キャーッ、修造さまーっ!
第3話「嵐を呼ぶテニスコート」スタート!
琳昭館 高校の校門前では、数十名の女子生徒たちが群れを成すようにして、これから登校して来ようとする一人の男子生徒を待ち構えていた。
その男子生徒の姿が見えた途端、たちまち黄色い悲鳴があちこちから飛び交う。その騒ぎに、他の生徒たちはもちろん、たまたま通りがかった者たちも何事かと振り返った。
「キャーッ、修造さまーっ!」
女子生徒たちから「修造」と呼ばれた男子生徒は、熱烈な出迎えに対し、軽く右手を挙げて応えた。その端正で甘いマスクは微笑みを絶やさない。ホワイトニングされた白い歯がキラリと気障に光る。
その後、長い前髪を跳ね除けるように頭を振る仕種をすると、女子生徒たちのボルテージがさらに上がった。それをまた右手で制す男子生徒。だが、女子生徒たちの過剰な反応に対し、満更でもなさそうだった。
これは琳昭館高校で毎朝繰り返されている儀式のようなものだ。同校の生徒会長である 伊達 修造 を出迎える、いつもの光景。その熱狂的な人気は衰えることがない。
何しろ伊達修造は学年トップを誇る成績と、元テニス部のエースとして全国大会のベスト8にまで登りつめた実力の持ち主だ。
眉目秀麗、かつスマートな長身という容姿から、同校の女子はもちろん、他校の女子生徒にも熱烈なファンが多い。彼の誕生日やバレンタイン・デーなどには、男性アイドルも真っ青というくらいプレゼントの山が届くほどだ。
「みんな、おはよう」
何の変哲もない朝の挨拶も、伊達が口にするとまるで愛の囁きにでも聞こえるのか、出迎えたグルーピーたちの表情はうっとりととろけるようになる。
その只中に向かって歩を進めると、アッという間に伊達はグルーピーたちによって取り囲まれた。
「修造サマっ!」
「ご機嫌麗しゅうございます」
「ああ、今日も素敵ですわ!」
そんな多くのグルーピーたちを前後左右にはべらせながら、校門をくぐり、昇降口へ悠然と歩む伊達の姿は、当然のことながら他の男子生徒たちから反感を買っていた。
だが同時に、自分たちが逆立ちしたって敵いっこないことも、勝負以前に頭では分かっている。この男は勉強も運動も出来て、その上、外見も申し分ない。伊達に突っかかって行っても、モテない男のひがみであることは明かであった。
そこへ──
どどどどどどどどっ!
「お前ら、邪魔だーぁ! 退けーっ!」
物凄いスピードで走りながら、校門を通過する人物がいた。
その人物は土煙を舞い上げ、伊達とそのグルーピーたちへ向かって、真っ直ぐに突っ込んで来ようとしている。着ている制服から察するに、この高校の男子生徒であることは間違いない。
「キャアアアアアッ!」
グルーピーたちは先程とは異なる悲鳴を上げた。このままでは衝突しかねない。
伊達は近くにいた女子生徒の何人かをかばったが、全員をかばい切れるはずもなかった。
あわや──と思った次の刹那、走って来た男子生徒は跳び箱のロイター板を踏み切ったかのように、伊達たちの頭上に身を躍らせた。
「はっ!」
ひねり王子もビックリの宙返り――
見事に伊達たちの頭を飛び越えた謎の男子生徒は、地面に吸いつくような着地と同時に再加速し、校舎裏にある道場の方角へ一目散に走り去って行く。
危なかった、と安堵したのも束の間、遅れて到達した 衝撃波 が伊達とそのグルーピーたちを直撃し、砂混じりの突風が制服のスカートをまくり上げる。
「キャーッ!」
再度、女子生徒たちのあられもない悲鳴がこだました。皆、スカートを押さえるのに必死だ。
突然の嵐がようやく過ぎ去ると、一行は放心したように、騒ぎの元凶である男子生徒が消えた方向を見やった。
「なっ……何だったんだ、あれは……?」
普段はクールに決めている伊達も珍しく呆けたような表情で、誰にともなく呟いた。
すると――
「あ、あのぉ……私、知ってます!」
グルーピーの中にいた一人がおずおずと答えた。一年生だ。伊達ばかりか、他のグルーピーたち全員の耳目を集め、さすがに彼女はたじろいだが、思い切って口にする。
「最近、一年A組に転校して来た『仙月』っていう男子です! えーと、確か名前は……『仙月アキト』!」
「仙月アキト……」
伊達はその転校生の名前を口の中で繰り返した。
一方、体育館裏へ回り込んだお騒がせの張本人であるアキトは、ようやく走っていたスピードを緩めると、道場の窓からひょっこり顔を覗かせた。
道場の中では空手部の朝稽古が行われていた。一人一人が間隔を取って、型の練習を繰り返している。
その顔ぶれの中にアキトと同じクラスの武藤つかさがいた。
「おーい、つかさーぁ!」
稽古中であるにもかかわらず、遠慮という言葉を知らないのか、部外者に過ぎないアキトは大きな声を出して、つかさの名を呼んだ。思わず動きを止め、振り返るつかさ。
「げっ、アキト……!」
つかさは反射的に、一番前で朝練の指導をしている空手部の副主将、坂田 欣時 の顔色を窺った。
坂田は不機嫌さを隠しもしなかったが、元からそんな顔なので、ハッキリとした反応は分からない。ただ、眉がピクピクと痙攣するように動いているのを見ると、アキトの存在を疎ましく思っているのは確かなようだ。つかさは首をすぼめた。
いつものように坂田から一喝されるかと思ったつかさだが、その代わりに稽古終了の合図がかけられた。部員たちから緊張が解ける。それほどに琳昭館高校空手部の稽古は厳しい。
「お疲れさまでした!」
一同揃って礼をし、道場の出口へ移動を始めた。そこへアキトが平然と入って来る。つかさに「おーい」などと手を振りながら。
「アキト、やめてよ!」
つかさは真っ赤になって、アキトを制そうとした。
そんなアキトの横を坂田がすれ違った。一瞬、それを見たつかさは緊張する。先日、この二人は拳を交えたばかりだ。坂田の顔には、まだ痛々しい治療の痕跡が目立つ。
ところが、坂田はじろりと一瞥しただけで、それ以上は何もしなかった。アキトもニヤリと笑っただけ。坂田はアキトに対して突っかかることもなく、他の部員たちと一緒に黙って道場から出て行った。
完膚なきまで叩きのめされた身とすれば、アキトを黙認するしかない、というのが正直なところだろうか(※ 詳しくは第2話を参照)。ただ、敗北を喫した坂田が内心でどう思っているかまでは分からないが。
アッという間に、道場にはつかさとアキトの二人だけが残された。
「つれないぜ、つかさ。朝練なら朝練と、前もって言ってくれよ。こっちは知らなかったもんだから、家の方まで迎えに行ったんだぜ」
余計な回り道をさせられて、アキトは唇を尖らせた。
それに対して、つかさはタオルで汗を拭いながら、
「どうしてボクの行動を、逐一、キミに報告しなきゃいけないのさ? ボクだって色々と忙しいんだから、キミの相手ばかりしてられないよ」
と、冷たい反応を返す。アキトは嘆息した。
「やれやれ。ついこの間まで空手部に近寄ろうともしなかったくせに、今頃になって、ご熱心に部活の稽古とは、これまたどういう心境の変化なのかねえ」
そう言いながら、目では「オレのお蔭だぞ」と訴えていた。
そうなのだ。坂田を始めとした空手部の先輩たちに、女のようだと罵声を浴びせられ、しごかれてきたつかさが、今ようやく、一部員として認められるようになったのは、すべてアキトのお蔭なのである(※ くれぐれも第2話を参照のこと)。
「そ、そんなのはボクの勝手だろ。そもそもボクは空手部の一員なんだし、朝稽古に出るのは当然のことなんだから」
もちろん、アキトには感謝しているつかさであるが、これ以上、この傲岸不遜な男を図に乗らせるわけにはいかない。そんなことをしたら、つかさの貞操を狙っているアキトのこと、どれだけ過大な要求を突きつけて来ることやら。
「とにかく教室へ行ったら? ボクはシャワーで汗を流してから行くから」
あまり無駄話をしているわけにもいかなかった。授業が始まるまで、そんなに時間はない。
だが、つかさの「シャワー」という言葉が、アキトの食指を動かした。
「じゃあ、オレも一緒に浴びようかなあ。でへへ。つかさの家から学校まで走って来ちまったから、オレも汗でベトベトだぜ」
そう言うアキトの目に邪なものを感じ、つかさは身を固くした。
この男に気を許すことなかれ。彼はただの高校生ではなく、吸血鬼 なのだ。それも――
「だ、ダメだよ! シャワー室は運動部員だけが使用を許されているんだから」
「そんな堅いこと言うなって。男同士、一緒に汗を流そうぜ。いいだろ?」
下卑た笑みを洩らしつつ、迫り来るアキト。何を想像しているのやら、その顔はいやらしくだらしない弛み方をしている。こういうところからは 吸血鬼 の威厳など微塵も感じられない。
「ヤだ! 絶対にイヤだ!」
つかさは逃げるように走り出した。アキトの魔の手を振り切ろうと、シャワー室へダッシュする。
「つかさちゃ~ん、待ってぇ~♪」
気色の悪い声を発しながら、追いかけるアキト。美女を襲う 吸血鬼 なら分かるが、美少年を追いかける好色 吸血鬼 とは。
かくして琳昭館高校の一日は、今日もドタバタ劇から始まるのだった。