。違うんです。私たち、本当にただの親友だったんです。今日、記憶を消される前アリスターがあなたに、『私と婚約したい』と伝えた時は、まだ」


 『昨日まで私と彼は親友だった』。嘘じゃない。本当のことだ。

 ただ、意味が2つある。


「アリスターってば、昨日、言ったんです。親友じゃなくて恋人になろう、って。夫婦にもなって、これからもずっと二人で生きていこうって。明日父さんの許可を取ったら、ちゃんと好きだと伝えるから。そのときは親友から恋人になってほしい、って。頑張ってねって言ったら、ああ、待ってろ、って。」


 昨日までは親友だった。それは最初、今日から恋人になるという意味だった。だけど蓋を開けてみれば、私たちは他人になっていた。


 陛下はアリスターの記憶を消した。本当は私だけを抜き取りたかったのだ。それはアリスターが私と婚約したいと話したからだ。


 異世界人が王の妃になること自体は問題ない。しかし今この国は危うい。問題の筆頭は最近突如として活発に動き始めた隣国、ジャント国。マスタス王国は美しい国だが決して軍事に強くない。アリスターが婚姻という形で結ぶべき縁はいくらでもある。


 今、陛下はやっとの事でアリスターに私を忘れさせた。だから私は王宮を出るのだ。もう彼のそばにいてはいけないから。


 アリスターには本当のことを言えなかった。どうして言えるだろうか。私のことどころか自分のことも何一つ覚えていない彼に、恋人ではなかったがあなたは私を愛してくれていた、などと。アリスターが私を好きになってくれたのは私の中で奇跡に分類される出来事だ。「何度でも恋させてみせる」と豪語するほど自分が魅力的だとも思っていない。

 しかし、私は一つだけ陛下に嘘をついた。

 私は王宮を出て行く。陛下の言葉に素直に頷いて。

 


 だけど、誰がアリスターのことを諦めると言った?



 アリスターに本当のことを言い出せない、また自分を好きになってくれるとも思えない、そんな私だけど。

 アリスターは私のことを思い出した方が良い。思い出せたらきっと喜んでくれる。そして私を抱きしめてくれる。

 そんな風に思えるくらいには、私は昨日までの彼に愛されていた自覚があるのだ。

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