この学校に災厄が降りかかろうとしているわ
「なぁ、つかさぁ。許してくれよぉ。オレが悪かったからさぁ」
媚びた態度で謝罪を口にしているのは、琳昭館 高校の一年生、仙月アキトだった。それを同級生である武藤つかさは顔を背けるようにして、徹底的に無視を決め込んでいる。
つかさの隣を歩く同じクラスの 忍足 薫 が、ほとほと困り果てたアキトを振り返りながら、ほくそ笑んでいた。普段は不遜な態度を取っている無礼千万の輩なので、いい気味だ、とでも言いたげに。
つかさがアキトに対して怒っている理由──それはもちろん、昨日、本人の了承もなしに性転換手術を受けさせようとしたからである。
もっとも、最初にそれを企んだのは生徒会長の 伊達 修造 だった。
むしろアキトは、拉致されたつかさを助けるべく美容整形外科に飛び込んだのだが、その手術内容を知った途端、急に手の平を返し、伊達の企みに荷担することにしたのである。
この裏切りに対し、さすがに温厚なつかさも堪忍袋の緒が切れた。もし、つかさが自力で脱出していなければ、今頃、正真正銘の女の子にされていたことであろう(※ 詳しくは第11話を参照)。
登校してから放課後に至る今まで、アキトはずっと頭を下げ続けているが、お人好しな性格をしているつかさも、さすがに今回の件を簡単に許す気はなかった。まるで子供のように、ぷぅ、と頬を膨らませ、一言も口を利こうとしない。
そんな二人のやり取りを一日中見ていた薫としては、ついつい吹き出さずにはいられなかった。
「とうとう、アンタもつかさに愛想尽かされたわねえ。友達を裏切ったりなんかするからよ。自業自得だわ」
「う、うるせえ! あれは、その……ちょっと魔が差しただけだ!」
痛いところを突かれて、アキトは声を荒げた。するとすかさず、つかさにジロリと睨まれる。魔が差した、では済まされない。
「うっ……」
アキトのこめかみを冷や汗が伝った。
すると薫は、頭の後ろに手をやって、昨日のことを思い出すように、顔を少し上に向けた。
「まあ、無理もないか。つかさのセーラー服姿、すごく似合っていたし」
「か、薫ぅ……」
恥ずかしい記憶を呼び覚まされて、せっかく怒っていたつかさは、それを削がれたように赤面した。
睡眠薬で眠らされていた間にセーラー服を着せられていたつかさは、その姿のまま美容整形外科から逃げ出さねばならなかった。
外へ出た直後、運良く薫によって保護され、家まで送ってもらったのだが、そのときの恥ずかしさと言ったら。途中、誰か知り合いに出くわしはしないかと気が気ではなかった。
もっとも、薫は真っ直ぐ帰ろうとはせず、面白半分にセーラー服姿のつかさを、あちこち連れ回したのだが。
「そう言えば。――ジャーン! ほら、見て! 昨日の帰り、つかさと一緒に撮ったのよ!」
つい昨日まで、薫こそつかさと絶縁状態だったのも何処へやら、楽しげに自分の生徒手帳を開くと、貼ってあるプリクラをアキトに見せた。
小さなシールには、どう見ても仲良し女子高校生によるツーショットとしか思えないような、つかさと薫の顔写真が。これも薫によって、無理矢理、撮影されたものだ。
当然、アキトがそれに反応しないわけがなかった。
「おおっ!?」
薫の手から生徒手帳を引ったくりそうな勢いで、アキトの目は貴重なプリクラに釘付けになった。これは新聞部の 徳田 寧音 が隠し撮りしたつかさの秘蔵写真すらも及ばない。つかさファンであれば垂涎のお宝画像だ。
「見るなぁ!」
顔を真っ赤にさせたつかさが、プリクラに飛びつこうとするアキトを阻止した。みしっ、と容赦ない肘鉄がアキトの顔面にめり込む。
まともにつかさの一撃を喰らったアキトは鼻血を出し、地面に倒れ込んだ。
「お兄ちゃーん!」
そうやって三人が校門の辺りでわちゃわちゃ騒いでいると、遠くから聞き覚えのある声が。
「あれは……?」
つかさと薫がそちらへ顔を向けと、アキトの妹である美夜がスキップでもするような軽い足取りでやって来るところだった。
「み、美夜ちゃん!?」
「どうしたの、こんなところまで?」
つかさも薫も、琳昭館高校までやって来た美夜に驚いた。美夜は、まだ中学二年生だ。当然、通っている学校も違う。
しかし、当の美夜はといえば、大好きなつかさと薫の姿を見つけて、非常に嬉しそうだった。
「わぁーっ、つかさお兄ちゃんと薫お姉さまにも会えるだなんてラッキー! 帰っちゃってたらどうしようかって思ってたんだ!」
美夜はつかさの左手と薫の右手をつかむと、ステップを踏みながら、はしゃぐように振り回す。それでもつかさと薫は目を丸くしたままだ。
「美夜ちゃん、わざわざボクらに会いに来たの?」
つかさが尋ねると、美夜はかぶりを振った。
「ううん。ある人に連絡したら、偶然、ここへ来るよう指示されて。美夜も最初、この学校の名前を聞いたとき、驚いちゃった。つかさお兄ちゃんたちと同じ学校なんだもん」
「おい、美夜。ある人って誰だよ?」
「あれ? 兄貴、いたの?」
地面からむっくりと起き上がった実の兄であるはずのアキトに、美夜は初めて気がついたような素振りを見せた。無論、実兄には冷淡な妹のことだから、わざとだろう。
アキトは苦虫を噛み潰したような顔つきになった。
「いたよ。いて悪ィか? ──それより、どうしてここへ来たんだ? 会いに来たのが、オレでもつかさたちでもねえってことは、いったい、誰なんだ?」
美夜はアキトに問いつめられると、可愛らしく小首を傾げた。
「さあ?」
「さあって、お前! そいつと連絡を取り合ったんだろ? それでここへ呼び出されたって言ってたじゃねえか」
「うん、そうなんだけど。実のところ、美夜も今日初めて会う人なんだ。私が利用しているSNSに広告が出てて、『T』っていう人なんだけど」
「『T』?」
思わず、三人とも顔を見合わせてハモった。恐らくイニシャルなのだろうが、まだ会ったこともない人物と連絡を取り合おうというのは、あからさまに怪しい。相手の素性すら分からないではないか。
そんなあやふやなものを頼りにノコノコやって来た美夜も美夜だと思う。何もいかがわしさを感じなかったのか。今日日、そんな犯罪が増えているというのに。
心配した薫が、美夜を自分の方に向き直らせ、真剣な眼差しを注いだ。
「美夜ちゃん、どうして、そんな知らない人と会うような約束をしたの?」
「それは……」
そのとき、なぜか美夜はキッとアキトを睨みつけた。そんな妹に、アキトは訝しい様子で眉根を寄せる。心当たりがない、といった感じだ。
「どうしたの?」
薫は重ねて尋ねた。すると美夜は厳しい表情を振り払い、いつもの屈託のない愛らしさを取り戻す。
「ううん、何でもない。とにかく美夜、その人に会わないといけないの。何しろ頼みの綱は、もう、その人だけだから」
美夜が何かを隠して行動しようとしているのは明白だったが、それが何かまでは三人が見抜くことは出来なかった。美夜も簡単に喋る気はなさそうだし、これ以上は尋ねても無駄だろう。薫も諦めた。
「じゃあ、せっかくだから、私たちが一緒について行こうか? 学校の中は不案内でしょ?」
せめても、と薫は付き添い役を買って出た。
別にここは危険極まりないスラム街などではなく、多くの学生たちが集う普通の高等学校なのだから滅多なことはないと思うが、このまま美夜だけを行かせるというのも、いささか不安をともなう。薫の他人を放っておけない性格が出た。
しかし、それでも美夜は薫の申し出を丁寧に断った。
「お姉さまにそう言ってもらえるのは嬉しいけど、美夜一人で行く。そういう約束なの。心配しないで。ちょっと話をして、あることを頼んだら、すぐ戻るから。そんなに時間はかからないと思うし」
「ホントに? じゃあ、私たち、ここで待ってるから。用事が終わったら、一緒に帰りましょう」
「うん」
まだ心配そうな薫に笑顔で返事をすると、美夜は手を振りながら校舎の方へと行ってしまった。
「大丈夫かな、美夜ちゃん」
美夜を自分より年下の中学生だと思っている薫は、不安そうに彼女が去った方向をしばらく見送っていた。
だが、つかさは知っている。美夜がアキトと同じく、吸血鬼 であることを。仮に何かがあったとしても、多分、大丈夫だろう。つかさはそうやって自分を納得させた。
「……不吉だわ」
「うわあああっ!」
いきなり背後でぼそっとした声がしたので、不意を衝かれたつかさたち三人は飛び上がらんばかりに驚いた。
振り返ればいつもの如く、そこにいたのは一年C組の黒井ミサだ。近づく気配を微塵も感じさせずに立っていた。
「く、黒井さん! びっくりさせないでよ!」
ミサの登場パターンは毎度のことだが、だからと言って一向に慣れるものではない。神出鬼没。存在自体がミステリアスな少女だ。
人呼んで、“琳昭館高校の魔女”――
三人のリアクションにも動じることなく、ミサはただジッと琳昭館高校の校舎を見つめていた。
その視線は何処か虚ろだ。目の前で手の平をヒラヒラさせても、ずっと鉄筋コンクリートの建物を見据えたまま。その様子に、つかさたちは薄ら寒いものを感じてしまう。
スッ、とミサはおもむろに右手を上げると、アキトを指差した。アキトはギョッとする。こういうとき、大概、ロクなことがない。
「……この学校に災厄が降りかかろうとしているわ」
ミサは予言めいた言葉を紡いだ。それを聞いた三人は、まるで冷水を浴びせられたような気分に陥る。この “琳昭館高校の魔女” による占いや予言は、よく当たると評判なのだ。それも悪いことに関しては必ず。
「少女の願いが叶うとき、地下より甦りし魂が復讐を目論む……百の牙が哀れな犠牲者を屠るだろう……世界には嘆きと悲鳴が渦巻き、新しく生まれし魔王が嘲弄する……これ、黒き時代の幕開けなり……」
「お、おい……」
ミサの言葉に、つかさと薫は声を失った。アキトすらも笑い飛ばすことが出来ない。それほどミサの予言は、淡々とした静かな口調なのに、聞く者を信じ込ませる得体の知れない真実味が含まれていた。
三人は凍りついた表情のまま、美夜が入って行った校舎を知らず知らずのうちに振り返っていた。




