んんっ! うんんめぇぇぇぇぇっ!
影人のお金によって注文された特上の握り寿司が出前で届くと、四人はトランプをやめ、ダイニング・テーブルに集まった。
それぞれの鮨桶には新鮮なネタを使った大トロ、中トロ、ウニ、イクラ、タイ、ヒラメ、赤貝、車エビ、イカ、ネギトロ、穴子、玉子焼きが入っている。食べ盛りの四人は、揃って喉を鳴らした。
一緒についてきたインスタントのお吸い物をお湯で溶くのももどかしく、四人は銘々に席へ着いた。つい緩みがちになる頬を互いに見合わせ、合掌しながら一礼する。
「いただきまーす!」
言うが早いか、勢いよく割り箸が割られ、それぞれの好物に手が伸びた。アキトはいきなり大トロから、つかさはイカ、薫と美夜は赤貝だ。
大トロを醤油につけると、パッと表面に脂が浮かび上がる。アキトは自らの口を持っていくような格好で極上の大トロを食べた。
「んんっ! うんんめぇぇぇぇぇっ!」
アキトが声に出して言ったのは決して大袈裟ではない。イカを食べたつかさも、赤貝の薫と美夜も思わず目を見開き、顔をほころばせる。
「美味しい! 寿司なんて、いつ以来かなあ」
つかさは記憶を遡ってみたが、回転寿司を含めても、ここ一年くらいは食べていない気がする。
「どうだ、今日はオレん家に来て良かったろ?」
「まあね」
自分で金を出したわけでもないのに恩着せがましく言うアキトに、つかさは苦笑するしかない。
「――おい、美夜。玉子焼きやろうか?」
アキトは箸で自分の玉子焼きを挟んで、美夜に与えた。
美夜は辛い物が苦手なので、一人だけわさび抜きである。だが、玉子焼きならばわさびはついていない。
アキトが兄らしい気遣いを見せたので、つかさも薫も驚いてしまった。しかし、美夜は喜ぶ素振りを見せない。なぜなら──
「その代わりにお前の大トロをくれよな」
と、アキトは美夜の大トロに箸を伸ばした。やはり、そういうことか。
「させるか!」
カッ!
兄の思惑など、最初からお見通しである。美夜の大トロを巡って、双方の割り箸が激しい鍔迫り合いを演じた。ギシギシと箸が軋みをあげる。どちらも譲るつもりはなかった。
「玉子焼きと交換だ! よこせ!」
「イヤッ! 美夜だって大トロ食べたいもん!」
「お前はホットケーキだけ食ってりゃいいんだよ!」
「兄貴の方こそ、こんな高級品を久しぶりに食べて、胃がひっくり返るんじゃないの?」
「何をぉぉぉっ!?」
「何よぉ!?」
兄妹は至近距離でバチバチと火花を散らした。食事中にしては、あまりにも行儀が悪すぎる。
呆れ返って見ているのはつかさと薫だ。
「まったく……食い意地が張っているって言うか、行儀作法がなってないって言うか……」
薫はそう言いながら、アキトのウニに手を伸ばした。
「あっ!」
アキトは美夜と大トロを奪い合っていたので、完全に無防備だった。薫は一口でウニを放り込む。
「ボクも大人げないと思うよ」
と言って、つかさまでがアキトの寿司に手をつけた。こちらは薫よりも、幾分、遠慮したのか、ネギトロをひとつだけ。
だが、客人である二人に自分の寿司を取られ、アキトはショックを受けた。
「お、お前ら――!」
「隙あり!」
アキトの箸の力が緩んだ瞬間、美夜は自分の大トロを奪い返し、素早く食べてしまった。勝ち誇ったように意地汚い兄へ満面の笑みを見せながら咀嚼する美夜。
「あああああっ、オレの大トロが……」
アキトは今にも泣き出さんばかりの顔で大仰に嘆いた。ただし、元々、その大トロは美夜のものなのだが。
「意地汚いマネをするからよ」
薫がにべもなく言い、これ見よがしに自分のヒラメを食べた。
一方、つかさはそこまでアキトを無碍に出来ない。
「これに懲りて、人の物を盗ったりしちゃダメだよ、アキト。──はい、ボクのネギトロ返すから」
つかさはあっさりと、アキトにネギトロを返してやった。
そんなつかさを薫はお人好しだと思う。
薫は年の差こそ離れているが、弟がいるので、食べ物のことに関して揉めるなんてことはしょっちゅうだ。
なるべく姉としては、弟に譲るようにしてはいるが、大事に仕舞っていたケーキを黙って食べられたりすると、さすがに堪忍袋の緒が切れて、つかみ合いのケンカに発展する。兄弟姉妹がいる家庭では、食べ物の争奪戦は日常茶飯事だ。
つかさのように一人っ子で育ったのでは、その辺の厳しさは分からないだろう。だから甘いのだ。
「ありがとう、つかさ。──チラッ」
泣いて──もちろんウソ泣きだろうが──感謝するアキトは、次に薫へと視線を送った。そして、何かを目で訴えかけながら、薫の分の寿司と繰り返し目線を往復させる。
無言の抗議に、さすがの薫もたじろいだ。
「わ、分かったわよ。返せばいいんでしょ、返せば。ホント、食べ物の恨みは恐ろしいんだから」
薫は諦めたように言うと、自分のウニをアキトの鮨桶に返した。アキトがニンマリとする。
「おお、よくぞ帰って来たな、オレのウニちゃん!」
「自分が最初に仕掛けたくせに……」
薫はボソッとクギを刺しておくことを忘れなかった。
「お兄ちゃん、美夜のネギトロ食べる?」
卑しい実兄を無視して、美夜がつかさに尋ねた。すかさず、
「オレが食ってやろうか?」
と、アキトが身を乗り出すようにして申し出た。美夜はそれをむぎゅっと手で押し返す。
「美夜はつかさお兄ちゃんに言ってるの! ──はい、お兄ちゃん、アーンして」
「えっ?」
美夜に促され、つかさは戸惑った。美夜はネギトロを箸でつまんで、つかさの方へ伸ばす。
「早くぅ。アーン」
恋人同士でも赤面しそうな行為に、つかさは恥ずかしくなった。自分よりも年下の女の子──もっとも、美夜は 吸血鬼 なので、実年齢はつかさよりも遥かに上だろうが──に、子供みたいに食べさせてもらうなんて。
アキトはアホ臭いという顔で、薫はニヤニヤしながら、つかさがどうするのか見ている。
「どうしたの、お兄ちゃん? お口開けて。アーン」
自分まで口をアーンと開けながら、美夜はつかさに要求した。
「うっ……あっ……」
美夜はつかさが口を開けるまで、このままネギトロを差し出し続けるに違いない。つかさは耳まで真っ赤になりながら、おずおずと口を開ける。
「あ、アーン……」
ぱくっ
「よく出来ましたぁ! 美味しい?」
嬉しそうに美夜ははしゃいだ。
「う、うん……」
つかさは口を動かしたが、恥ずかしさのせいで味もロクに分からないような状態だった。
そんなつかさと美夜のやり取りを見ていたアキトが、ふとひらめいた。そして、薫の方へ向き直り、
「アーン」
と、口を開けた。どうやら、オレにも食べさせて、というつもりらしい。
薫は冷めた視線をアキトに向けたが、当人はそれに気づかないといった様子で、口を開け続けた。薫は嘆息する。
「まったく。──どれどれ」
薫は少し腰を浮かせ、アキトの口の中を覗き込んだ。
「んー、見たところ、虫歯はないようね」
と、診断を下す。アキトは口を閉じ、さっさと食事に戻った薫を睨んだ。
「そういうことじゃねえだろう!」
何やかんやのうちに、四人は楽しい食事を終えた。もちろん、特上の握り寿司に大満足だ。
すると、すかさず美夜が、待ってました、とばかりに椅子から立ち上がった。
「じゃあ、お姉ちゃん! お風呂入ろ!」
「ブーッ!」
美夜の言葉に、思わず飲んでいたお茶を吹き出したのはアキトだった。薫と美夜が一緒に風呂へ入るいきさつを、寿司屋に電話していたため中座していたアキトは知らない。
「ふ、風呂だあ!?」
このとき、アキトが良からぬ想像をしたのは言うまでもない。
薫は困った顔をしていたが、すでに約束してしまったことだ。それに薫は約束したことを反古に出来るような人間ではない。
「しょうがない……じゃあ、入ろうか」
薫も椅子から立ち上がり、美夜と一緒にバスルームへ向かった。
ダイニングから出て行く寸前、美夜が後ろを振り返った。
「――そうだ! お兄ちゃんも一緒に入る?」
「ブーッ!」
今度はつかさがお茶を吹き出す番だった。美夜がおかしそうに笑う。
「一緒に洗いっこしようよ」
「み、美夜ちゃん……」
つかさは狼狽した。想像しただけでのぼせてきそうだ。
「なーんて、冗談、冗談♪ ──さあ、行こ♪」
美夜はいたずらっぽく笑うと、薫を促し、ウキウキしながら姿を消した。




