序章
新しい元号になるに向けて私なりにこんな法制度があったらどんな世界になるのかな、と思って考えた物語です。宜しくお願いします。
母は人を助けて死んだー。
さて、こう聞いてどう思う?
可哀想?立派?それとも無謀な行動?考えなし?
いろんな言葉が出てくるかな。
母はどこにでもいる普通の女性、仕事は介護ヘルパーをしている。女手一つで私を育ててくれた。どちらかというと苦しい生活というより、女2人の生活はなんの気負いもなくて気楽で平穏だった。一緒にいる時間は短かったけど、仲は良かったと思う。
母は誰にでも優しく、訪問先の人達には人気者だった。軽い冗談にも口を開けて笑い、汚い下の世話も嫌な顔ひとつせずに黙々とこなした。お人好しだけど良心的で困った人がいたら仕事の時間関係なく相談にものった。
中学生になった頃から、私も母のような人になりたい、明るく穏やかで場をなごませるような、そして同じ仕事ができたらいいなと思っていた。高校の受験もやっと終わり見事合格して2人でささやかなお祝いをした。3月の早めの春風が舞うまだ肌寒いとき、あの事故が起きた。
助けられたのは子ども。その子どもの乗っていた自転車の後輪が線路に挟まってしまった。男の子は必死に外そうともがいたがどうにもできずにただ、焦りと涙で周りが見えなくなっていた。踏み切りのバーが下がり、朝の通勤時にサラリーマンも学生も唖然としながらも、早く早くと声をかけていた。誰も踏み切り内に入るものはいない。母を除いては。母は緊急ボタンを!と側の人に声をかけると同時に駆け出し、バーを押し上げ、線路内に入っていった。電車はすぐそばまで来ている。ブレーキ音のつんざく悲鳴が街中に反響した。男の子の元へ来ていた母は手を引き、反対側へと押し出す。自転車が倒れる、男の子が外へ出る、母は、転んだ。
本当に何やってるのお母さん。最後くらい笑って終わろうよ。死んでしまったら言葉が届かないよ。文句すら伝わらない。そんな当たり前なことも知らずにいれたら良かったのに。
そんな文句も自分の心管に反響するだけだった。
**
善良制度及び善良ポイントについて
『善良ポイントとは、良心元年以降に制定された新制度。善行と思われる行為または基金や投資など(※外部に記載)奉仕した個人に対してに交付される数値のことである。その善良ポイント保有数によって一時金、将来の年金増加、税金の控除など有意に利用することができる。善良ポイントは自身の年金手帳や身分証明書(健康保険証、運転免許証、マイナンバー)に加算されていく。
その善良となるポイントは、良心的な行動、人の為に尽くし、人の役に立ち、人を救った時に発生する。それは政府が定めた規定に準ずる。詳細は以下の通りである。ー、』
「あーめんどくさい!何なんですかこの長ったらしい文言は!なんたらかんたら説明ばっかで目がシバシバする。」
そう言って休憩室でなっちゃんはテーブルに突っ伏した。手に持った『善良ポイントに関する記載』の用紙を握り潰す勢いで。
「二十歳になったからって、年金は払わされるは、大人の自覚もてとか親はうるさいし嫌になっちゃう。ねぇ先輩もこれ届きましたよね?読みました?もう私こんな細かい字ばっかり載った文章とかってほんと無理。」
ぷっくりと頬を膨らまし、突っ伏したときにできたおでこの赤い痕をさらして夏海ちゃんはこちらを見た。この上目遣いが男はたまらないんだろうな。
「ちゃんと届いたよ。一応目は通したけど、もうどこに置いたか忘れちゃった。」
なっちゃんからは先輩と呼ばれてるけど今年で同じ二十歳なった。彼女より先にここ『まるもり弁当』で働き始めたから、カオリ先輩と呼ばれている。まるもり弁当店は名前の通りお弁当屋さん。宮城県の田舎町にあるここは、市役所や小学校、高校と集中した所にあるため個人経営で店構えは小さいけれど、それなりに繁盛している。今はちょうど15時、お客さんも途切れた休憩中。
「人の為に尽くすってどうすればいいんだろ。」
彼女の愚痴は続き私は聞き役に徹する。常に私たちはこんな感じだ。話すのが苦手な私には勝手に喋ってくれるので楽だ。
新元号になってから早6年、それと同時に発令されたこの『善良ポイント制度』は昨今の犯罪率とマナーの悪い日本人が右肩上がりに増加し、それを懸念した政治家がこの法令を発案した。始めこそは賛否両論あったけど、あることが切っ掛けで世の中の認知することになってしまった。
「よーするに、良いことすれば良いことが返ってくるってこと?」
「そうだね。善行には恩返しがあるってこと。」
「そっかぁ、でも良い人が良いことあるのは良いことですよね?……あれ?なんか私変な言い方しちゃったかな、ちゃんとした大人になれるかなぁ。」
「なっちゃんなら大丈夫よ。」
電話注文を受けていた奥さんが受話器を置くと同時に声をかけてきた。注文を受けながらこちらの話にも聞き耳をたてているとは恐るべし。しかも注文はしっかりと間違わない。
「なっちゃんはいい子だから。」
根拠のない発言。でも実際ちょっと抜けた喋り方するなっちゃんだけど、意外と器用。話し方はゆっくり、でもお弁当に積める時や野菜を切るときの手付きは危なげもなくテキパキとしている。だてに調理師専門学生をやってるわけじゃない。彼女がこの法案の真逆をするイメージもなかった。今のところは。
「そうですかぁ。ありがとうございます。」
にっこり笑って返す様は、笑顔に笑顔が返ってきたようで、場が和む。それを横目に
「さぁ、そろそろ団体様のお弁当作りましょうか。」
と私が言うとなっちゃんと奥さんがそうね、と頷いて3人で空弁当箱におかずを入れ始めた。奥の厨房ではまるもり弁当の主人が唐揚げをカラカラと鳴らして揚げている。唐揚げの香ばしい匂いと青野菜の彩りがお弁当に次々と飾られていく。30個ほどだろうか。宴会でもあるのかな?あとはご飯を盛るだけ。それはお客様が来る予定の30分前で大丈夫だろう。なるべく温かいものを提供したいというのが彼ら夫婦の理想だ。3人で盛って、蓋をして、袋積めすればすぐにすむ。慣れ親しんだ流れに、休憩中話した雑談を片隅に追いやった。
人は慣れる生き物だと、誰かが言っていた。確かにそうね。あんなヘンテコな法案が通って世論は散々騒いだけど、6年も立てばそんなこともあったね、といつもの日常に溶け込んでしまった。それがどんな色だったのかは混ざってしまった絵の具から取り出すことは二度とできない。なかった日常も、あるはずだった日常も。置いていかれたものをずっとその場に残して。
**
タブレットをいじりサラリーマンが下を向く。これからまた出掛けるのか化粧直しをする女性、学生のグループ、私と同じ一人で座る者。田舎から都市部へと逆行するこの電車の中には様々な人がいる。日曜が終わり、始まったばかりの夜が箱の外を黒く染めていく。朝から仕事だったので眠い。今日はいつもより早めに帰らせてもらった。
電車が終点に着き、わずかばかりの人が降りてくる。少ないと思っていたが、こうやって一斉に同じ動きが始まると集合体になって、多かったのが分かる。背が低い私はどうしても先の足元が見えづらいため、少し遅らせて降りる。もう帰るだけだし、終点なんだからゆっくり行こう。そんなとき目の端に捉えた二人組がいた。二人組というわりにはぎこちなく、一人の男性と一人の若い女性が出入口とは反対へと向かっていった。端から見ると、目が不自由な白い杖持った男性とそれを補佐する女性だが違和感がある。気になった私はその後ろを少し開けてついて行った。目の先はトイレだった。なんだ障害者用のトイレ案内か。
「はいどうぞ」と手を繋いでいた女性がそう言って男性をトイレの取っ手へと導く、そのときいきなり男性が女性の腰へ手をやった。女性はとっさのことに反応できずに引き摺られて開け放たれたトイレへと吸い込まれた。まずい!私は急いでそのトイレへと近づき取っ手を掴んだ。閉まるギリギリ、鍵をかけられたら終わりだ。ガチャンと鍵が空を切った。閉まるはずの鍵は空振り、私は思いっきり全開にした。そこには怯えた女性と苦虫を噛み潰した男性が私を『見ていた』。しっかりと目がかち合い、「何してるんですか?」と私は普段から目付きの悪い目を更に細めて問いただした。
「は?何って、補助を頼んだだけだよ僕は。何って、君こそなんだよ!」
支離滅裂になりながらも反論する男と私は睨み合う。引きそうになる心と足をなんとか踏み留まり声を低く見積もって発する。
「私は彼女の友達です。あなたこそ随分よく見える目をお持ちですね。」
「えっ見えるんですか!?」
女性が驚いて男性を見る。男性はしまったという顔になったが開き直り、これでも視力が弱いんだと言い訳をし始めた。
「もうここまで案内したんですから、彼女の腰から手を離してください。」
女性は騙されたことに気づき、今自分の立ち位置が危ういこと察して男から体を引いた。外に出て私の側に寄る。じゃぁ行こうかと彼女の腕を取り、そそくさとその場を去った。振り返るとそのトイレのドアは閉まっていた。どんな顔してるのかなんてどうでもいい。ただ早くこの場から去りたかった。駅の改札口を抜け二人で人がまだ行き交う所へ出た。普段はうるさく感じる人のざわめきが落ち着く。
「あの、ありがとうございました。」
先ほどの女性が青い顔をして私に言った。今頃になって恐ろしさが身に染みてきたのだろう。掴んだ手はとても冷たかった。
「いいえ。大丈夫です。あなたが何もされなくて良かった。」
私は笑顔が苦手だ。でもここはなんとしても安心してほしくて、ない機能を絞り出すようにマスクを外して微笑んだ、つもりだったけど私の片頬が歪んだだけのニヒルな顔になってしまった。それでも女性はホッとして少しずつ本来の表情が戻ってきているようだった。
「最近あぁいう障害者を偽って、親切な人を騙したり、痴漢しようとする人が増えてるそうですよ。気をつけてください。」
「はい、そうですね。本当にありがとう」
ありがとうを繰り返す彼女は懐から身分証らしきものを取り出した。
「あの恩返しナンバー教えてください!」
そう言ってナンバーを控えようとした。
『恩返しナンバー』とはポイントを交付するときに最も重要となる番号である。この番号は成人した個人に対して一人一人付いたもので、その番号をお互い交換し役所に届けることでポイントが入ることになる。今回の場合は助けられた女性が私にポイントを入れたいと申請する手続き。ポイントは5ポイント制、5段階評価になる。初めそれを聞いたときは、レビューみたいと思った。人間が人間を評価するレビュー。なんて滑稽だろう。だけど今はこれがまかり通ってる。
「ぜひポイントを入れさせてください!」
「いりません」
「えっ?」
貰うのが当然だと思ってる人が多い中、私はきっぱり断った。
「それじゃ帰りも気を付けて。警察に行くかはお任せしますので。」
そう言い置いてその場を離れる。「あの!」と後ろから声はあったけど、聞こえない振りをして早歩きで去った。
この日のことはこれが最後だと思った。まさかそのやり取りを見ている人がいるなんて…
読了ありがとうございました。
これから続いて参りますのでお付き合いのほどよろしくお願いします。