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(四) 5 目と耳に残る記憶

 



 花火が夜空で波ぜた。

 大小様々の美しい大輪は、多くの人々の歓声と嘆息(たんそく)を引き起こす。知らないもの同士が一心に同じものを見て、同じ感動を胸に抱く。この場の空気が一つになった瞬間だった。

 スマホを上に向け、なんとか美しい花火を撮ろうと試行錯誤していた私だったが、結局徒労に終わった。目で見たものがカメラに写すと、どうしてこんなに見劣りしてしまうのか。


「どう?いい写真撮れた?」

「ダメ…やっぱり難しいな。」


 柳井さんに誘われて夏祭り会場に来ていた。けれど人の多さと視界の悪さに疲弊(ひへい)していた私は、いじっていたスマホをポケットに入れて花火の写真を撮るのを諦めた。


「花火が無理なら人を写したら?ほらあの親子なんかいいんじゃない?みんな笑ってる顔とかさ。心が暖かくなる写真を撮りたいんだろ?」

「人は…嫌…」

「どうしてだい?」

「なんで他人を見て幸せな気持ちになれるのか分からない。私は全くそうは思わない。母なら喜んだでしょうね。」


 頭痛がして柳井さんにあたってしまう自分にも嫌になる。

 いい写真が撮れたらと思っていたけれど、みんな考えることは同じで、すでにいい場所は確保されてて、私の入り込む隙はなかった。それならと別の場所を探しているうちに、人混みに(あお)られて歩き回り、なかなか見つからなくて、もはや花火をゆっくり眺めることもかなわない。ぐったりと疲れてしまった。


「なんかインスタ映えを探してるみたいだね。」


 柳井さんが明るい声で場を緩和してくれた。


「本当にね、インスタはやってないけど、いい写真撮りたい気持ちは分かるかも…」


 瞬一くんに送る写真はもういらないのに、未だに美しい写真を探してしまう。

 人がたくさんいる場に来るなんて、随分久しぶりだった。人酔いして具合悪くなった私を気遣って、人が少ない場所へ移動した。ビルとビルに囲まれた小さな公園があったので、そこのベンチに腰かけて休憩する。花火が見えない場所に座り、夜空に響く(とどろ)きを背にしてホッと一息ついた。祭りの余韻が耳に残っている。ちょっとした物音が頭を刺激して、こめかみに鈍痛を起こす。


「ごめんなさい、せっかくの花火なのに見れなくなっちゃって。」

「いいんだよ。気にしないで。」

「混むところはやっぱり苦手…」

「それなら今度は松島行こうか!あそこも観光地で人が多いけど、日にちを選べばけっこうすいてる日もあるんだ。自然と海に囲まれたとても静かなところでね、なにより福浦橋が綺麗なんだよ。朱く色づいた桟橋が青空と水面に浮かぶさまは絶景だね。」

「行ったことがあるの?」

「ああ、インスタ映えもバッチリさ。」

「もう必要ないんだけどね…」

「そうなの?」


 あのときの経緯(いきさつ)を柳井さんに話した。父親に会ったこと、瞬一くんに私との過去の関わりを知られたこと。


「こだわってたのは私の方だったみたい。これ以上あの子に付きまとえば(さまた)げになる。それに私を見たら、母のことがチラついて気を遣わせちゃうでしょ?だから影に徹するつもり。それにやっと親に認めてもらって心療内科に通院することになったってメールがきたの。どんな話し合いが行われたのか分からないけど、きっとあの子なら克服できると思う。」

「そうか、君が決めたなら僕は何も言うつもりはないよ。手助けの機会は、必要なかったみたいだね。」

「ごめんなさい。でも話しを聞いてくれてありがとう。」

「それで、松島に行くならまた花火大会に合わせて行くのもいいかもね。8月の下旬だったかな。」

「え?行くの?松島。」

「何言ってるんだい!行くさ。男一人の福浦橋は寂しいよ。」

「寂しいって…私はあなたの寂しさを埋めるためにいるんじゃない。」

「すぐそんなひねくれたこという、違うよ。ただ共有したいだけだよ。カメラじゃ伝えきれないことがたくさんあるだろ?」

「まぁ確かにね…。しょうがない、今度は私が付き合ってあげるわ。」

「ははっ、助かるよ、ありがとう。」


 (ほが)らかに笑う柳井さんの顔見る。また気を遣わせた。でも、痛みのない変化もあるんだね。変わることが楽しいと思えるなんて。思い付きで始めたことが、いつの間にか写真を撮ること意外にも、目的ができていた。結局、自分が楽しかったから続けていたのかもしれない。綺麗な写真が撮れたらまた瞬一くんに送ろう。

 柳井さんの笑顔に私も笑って返す。他愛のない会話、二人の笑い声が重なって、花火の残響はもう聞こえてこなかった。




 **




 (いつわ)りだらけの嘘の中で、彼女の悪意だけは本物だった。


「…いちくん、瞬一くん!」


 ハッとして机から顔を上げれば、目の前に女の子の顔があって、二度驚いた。


「どうしたの?委員長?」

「どうしたのもないわよ。もう朝のHR終わったよ。これから科学室で実習でしょ?移動授業、早く行かないと。」

「あ、そうだった、ありがとう。」


 しっかり者の学級委員長は明るく真面目で、クラスのみんなを引っ張ってくれる存在だ。目が丸くて幼く見えがちだけど、メガネをかけているので、年相応に落ち着いている。


「瞬一くんも委員長でしょ?勉強のしすぎで疲れてるんじゃないの?たまには早く寝た方がいいよ。」

「うん、そうするよ。」


 最近切りすぎたと言っていた、ショートカットの短い髪を耳にかけながら、僕を心配して声をかけてくれた。よく気が利く人だ。

 僕は何も気づけなかった。あのカオリさんという人が、なんで僕のことを心配してくれて気にかけてくれていたのか。知った直後はショックだったけど、未だに送られてくる写真をのぞくと、悪意はなかったのだと思った。僕はカオリさんに心療内科に行くことを報告した。あの事故と罪悪感をどう処理したらよいのか分からなかったけど、少し進めた気がする。それにカオリさんから不定期に届く写真を楽しみに待っている自分もいた。言葉はいらない。でも想いは伝わる。

 委員長と一緒に教室を出て、近くの科学室へ二人で並んで向かう。


「ねぇ明日から夏休みだね!瞬一くんは何かするの?やっぱり塾が忙しい?」

「塾もあるけど、その合間に部活に参加できたらと思ってるよ。」

「演劇部だっけ?」

「うん。夏に舞台公演があるんだ。」

「そうなんだ。確かカッコイイ先輩いたよね!観に行きたいなぁ。」

「うん、ぜひ来てよ!」

「やっぱり瞬一くんも先輩みたいに表舞台に立って活躍したいの?」

「いや、違うよ。僕は技術部門がいいんだ。照明とかセットとか、影で役者さん達を支える役割りがしたいんだ。」

「へぇー、影で支えるか。」

「うん、舞台は一人では作れないんだよ。そこが面白い。一人のミスが舞台を台無しにすることもあるけど、一人の小さな役割りが舞台を完成させることもあるんだ。繋げて、繋げて、その連鎖が物語をつくるんだよ。」

「ふふっ…」

「えっなに?」

「瞬一くん楽しそう。」

「そうかな?」

「だって顔が笑ってる。」


 自分の顔に手をあてる。いつの間にか頬は上気し、熱くなっていた。

 知らなかった。自分がこんなにも、のめり込んでいたなんて。見られていたのは、僕も同じだった。


「委員長、教えてくれてありがとう。」

「な、何あらたまって…」


 委員長の耳が赤い。熱があるのかな?と心配になったけど、足早に委員長は科学室へ入っていってしまった。伝えられる言葉は伝えよう。いなくなってしまう前に。僕も学級委員長なのに、彼女に頼りっぱなしだ。

 人のざわめく科学室のドアの前で、立ち止まった。

 孤独になりたければ大勢のところにいけばいい。誰も自分のことなんか見てないと分かるから。よりいっそう浸透していく孤独が、安心を呼ぶこともある。

 踏切事故があってから、一番近くにいたはずの母親は、僕のことを見なくなった。父は知らない人に頭を下げてばかり。僕は何をすればいいの?

 上辺だけの言葉に疑心感がつのり、何を信じたらよいのか分からなくなった。子供ながらに取り返しのつかないことをしたのを自覚していて、謝りたくてもその相手はいない。だって死んでしまったんだもの。こんなとき、どうすればいいのか、誰も答えてくれなかった。両親は「ありがとうございます」と知らない人に言っていた。そして死んだ人を立派だったと。

 教えて?死んだ人のこと。誰も教えてくれないんだ。ねぇ教えて、誰に謝ればいいの?労るように、さわらずの話題に、大人達は目を反らし、直視することを僕から遠避ける。そして死んだ人のお家へ行くことになった。やっと謝れると思った。でも謝っても許されないことがあるんだと、子供の僕はそのとき初めて知ったんだ。

 偽りの善意の中で、彼女の悪意だけは本物だった。真っ赤な目が僕を睨んでいた。誰も教えてくれなかった事実が本物になった瞬間だった。

 責任と命の重さに押し潰されそうな時もある。だからこそ生きていけることもある。憎しみを背負う覚悟は、生きる理由にもなるんだ。

 久しぶりに再会した彼女からは、昔の面影は全くなかった。だから気づけずに昔の話をした。父は少ししてすぐ思い出したようだったけど、あのとき葬儀で見たカオリさんの歪んだ顔は、僕にしか見えていなかったんだと思う。

 父はカオリさんが去ったあと「笑った顔がそっくりだったんだ」と言った。遺影や写真で見たカオリさんの母親の百合子さんと花織さんの笑った顔が、そっくりだったと。損得で動くのが当たり前の社会で生きてきた父は、善良制度に囚われている一人だったと思う。もし、それを否定してしまったら、今までの道が間違っていたことになる。基礎にしていた足場が崩れ落ちる感覚は、誰もが恐れる。カオリさんとの再会で、降りる決心がついたのかもしれない。もしかしたら、父もその不安の中で生きてきたのかな…。

 冷静になった父は僕が何故ここにいるのか、もう一度聞いてくれた。トラウマのことを話し、静かな声で分かったと(うなず)き、知り合いの病院へ行こうと言ってくれた。やっと言葉が伝わったことに、僕は泣いた。

 あの事故から六年、笑っていた今の彼女を見て、人は変わるんだなと思った。さよならと言って去って行くとき、くしゃっと笑った顔は、泣いているようにも見えた。僕も変われるかもしれない。力をもらって胸を張れるように、今度は僕が助けになろう。

 まずは委員長仲間の女の子に、笑ってもらうことから始めようかな。

 教室のざわめきが聞こえてくる。今はそれが心地いい。






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