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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第10話 KILL BLOOD 【 全 11 回 】
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もう一度、渚さんと会ってもらえませんか?

 夜。


 それは彼にとって、本当の 仙月せんづき 影人かげひと でいられる時間だ。


 影人の素顔──それは魔物を追いつめる闇の狩人。


 さらにもう一日かけて河川敷を調査した影人は、一旦、自宅に戻ってシャワーを浴び、区役所勤めのときとは違う黒一色のスーツに着替えてから地下の駐車場へと降りた。


 ――それにしても。


 エレベーターの中で影人がほくそ笑む。


 今し方、自宅で顔を合わせた、弟アキトの友人たち――


 武藤むとうつかさという少年と 忍足おしたり かおる という少女。影人は二人のこと──特につかさのことを考えずにはいられなかった。


 妹の美夜みやから少し話を聞いていたが、確かに女の子と見紛いそうなくらい可愛い容貌をした少年だった。


 何より、影人と握手を交わした瞬間のつかさが印象的だ。


 そのとき、つかさは影人から何かを感じ取ったらしく、一瞬、表情を強張らせたのだ。影人も表情にこそ出さなかったが、えらく感心したものである(※ 第9話を参照)。


 影人が見たところ、どうやらつかさは、人間にしては稀な邪気や魔などを感じ取ることが出来るらしい。それに付随して、並々ならぬ秘めた力も隠し持っている。


 ただ、今のところ本人に確たる自覚がなく、まだ内面に燻っている程度ではあるが、それがいずれ自然に引き出せるようになれば、あの少年は人の身でありながらアキトや影人ら人ならざる者をも凌駕できるだろう。


 だからこそ、人間ではないアキトとも友人としていられるのかもしれない。


 これからのアキトとつかさのことを考えると、影人は自然と口許が緩んで仕方なかった。またいつか、あの少年に会ってみたいものだ、と思う。そのとき、どう成長しているか。――もっとも、向こうは遠慮したいかもしれないが。


 エレベーターが地下駐車場に到着した。ドアが開くと同時に、影人の表情が昼間の茫洋とした区役所職員から、非情なる魔人へと変貌する。数日前、魔物と死闘を演じた、あの顔だ。


 影人は一台の真っ黒なスポーツカーに近づいた。


 エンツォ・フェラーリ。


 イタリアの自動車メーカー、フェラーリが創業五十五周年記念し、創始者の名を冠して製造したスーパーカーだ。世界でも三百九十九台しか製造されていないと言われている。


 F1マシンかロケットを模したような、バンパーより前に突き出したノーズが特徴的なフォルムだ。


 影人がリモコン・キーを操作すると、ガルウイングのドアが跳ね上がった。流れるような動きで、影人はコクピットに自らの身体を滑り込ませる。


 キーを回して、エンジンをスタートさせると、獣の咆吼のような爆音が地下駐車場に轟く。ハンドルから、そしてシートから、愛車エンツォ・フェラーリの鼓動が伝わって来た。


 グォォォォォン!


 マシンも自分も、深い眠りから覚醒したような感覚だった。


 影人は繋がれた鎖を解き放つように、エンツォ・フェラーリを急発進させた。タイヤのスリップ音がけたたましい悲鳴をあげ、摩擦によって生じたきな臭い白煙が車体を霧のように覆う。


 漆黒に染まったモンスターマシンは、地下駐車場のスロープを猛スピードで駆け登ると、暴走気味に夜の街へと飛び出した。


 とりあえず必要な情報は集めた。


 だが、事件の元凶が魔物だとすれば、動きを見せるのは夜だ。


 影人はエンツォ・フェラーリを荒川の河川敷に向かって走らせた。


 傍目からは、傍若無人な運転ぶりに見えた。制限速度など無視して、流れる車の隙間を縫うように抜き去って行く。警察に捕まれば、一発で免停を喰らうだろう。


 しかし、そんな影人を阻む者などいない。夜に溶け込んだかのような黒いボディに誰もが恐れをなし、すごすごと道を開ける。


 エンツォ・フェラーリは一瞬にして他者を置いてけぼりにし、タイムラグを伴った爆音と夜光虫のような赤いテールランプが悪い夢だと言い聞かせた。


 高速道路手前の信号に引っかかったところで、スマホにメールの着信があった。影人は素早くチェックする。同僚の 早乙女さおとめ 詩織しおり からだった。


『やっぱり、このままでは渚さんがかわいそう。これから降旗さんを説得しに行きます。 しおり』


「ちっ!」


 メールを読んだ影人は舌打ちした。


 清六せいろくを説得するということは、こんな夜遅い時間に河川敷へ行くということだ。いくら知らぬこととはいえ、魔物に襲われる危険も否めない。


 詩織の身を案じた影人は、青信号に変わった瞬間、相棒たるエンツォ・フェラーリのアクセルをさらに踏み込んだ。






 影人と連絡が取れなかった詩織は、メールで用件だけを伝えて、単身、清六が住む河川敷へとやって来た。


 なぎさは父親のことを忘れると口では言っていたが、それが本心だと詩織には思えなかった。冷たく突き放した清六とて、たった一人の娘を愛していないわけがない。両親から愛情たっぷりに育てられた詩織は、そう信じていた。


 ――もう一度、二人にじっくりと話し合ってもらいたい。


 詩織はそのことを考えると、仕事中から居ても立ってもいられなくなり、すっかり日が暮れてしまったのも構わず、清六のところへと赴いた。


 夜の河川敷は、昼間とは打って変わって淋しいものだった。荒川にかかる橋には絶えず車が往来していて、煌々とした外灯の明かりに照らされているが、そこから少しでも離れてしまうと道は暗く、人通りもない。女の一人歩きには物騒だ。


 詩織は、やはり影人に同行してもらうべきだったか、と後悔したが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。勇気を奮い起こして清六のテントへ向かう。もっとも、その足が自然と速くなっていたのは致し方ないところだが。


 ブルーシートで出来たテントは、ひっそりと静まり返っていた。清六は中にいるだろうか。とりあえずテントの脇には、清六が仕事で使用にしているリアカーが置かれている。これがあるということは、帰っているのではないかと思うが。


「こんばんは、降旗ふるはたさん。先日、渚さんと一緒にお伺いした早乙女です。ちょっとの間だけ、お時間をいただきたいのですが、よろしいですか?」


 詩織はテントに向かって呼びかけてみた。


 ところが返事はなかった。留守なのか、或いは居留守か。


 それを確かめようと、詩織はテントの入口に手をかけようとした。すると即座に声が飛ぶ。


「入るな!」


 一昨日、影人に入られたことを腹立たしく思っていたのだろう。清六の声は詩織の手を引っ込めさせるほど厳しかった。


 だが、詩織もここで簡単には引き下がれない。ひとつ深呼吸をしてから、中にいる清六に話しかけた。


「降旗さん。もう一度、渚さんと会ってもらえませんか? 渚さんは、ずっとお父さんであるあなたと会いたかったはずなんです。あなたをお父さんと呼びたかったはずなんです」


「………」


「十三年前のことは渚さんから聞きました。漁師仲間を失われた降旗さんの辛さは私にも分かるつもりです。でも! 渚さんだって、死んだ奥さんだって、降旗さん同様に辛かったんじゃないでしょうか!?」


「………」


「村の人たちから責められる降旗さんを見て、二人も傷ついたはずです! それでも渚さんたちは堪え忍んだ! なぜだと思いますか!? 私は、渚さんと奥さんが降旗さんの味方だったから、家族だったからだと思います!」


「………」


「降旗さんは、そんな家族を捨ててしまったんですよ。これは漁船で事故を起こしたことよりも重いことじゃないでしょうか? 今からでも遅くありません。どうか償ってあげてください。それが出来るのは降旗さんしかいないのですから」


「………」


 詩織の必死さは、何処まで清六に届いたか。


 相変わらずテントの中からは何の反応も返って来なかった。


「降旗さん、お願いです。どうか、渚さんと!」


 テントに隔てられているというのに、詩織は深々とお辞儀をした。それから身じろぎもしない。清六が出て来るまで、こうしているつもりだった。


 ──と。


 ザザァァァッ!


 不意に詩織の背後で不審な水音がした。川の流れではない。まるで風呂から誰かが上がったような音だ。


 詩織は後ろを振り向きかけた。


 ぬるっ――


「――ッ!」


 次の瞬間、詩織の足首に何かが巻きついた。






「キャーッ!」


 外から呼びかける詩織に対し、ただテントの中で黙り込むしかなかった清六は、突然の悲鳴を耳にして驚いた。もちろん、詩織のものだ。


 入口のすぐ前にいた清六は、ブルーシートを払いのけた。


「なっ……!」


 その瞬間、清六はギョッとした。目の前にいたのは、何とも奇妙な生き物だったからだ。


 大きさは清六とあまり変わらないくらいだろう。全身は黒くぬめり、生魚特有の臭みが漂って来る。彦さんが消えたと思われる現場に、痕跡として残されていた粘液――その臭いの記憶と結びつく。


 そいつは人間のように二本足で立ち、胸ビレから進化したような腕もあった。例えるならナマズかウナギにカエルの手足がついて立ち上がったような感じである。尾ビレのついた長い尻尾は、横たわった詩織の足首に巻きついていた。


 どうやら詩織は引き倒された拍子に頭を打ったのか、気絶しているようだった。ナマズの化け物は、そんな詩織の身体を引きずって、川へ戻ろうとしている。


 きっと彦さんも、そして、最近、行方不明になったというホームレスたちも、この化け物の餌食になったのだ、と清六は直感した。


 そのとき、清六の脳裏に悪夢のイメージが重なった。沈没した漁船から投げ出され、暗い海を漂っているとき、溺れ死んだと思われた仲間たちから足を引っ張られて海の底へ引きずり込まれる――あの悪夢だ。


 今、その引きずり込まれる者の姿が、なぜか清六から娘の渚へと変わっていた。


 詩織と渚は、そんなに歳も違わないはずだ。清六の目には、どういうわけか二人が重なった。渚が川の中へ連れて行かれてしまう――そんな錯覚に陥った。


「ま、待て!」


 言葉が通じるかは不明であったが、清六は得体の知れない化け物を呼び止めようとした。恐怖心など、何処かに吹き飛んでしまっている。ただ、詩織を──いや、渚を助けたい一心で化け物を追いかけた。


 そんな清六を無視するように、化け物は詩織を捕獲したまま、川の中へと飛び込んだ。水しぶきが上がり、化け物の姿はもちろん、詩織の身体も暗い川面に沈んで見えなくなってしまう。


「渚ぁ!」


 考えるよりも先に、身体が動いていた。化け物に連れ去られたのは自分の愛娘ではない。目障りな区役所の女性職員だ。頭では理解していても、清六は化け物のあとを追うように川へ飛び込んだ。


 老いたとはいえ、これでも元漁師。泳ぎには自信があった。


 清六は、一度、水面に頭を出して息を止めると、真っ暗な川底へと深く潜った。

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