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(二) 1 育成されたわがまま

カオリが出会った柳井詠詩の日常。

 



「えーと…それではいつものコールドクリームとカラー剤12番が2本と10番が1本ですね。ただいまお持ちします。」


 そう言って僕は外に停車しているワゴン車に向かった。店を出たとたん身に染みるほどの寒さで、一瞬で体から熱が奪われる。いそいで後部座席を開けて、先ほど受けた品物を探す。指定の位置に置いてあるのですぐに見つかった。店内に戻り品を店長に渡す。


「ちょっと柳井さん!俺10番を2本って言ったんだよ。12番2本持ってきてんじゃん。」

「は…?と…そうでしたか、申し訳ありません。ただちにお持ちします!」

「ほんと頼むよ、柳井さん、どうも頼りないんだよなぁ。」

「はい、すみません。」


 一々訂正はしない。この美容室の三十代の店主はどうもせっかちのようだ。それを見越して確認していても、どうしてもこのような食い違いが出てきてしまう。初めの頃、「そっちが間違えましたよ」なんて言ったものだから怒らせてしまって、危うく出入り禁止になるところだった。たったそれだけのことで?そう、たったそれだけのことでだ。

 1店舗でも注文してくれる所が減れば、長期注文で賄っている商業会社にとっては痛手だ。それに噂は湾曲して伝わってしまう。あの人は横柄だから買わない、間違いをおかしても謝罪しない、そうなると注文が一つ一つ減る。終いにはもういらないとまで言われ、断られてしまう。もちろんそうなれば売上は0、どころか経費を考えれば赤字だ。

 流されるばかりの店舗ばかりではないとはいえ、安心はできない。この程度は些細なこと。

 今度はスムーズに受け取ってもらい、代金をもらいこの店舗をあとにする。

「次は、と…」

 少しずつ慣れてきたとはいえ、物を渡す先は人間。人の顔色を伺ったり、機嫌をとったりするのはとても疲れる。

 僕はエステサロンや理美容店などに商品を卸す仕事をしている。通販が主流となりつつあるこの時代に、車で持ち運んで渡すというのは逆に珍しいかもしれない。ただ、この業界は、商品の質と利便性を重視する。だから直接触って確認する人が多い。カラー剤やエステなどのマッサージオイルなどは、講習会でモデルで試してから買うという技術者もいる。通販で適当に選んだものでは駄目なのだ。買ってから使いづらい、肌か荒れたなどミスがでようものならお客様の信用にも関わる。お客様離れはお店の致命的な損失に繋がり、口コミで悪評が出たらあっという間に潰れてしまう世界。彼等はそんな危うい仕事に身を置いている。

 だから僕の勤める会社は念入りに選査し、技術者に好まれる道具を取り揃え、信用第一をかかげている。僕はその中継役に過ぎない。ただ、営業兼販売でもあるこの仕事に未だに苦手意識が抜けないでいる。商品説明をしっかりできないようでは務まらない。そこはだいぶクリアしたんだけど、どうも技術者には今一頼りなく見えるらしい。まぁ身長はあるものの、見た目はひょろっとしている細身だから、任せてください!と言っても弱々しい。食べてもなかなか太れないんだから仕方がない。それを言ってられるのも二十代半ばまで。もうすぐ三十才。今のところ腹はでていていないけど、いつ体型が横に伸びるとも限らない。気を付けなくては。

 午前中に回る予定の店舗を訪問し終わり、そのまま会社へ戻った。今日は話好きの店主が多かったためズルズルと長居してしまった。会社に着いた頃にはとっくに昼休みが過ぎていた。こういう仕事柄、決まった昼休みはないので各自のタイミングで食事をとる。買っておいたコンビニのおにぎりとカップラーメンを持って休憩室へ向かう。そのときエステ美容部の水戸(みと)さんから声をかけられた。彼女とは同期だ。


「柳井くんちょっといい?」

「なに?」

「実はこれから展示品のフェイシャルベットを見せてくれって人が来るのよ。」


 うちの会社の一階には展示室がある。エステサロン用のフェイシャルベットや理美容店で使う椅子、器具等が数あり、これから開業する人や店をリフォームする人が備品を視察、それから試用しに来るのだ。会社自体は二階にあって、電話予約で受け付けている。器具については一通り会社の研修で覚えているため、会社にいるものなら誰でも説明できる。見に来る人は基本紹介されてくる場合が多いが、自分から調べてくる事業主もいる。先ほどきた電話は後者のようだ。


「ごめん僕はこれから昼休憩なんだ。」


 時計を見るとPM1:30を過ぎてきた。


「それが私も別のお客様が入ってるのよ。その人、私指名なのよね。」

「えっ、じゃ別の人、昼食べ終わった人いないの?」

「うーん…それがみんな予定あるって…」


 なんだか煮え切らない態度。

 周りを眺めるが、視線が合うものはいない。下を向き黙々と仕事をこなしてるように見える。


「ね、柳井くん対応してくれない?昼くらいあとで食べればいいじゃん。」

「あとで…か。」


 お客様を対応したら1時間以上はかかる。


「今月の善良ポイント柳井くんに入れておくからさ。」

「…分かったよ。名前は?」

「菅井さんっていう女の人。」

「了解。」


 今回の善良ポイントというのは、国の制度とは別に、会社独自で実施しているシステムのことだ。月に一度、仕事の姿勢や営業成績が良かった者に対して同じ会社の者が投票制で入れる。そのポイントはいずれ給料の昇給や有休として個人で利用することができる。会社のモチベーションを上げるのにいい切っ掛けにもなっていた。

 下の展示室で待つこと5分、意外と早くお客様が来た。ギリギリ。


「いらっしゃいませ。ご来店誠にありがとうございます。本日は私、柳井がご案内致します。」

「ふーん、そう。」


 いかにも不服という顔をした四十代半ばの女性。化粧は濃く、ファンデーションの匂いが鼻をつく。


「今日はフェイシャルベットを見せてほしいと言うことでしたが、サロンを経営されてるんですか?」

「これから開くのよ。」


 にっこりと笑い赤い唇を開いた。サロンを開くのが夢だったのだろう、意気揚々とし始めた。


「私ね、いろんなエステサロンを経験してきたのよ。だからあなたより知ってるんだから。」


 そう言って自信満々に展示室を歩き始めた。いくつか案内したものの、なかなか決められない彼女に、どんなお店をイメージしているか聞いたところ「素敵なサロン」とアバウトな答えがかえってきた。

 会話してわかったことだが、知っているといいつつ、業界用語が理解できなかったり、フェイシャルの基礎もままならないような初心者同然の知識だった。

 実際技術者とお客様の立場では全く違う。数多く施術を受け、客として知識を得たからといって一石二鳥ですぐできるようになるわけじゃない。何年も修行をしてモデルの数をこなし、やっと身に付いてくるものだ。このご婦人はきっと多く店舗を見たのだろう。だが彼女は経営はできても、技術者向きとはいえない。接待されることに慣れすぎている。急な訪問も時間を見ない長話も、自分に合わせてもらって当たり前だからできることなのだ。


「さすがにお詳しい。このように意欲的な方に当社を選んでいただけて光栄です。」


 歯が浮くような言葉に、自分自身に嫌悪感がわく。

 彼女は家の功績を我が身のように話す。だから店を出せるのかと納得した。終わらない自慢話に、笑顔で相槌を打つしか僕にはできない。


「あなた、返事ばかりで分かってるの?」


 フェイシャルベット選びに関係ないプライベートの話に疲弊していた僕は、気がそれつつあったことを誤魔化すように聞いてみた。


「はい、素敵な家族なんですねぇ。えぇと、お店なんですが、どういった客層を考えておいでですか?お迷いならそういった観点で選ぶのもいいかもしれませんね。」


 どうにか軌道修正を試みる。


「キャクソウ…?女性が来るに決まってるじゃない。だから色はピンク。ないなら花柄とか?寝心地良くて、あぁ、あと私身長低いからベット高くない方がいいわね。」


 客層の意味がすんなり伝わらなかったのか、少しズレた自分の希望を言った。


「えっと、例えばですね。お店を出す場所によって土地柄で客層は変わります。住宅地なら主婦層が多いですし、オフィス街なら働く女性が多い。また年齢もそうですね。菅井様と同じ同年代をターゲットにするのか、またはモデルさんも来てもらうようなプロモーション重視のお店にするとかですね。」


 ベットの高さは技術者が合わせるもの。初めから高さの合ったベットなどない。お客様重視でベットを選ぶのが基本だ。

 若輩者に説明し直されたのが気にくわなかったのか、あまりいい顔はしなかった。


「あぁそういうこと?ちゃんと言ってよ。そんなんじゃ伝わらないわよ。」

「はい、申し訳ありません。」

「客層ね、そんなのお店出してみないと分からないじゃない。まぁ初めはお友達を呼ぶつもりだけどね。」


 それではこちらはいかがでしょう?とオーソドックスなベットを案内する。隣にはバリアフリー重視のベットや椅子もあった。ついでにそちらも紹介する。


「えっと、呼ぶ予定のお客様の中に体の不自由な人はいらっしゃいますか?うちにはバリアフリー使用を加えたベットもありますので…」

「は?バリアフリー?そんな年寄りうちに来るわけないじゃない。老人ホームじゃあるまいし失礼ね。うちは楽しくお喋りできるお店にするんだから。」


 それではサロンではなく、ただのお茶飲み場では?

 客が店を選ぶのではなく、店が客を選ぶ。彼女は彼女の理想があるのだろう。売る側にとってはそこは口を出すべきではない。

 うちの会社は商品を満足して買ってもらうのが一番。

 彼女は自分が楽しいお店を出すのが一番。

 そこに相互理解は必要ない。



「ふぅーやっと終わった。」

 先ほどのお客様を接待し終わるまで、2時間もかかってしまった。結局買わずに帰って行った。なんだったのだ。今までの徒労が報われずに疲れが溜まっただけだった。説明に必死で、お昼を抜いていた事も忘れていた。ホッとした途端お腹が鳴る。置きっぱなしだったコンビニのおにぎりを取りに、自分のディスクへと行く。そこへ通りすがりに水戸さんが訪問してきたお客様と話す声が別室から聞こえてきた。


「水戸さんも結構時間かかってるんだね。あのお客様も話好きみたいだし、大変そうだね。」


 椅子へ座り隣の後輩へと話をふった。


「いえ、そんなに話してないはずですよ。今来たばかりですから。」

「え?今?お客様遅れてきたの?」

「遅れてないですよ。予定は午後3時からでしたから。」

「3時…そうだったんだ…」


 これから来ると言っていたのは1時半ごろだった。それならば先ほど自分が接待した客の対応はできたのではないか?と思う。説明をお願いして、契約があればそこで交代もできたはずだった。もちろん彼女のお客様であることを明記した上で。

 少しモヤモヤが残った。お腹がすいているせいだろうと自分に言い聞かせ、休憩室へ行かずにその場でコンビニのおにぎりの袋を破く。

 誰でも新規のお客様は面倒だ。営業成績が形にならない仕事を敬遠し、前もって避ける利口な方法。

 理解できないわけじゃないが…。ため息と共に咀嚼したおにぎりの味は分からなかった。



 

(二)2へ続く

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