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(四) 3 返信

 



 20歳と15歳の交流は奇妙な形で始まった。

 連絡先を聞いてきた私に、胡散(うさん)臭そうにしながらも、迷惑をかけた負い目があるせいか「LINEだけなら」といってIDを教えてくれた。名前は『猪股(いのまた)』となっていた。私の名は『カオリ』とだけ。

 仲良しこよしで繋がるつもりはない。そこまで自分が彼を救えるなんて自惚れてはいないし、昔会っていたことを未だに思い出していない少年につけこんで、間接的に関わって、今後何ができるのか模索していこうと思った。

 それに彼が辛くなったら、愚痴をここに吐き出してもらおうと思った。せめて、不安定な少年の捌け口になれたらと、学校も家族も友人も関係ない本音だけをぶつける場所を作りたかった。


「ただの気持ちの吐け口に使ってくれてもいいからね。それを悪用したりもしない。もしものときは切り捨ててもらっても構わない。それから、もしまたあの踏切を越えてみようと思っているなら、私を呼んで。またあんな風になったらと思うと、危なかしくて。これも何かの縁だし。」

「…はい」


 少年にとって線路を渡り切ることが当面の目標のようだったので言ってみた。返事はしてくれたけど、躊躇(ためら)いはぬぐえないだろう。


「それにほら、別に一人で渡らなくてもいいんじゃない?私にしがみついてもらってもいいし!」

「そんな恥ずかしいことできません…」

「そう?自転車乗るのだって、初めは補助してもらって、それから次第に乗れるようになるじゃない?」

「それとこれとは、違うようなぁ。」

「違うかな?人の手を借りることは恥ずかしいことじゃないんだよ。」


 たわいもない会話、もっと話していたかったけど、これ以上は本当に危ない人になってしまうので、この辺で終わらせた。

 見送った少年の背中は、私が思っていたよりも大きく見えた。瞳を惑わした自分の先入観は案外あてにならないなと自嘲(じちょう)した。

 逃げていた六年、向き合うのに何年必要だろうか。再会の余韻はしばらく続き、翌日熱を出した私は、久しぶりに弁当店の仕事を二日休んだ。誰もいないアパートの部屋でまんじりとも落ち着かず、通知音をこんなに気にしたのは初めてだった。



 **



「まさか再会するとは…。といってもそんな明るい話じゃないだろうけど。その子はいわゆるサバイバーズ・ギルドじゃないかな?」

「サバイバーズ…ギルド?」

「そう、PTSDの一種。災害や事故にあったとき、例えば大勢の中で自分だけ生き残ってしまったときとか、交通事故で自分が切っ掛けで他者や近しい人が亡くなってしまったときとかに、罪悪感がつのって、鬱状態になったり発作が起きたりで、身体的に不調をきたしてしまうことだよ。酷いとフラッシュバックが起きて倒れてしまったりするんだ。とても辛い状況だと思うよ。」

「そうか、やっぱりトラウマや過剰なストレスからきてるんだよね?」

「まぁそうだろうね。」

「私けっこう酷いこと言ってしまったかも…」


 体調も快復して久しぶりに柳井さんとお茶をすることにした。少年に会ったときの話をした。

 前にも二人で来たことがある喫茶店。互いに珈琲を頼み、店内に流れるバイオリンのゆったりとしたBGMを聞いてあの日を反芻(はんすう)した。彼を呼び出し、自分勝手な都合で休日を台無しにさせた申し訳なさはあったけど、柳井さんは静かに私の話を聞いてくれて、間を置いたのち、そんなことを言った。


「僕もお客さんから聞いただけだから、そこまでは詳しくないんだけどね。ちゃんと病院で診てもらわないと、はっきりしたことはいえない。心配だね。」

「私があの子に言ったことは無責任だったのは分かってる。けど罪悪感を少しでも取り除けたらって思って。やっぱりそこからして思い上がりだった…。教養なんてないのに、なんにもしてこなかったくせに、手伝わせてって偉そうに。好きなことしなよって、それができたらあの子は苦労してないよね。」


 一人でしゃべって自己嫌悪に陥っていた。


「そこまで思いつめない方がいいよ。」

「でも…」


 そんなとき、まさかの通知音。連絡を取り合ったりする友達はほとんどいない。チラリと見た標示はあの少年からのメールを通知していた。一気に緊張が走る。


「なんで今!?どうしよう!」


 慌てて差し出したスマホを柳井さんに見える位置へともっていく。そんな私に、柳井さんは少し困った顔で


「駄目だよ。これはあの子が君に送ったメールなんだから、僕が見たら駄目だよ。」


 二度念押しして、スマホを覗かずに私の胸元へと押し返した。

 冷静な柳井さんの表情と言葉に心が落ち着いた。


「そうだよね…ごめん。この行為も無責任だったね。ありがとう。」


 冷静になり、アプリ開いて文面を読む。


『猪股です。この前は助けてくれてありがとうございました。』


 という始まりで、よそよそしくも感謝の意を述べる文が続いた。来ない間もそわそわして落ち着かなかったけど、メールがきたらきたでまた更にいっそう落ち着かないものになった。


一先(ひとま)ず大丈夫そうだね。返信するの?」


 私の表情を読み取って、心配そうに柳井さんが聞いてきた。


「まだ分からない。」

「返信しないで、これで彼との縁を終わらせることもできるよ。それともずっと連絡取り続けるの?そうなったらいつまで彼と関わり続けるつもりなんだい?」

「うーん、とりあえずは六年…」

「六年?どうしてまた?」

「事故から六年、私彼に何もしてこなかったから。同じだけ気にかけてあげられたらなって。でも私…なにも、もってない。」

「もってない?」


 柳井さんの顔を見れずに下を向く。


「私、人を元気づけられるほど、強い言葉をもってない。まるもり弁当店の奥さんみたいに包容力があるわけじゃないし、店長みたいにどっしり構えた安心感もない。それに、なっちゃんみたいに人に笑顔を与えられる愛嬌もない。どうやって彼に言葉を送ったらいいのか、全然わからない…」

「焦らなくていいんじゃないかな?ゆっくり考えて返信すればいいよ。彼も分かってくれるさ。優しい子だったんだろ?」

「うん、だからこそ力になりたい。」

「そうだね。なら僕はカオリさんの力になるよ。手伝えることがあったら言って。」

「ありがとう。柳井さんは誰に力をもらってるの?」

「僕はね…お客様かな。少しずつだけど、僕担当の店舗や新規のお客様も増えてきたんだ。僕が手伝ったお客様がお店を出して、繁盛してるのを見ると嬉しいね。」

「良かった。」

「お客様の喜ぶ顔が僕に力をくれて、僕は君に力を渡す。そんな君はあの子に力を渡して、そうやって与え続ける輪が広がって繋がっていけたら、世界はもっと優しくなるのにね。」

「うん…」


 綺麗事だけど、そんな綺麗事を聞きたいときもある。私にはない発想は新しい風を心に入れてくれる。


「でもさ、そこに僕は入れてくれないの?」

「え?」

「ほら、包容力とか、安心感とか、愛嬌とかさ。」


 そう言われて先程のことを言ってるのだと気づいた。


「ああ…そうか、うーん、そうだなぁ…」

「そんなに悩まないでよ!」

「それじゃ…嫌なこともさらりとかわす、したたかさ、とか?」

「しなやかさとかじゃなくて!?そこはスマートとか言って欲しかったな…」


 柳のように凪いで交わす(うれ)い気を、優しくはらい、心にぬくもりを添える。


「ふふっ…ありがとう。」

「僕はまだなにもしてないよ。頑張ってね。」

「うん、頑張る。」


 私もこんな優しい言葉を返せたら、どんなにいいたろうか…



 **



 立ち止まって動かないくせに達観したように一丁前にこうべをたれて、偉そうにしてた日々。横断歩道の向こう側へ渡る人々。私は立ち止まって彼らの背中を眺めるばかり。道が壁となって立ち塞がり、私は滑り堕ちていく。そんなときの命綱は今にもちぎれそうなほど危ういもので、たわむ浮遊の中で、私はもがき、離すものかと腕に力を入れる。所詮(しょせん)魚にもなれない、ただの(ごみ)くずか。キシキシと縄から音をたてていたのは勘違いで、くいしばった骨の(きし)む、(あつ)擦れだった。


 ハッとして目を開けば見慣れた天井。自分の住むアパートだった。

 夢の中でも、私の世界は本当に暗くて泥臭い。寝汗をかいたまま、横になって少年からの返信を思い出す。

 母の葬儀のとき、私は完全なる悪意をもって少年を見た。そんな私が彼をどう励ますというのか。

 梅雨のじめじめさがいっそう感じられる早朝、外を見ると霧雨が降っていた。眠気もなくなり結露で濡れる窓を開け、少しでも新しい空気を吸い込みたくて、顔を出した。

 いつもの見てる住宅地の風景、静寂がひそみ、人の営みはうかがいしれない。相変わらず私の目は曇ったままで、吐き出したため息は湿気の不快さを深くしただけだった。

 少年にとっての優しい世界とは、どんな風景だろうか…


 仕事の時間になり、いつものように弁当店へ出勤した。入り口がある裏手へ回るさい、開店前の店の前を通る。そこでふと青紫色が視界を呼んだ。

 あの遅咲きの紫陽花が咲いていた。最近雨ばかりだったので、水やりも必要なく遠ざかっていた。気づかぬうちに美しい花びらが淡く色づき、香りを広げるように笑っていた。

 見過ごしていた美しさに()とれた。

 そばにいても、気付かなければ意味がない。

 私にできることは、少年にとって少しでも日常の憂いを軽くすることだけ。ただ受信するだけの一方通行でいい。

 スマホを取り出して紫陽花の写真を撮る。傘が邪魔になり地面に置いた。なかなか納得いく写真が撮れなくて、濡れるのもそのままに、何度もシャッター音を鳴らす。時計を見ると、入店時間まで1分しか残っていなかった。焦った私は、結局一番最初に撮った写真を1枚選んで送信ボタンを押した。


 美しい言葉は知らない。

 なら美しい写真を贈ろう。


 憂鬱の影を背負った少年の瞳を、せめて美しいもので満たしていこうと思った。優しい世界はどんな風景かは分からないけれど、ファインダーサイズに映る世界はきっと優しい姿のひとつだろう。

 遅くなった返信、いつか彼の笑顔が咲き乱れるように願いを込めて。






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