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(四) 2 導かれた邂逅

 



 その日は母の月命日だった。墓参りの帰り、ふとあの事故現場の踏み切りへと、足を向けた。なんとなくの行為はもしかしたら母の導きだったのかもしれない。


 踏切のサイレンが鳴り響く。午後3時過ぎ、帰宅ラッシュにはまだ早い時間。ほとんど人はいなかった。この踏切は朝の通勤時と帰りの帰宅時間くらいしか混みあわない、日中は閑散(かんさん)としている。

 昔の事故のことは実際見たわけじゃなくて、人伝に聞いただけだったので想像を膨らませるしかない。それでもこうだったのかとイメージするたび、胸が苦しくてやるせなくなる。私は本当になにもできなかった。母の行動も未だに正しい行為だったのかも分からない。そもそも母は死ぬつもりはなかったんだから。人を助けたあと、平気で『無事で良かったわ~』と言って立ち去るような、のほほんとしたところがあったし、汗だくになりながらいつもの一日の始まりをスタートしていたと思う。


 ふと、反対側の脇道に人がうずくまっているのが見えた。線路沿いの伸びる細い道の隅に小さな背中。そのまま見て見ぬふりをしても良かったのだけれど、なんだかやけに気になってしまった。母のことを思い出し、少し感傷的になっていたからかもしれない。私は車が来ないのを見計らってその人に近づいた。

 その人は男の子、始めは中学生かと思った。線が細く、肩幅も狭かった。うずくまる姿がとても小さくて弱々しかった。


「あの、大丈夫ですか?具合、悪いんですか?」


 よく見ると着てるブレザーは市内有数の進学校の制服だった。身の丈に合わない長さのせいで先が縮れていて、皺が寄っていた。

 春に高校生になったばかりなのかな?肩に触れてみる。そっと添えた手から伝わる骨張った肉付きのない肩に少し気後れしつつも再度声をかけてみた。


「体調悪いなら救急車呼びましょうか?」


 初めの問いに対して返事がなかったので、よっぽど酷いのかとそう提案してみた。


「…だ…大丈夫…です。」


 聞き逃しそうなほどか細い声。鳴りやまないサイレンが列車を通過する音にかき消された瞬間、その細いからだがますます強張った。地響きと共に轟音が体に伝わってくる。少年は両耳に手をあて耳を塞いだ。その手は振るえていて、具合が悪いというより、逃れたい恐怖に怯えているように見えた。思わず添えた手を回し、肩を抱いた。音から守れるわけでもないのにガッチリと掴んだ。騒音が遠ざかるまでずっとそうしていた。サイレンも止み、少年を掴んでいた手を離した。


「ごめんなさい。掴んじゃって。それより本当に大丈夫?顔真っ青だよ。」

「すみません。」


 今度はさっきよりハッキリした声が返ってきた。げっそりした顔を上げ、幼い顔には汗が流れ疲労がうかがえる。このままほっとくわくにもいけない。


「ねぇこの先にコンビニあったでしょ?とりあえず熱中症か貧血かもしれないから、飲み物買って水分補給しましょ。」

「いえ、いいです。」

「良くないよ!ね、行こう。フラフラするなら肩貸してあげるから。それともやっぱり救急車呼ばれたい?」

「それは…嫌です。」

「でしょ?だからとりあえず飲み物飲んでしっかり立てるようになったのを確認したら、私安心してあなたから離れられるから。お願い。」

「…分かりました。」


 少しは迷惑をかけた負い目があるのか、少年はしぶしぶ私の提案を受け入れた。歩幅を気にしつつ踏切を背にし、少し離れたコンビニへとゆっくり歩いて向かった。並んだ背丈はほとんど同じだった。

 着いてすぐ彼をコンビニの端に座らせた。ズボンが汚れてしまうのは致し方ない。スポーツドリンクと念のため栄養ゼリーも買っておいた。痩せすぎイコール食べてないのではと安易な発想だったけど、ないよりはいいだろう。店の外を出ると、ちゃんと彼は同じ場所に尻を付けて待っていた。下を向き脱力した姿は頼りなく心細そうだった。彼の元へ行き、スポーツドリンクを目の前に差し出す。半目に力無く開いている瞳がドリンク越しに私の顔を見た。初めてしっかりと目が合った気がする。ふいっとすぐ目をそらし「ありがとうございます」と言って少年は受け取った。キャップを開ける手がまだ振るえている。ドリンクを持った彼の手の上に私の手を添えて、反対の手でキャップを変わりに捻る。触った彼の手は、ドリンクの冷たさよりも冷えきっていた。両手で支え直してドリンクを飲む。少しずつだったけど、ゴクゴクた喉を潤す様子にホッとした。だから大丈夫ってわけじゃないけど、何かを渇望する姿を見て、彼は生きているんだなと当たり前のことを思った。会ってから今まで、薄すぎる生に違和感を抱いていたんたど気づく。

 ついでに買った自分の分のお茶を、私も隣に座って飲んだ。他人同士であるけれど、労る行為に先ほどの緊迫感が抜けていった。


「ねぇ、どうしてあそこでうずくまっていたの?」


 余計なお世話だと分かっていても、聞かずにはいられなかった。 逡巡(しゅんじゅん)する少年になるべく優しい声を心掛けて話す。


「ほら、他人同士なら言いやすいこともあるでしょ?」


 無理なこじつけだった。けど、ため息すら飲み込むように息を詰めている姿を見ると義視感が募る。


「まぁ私なんかじゃ頼りないだろうけど、学校の先生にも言えないこともあるでしょ?友達とかにも気を遣うだろうし、家族ならなおさら言えないこととかさ。」


 家族という言葉に、ピクッとした反応を見せる。高校生になったばかりなのだろう。進路やそれ以外だってたくさん悩みがある敏感な年頃だ。まだ20歳になったばかりの私では大したことは言えないけど、ある予感にさいなまれて彼から離れられなかった。気が急ぐのを内心抑えながら根気よく待った。


「僕は、家族が嫌いだ…」


 最初に吐き捨ててくれた言葉はそれだった。


「僕の親は世間体ばっかり気にしてる。僕がどう思ってるかなんて、一ミリも興味なんかないんだよ。父さんなんか、自分が言ったことが全部正しいんだって思ってる。母さんなんか嘘ばっかりだし。」

「何か言われたの?」

「…僕は強くなりたかったんだ。」


 見た目こそ小さくて細い体の少年は、悔しいのか、ペットボトルを強く握り指先が白くなっていた。唐突に始まった吐露に、無駄な言葉は差し込まないで聞いてみる。ひとり言のようにその話は始まった。


「僕は昔、列車事故に巻き込まれたことがある。9才か10才くらい?あんまり思い出せないけど、線路の上で恐怖に怯えていたのはすごく覚えてる。自転車が動かせなくて、手が振るえて、足も振るえて…。周りの人が声かけてたらしいけど全然その声も聞こえなかった。あのとき自転車を捨てれば良かったのに、なんでかな、僕は馬鹿だったんだ。どうすればいいのかにパニックになってた。でも気づいたら、踏切の外側にいたんだ。女の人が押し出してくれたんだって分かったのは、列車が通りすぎてからだったよ。」


 列車の甲高いブレーキ音とたくさんの人の悲鳴と怒号、全てが混ざり合って、空っぽの頭の中に突き抜けた。あのときの恐怖の喧噪が耳から離れない。そのあとのことはあまり覚えていない。親に連れられてどこかへ行った気がする。そこは暗く子供の僕でも、避けがたい湿った空気が流れていた。なのに周りの大人たちは何故か笑顔で。『良かったね』『彼女の分まで生きるんだよ』『恩を返さないと』と語りかけてくる。

 そんな中一人だけ違う目の人がいた。制服を着た僕より年上の女の子。どんな目をしていたのか言葉にできない。ただただ、悪意を向けられた視線に、寒気がした。僕は下を向くしかできなかった。両親は『ありがとうございました』と頭を下げて涙を流す。もはやあの涙の源がなんだったのか、今の両親から伺えきれない。立派な子に育てる、が彼らの心情で少しでもミスをしようものなら罵声が飛んでくる。


 立派な大人になれ

 そんなこともできないのか

 恥ずかしい人間になるな

 そんなんじゃ世間が許さないぞ

 あの人の命を無駄にするな


 プレッシャーに圧し潰されそうだ。

 ねぇ


 立派な大人ってなに?


 完璧な人間ってなに?


 できないことが恥ずかしいの?


 世間って誰のこと?


 僕は、人殺しなの?


 生きてて、いいんだよね?



「僕は強くなるためにあの場所に来たんだ。僕はあの日から電車に乗れない。近づくと吐き気がして、頭痛がして、具合悪くなるんだ。電車が通る時なんか、全身の力が抜けて、全く動けなくなる。さっきもそうだった。電車に乗れないから学校はバスか徒歩で行けるところにした。両親はもっとレベルの高い学校に行かせたかったらしいけど、さすがに通学のたび、吐いてたんじゃ無理だって分かったから、仕方なくレベルを下げたんだ。今でも納得してないみたい。僕は克服して、強くならなきゃいけないんだ。じゃないと僕のせいで死んでしまった人に顔向けできないよ。それに社会人になってもどこにも移動できないままだ。すべて車ってわけにもいかないし。」

「ねぇ強くならなきゃいけないって誰と戦ってるの?敵ってだれ?」


 ハッとして少年は顔を上げた。ずっと喋り続けていたことに気づいて手元のスポーツドリンクに口をつけて、カラカラの喉を潤した。


「敵…敵はみんな…」

「そう、みんなか。そうか、確かにそうね。」

「みんな僕がちゃんとした人間になるのか見張ってるんだ。先生は何かあるたびに死んだ人に報いなさいって言ってくる。そんなの分かってるよ!友達だって、なんでそんなことしたんだって聞いてくる。自分なら逃げる、自分ならあんな馬鹿なことしないって。毎日監視されてるみたいだ。」

「それは、息苦しいね。その…体調不良になることについて、医者には行ったの?」

「父さんが、心が弱いからなるんだって、病気じゃないから行く必要ないって。」

「それは説得が大変そうね。」

「もう嫌だ。味方なんて僕の周りにはいない。」

「大丈夫、味方ならいるよ。」

「は?どこに?」


 少年を指す。


「あなた。自分を味方につけて、たくさん甘えたら?」

「は?」

「もう少し自分に優しくてもいいんじゃない?」


 世の中を敵とみなした少年は、自分の可能性を捨ててはいなかった。だから自分にだけはもう少し寛容になってくれたらと、でた言葉だった。


「よく分からないよね。私もよく分からないで言ってる。ごめんなさい、こんなことしか言えなくて。でもね、世間や家族が敵なら自分しかいないじゃない。電車が乗れなくったって、学校の成績が落ちたって、あのときの恐怖に比べたら全然怖くないよ。賭けてるのは命じゃない、うーん、矜持(きょうじ)っていったらいいのかな?君なら分かるはず。確かに周りから過去のことを散々言われて最悪だけどさ、だったら誰も君のことを知らないところにいけばいい。そしたら誰も君を過去の君と今の君を比べたりしない。それは逃げじゃなくて戦う場所を変えただけ。といっても大人になればなるほど圧倒的に君のことを知らない人ばかりになるよ。あと数年もすればね。今は学生だから不自由だけど。好きなことをするっていうのは簡単なことじゃないってのは分かってる。でも、力を使うならそっちの方じゃない?耐えることよりも好きなことに力注ぎなよ。それにね、勘違いしてるけど、あなたはもう強いよ。弱くない、強い。」

「強い?」

「うん、強い。私なんかより断然。変わろうとしてる。変化することってすごく痛いから。私は怖くて駄目だった。ちなみに何か好きなことはないの?」

「…ないです。」


 私の言葉にあっけにとられていた少年は、好きなものというフレーズに、ふと違う顔になった。優しい目だった。

 ないと言っていたけれど、好きなことがあるのかもしれない。せめて周りの評価が届かない気が休まる場所、世間体を気にせずに自由でいられるところがあれば。

 きっと好きなことをするのに、後ろめたさがあるのだろう。

 お母さんなら、何て言ってアドバイスするのかなぁ…。


「あ、そうそう、その味方に私もいれてね。」


 にかっと不釣り合いな笑顔を少年に向ける。


「だからさ、一緒に考えさせて…」


 なにかを感じとってくれた少年は、少し困ったような顔をしたけれど、わずかに微笑んで軽く頷いた。


 ごめんなさい、じゃ言葉が足りない。私がしたことは取り返しのつかないことで、少年の人生に悪意として記憶されてしまった。本当に辛かったのは彼も同じだったのに、私は最低だった。中学生の私に何かでるって?それは言い訳で、なら今、何かできるはず。ほんの少しだけれど、あのとき救われた命が輝けるように、自由に羽ばたけるように、背中を支えてあげたいと思った。

 線路の脇道で見つけたときにはもしかしてと思っていた。なぜなら少年の見た目はあの頃のまま、あまり変わっていなかったから。小さいままで、悲しそうに、おどおどとしていて、どこかお伺いを立てるような他人(ひと)を見る目。

 でも違っていた。少年はあのときのままじゃなかった。突き落とされて溺れても、光に手を伸ばし、しがみつき、這い上がろうともがいていた。私が立ち止まってる間に。

 その手を掴めない。あぁ…私はなんて汚い手になってしまったのだろう。背中に手を隠す。


 いつの間にか辺りは夕闇に染まりかけていた。風も冷たくなってきて、梅雨の兆しがじっとりと肌にまとわりつき、憂いを誘い込む。少年の周りだけでも払ってあげたい。このまま見て見ぬふりもできなくて、汚れた手の使い道を考える。導かれたこの再会を無駄にしないために。





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