(三) 1 繕った面飾り[前編]
まるもり弁当店での日常。ちょっと厄介な客が来たようで…
桜の満開時期から一週間たち、葉桜になりつつある街路樹の横を通り抜け、映画館へと向かう。春休み期間のせいか平日昼時の市街地は、ちらほらと若い人と高齢者が入り乱れ、たくさんの人が行き交っていた。歩き慣れた道とはいえ、真っ直ぐに進みづらい。背が低い私は真ん中を避け、ぶつからないように端の方を歩いていた。そんなとき通りで男の人が何か叫んでいるのを見かけた。宣伝ではなく、呼び掛けていたのは献血。騒音と人のざわめきに負けないように「献血をお願いします!」と叫ぶ彼の横を、次々と人が素通りする。私はひたと立ち止まった。
笑って会話するカップル、手を叩き何かに驚きながら楽しそうに話す友達グループ、スマホを見ながら無表情に通りすぎる男性、髪をいじりながら先を急ぐ女性。みんな献血を呼び掛ける人が見えているはずなのに見えていない。
興味のあることとそうでないものの境目にくっきりとラインが引かれている。
確かに通るたびに気にしていたら切りがないのは分かる、分かるけど、とてもやるせなくなるときがある。私は一度献血に参加しようとしたけれど、貧血気味で血が薄いと言われて拒否されてしまった。それ以来やっていない。そうやって自分自身に言い訳していることにも嫌になる。
善良制度が導入されてからは、その前より献血する人が右肩上がりになったそうだ。そう、善良ポイントが付くからだ。5ポイント制に対して1ポイントと少なめだけれど、たかが1ポイント、されど1ポイント。生活の足しになるならと参加する人が増えた。献血不足に悩まされることは少なくなったのに、目先の欲に分かりやすい反応する国民、それは良いことといえるのか?善良からの行いとはなんなのだろう…。
本当の不幸は身に起きてしまわないと分からない。
再び歩き出し、私も彼の横を通り過ぎる。
その日観た映画は、過大評価された涙の宣伝文句むなしく、ただ殺伐とした内容で、すっきりしない結末だった。
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「ハックション!」
盛大なくしゃみをして休憩室から奥さんが出てきた。真っ赤に充血した目をして鼻をかむ。
「酷そうですね。」
「もう、ほんとよ。桜は終わったっていうのに花粉症はいつまでたっても終わってくれない。花見もまともにできなかったわ。あなた達は大丈夫なのよね?」
「はい、大丈夫です。」
今のところ目が痒いだけですんでいる。夏海ちゃんことなっちゃんも大丈夫そうだ。
「ならないにこしたことないわよ。」
「ですねー、鼻がつまってると美味しいご飯の味もしなさそうだし。」
同情するようになっちゃんは眉を下げ、休憩用に買ったペットボトルのミルクティを一口飲んで言った。私は緑茶を飲む。
「それじゃ私、高橋さんのところにお弁当届けに行ってくるわね。」
「はーい、いってらっしゃい。」
声を揃えて私となっちゃんは奥さんを送り出した。換気扇の下にある椅子に座って休憩中の旦那さんも「ああ」と小さいながらも通る声で答えた。
高橋さんとは『まるもり弁当店』から5分ほど行った所にある一軒家で一人暮らしをしている高齢のお婆さんのことだ。夕飯の時間、ディサービスがない日は家にいて、ほとんどのうちのお弁当を食べている。高橋さんは足が悪いため、買い物もできず、台所に立って料理をするのも辛いらしい。そのため、電子レンジで温めれば美味しく食べれるお弁当を注文してくれていた。今回は二週間分まとめて注文済み。それを毎日午後4時から5時の間に届けることになっていた。普段個人での配達は受け付ていない。団体のお客様だけ配達を受けていたが、取りに行くのもひと苦労するお婆さんの身の上を気遣って、奥さんが進んでやっていた。昔からなじみのお客様でもあった。いつもお婆さんは「ありがとねぇ」と喜んで受け取っている。そのあと時間があれば、奥さんと世間話をする。ニコニコ笑う彼女は、はた目には元気に見えるけど、一人暮らしでは不自由なことも多いだろう。東京に息子さんと娘さんが一人ずついるらしいけど、このところめっきり帰ってこなくなったそうだ。今年のお正月に一度娘さんが顔を出したものの、旦那さんの実家に行くと言って、すぐ帰っしまったらしい。そのときの寂しさを埋めるためなのか、話し出すと止まらないときがある。奥さんが戻ってくるまでに少し時間かかりそうだ。
今日はなっちゃんが早番で、昼から出てる私は遅番。朝からいるなっちゃんはそろそろ上がる時間だ。
いつもはおかず作りに急がしいまるもり弁当店の旦那さんもこの時間は椅子に座って、静かにパラリと新聞をめくり、ひと間の休憩をとっていた。
「おーい」
そんなとき一人のサラリーマンのお客様がカウンターに姿を見せた。
「はい、いらっしゃいませ。」
カウンター側にいた私が応対しに行くと、渋い顔と鉢合わせた。グレーのスーツ姿で、四十過ぎの小太りの男性。髪はくせ毛で、ジェルで撫で付けた前髪が額に垂れ、長さもないのにさも邪魔そうに手でたくし上げている。何度か買いに来ているお客さん。
「カレーまだあまってる?」
私の後ろに向かって問いかける。
「はい!ありますよ。」
なっちゃんが元気に返事をして、自然な形で場所を譲った。ニコニコ笑い「今日もお仕事お疲れ様です」と言うなっちゃんの明るい声を聞きながら、私はカレー用の容器にご飯をよそい旦那さんへとそれを渡す。すぐに温かいカレーが注がれ、容器を受け取る。スパイスがきいた美味しそうなカレーの匂いが弁当店を満たした。蓋を閉め、スプーンを一緒にビニール袋へと入れる。その間もなっちゃんとサラリーマンの会話は続く。
「いつも君はニコニコしてていいね、おじさん元気が出るよ。」
「え、そうですかぁ!ありがとうございます。いつも遅くまでお仕事大変そうですね。春から新卒の社員さんは入ってきたんですか?」
「うん、何人か来て、うちの部署にも来たけどさ、それがほんと使えないのなんのって。」
「でもまだ始まったばかりですから。みんな緊張してるんですよ。私も初めてのバイト緊張したもんなぁ。」
「いやいや、だってね、あいつら俺が言ったことの半分もやってないんだぜ?定時にすぐ帰ろうとするしさ、だからさっき残業を指示してきたんだよ。ちゃんと仕事終わってからにしろっての。半人前ならもっとやる気をみせてくれないと。」
「そんなに忙しいんですか?」
「そうだよ。だからこれからまた俺がその補填のために居残って、弁当買って自分のディスクで夕飯を寂しく食べるわけよ。」
「あまり無理しないでくださいね。」
「あぁ癒されるわぁ、やっぱり女の子は愛嬌がないとね。うちの受付なんて俺行くといつも笑顔がないんだよ。」
それはそうだ。何故仕事中に上司に愛嬌を振り向かなければならないのだ?
彼の仕事の苦労話しと部下への愚痴は初めてではない。来るたびにこうやってベラベラと喋り、なっちゃんの相づちを求めにやってくる。私の笑顔はぎこちないのですぐに無理がたたって、ほとんど返事だけになってしまった。何か言われるたびに、彼の話す内容に疑問を持ってしまって、考える間が言葉をつまらせる。それを嫌がって彼は私にはほとんど話をふらなくなった。正直ホッとしてる。その点、なっちゃんは凄い。彼が喜ぶ笑顔で対応し、常に優しく接する。相手がどんな人間であれ、スムーズにねぎらいの言葉がでてくるのをみると、天性の優しさが備わってるんだなと思った。
会話する二人の邪魔にならないようにカレーをなっちゃんの横に置いた。
「そうだ、コロッケ付けてよ。」
「えっ、もうできちゃった。」
突然付け足された注文に、私は思わず動きを止めた。
後編へ続く、、、
読了ありがとうございました。後編へ続きます。引き続きよろしくお願いします。