(一) 2 善意と悪意の境界
配達の仕事で小学校にやって来たカオリとまるもり弁当店の奥さん。なにやら問題が起きたようで…?
冬にしては暖か日だった。日射しも注ぎ、冷えた体に染み込ませるかのように人々が動き出す。今日は土曜日。しかも今週は祝日の月曜まで連休が続くので、いそいそと初日から出掛ける人も多かった。そんなときこそ弁当屋は忙しい。たくさんの注文が入った。今日は近くの小学校でドッチボール大会が開催されていた。朝から忙しい人たちにとってお弁当は助かる。地元の小学校は特に強いらしく、こぞって応援にたくさんの人が来ていた。
保護者や関係者でざわざわとしている体育館裏の駐車場に、私と『まるもり弁当』の奥さんの佐藤さんと二人で待機していた。まるもり弁当とロゴが入ったワゴン車の前で数分前の出来事を思い出し、ため息をこぼした。
団体様から42個の幕の内弁当の注文があったのは前日。他にも二家族分の5個と4個のそれぞれ注文があって、朝から私たちはフル稼働してたくさんのお弁当を作っていた。一つのチームとその保護者分であろうその団体様のお弁当は、11時前には小学校で受け渡しすることになっていたので、出来上がったお弁当を袋詰めして、これから奥さんと私で小学校へと届けに行く。残りの家族分と直接買いに来るお客様の対応は、店長となっちゃんにお任せすることになった。休日であればサラリーマンがお昼時に集中して来ることもないし、平日よりは重なる心配も少ないだろう。
「行ってらっしゃい」と見送られ、私と奥さんは車にたくさんのお弁当を積み、目的の小学校へゆっくりと車を発進させた。制限速度よりもやや遅いスピードで奥さんは運転する。お弁当の美味しそうな匂いが社内に充満して、助手席の私は早くもお腹がすいてきてしまった。休憩の賄いは私も幕の内に入ってるコロッケお願いしよっと。
こんなときに運動したら気持ちいいんだろうなぁ。快晴に近い青空を眺めて、夜よりも表情豊かな窓の外に目を向ける。そろそろ着くかなと正面に見えてきた小学校の裏門前に目を向けた瞬間、死角から突然乗用車が飛び出してきた。「あっ!」私の声と同時に奥さんは急ブレーキを踏んだ。キーッとタイヤを軋ませ、シートベルトが体を締める。体を強ばらせ前方を確認する。
「ぶつかってはいない?」
ギリギリセーフ。奥さんの反応がよく車と車の正面衝突は避けられた。迷惑行為をしたはずの乗用車はさっさと通りすぎ去ってゆく。
「駐車場をあんなスピードで出てくるなんて…危ないなぁ。こっちが気づくの遅かったら確実にぶつかってましたよ。大丈夫ですか?」
「えぇ本当に…いやー私もまだまたま若いね!ブレーキすぐ踏めた自分の反射神経を誉めたいよ!」
あははっと笑った私だったけど、次の奥さんの言葉でハッとする。
「あっ!弁当!」
後ろを向けばビニール袋に6個ずつ入ったお弁当箱が前座席にもたれるように斜めっていた。それぞれ段ボールに入れていたので総崩れではなかったけど、急ブレーキの弾みで重力がかかり、見ると端の方がひしゃげてしまっていた。車を駐車場に停め、慌てて降りて後部座席側から覗いてみる。おそるおそるお弁当の中身を確認すると、寄っている。ご飯が縮み、おかずも指定の位置からズレていた。煮物の椎茸がコロッケに乗っかっていたり、丸く形作られていたポテトサラダがぺちゃんと潰れていた。たくあんもご飯に散らばっている。明らかに見た目が…落としたように崩れていた。
「だ、大丈夫ですよ、きっと。中身はズレちゃったけど、事情を説明すれば…」
「……」
返事をすることなく思案中の奥さんを邪魔しないように、後ろに待機する。はぁーと奥さんはため息をついてから電話をした。
「あ、もしもし、いつもお世話になっております。まるもり弁当の佐藤です。はい、はい。今お持ちしました。ですが、少々お詫びさせていただきたいことがありまして。…え?いえいえ、数は足りてます。幕の内弁当42個あります。…はい…はい、分かりました…お待ちしております。はい、では…」
私だったら、仕方がないですよね大丈夫ですよ、と言える範囲のお弁当の崩れ方だけど、今の電話の相手はそうはいかない人なのだろう。いつもニコニコしている奥さんが笑っていないだけで心が苦しい。どうか穏便に終わりますように。
体育館側から小走りにやって来た30代半ばの女性が眉間にしわ寄せ開口一番に、「何が問題なの?」と始めからきつめに問い詰めてきた。
実は、と切りだし簡潔に先程の出来事を奥さんは話す。そしてお弁当が見えるように中身を見せた。
「本当に申し訳ありません。」
深々と頭を下げる奥さんに
「酷い見た目ね、こんな汚くなったの子供たちに食べさせられるわけないじゃない。新しいの持ってきてちょうだい。」
と声高々に放つ。
「そうなりますと、作って持って来るまでに二時間はかかるかと。午後からの試合、間に合わなくなってしまいますよね?こちらのふてぎわですので料金の端数分はサービス致しますから、どうか…」
奥さんに並んで私も頭を下げる。
端数分引けば売り上げは望めない。小さなお弁当やさんにとって、ほんの少しの割引も痛手になる。
「最悪だわ。これから連日大会があるっていうのにこんな不味いお弁当出せるわけないじゃない。」
食べてもいないのに次々とクレームを言いつのり、時間ばかりが過ぎていく。この時間があったらコンビニとかで新しく買いにいけばいいのに…。
「あの、見た目はアレですけど、味は大丈夫ですよ」と口を出してしまった。
精魂込めて作ったお弁当を汚い不味いと食べてもいないのに文句を言われ、黙っていられなかった。私としてはこんなことで?という思いもあったかもしれない。
「は?こんな弁当食べさせるくらいなら私が作った方がマシだったわ。だから嫌なのよ、お弁当屋なんかに頼むのは。他に頼むところなかったから仕方なく注文しただけだし。」
これほどの団体客のお弁当を前日に頼んだらそりゃ断られるよ。多分断られて小さな個人経営の私たちの所に回ってきたのだろう。なんとか間に合わせたけど、ついていないな。
ドッチボールの試合がちょうど終わったのか、観客らしき保護者と選手の子供たちがわらわらと体育館から出てきた。横目で見ながらも通りすぎていく。なかなかクレームが止まらず、平謝りするエプロン姿の私たちはどうな風に見えてるのか。そこに
「どうされたんですか?設楽さん?」
後ろから声を掛けてきた女性は、設楽と呼ばれた女性と同じ歳くらいに見えた。おっとりたした雰囲気で、心配そうに覗いてきた。
「武田さん聞いてよ。このお弁当屋さんが雑な運転したせいで中身が滅茶苦茶なのよ。」
さっきの説明を膨張して伝える女にちゃんとした理由を話そうとしたとき、隣の奥さんが私の肩を押さえた。私はいつの間にか前のめりになっていた。顔にも出ていたのかもしれない。奥さんが駄目という顔で私の顔を見てすぐ「こちらの不手際です。申し訳ありません」とあとから来た女性にも同じように謝罪した。私はぐっと堪えて下を向く。
「あら?まるもり弁当さん。いつもありがとうございます。」
思ってもいないお礼に顔を上げた。
「うちの主人がね、ここのお弁当すっごく美味しいって言ってたのよ。私もパート出るようになってから毎日お弁当作ってあげられなくて。武田と言います。」
「あぁ…あの市役所にお勤めの武田さんの奥様ですか?」
すぐに思い出した奥さんは、こちらこそいつもご贔屓にしていただいてありがとうございます、と笑顔で答えた。私も少し遅れて思い出す。最近通ってきてくれる40歳位のサラリーマン。メニューに迷いながらもいつもニコニコと注文してくる人がいた。たまに社員の分もと、武田の名前で注文もしてくれていた。初めの頃よりも若干ぽっちゃりしてきた彼を、幸せ太りのせいにしておこうとみんなで話していた。
「どのくらい駄目になったんですか?数は何個?」
「12個です。」
「なんだ、12個だけなのね。なら私達家族がその崩れちゃったの食べるわ。あとは…そうだ、小林さんも大丈夫だと思うわ。」
お友達に頼んでみるねと、設楽さんを見て微笑む。
「さぁ早くみんなに持っていきましょ。時間がなくっちゃうわ。こっちに集まってるから、一緒に運んでちょうだい。」
「あ、はい!」
いそいそと私達は42人分のお弁当を運ぶ。設楽さんはむっとしながらも、時計を見て、仕方がなさそうに一袋だけ持って歩いてきた。もっと空気読んでよ、と武田さんにボソッと言っているのが聞こえてしまった。
人はいつでも自分の立場と都合で物事を推し量る。空気を読むとはどちら側に立っていえることなのか。
まるもり弁当の奥さんは端数分の代金を受け取らず、その場で会計して私達は仕事を終えた。
「ふぅ…どうなることかと思ったけど、なんとか受け取ってもらえて良かったですね。」
そう言った私に、苦笑いで返す奥さんの顔に、疲労が滲んでいた。
儲けにはならなかった。私は何を楽観視していたのか。良かったとは自分側の都合。気軽な発言に後悔した。どんなことを言われても、謝り続ける奥さんの姿が、働く母の背中を思い起こした。感情で動く私は、まだまだ遠い。
あんなに晴れていた空には、灰色の雲が広がり、山から重い風を導いていた。過去に馳せそうなった自分に、ぐっと手を握って現実に心を圧し留め、視線を車が進む先に見据えた。
帰ってきてから奥さんは旦那さんの店長に先程の出来事を話す。店長は無言で頷き、責める素振りは見せず「そうか」とだけ言って、おもむろに裏の小さな倉庫へと向かった。そして何かを取り出す。それを奥さんと一緒に持って二人で出ていった。
あれはお店用の飲み物だったはず。ペットボトル人数分はあると思う。きっと渡しに行くのだろう。お店は休憩中のプレートを出し、私となっちゃんは「休憩しててね」と奥さんに言われて二人で座って待つことになった。
「何があったんですか?」となっちゃんに聞かれて先程の経緯を話す。
「お詫びかな…」
「そこまでしなきゃいけないのかな?だって端数分っていったら赤字じゃないですか。しかもドリンクまで。先輩見てた限りお弁当はそこまで酷くなかったんですよね?」
「まぁね。でもやっぱり誠意が大事なんじゃない?大人な対応した店長夫婦はすごいよ。」
「そうですね。でも誠意って、なんなんでしょうね。」
「……相手が納得するかじゃない?」
「こっちがどんなに謝ったって満足しなかったら、誠意は0のままってことですよね?うーん…」
「二人で難しい顔してても辛気くさいだけだよ。なっちゃんは笑ってた方が奥さんも喜ぶし、帰ってきたらお疲れ様って言ってあげよ。」
「…はーい。」
困り顔のなっちゃんを無理やり納得させ、その問題をうやむやにした。掴み切れない不安を胸に抱えたまま。
ちゃんとした大人になる自信なんて、私もないよ、なっちゃん。
読了ありがとうございました。
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