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 ふと目を開けると、何もない白い空間にいた。


「何ここ、どこだろ?」


 独り言が反響していく。そしてなぜか喉が痛い。

 なんでこんなところにいるんだっけかな、私。


 ん?


「あれ、『私』ってなんだ?」


 っていうか誰だ?


 根本的な疑問に気づいた時、その空間に響き渡るような声が聞こえた。


「おはよう。俺の名前はフィン。今からお前に重要なことを伝える。」


 白っぽい部屋中を見回しても声は聞こえるのに姿は無い。一体どこから話しているのか。フィンと名乗るその声に聞き覚えは特に無かった。


「お前はエミ。俺たちはマスタス王国に潜伏するジャント国の間者だ」


 エミ、と唇だけで呟いた。自分の名前がわかった。自分の置かれた、どうやら複雑らしい状況もわかった。なのに特に感慨はない。

 フィンと名乗った声は勝手に続ける。


「ここはお前の夢の中だ。現実のお前は王宮の医務室で眠っている。

 俺は今こうして魔法でお前に語りかけているが、これは録音で、現実の俺はもうそこにはいない。だから一度しか話さないし、質問にも答えられない。よく聞けよ。

 まず、お前は一年前『異世界人』を装って王宮への侵入に成功した。そして第一王子に接触し、恋人を演じて殺す機会をうかがっていた。

 昨日満を持して計画を実行したが、お前は魔術に失敗した。記憶が全て飛んだ上、魔術を使えない体になっているだろう。幸い王子にはバレずに済んだ。だがこうしてお前の記憶がなくなった以上、下手に隠してもボロが出るだけだ。俺はお前に記憶消去の魔術をかけたジャントの手先として自首する。いや、と言うより、逃げ出すがわざと捕まる。お前がこれを聞き終わる頃には既に捕まっているかもしれない。その方がお前にこの話をする時間がなかったと思われて都合がいい。

 俺がここまでするんだ、お前は必ず本懐を遂げろよ」


 これは本当に私の身の上か?実感が湧かない。一通り聞いても「ふーん」くらいの感想しかない。


「最後に3つ言って終わりにする。

 1つ目。王子について詳しいことは言わないでおく。下手に教えるとお前がうまく周りを欺けなくなる可能性が高いからな。自分の今までの性格や話し方は気にするな。自然体でいればうまくいく。

 2つ目。お前多分いまいちピンときてないだろ?1つ教えておく、お前はジャント国の間者だがジャント出身の人間ではない。なぜ俺たちに協力しているかといえば、マスタスに両親を奪われたからだ」


 『両親』。その言葉が脳みそに到達した瞬間、私の心に初めて感情らしい感情が生まれた。それは憎しみや恨みの類ではなく、悲しみ、寂しさ、それに少しの罪悪感。


 その感覚でやっとわかった。

 私の心には何も無いのだ。


 ぽっかりと穴が空いている、なんて表現では収まらない。私の中には本当に何も無い。何も無さすぎると何も無いことにも気づかないんだな、と大した感動もなく思った。


 両親のことを聞いたとき心が動いたから、今聞いたことは本当なのかもしれない。おそらく私は元々感情の幅が小さい人間だったのだろう。だから他のことを聞いても何も思わなかったのだ。


「最後、3つ目だ。明日王宮で大規模な会議がある。俺たちの仲間がそれに紛れ込む手筈になっている。お前はその時も王子の一番近くにいるだろう。隙があったら迷わず殺せ。それが今までお前がやりたかったことなんだ。それを肝に命じておけ。じゃあな、エミ。お前と俺は二度と会うことはないだろうが。――全ては我が君のために」


 その言葉を最後にフィンの声は途絶えた。


『エミ様、エミ様』


 代わりに別の声がする。意識が覚醒していくのを感じた。きっと現実で身体を揺り起こされているのだ。


 私は白いモヤの部屋を後にし、現実世界で目を開けた。


 ***


 現実世界で初めて捉えたのは空色の瞳。薄暗い部屋にそれだけが浮かんでいるみたいに見える。


「エミ様、エミ様。ご無事ですか。私が、私がおわかりになりますか」


 声がまだ幼い。きっと若い女の子だ。なんだか懐かしい気がするが気のせいだろうか。


 上体を起こしてから浮かぶ瞳をじっと見つめ、記憶を探ってみた。


「うーん…?ごめん、誰?」


 私の返事を聞いて空色がみるみる潤んでいく。この少女は随分と涙腺が脆いようだ。その瞳が闇に浮かんでいるみたいに見えたのは、彼女が目以外を黒い布で覆っているからだと、私の寝ているベッドに縋り付いて泣き始めた彼女を見て思った。


「なんてこと、本当に、ご記憶が。エミ様、私はヤイナと申します。あなたはエミ様です。私の主人の大切な方で、私の主人でもあります。

 あなたは賊に魔術をかけられ記憶を奪われたのです。でも大丈夫です、もう直ぐ朝になります。殿下はすぐにいらっしゃいますから。殿下が来てくださいますから、だから大丈夫なんです」


 殿下。この国に何人殿下がいるのか知らないが、私のところに来るなら、フィンが言ってた第一王子のことなのだろう。


「ん、わかった」

「ああ、私はまたお守りできなかった」


 少女はそう呟くなり更に泣き始めてしまった。体を小さく丸めベッドに顔を押し付けている。


「ヤイナ、大丈夫だよ。泣かないでいいんだよ」


 心のままに言ってみた。そうしたほうがいい気がして、少しぎこちなくなってしまったがハグもした。

 ヤイナは少しの間体を硬直させていたが、そろりと腕を伸ばして私を抱きしめ返した。その収まりの良さは、私に前もよくこうしていたのかもしれないと思わせるのに十分だった。


 すると、ヤイナが突然パッと顔を上げて部屋の扉の外を見た。涙は乾いたようだ。


「エミ様、殿下がいらっしゃいました。殿下は今まで賊の取り調べに立ち会っていらっしゃって、私はその間エミ様と一緒にいるようにとのご指示で参上したのです」


 ヤイナは言い終わるなり音もなくその場から去った。最後に一瞬だけ、私に心配そうな視線を向けて。


 扉を見つめる。もう例の第一王子と対面か。殺さなければならない偽りの恋人なんて一体どういう顔で会えばいいんだろう。


 そのとき扉が小さく軋んで、その影から背が高い男性が姿を現した。背中側から朝の柔らかな光を浴びている。透けるような銀の髪が輝いていた。


 その姿を一目見たその瞬間。

 全ての思考が吹き飛び、私の頭は真っ白になった。



「なに、これ」



 男は、『世界』を連れてきた。


 灰色の視界に光と色が与えられた。たくさんの音が聞こえることに気づいた。懐かしい匂いがした。顔にかかる自分の髪がくすぐったいと急に思った。カラカラに乾いた口はおそらく食べ物を欲している。食欲なんて存在を忘れていた。まるで今まで、生きようとしていなかったみたいに。


 初めて息が吸えた。心臓が鼓動を刻み、血が巡り始めた。彼が現れて初めて、私の生は動き出した。



 それは、どうしようもないくらいの『恋』だった。



「あなたは、誰?」


 訳がわからない。急増した情報量を脳が処理しきれていない。


「私、あなたが、好き」


 抱えきれなかった想いが飽和するみたいにして、これ以上ないくらい自然に唇からこぼれ落ちた。それを止められないし、止めようとも思わない。

 何故かはわからないが痛切に、無性に思うのだ。このことだけは今、言葉にして伝えなければならない、と。


「私、あなたのことが好き。なんで?どうして、こんなに。何にもわかんないのに。あなたのことなんて、1つも、ああ、好き。大好き。好きだよ、こんなに。あなたは、誰なの?なんで、なんで。あなたの名前を呼びたい。知らないのに、私、こんなにあなたが好き」


 支離滅裂な感情の吐露は終わりが見えない。言えば言うほど、彼を見ていれば見ているほど、無限に気持ちが溢れてくる。


 何が『心に何も無い』だ

 空っぽなものか。全部、これだっただけだ。


 男はゆっくりと近づいてきた。そして私を落ち着かせるように抱きしめた。この腕の中が世界で一番好きだと、何も知らないくせに思った。


「恵美、俺もお前の『全て』だったんだな。満点の告白の仕方だ。昨日の約束を守ってくれてありがとう」


 何を言っているのかわからない。わからないのに、「そうだよ、うん、よかった」と言いたかった。


「そ、うだよ。うん、よかった…っ」

「ああ恵美、俺は今嬉しい。俺が忘れたって、お前が忘れたって。例え、二人が同時に全てを忘れたって。俺たちは何度でもこうやって、目が合った瞬間互いに恋に落ちるんだな」


 そんな『もしも』を想像したら心が喜んだ。それは仮定の話だとしても、なんて甘くて、素敵な『もしも』なんだろう。


 私の目から雫が流れ落ちベッドにしみを作る。男は頰を優しく拭って微笑む。


「俺はアリスターだ。アルと呼んでくれ。恵美、俺も愛してる」


 『アル』。記憶が無くても私の唇はその動きをちゃんと覚えていて。そのことがこれ以上ないくらい嬉しかった。

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