13
その日の午後。国の重鎮が一堂に会する会議が予定通り始まろうとしていた。
私は綺麗なお洋服を着せられて王子の隣に用意された席に座っている。現れた人々は陛下やアルへの挨拶の後、決まって私に「ご無事で何より」とか「戻ってきてくださって私も嬉しいです」とか言った。記憶が無いのは伏せられているし、そういう意味では全然ご無事じゃないし何を言われているのかと思ったら、私は王宮を家出していたらしい。アルに「アリスター殿下と貴方は陛下と喧嘩したんですよ」と耳打ちされた。国王と喧嘩して王宮を家出って、私はどんな大物だったんだろう。
噂の陛下は、線が細く儚げで美しい人だった。私を見るなり「すまなかった」と言った。「記憶が戻ったらまた謝らせて欲しい」と。
喧嘩した相手なんだから記憶が無くても少しは思うところがあるかと思ったが、そんな顔しなくていいのにな、としか思わない。何となく「お義父さん」と呼んでみたら大層悲痛な顔をされて、何故だか私も悲しくなってしまう。
王妃様はサフィーナ様というらしい。陛下とは対照的な方だと思った。その、はっきりした顔の美人さんというだけでなく、悲しそうな顔をする陛下の頭に後ろからげんこつを入れて、「何があったかはアリスターから聞きました。ごめんなさいねエミちゃん、二度とそんなことさせないと約束しますから」と言ったのだ。かなり痛そうで少し引いた。
会議の時間が近付くにつれ、長く大きなテーブルの席が一人、また一人と埋まっていく。最後の一人が席に着いたとき、柱の時計がカンッと小気味良い音をさせ、午後1時を知らせた。一番奥に座っていた陛下がゆったりと立ち上がる。
「諸君、集まってくれたことに感謝する。早速だが、始めよう」
厳かな宣言。
そして事件は一瞬のうちに起こった。陛下の後ろに控えていた執事の男が、音もなく短剣を振りかぶる。声にならない声で誰かが叫ぶ。誰もがガタンと音をさせ立ち上がる。
しかし陛下は、会議に集められた総勢28名の視線の先で、危なげもなく振り向いた。
「始めよう、粛清を!」
男が目を見張った時には既に、背後に回ったアルがその短剣を叩き落としていた。
私はといえば、陛下を案じる叫び声や困惑の声が聞こえる中、至って冷静に、つい先程までの出来事に想いを馳せていた。
***
「落ち着いたか?」
「うん、ありがと…」
アルの胸で散々泣いたあと。腫れているであろう自分の目元を指でつついた。熱いし若干ヒリヒリする。 アルは一旦立ち上がって、濡らしてきたハンカチを優しく当ててくれる。
そんな彼をちらりと見上げた。
…かっこいいなあ。
強烈な喪失感は今はもう無い。代わりに心がそれはもう、『この人が好きです』と騒ぎまくっていた。
思わず自分に自分で呆れてしまう。恋人のフリなんて、馬鹿じゃないのか。これ以上ないくらいに惚れてしまっているではないか。私は本当にこの人を殺さなければいけなかったんだろうか。だとしたら心が張り裂けてしまうな、とまで考えて、あっと気づいた。
私はわざと自分の記憶を消したんじゃないのか。
記憶が飛べば、きっとアルへの想いもなくなると信じて。それか、考えたくないが自ら命を断とうとしたとか。アルを殺すくらいなら死んだほうがましだと本気で思うし。
フィンの言っていた会議は今日の午後だ。アルの命が脅かされる。
私はどうしたら、誰に相談すればいいんだろう。
「恵美、どうかしたのか?」
私の目元が腫れてたって誰も構いやしないのに、真剣な面持ちで冷やしてくれていたアル。眼が合った瞬間思った。―――あ、答え見つけた、と。
なんだ。簡単なことだった。
「アル、私アルを殺さなきゃいけないみたいなんだけど、どう思う?」
そうだよ、アルに相談しよう。それが一番自然な気がする。フィンも自然体でいろと言っていたことだし。第三者が見れば「何言ってんだこいつ」と言うだろうが、それが良いと本気で思った。
「…俺はできれば生きていたい。お前と」
だって、アルは顔をしかめたけど、こうしてどんな突飛な質問にもちゃんと答えてくれる。優しくて真面目な人なので。
「だよねぇ、私も」
「それ、誰に言われたんだ?」
フィンだよ、と答えるとアルの顔が曇る。聞かれるままに洗いざらい話した。
私ね、ジャントって国の間者らしいの。アルの恋人のふりをして機会をうかがっていたんだって。異世界人っていうのも嘘で、記憶を無くしたのも、魔法に失敗したからなんだって。今日の会議に乗じるから手伝えって言われたの。
でもね。
私アルのこと見た瞬間思ったよ。好き、って。この人のそばでしか生きられない、って。だから多分、私はアルを殺すのが嫌で、わざと魔法を失敗したんだね。そうしたらアルのこと好きなの忘れられると思って。
けどさ、すごいよね、アル!私、全部忘れちゃってもまだアルのことが大好きなんだよ!えへへ、好きだよ、アル。だーいすき。
女スパイの自白だったはずのそれは、いつのまにか愛の告白になって終わった。
「………お前にべらべらと嘘を吹き込んだあの男が憎いが、何よりもそれ以上に嬉しい…」
「嘘なの!ほんとに!?ああよかったー!」
「だが俺はもう死ぬのかもしれない…」
「えっやだ!生きてアル!」
「良かったな、俺の暗殺成功だ」
「生ーきーてー!」
全てでたらめだったとわかって本当に安心して、頭ぐりぐり攻撃をお見舞いする。アルは絶対に痛くないだろうそれを大人しく受け止めながら「いっそ殺せ」と不穏なことを言った。そしてふと気付いたように呟く。
「だからあの男はお前に記憶消去を施したことだけ言って、こちらが自白剤を使おうとした時舌を噛んだのか…何かあるとは思っていたが…策を講じなければな…。恵美、もう大丈夫だ。辛かったな。今まで気づいてやれなくてごめんな。俺が至らなかった」
フィンは死んでしまったのか。仲間でも何でもなかったなら、特に悲しくもないのが正しいんだろう。
アルが謝る必要なんてない。そう言おうとしたとき、
「まあ、もしお前が本当にあの国の間者だったとしても、俺がお前を愛しているという事実は何も変わらないけどな」
そういたずらっぽい笑顔を向けられた。彼はそれを、ちょっとした冗談で言っただけだったんだろうけど。
「あ」
思わず声が出る。自分でも気づいてすらなかった心の中のわだかまりがほどけた音がした。
そうか、そうだったのか。
「私、アルに嫌われるのが怖かったのかあ」
自分がもしも、もしも本当に間者だったら。私はもうアルと一緒にいられないし、それどころか嫌われてしまうかもしれない。ずっと騙してたんだから。
だから、頭ではおかしいと思いながら、フィンの言葉を疑いきれなかったし、アルの命が危険にさらされるのに言いだすのを躊躇った。
全て嘘だったので結果良かったけど。心の何処かにあったそんな心配も、アルの今の言葉がぶち壊してくれたのだ。
緩む頰をそのままにアルに抱きつきながら思う。この人に愛されて、隣で生きることができる私は、間違いなくこの世界で一番幸せな人間だ。