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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第10話 KILL BLOOD 【 全 11 回 】
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仲間に一言もなく、いなくなるヤツがいるものか!

 翌日、仙月せんづき 影人かげひと は荒川の河川敷を再び訪れていた。もちろん、昨夜受けた依頼の事前調査のためだ。勤めているS区役所には、朝のうちに体調が悪いので休むと連絡を入れていた。


 多分、影人の同僚である詩織しおりはサボりだと睨み、その不真面目さに頬を膨らませているに違いない。それを想像した影人は、確かにそうだ、と微苦笑を洩らす。


 河川敷は、昨日と変わらず、一見、平凡な日常を繰り返していた。しかし、さすがの影人も川の中まで見通すことは出来ない。この何処かに、ホームレスや河川敷に近づく者を襲う魔物がいるのか。影人は川下から川上に沿って歩いてみた。


 やがて、降旗ふるはた 清六せいろく がテント暮らしをしている橋の近くまで来た。何気なく、そちらの方向を見やると、偶然にもそこにいたのは清六と制服姿の警官である。


 警官は巡回パトロールの途中だったのか、自転車から降りて立ち話をしていた。ただ、普通の会話というよりは口論をしているような感じだ。もっぱらエキサイトしているのは清六の方で、警官はいささかうんざりとした顔をしていた。


「だから、何度言ったら信じてくれるんだ!?」


 影人が近づいて行くと、苛立った清六の声が聞こえた。警官はその剣幕に気圧されながらも、まあまあ、と清六をなだめる。相手がホームレスとはいえ、邪険にするわけにもいかないのだろう。公僕とは辛い立場だ。


「落ち着いてください。ご友人の身に何かあったとは、まだ決まったわけじゃないでしょう?」


「いいや! 何かあったに違いない! 私と一緒に酒を飲んでいて、急に帰ってしまうなんてことは、これまでに一度もなかったんだ!」


「しかし、酔っていたのなら、そういうことだって――」


「朝一番にひこさんが住んでいるところにも行ってみたんだ! だが、帰って来た様子はなかった! 近くも捜してみたが、何処にもいない! ということは、きっと川に転落したか、何かの事件に巻き込まれて──」


「ですから、決めつけるのは、まだ早いと──」


「どうしたんですかぁ?」


 いささか間延びした調子で、影人は清六たちに声をかけた。昨夜、仕事を依頼してきた紳士との会話で見せた殺気をはらんだ雰囲気など微塵も感じさせない。


「アンタ……」


 清六は娘と一緒にいた影人のことを憶えていたようで、突然の登場に驚いた様子だった。


 一方、警官は口を挟んで来た青年を頭から爪先までジロリと眺める。


 影人は内ポケットから名刺を差し出した。


「私、S区役所福祉保健部地域福祉課の仙月と申します。実は今、不法に路上で生活している人たちの実態を調査しておりまして」


「それはそれは、ご苦労様です」


 同じ公務員ということもあるのだろう。警官はたった一枚の名刺で影人に対する警戒心をあっさりと解いた。


「それで、何かあったんですか?」


 影人は二人に尋ねた。


 昨日、娘の渚に付き添っていた影人に対し、やはり清六は抵抗を持っているようだった。目線は逸らし気味で、態度はかたくなだ。口も真一文字に結ばれている。


 そんな清六の代わりに警官が話してくれた。


「実は、この人が言うには、昨日の晩、ここで一緒に酒を飲んでいた友人の方がトイレに立ってから戻って来なかったそうなのです。川に落ちたのでは、とか、何かの事件に巻き込まれたのでは、と心配されているのですが」


「なるほど」


「ただ、今のところ、管内でそれらしい事件や事故は起きていませんし、単なる取り越し苦労じゃないかと──」


「取り越し苦労などではない!」


 まったく取り合おうとしない警官に、清六は激しく抗議した。どうやら、それが延々と繰り返されているらしい。


 辟易した警官は影人に肩をすくめて見せた。早くここを立ち去りたいのが、ありありと窺える。


「川に落ちたのかもしれないなら、何かそれらしい痕跡みたいなものはないんですか?」


「痕跡と言われても、特には……」


 影人の問いかけに対し、警官は困り果てたように帽子を脱ぐと、やや薄くなり始めた頭をボリボリと掻いた。


 念のため、影人は近くの川岸を調べてみた。


 まず気づいたのは異臭だ。川に近づくと、何やら魚が腐ったような猛烈な臭いが漂って来る。その臭いの元を辿ると、護岸に半透明をした粘液状のものが、座布団一枚くらいの大きさにこぼれていた。


「これは?」


「さあ? 多分、何かの廃液をこぼしたものじゃないでしょうか?」


 当てずっぽうに警官は答えた。


 影人はしゃがみ込むと、黒縁のメガネを外した。肉眼で粘液を調べてみる。指先にもすくって、その正体を見極めようとした。


「確かに奇妙なものですけど、それは関係ないと思いますよ」


 警官はすっかり決めつけているみたいだった。


「そうですね……」


 影人は曖昧に返事をすると、再びメガネをして振り返った。


「降旗さん、行方不明になった友人とは、どなたなんです?」


「………」


 清六は答えなかった。どうやら影人に話すつもりはないらしい。さすがに昨日の今日で警戒されているか。


 すると横合いから警官が口を挟んだ。


「彦さんというホームレス仲間だとか。この、もう少し上流へ行ったところに住んでいたそうです。私もこの管内の担当なので、何となく顔は知っていますが」


「お巡りさん、最近、オレたちの仲間がこの辺からいなくなっているって言うじゃありませんか」


 昨夜の彦さんとの会話を思い出し、清六が不意に言った。


 指摘された警官は、益々、困った顔になった。


「まあ、確かに……この一ヶ月ばかり、そういう話を耳にはしますが……」


「本当に?」


 その情報はすでに得ていたが、影人は白々しく尋ね返した。現場の声というのも聞いてみる必要がある。


 問い詰められた警官は表情を曇らせた。


「この河川敷沿いで暮らしているホームレスの姿が減ってきているのは確かです。しかし、彼らが何かの事件に巻き込まれたとか、そういう痕跡は残っていません」


「事件性はないと?」


「これから冬に備えて、新しく住む場所に移ったんじゃないか、というのが我々の見解です。この辺じゃ、寒さを凌ぐのも大変でしょうから」


「でたらめを言うな! 仲間に一言もなく、いなくなるヤツがいるものか!」


 警官の無責任な発言に清六は激した。結局はホームレスだから、まともに相手をしてもらえていないのだ。


「こうも次々といなくなっているということは、何か事件が起きている可能性が高いということだろう!? 今、警察が動いてくれなければ、もっと多くの犠牲者が出るかもしれないんだぞ!」


 清六は警官にすがりつくようにして、半ば脅迫的に、捜査してくれるよう嘆願した。


 満足に風呂も入っていないホームレスの清六に近寄られるのが我慢できなかったようで、警官は顔をしかめる。先入観も手伝って、警官は清六をすっかり忌避していた。


「じゃあ、捜索願を出してみますか?」


「捜索願?」


「そうです。それを出していただけるなら、こちらも本格的に捜査をしますよ。ただし、捜索する人の氏名や生年月日、現住所などが必要ですがね」


 互いの過去には干渉しない不文律があるホームレスだ。清六が彦さんの本名や生年月日を知っているわけがなかった。それに現住所だって存在しない。現住所がないからこそのホームレスではないか。


 もちろん、警官もそれを分かっていて口にした捜索願だった。肝心の捜索願を出せないなら諦めろ、と暗に言っているのである。要は話を打ち切らせる方便に過ぎなかった。


 清六は肩を落とした。またしても自分が無力だと思い知らされ、ショックを受けたようだ。


「とにかく、万が一、身元不明の遺体などが発見されたら、あなたに知らせてあげますから。今日のところは、それで諦めてください」


 警官はそう約束し、自転車に跨った。


 清六は引き止める気力もなくなったらしく、フラフラとした足取りで自分のテントへ戻ろうとする。


 その後ろ姿を見ながら、やれやれ、という顔をした警官は、残った影人に一礼すると、そのまま自転車で走り去ってしまった。


「降旗さん」


 警官を見送った影人は、清六を呼び止めようとした。しかし、清六はまるで影人の声が聞こえていないかのように、そのままテントの中へ入ってしまう。


 影人は少しためらったが、清六を追って中に入った。


 ブルーシートで作られたテントの中は、小さな空間の割に様々な物が運び込まれているせいで密度が濃かった。毛布や衣類の類はもちろん、ペットボトルや新聞、雑誌、その他、どう見てもゴミにしか見えない物があちこちに山となっている。


 多分、本人はこのすべてを把握しているのだろうが、影人には半分以上がいらない物にしか思えなかった。


「何だ、お前!?」


 断りもなく影人が入って来たのを清六が見咎めた。たちまち険しい表情になり、影人を追い出そうとする。


「出てけ! 勝手に入って来るな!」


「降旗さん、待ってください! 私に先程の話をもう少し詳しく──」


「うるさい! お前だってオレの話なんかこれっぽっちも信じてないクセに! 帰れ! やっぱり、国家の下で働いている人間は、オレたちのことをゴミ同然にしか思っていないんだ!」


「そんなことは──」


「出て行けと言っているだろう!」


 清六は影人を突き飛ばした。天井が低く、腰を屈めるような格好をしていた影人は、踏ん張りが効かずに倒れてしまう。その拍子に、影人の腕が脇に置かれていたボストンバッグに当たって、中身をぶちまけた。


 その瞬間、清六がハッとした顔つきになった。慌てて、こぼれた品物の中から丸められた画用紙を取り上げる。それは渚が小学生の頃に描いた清六の似顔絵。すべてを捨てたはずの清六が、唯一持ち歩いている過去であった。


 画用紙を胸に抱く清六を、影人は不思議な眼差しで見つめた。影人にも、それがいかに大切な品であるかが分かる。


「……出てけ……もう二度と来るな」


 一転、涙ぐむような声で清六は言った。


 影人もそれ以上は何も言わず、テントから表に出た。

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