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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第10話 KILL BLOOD 【 全 11 回 】
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あー、何やってんだろ、私……結局、何も変わらなかったじゃない

「こんなものしかないけど、いいかしら?」


 女はメイク室の片隅にある冷蔵庫から、ストックしてあったペットボトルのお茶を出し、影人かげひと詩織しおりの前に置いた。自分は飲みかけの同じものを口にしながら、新しいタバコに火をつける。


 紫煙が吐き出されると、タバコを吸わない影人たちは遠慮がちに顔をしかめ、喉をいがらせた。


「何処から話せばいいかしら? ──そうね、まずは名前からにしましょうか。私は 降旗ふるはた なぎさ。父の名は 降旗ふるはた 清六せいろく。私たちの家族は日本海側にある小さな漁村の出身で、父はそこで漁師をしていたわ」


 タバコを吹かしながら語る渚の目は、何処か遠いものになっていた。昔を思い出しているのだろう。


「あれは私が十歳の誕生日を迎えて間もない、大吹雪があった一月のこと。父と船員六名を乗せた船が不審船と衝突し、沈没してしまったの。残念ながら、助かったのは父だけだったわ」


「不審船?」


 影人が眉をひそめた。


「ほら、今でもときどきニュースになるじゃない? 密漁目的の船が日本の海域に侵犯して来るって話」


「ああ、たまに聞きますね」


「でも、当時は何処の船かも分からず、しかも、そのまま逃げてしまったので、事故はうやむやになってしまったのよ。結局、天候が荒れることを承知で漁へ出た、父の責任ということになってね」


「ひどい話だわ」


 詩織は本気で腹を立てた。


 確かに渚の父、清六の判断は誤ったものだったかもしれない。しかし、衝突した船が海に落ちた船員たちをすぐに救助していれば、犠牲者を最小限に食い止められただろうに。すべての責任が渚の父にあるというのは重過ぎる。


「しょうがないわ。確かに、父が漁を中止にしていたら、あんな事故は起きなかったんだもの。父もそれを悔いていたようで、残された船員のご家族に精一杯の罪滅ぼしをした。おかげでウチは破産してしまったけどね」


「………」


「それでも父は漁村の人たちから村八分にされた。漁に出ることも出来ず、新しい仕事先も見つからない。昼間から酒を飲んで、酔い潰れる毎日が続いたわ。私もよく学校でいじめられたっけ」


 渚は笑って言った。しかし、それは乾いたものでしかない。きっと、詩織が想像も出来ないほど、辛い目に遭って来たのだろう。


 話を聞いているうちに、詩織は切なくなった。たった一度の過ちが、多くの不幸を呼ぶ不条理な連鎖――それを十三年経った今も、彼女は未だ断ち切れていないのだ。


「やがて、父は私と母の前から姿を消したわ。何の置き手紙もなしに、ね。父の苦しみについては充分に理解しているつもりだった。でも、その父が私たちまで捨てるなんて……」


 渚は鼻をすすった。目を擦ったのは、父を思い出したからか、それともタバコの煙が沁みたからか。


「母は一人で私を育ててくれたわ。でも、その母も、私が高校を卒業する前に過労が祟って他界。身寄りのなくなった私は、高校卒業と同時に東京へ出て来たの」


 渚は話しているうちに落ちそうになったタバコの灰を指で弾くと、緑茶で口を湿らせた。そして、再びタバコを咥える。


「東京へ行きさえすれば、何かが変わると思っていた。偏見の目で見られることもなく、少しはマシな生活が待っているんじゃないかって……でも、それは甘い考えだった」


 紫煙が吐き出された。或いは、ため息だったか。


「母との苦しい生活を支えるためにバイトばかりしていたから、大した学歴もない私は次から次へ職を転々とするハメになったわ。仕事先でイヤな目に遭ったこともある。気がついたら、歌舞伎町のこんないかがわしい店に転がり込んで……」


「………」


「あー、何やってんだろ、私……結局、何も変わらなかったじゃない」


 最後は自嘲的に渚は呟いた。苛立たしげに、吸い終わったタバコを灰皿にすり潰す。


「そんなときよ。ある日、偶然、こっちへ出て来ていた知り合いに再会したのは。そうしたら、たまたま父の話になって、あの橋の近くでそれらしいホームレスを見かけたって聞いたの。ひょっとしたら、行方不明になった父じゃないかって」


「それで今日、確かめにいらっしゃったわけですね?」


 影人が黒縁のメガネを指で押さえながら言った。


 うなずきかけた渚だが、なぜかそれをためらう。


「私は……私は別に、今さら父に親らしいことをして欲しいと望んでいるわけではないんです……今頃、父の消息が分かったって……でも……」


 とうとう堪えきれず、渚は大粒の涙を流した。嗚咽が漏れそうになるのを手で覆い隠す。


 彼女の身の上に同情した詩織は、渚のそばに寄り添い、その背中を気遣いながらさすった。


 十三年――渚はその辛い年月を何とか埋めたかったに違いない。身体を折る渚を詩織は優しく抱きしめた。


「会いに行きましょう」


 突然、泣きじゃくる渚に詩織は言った。渚の肩がピクリと震える。詩織は渚の顔を上げさせた。


「会いに行きましょうよ、あなたのお父さんに。そして、あなたの想いをお父さんにぶつけましょう!」


「ちょ、ちょっと、早乙女さん?」


 一番避けたかった展開になりそうな気がして、影人はおずおずと声をかけた。


 だが、詩織はすでに影人が一緒にいることも忘れて、渚の手を自分の両手で包み込み、うんうんとうなずいている。


 それを見た影人は、あいたー、と額を叩いた。


 ――これはまずい。


「善は急げ、です! さあ、一緒にあの橋へ行きましょう! 心配いりません! 私がついています!」


 何を根拠に言うのか、影人は頭痛を覚えた。当然、ここまで来て知らん顔も出来ず、影人も駆り出されるに違いない。


「──仙月さん!」


「は、はい?」


「タクシーを拾って来てください!」


 案の定だ、と影人は呻いた。






 三人があの橋へ戻って来たのは、すでに夕暮れを迎えた頃だった。


 ちゃっかり領収書を切ってタクシーを降りると、詩織は渚の肩を励ますように後ろから叩いた。


「大丈夫! 勇気を持って!」


 その横では影人が気づかれないようにため息をついていた。


 詩織に促され、渚は意を決したように一歩を踏み出した。河川敷の土手を下りて行き、橋のたもとに作られたブルーシートのテントへ近づく。


 その近くには、先程、清六が引いていたリアカーが置かれていた。どうやら、当人は中にいるようである。


 渚は入口の前に立った。しかし、なかなか声をかけられない。


 逡巡している彼女に代わり、詩織が口を開いた。


「降旗さん、いらっしゃいますか!?」


 中で動く気配があった。苛ついた雰囲気が伝わってくる。無造作に入口のブルーシートがめくられた。


「何だ、またアンタらか!? しつこいな!」


 清六は小汚い顔を入口から突き出した。不機嫌そうな態度を隠そうともしない。


 その目の前に、先程はいなかった渚が立っていた。


「んぁ?」


 清六は成長した娘の姿を見ても、すぐには気づかなかった。うろんげな眼差しを渚に注ぐ。


 しかし、渚にはこのみすぼらしいホームレスが、十三年前に蒸発した父、清六であると即座に分かった。言葉よりも先に涙がこぼれてくる。


「お父さん……」


 清六の顔がハッとなった。やはり父娘。十三年ぶりでも、娘の顔を見間違うわけがない。その目が大きく見開かれる。


「お父さん」


 もう一度、渚は父を呼んだ。


 ところが、清六は顔を背けた。


「ば、バカ言うな! 人違いだ! オレはおめえの親父なんかじゃねえ!」


「降旗さん!」


 否定する清六に声を荒げたは詩織だ。支えるように、震える渚の肩にしっかりと手を添えている。


「せっかく娘さんが会いに来たんですよ! どうして、そんなひどいことを言うんですか!?」


「や、やかましい! 人違いだから人違いだって言っただけだ! それの何がいけない!?」


「十三年も娘さんを放っておいて! それが親として久しぶりにかけてあげる言葉ですか!? 少しは娘さんの話を聞いてあげてください! ちゃんと大人になった娘さんの顔を見てやってください!」


 だが、清六は横を向いたまま、渚を正視しようとはしなかった。元漁師の荒れた手は、ギュッと拳を握っている。心なしか震えているように見えた。


「お父さん……」


 渚の三度目の呼びかけに、清六は背中を向けて、テントの中に戻ろうとした。


「帰れ! お前たちと話すことなんか何もない! 二度と顔を見せるな!」


 清六はそう怒鳴ると、入口をくぐろうとした。そんな父の背に、渚は涙声で伝える。


「お母さん、死んだのよ! 五年前に! お父さんがいなくなってから、私を一人で育ててくれて! どんなに大変な思いをしたか……お母さんが死んだのは、お父さんのせいよ!」


 そのとき、影人だけは見た。ブルーシートをつかんだ清六の手に力が込められたのを。


「……言いたいことはそれだけか? 気が済んだんなら、とっとと帰ってくれ!」


 清六はテントの中に姿を消した。


 鍵も何もない、一枚のブルーシートが扉代わりの入口だ。中へ押し入ろうと思えば簡単に出来る。


 しかし、三人はそこから一歩も動けなかった。清六は実の娘である渚の言葉すら聞こうとしない。これ以上、何を言っても無駄に思えた。


 渚は黙って、テントから離れた。詩織も気落ちした様子で、そのあとを追いかける。


 影人はブルーシートの入口を眺めながらため息をつくと、頭を掻きながら二人と同じように、夕暮れに染まる河川敷から立ち去った。

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