プロローグ
「ううう……寒い」
季節は冬。十二月の朝の風を浴びた俺――諸星雄樹は思わず自身の身体を抱く。
高校卒業後、やることもなく自宅警備委員を始めてから実に三年ぶりの外は、早速俺から気力をごっそり奪っていく。
今すぐにでも家に引き返したいところだが、今の俺にそんな選択肢はない。
理由は単純。家のPCが壊れてしまったから。自宅警備委員の俺にとって、PCは命の次に大切なもの。それが壊れることがどういうことか、俺と同じ自宅警備委員なら分かるはずだ。
そんなわけで、俺は今からPCを買いに行くつもりだ。
ちなみに資金は両親に土下座(五時間)で懇願したことによって何とか手に入れた。母親の今にも泣きそうな表情と、父親のゴミでも見るような視線が印象的だったが、あえて気にしないことにする。
そんなわけで、電車とバスを乗り継いで目的地であるデパートまで向かうことにする。久々の人混みは吐きそうになったが、我慢した。偉いぞ、俺!
そして一時間もすると目的のデパートに着いたのだが、
「嘘だろ……」
何と、デパートはすでに潰れてしまっていた。今目の前にあるのは、骨組みである鉄骨が露出するデパートだったもののみ。
まさか三年の時をこんな形で実感させられるとは。幼い頃に両親と何度も出かけた場所だけに、たくさんの思い出が詰まっていたんだが……時の流れは残酷だな。
しかしいつまでも落ち込んではいられない。俺がここに来た目的はPC購入。確か近くに大きい電器店があったはずだ。早速そこに向かうとしよう。
少し感傷的な気持ちになりながら、俺はかつてデパートだった残骸に背を向け、
「危ない! 避けろぉ!」
「え……?」
声のした方を振り返る。するとそこには――デパートだった鉄骨が俺に迫っていた。
「おお、雄樹よ。死んでしまうとは情けない」
気が付くと、真っ白な空間にいた。
周囲を見渡しても、終わりが見えない。
どこまでも続いているのでは? と錯覚してしまうほど広い空間だ。
そして眼前には、某RPGでしか聞いたことがないセリフを口にする少女がいた。
綺麗な少女だ。金髪碧眼。整った顔立ち。胸はロッククライミングできそうなほどペッタンコだが、それ以外は完璧と言う他ない。
見た者の視線を釘付けにするほどの美を体現した少女だ。
「……今何か変なことを考えませんでしたか?」
どうやら勘も鋭いようだ。
「ところでここはどこだ?」
「死後の世界です」
少女は正気を疑うような発言をした。嘘にしたってもう少しまともなものがあるだろう。例え相手が超絶美少女だろうと、普通なら信じない。だが、
「そっか」
俺は思いの外、すんなりと少女の言葉を受け入れた。
「あっさりと認められるんですね? 大抵の人はパニック状態に陥って、喚き散らすんですけど」
「まあ俺は自分が死んだって自覚もあるからな……」
ここに来る直前の記憶は視界を埋め尽くす鉄骨で終わっている。自分が死んだのだと認識するには充分だろう。
「そうですか。話が早くて助かります。……ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はアルティ。あなたたち人間が言うところの神という存在です」
先程までの発言同様、通常なら到底信じられるものではないが、自分が死んだという自覚とアルティという少女の人間離れした美しさが、彼女が神と名乗ることに違和感を覚えさせない。
「私はあなたたちの世界で死んだ人間の魂を天へと導くのが仕事をしています。本来なら、このままあなたの魂は正式な手続きを受けた後、記憶と人格を消去して新たな人生を歩んでいただくことになるのですが……」
そこでアルティは一旦言葉を切る。そして次の瞬間には満面の笑みを携え、
「雄樹さん、あなた異世界というものに興味はありませんか?」
そこから少女は色々と長ったらしい説明をしてくれた。内容は要約するとこうだ。
『俺がいた地球とは別の世界が存在すること』
『そこは文明レベルは地球に及ばないが、代わりに魔法と呼ばれる特殊な力が存在すること』
『人間の他にモンスターと呼ばれる人類の敵が存在し、人類と戦争をしているらしいこと』
『現在人類は劣勢のため、神の立場的にはどうにかしたいらしい』
「――というわけで、私は滅びの危機に瀕した人類を救うために、あなたに異世界に生まれ変わってほしいわけですよ。記憶はそのまま、赤ん坊から人生をやり直せるのでかなりお得ですよ?」
「俺が異世界……」
まるで昨今流行りの異世界転生もののような話の流れ。普通に考えて興奮する状況だが……俺に人類を救うとか無理じゃね?
だって俺は元自宅警備委員だぞ? それがモンスターなんてゲームの世界でしかお目にかかれない存在なんかに勝てるわけがない。
「ああ、もちろんそのまま送るつもりはありませんよ? 特典として、一つだけ特殊なスキルを授けます」
「マジで!?」
思わず口から驚愕の声が漏れてしまった。しかしこの異世界転生もののような展開を考慮すれば、アルティの言うことは何もおかしくない。
「マジです。あなたみたいなニート、そのまま送るなんてあるわけないでしょう。すぐに死んでしまいます」
「おい」
誰がニートだ。俺はただ自宅専門の警備をしてただけ。もしくはネットで見聞を広めていたとも言う。
というかこいつ、何で俺のことをこんなに知ってるんだ?
「神ですから」
まるでこちらの心でも読んだかのように、突然アルティが答えた。理由になってない気がするが、追及してもいいことはなさそうなのでやめておく。
「それでどうしますか? 一応あなたには拒否権も存在します。もし異世界に行きたくないというのなら、今の内におっしゃってください。後からやり直しは利きませんから」
あっさりと死んでからのまさかの転生チャンス。これは断るのは男じゃない!
「もちろん異世界に転生させてもらうぞ!」
「そうですか。それは良かった。今までにも同じ質問を何人かの人たちにしてきたのですが、『死んだ後まで働きたくない!』という方もかなりいらっしゃったので安心しました」
アルティは俺の答えに満足げな笑みを浮かべる。
「それでは早速、スキルを授けましょう」
アルティが両手を数回叩く。するといきなり俺の前に一冊の本が現れた。
「そちらに多種多様なスキルが記載されています。お好きなのを一つだけ選んでください」
俺は早速本を手に取る。ズッシリとした重みが手にかかる。これ、辞書並の重さがあるんじゃないか?
中を確認してみると一ページにつき一つ、何かしらの能力が書かれていた。
「聖剣、魔剣、etc……悩むなあ」
パラパラとめくるがピンと来るものがない。せっかくファンタジーの世界に行くんだし、何かそれっぽいのがいいところだが……。一人で悩んでいても仕方ない。ここは神様に直接訊いた方がいいな。
「なあ、何か神様オススメのやつとかないか?」
「オススメ……ですか? 一応私は全てのスキルを把握しているので、要望があれば可能な限り叶えてあげることは可能ですが、雄樹さんがどんなスキルを望んでいるのかにもよりますよ?」
どんなスキルか……。それが具体的に思い浮かばないから聞いたんだけどなあ。
「別に具体的に『こういうスキルがほしい!』とかでなくてもいいんですよ? 例えば異世界でどういう生活を送りたいか。そこから私が相応しいスキルを見繕うなどの形で手助けしたりもできますし」
結構なサービス精神だな。家の中ですれ違う度にクズでも見るような目を向けてきた両親とは大違いだ。
それにしてもいいことを聞いた。異世界でどういう生活を送りたいか。確かにその辺のことはあまり考えてなかった。
「そうだな……せっかく異世界に行くんだから、異世界っぽい生活がしてみたいなあ」
あまり具体性のない言葉が漏れてしまう。しかしアルティは嫌な顔一つせず応じてくれる。
「異世界っぽい生活ですか……つまりあなたたちの世界で言うところの『俺TUEEEE!』をご所望と?」
「確かにラノベなんかだと異世界もののテンプレだけど……あんた、何でそんなこと知ってんの?」
「神ですから」
こいつ、それさえ言えばどうとでも誤魔化せると思ってないよな? まあ別にいいけど。
「それなら二百七十ページにいいものがありますよ?」
アルティが指定したページを開く。するとそこには、
「『無敵』……? 何だ、この凄そうなスキルは?」
「文字通り、無敵になれるスキルです。このスキルの所有者は、肉体は鋼鉄をもものともせず、振るわれる一撃はあらゆるものを粉砕することができます。その他にも、人智を越えた身体能力を発揮することができますね」
ペラペラと本の説明文をまんま口にするアルティ。なるほど、かなり凄そうなスキルだ。これなら『俺TUEEEE!』も簡単にできるかもしれない。異世界生活が爽快なものになりそうだ。
ただ。一つだけ気になることがある。とても強そうなスキルなのに、なぜかページの端にドクロマークが付いてるのだ。
ついでに言わせてもらうと、今のアルティの俺を見る瞳はあの両親と一緒なのだ。自宅警備をしていた俺を家から追い出したがっていた両親と!
それにこういう強すぎるスキルってのは、大概リスクもそれ相応のものなんじゃないか?
「なあ、このスキル一見凄そうに感じるけど、欠点とかはないのか?」
「……ありませんよ」
「おい。喋るならこっちを見ろ」
黒確定。こいつ、何か隠してやがる。
その後何度も問い詰めてやった。最初の内は素知らぬ顔で通していたが、めげずに問い質し続けた結果、口を割らせることに成功した。
どうにも『無敵』という能力は強力すぎるらしい。どれくらいかと言うと、日常生活に支障をきたすレベルで。おかげで他の転生者にも全く人気がないようだ。
「なので、今回のことはいい機会だと思いニートと一緒に処理してしまおうかと……」
「誰がニートだ!」
こいつ、最低だな! 本当に神なのか疑いたくなるぞ!
「そんなスキルなら却下だ、却下! 他のスキルにしろ!」
「はあ……分かりました。ではその次のページを開いてみてください」
ちょっと対応が雑になった気がするが、この際目を瞑ろう。
今度はまともなのでありますように、と願いつつ次のページに移動する。
「『全魔法適正』?」
下に続く説明文に目を通す。どうやらこのスキルは、文字通りあらゆる魔法に対して適正を得ることができるらしい。異世界の魔法のルールはよく知らないが、これは多分使えるやつだ。
しかも魔法はファンタジーに欠かせない重要な要素。これほど俺の要望に適したスキルもないだろう。
「俺これにするわ」
「えー……そんなスキルより『無敵』の方が絶対いいですよ? 『全魔法適正』なんて、ただの『無敵』の劣化版じゃないですか」
「うるせえ! 生活に支障をきたすようなスキル比べりゃマシだ!」
そう訴えると、アルティはようやく諦めたのか、
「……仕方ありません。それでは、これからあなたを異世界へと送らせてもらいます」
諦観の表情でそんなことを言ったと同時に、足元から光が溢れた。
「それでは雄樹さん。これからのあなたの活躍に期待しています。二度目の人生、楽しんできてください」
その言葉を最後に、俺の意識は光に飲み込まれた。
「はあ……今回もダメでしたか」
雄樹が光の中に消えた後、アルティは口から溜息を漏らした。
「『無敵』、また選んでもらえませんでした」
床に落ちた本を拾い、そのまま開く。パラパラとページを流し読みしながら、再度溜息。
「今回は上手く騙せると思ったんですけどねえ……」
その気になれば、騙すなんて回りくどいことをせずに押し付けることもできた。そうしなかったのは、一応神には神のルールがあり、押し付けはそのルールに抵触するから。
「……あれ?」
そこでアルティは一つおかしな点を見つけた。
「『無敵』が……ない?」
長年頭を悩ませてきた使えないスキルがなくなっているのだ。
この本の中からスキルが勝手に消えることはない。消えることがあるとすれば、それは転生者が選んだスキルのみ。
アルティはかつて『無敵』があった二百七十ページを開くが、当然そこに『無敵』はない。代わりに『全魔法適正』があるのみ。
つまり、
「渡すスキル……間違えた」