世のペット・ブームもここに極まれりって感じだな
チッ チッ チッ チッ チッ……
目覚まし時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
部屋の電気を消してから、どれくらいの時間が経過しただろうか。きっと一時間も経っていないに違いない。
案の定、眠れない夜を過ごすつかさは大きなため息を吐き出し、寝返りを打とうとした。しかし、それを寸でのところで思い留まる。つかさはベッドの端っこに寝ているのだ。ちょっとでも動いたらベッドから転落してしまう。
つかさは身体を動かさないよう気をつけながら、隣にいる美夜と、その向こうにいる薫の様子を窺った。
美夜はつかさの予想に反して、特にこれといった悪戯を仕掛けて来るわけでもなく、すでにすやすやと眠りについていた。つかさの胸に頭をもたれるようにして、ギュッと着ているパジャマを握っている。
アキトの妹だけに、いろいろとつかさと薫の貞操を狙って来るのかと警戒していたのだが、これには拍子抜けだった。別に妙な期待をしていたわけではないが、やはり、まだ子供なのかもしれない。
一方、薫は寝ているのか、それとも起きているのか、さっぱり分からなかった。美夜の背中にしがみつくような格好で寝ている。
つかさは頭だけを持ち上げて、薫の顔を覗き込んでみた。
普段は男勝りな性格だが、こうして大人しく寝ていると、息を呑むほどハッとする美少女だ。そんな同級生が美夜を挟んで、一緒のベッドに寝ている。つかさは改めて、薫が異性であることを意識した。
布団の下は、影人から無断で拝借したワイシャツ一枚という、まるでグラビア・アイドルのセクシー・ショットだ。先程、チラリと見た薫の胸元や太腿を思い出し、つかさはカッと顔が火照るのが分かった。
(――ああ、もお! 何を考えているんだ、ボクは!)
薫をそのような対象として見てはいけないと、つかさは心の中で叫んだ。
約一か月前にアキトが転校して来るまで、つかさにとって薫は唯一の友達だったと言えるだろう。お節介なところに辟易したこともあったが、今思えば、有り難いことだったと感謝できる。
学校中のみんなにからかわれるつかさに味方してくれたのは薫だけだ。彼女だけがつかさを理解してくれた。薫がいなかったら、今頃、登校拒否をして、引きこもりにでもなっていたかも知れない。
そんな薫を他の女性と同じように見てしまったら、もう二人の関係は壊れてしまうように、つかさには感じられた。つかさは友人としての薫を大切に想っている。それを失いたくない。
つかさは必死に、そこに寝ている薫は男なのだと思い込もうとした。そんなことを薫が知ったら、逆に激怒しそうなものだが。
しかし、一度、頭に浮かんだ煩悩はなかなか消え去るものではなかった。他のことに気を逸らそうとしても、部屋の電気は消されているため、ほとんど真っ暗。適当に注意を引きそうなものなど何もない。頭の切り替えなど不可能だった。
──と。
いきなり、胸の辺りがモゾモゾしたような気がして、つかさは煩悩を振り払うことが出来た。
ところが、次の瞬間、ホッとするどころか心臓が飛び出すくらいビックリした。
寝ていたと思われた美夜が、つかさのパジャマのボタンをひとつひとつ外し始めていたのだ。
(み、美夜ちゃん……! な、何をしているんだ!?)
さすがに声は出せないので、つかさは心の中で叫んだ。
つかさが美夜の顔を見ると妖しい笑みを浮かべていた。どうやら美夜は眠っていたのではなく、薫が眠るまで機会を窺っていたらしい。
(ま、まさか……!?)
薫がいる以上、つかさと二人だけで寝ることは許されない。そこで美夜は薫と一緒に寝ることによって、つかさをベッドの中に引き込んだのである。
すべては美夜の作戦だったのだ。
ボタンすべてを外され、つかさの胸がはだけた。一応、下にTシャツを着ているが、グッと美夜の体温が間近に感じられる気がする。
美夜は中学生らしからぬ淫蕩な表情を浮かべると、つかさの首から胸、そしてヘソへと人差し指をつーっと滑らせた。
「──っ!」
美夜の指戯に、つかさは危うく声を洩らすところだった。今、声を出したら、薫に気づかれてしまう。二人が淫らな行為に及んでいると知られたら、まず、つかさは半殺しにされるに違いない。
しかし、美夜の大胆さはエスカレートした。ヘソまで降りた指が、パジャマのズボンにかかったのだ。
(ちょ、ちょっと、ちょっと――!)
美夜はつかさのズボンを降ろそうとした。さすがにそれはマズイと、つかさが美夜の手を押し留める。
そのとき、天井裏からドーンと大きな音がした。
「な、何っ!?」
ガバッと薫が起き上がった。布団がめくれる。胸がはだけているのを見られたらヤバいと思ったつかさは、慌てて身を捩った。だが──
どすん!
つかさはベッドから床に転落した。したたかに顔面を打ちつけ、苦鳴を漏らす。
「痛ててて……」
「何やってんの?」
薫がつかさを覗き込もうとした。それを美夜が遮る。
「お、お姉さま、どうしました!?」
薫に知られるのは、美夜も得策ではないと思ったのだろう。自分を盾にして誤魔化す。
「天井裏で何かが……」
「もお、兄貴のヤツったら、まだ懲りないんだわ!」
薫の注意を先程の音へ逸らすことに成功した。
「じゃあ、さっきから天井で音がするのは、あいつの仕業?」
睨むようにして、薫が天井を見上げた。
その隙につかさは急いで、パジャマのボタンを留める。
「きっと、ここへ忍び込もうっていう気なんだわ。まったく、油断も隙もないんだから」
――どっちが油断も隙もないんだか。
ボタンを留め終わったつかさは白々しい美夜を振り返った。
「でも、大丈夫。兄貴は絶対にここへは入れないから。美夜の仕掛けた罠すべてをかいくぐるなんて不可能なはず。──だから、安心して寝よ」
美夜はそう言って、横になった。薫もそれにならう。
つかさはとりあえずの危機を脱し、安堵のため息をついた。
「ていっ!」
吸気口の蓋を蹴破り、アキトはようやく天井裏から脱出した。
槍ぶすまの罠をツイスター・ゲームのような身の捻りで躱し、ボウガンが雨あられと発射されるのを手足の指と口で器用に受け止め、ニセの出口では爆弾に引っかかりながらも、アキトは辛うじて生き延びていた。
しかし、これ以上、天井裏を進むことは困難だ。何しろ、天井裏は狭く、いざというときに回避が思うように出来ない。
ならば、さらなる罠を承知で、正面から挑んだ方が良さそうだ、との結論に達した。
「ここは……」
適当なところで天井裏から出て来たので、アキトはまず自分がいる場所を確認した。ひんやりとしたタイルの感触が足裏から伝わる。
アキトが降り立ったのは真っ暗なバスルームだった。当然のことながら誰もいない。アキトはすぐに出て行こうとした。
ところが――
カシャン!
ドアに触れるや否や、いきなり照明が点いた。
照明と言っても普通のLEDではない。非常灯と言った方がふさわしいだろう。赤くケバケバしい色がバスルームを染め上げる。
ただならぬ雰囲気に、アキトは警戒した。
「今度は何だよ?」
どうせ美夜の仕掛けた罠が作動したに違いない。案の定、バスルームのドアはロックされていた。
何処から来るか――アキトはドアを背にし、危険に備えた。
すると──
ちゃぷん……
水音がした。
バスルームで水と言えば、まずバスタブだが――
アキトはそちらへ注意を向けた。
ぺちゃっ、という濡れた音と同時に、何か黒いものがバスタブの淵に現れた。湯が張られたバスタブの中に何かがいる。
アキトは嫌な予感がした。
「シュウウウウウ……」
まるで蛇のような呼気が聞こえた。
次の瞬間、その正体が明らかになる。
「なぬっ――!?」
さすがの 吸血鬼 たるアキトも凍りついた。バスタブの中から現れたのは一匹のワニ──アリゲーターだ。
長い吻に凶悪な歯が並び、角質化した丈夫な鱗が背面を覆っている。ざっと体長は二メートルくらいあるだろうか。アリゲーターとしてはそんなに大きくないのかも知れないが、狭いバスルームの中での存在感は決して小さくない。
アリゲーターはのっそりとバスタブから上がった。
「おいおい……世のペット・ブームもここに極まれりって感じだな」
この場面で、アキトは嘆き節を入れた。そうでもしないとやっていられない。
バスタブから上がったアリゲーターは、アキトの方を向きながらも爬虫類特有の眼をつむった。どうやら、今すぐアキトを食べようと言うつもりはないらしい。アキトはホッと胸を撫で下ろした。
この隙に入って来た吸気口から出ようかと考えていると、今度は温風のようなものが何処からか吹きつけてきた。段々とバスルームの中が温まってくる。アキトはまた嫌な予感がした。
ワニは爬虫類。寒さに弱いが、気温が高くなると活発に活動し始める。
アリゲーターの眼が見開かれた。どうやらアキトをエサだと認識したらしい。
「冗談だろ!?」
「シャアアアアアッ!」
アリゲーターが口を開けた。アキトを威嚇する。そして、さっきの緩慢な動きがウソのように、猛然と襲いかかって来た。
「美夜ぁ! ペットを飼うなら、ちゃんと自分で世話をしろ!」
アキトは一人で怒鳴りながら、跳躍でアリゲーターを躱そうとした。
ところが、バスルームの天井は他に比べて低く――
ゴン!
「たっ――!」
そこまで計算に入れていなかったアキトは、頭をしたたかに打ちつけた。
お蔭でアリゲーターの背後に着地するはずのジャンプは中途半端なものになってしまった。アキトの足がアリゲーターの背中をむぎゅっと踏みつける。
「――ッ! シャアアアアアッ!」
「わりぃ、わりぃ!」
当然、アキトに踏まれたアリゲーターは激怒した。狂ったように身をよじらせ、尻尾をムチのように振り回す。この尻尾の一撃も強烈だ。
謝っても許してもらえず、アキトは慌てて飛び退いた。
アリゲーターと格闘するには、あまりにもバスルームは狭すぎた。アキトはアリゲーターの尻尾を長縄跳びのように躱しながら、どう対処すべきか考える。
しかし、またしてもアキトを不運が襲う。バスルームの床には、こういうときのお約束である石鹸がなぜか落ちており、それをアキトは誤って踏んづけてしまったのである。
つるっ!
「あっ!」
アキトは石鹸をスケート靴代わりにして床の上を滑った。大きく口を開けて待ち受けるアリゲーターへ向かって――
「うわあああああっ!」
バスルームにアキトの悲鳴が響いた。




