一年坊主は引っ込んでろ
つかさたち三人が教室に到着したのは、予鈴のギリギリだった。
「ふーっ、危なかったね」
「この足手まといさえいなきゃ、もう少し早く着いたのに」
通学路の途中で、何かと脇道へ逸れようとしていたアキトに対し、薫は皮肉を込めて言った。また、そんなヤツなど放っておけばいいものを、つかさが真面目にも引き戻そうとするものだから、危うく遅刻しかけたのである。
「だってボクちゃん、転校生だから、色々と知っておきたくて」
まるで反省した色を見せず、アキトはふざけた口調で言い訳した。今度、ツッコミ用に強力なハリセンを作っておこうか、と薫は真剣に考える。
ちなみに、転校してきたアキトはつかさたちと一緒のクラスになった。これは運命の悪戯というか、悪魔の所業というか、物語上のお約束というものであろう。
遅刻しないで済んだ、という安堵も束の間、教室の後方のドアが勢いよく開けられた。乱入して来たのは体格のいい五人の男たちだ。明らかに上級生だと分かる。教室にいた生徒たちの動きが、一瞬止まった。
その中でも一番に青ざめたのはつかさだった。
「おい、武藤」
「さ、坂田先輩……」
五人の上級生たちは、皆、つかさが所属する空手部の三年生だった。
その中でもズボンのポケットに手を突っ込んだ先頭の男が、真っ直ぐにつかさのいる席へと向かう。副主将の坂田だ。
五人の中では特に体格がいいわけでもなく、中肉中背といった感じだが、目つきからして如何にも凶暴そうで、ほとんど丸坊主に近い頭は真っ赤に染められ、両脇には気合の入った剃り込みも決めている。とても十七、八の高校生には思えない。
一年A組の教室は静まり返った。武道系の部活動を重んじる 琳昭館 高校では、縦の序列は絶対である。それに歯向かおうとする下級生がいれば、待っているのは徹底的な制裁だ。
つかさは震え上がった。
坂田を怒らせた心当たりはある。先日、アキトが学校を訪れたとき、先輩たちに頼まれた買い物をほったらかしにしてしまったのだ(※ 詳しくは第1話を参照)。
あれ以来、先輩たちのしごきを恐れて、つかさは部活に顔を出していなかった。坂田たちがわざわざこうして下級生の教室まで来たのは、きっとそのことに関してに違いない。
つかさが首をすぼめていると、見かねてアキトが席を立った。イスと机で、わざと大きな音を立てておく。
癇に障ったらしく、坂田がそちらを振り返った。アキトは臆することなく、堂々と上級生の坂田をねめつける。
「いきなり下級生の教室に来て、何の用ですか先輩?」
両者の視線がまともにぶつかり、激しい火花を散らした。
「何だ、貴様は?」
坂田の脅し口はヤクザに似ていた。繁華街を私服姿で歩いていれば、見間違える者はきっと多いはずだ。
だが、アキトも負けていなかった。身長だけなら、180センチを越えるアキトの方が年上に見える。
「オレは先日、転校して来たばかりの 仙月 明人。そいつの親友だ」
「一年坊主は引っ込んでろ。オレは部活の先輩として、武藤に用があるんだ」
「ほう。どんな用があるって言うんだよ?」
ずいっ、と一歩進み出ようとしたアキトだったが、その腕を薫に引っ張られた。おっとっと、とアキトはバランスを崩し、自分の席に座らせられる格好になる。
「――おい、何をしやがる?」
アキトは薫の手を振り払おうとした。しかし薫は、そうはさせない。
「黙って座ってて」
「お前、つかさを見殺しにするつもりか?」
アキトの目が細められた。それでも薫は毅然とした態度を取る。
「これはつかさの問題よ。つかさ自身が解決しなきゃ。私たちが関わるべきではないわ」
「でもよぉ──」
二人がゴチャゴチャやっている間に、坂田は当初の獲物――すなわち、つかさに向き直って凄んだ。
「おい、武藤。オレの用件、分かっているよな?」
「……はい」
「じゃあ、話は早い。放課後、道場へ来い。――逃げるなよ」
坂田はドスの利いた声でそれだけ言うと、チラッとアキトの方を一瞥してから、仲間たちと共に引き上げて行った。とりあえず暴力沙汰にならず、教室のあちこちで脱力する生徒が続出する。
ようやく薫に解放され、すぐにアキトはつかさのところへ駆け寄った。
「大丈夫か、つかさ?」
心配するアキトに、つかさは弱々しい笑みを返す。顔は少々、青ざめていた。
「うん。ほら、この通り、別に何をされたってわけじゃないし……そんなに心配することじゃないよ」
「でも、お前──」
「ホントに平気だから。そもそもボクが悪いんだし。空手部の部員としては、これくらい、ね」
さらに言葉をかけようとしたアキトであったが、そこでHR開始のチャイムが鳴った。何があったのかも知らず、担任教師が生徒名簿を手に教室へやって来る。
「みんな、席に着け」
アキトは仕方なく自分の席に戻った。つかさの小さな背中を心配げに見やりながら。
昼休みの屋上。
真っ青な空を一筋の飛行機雲がたなびいていた。
その夏空を見上げているのは、校舎屋上のフェンスの上に立ったアキトだ。
幅が三センチ未満という、わずかな足場であるにもかかわらず、アキトの身体が揺らぐことはない。吸血鬼 ならではの身の軽さだが、普通の人間が目撃したら飛び降り自殺寸前かと勘違いし、卒倒するか、泡を食って警察に通報するだろう。
それにしても、これほどの強い陽光を浴びながら、ズボンのポケットに手を突っ込み、平然と立っていられる 吸血鬼 というのも珍しい。
幸い、人気のない屋上に現れたのは、アキトの正体を知る数少ない人物のうちの一人、写真部の大神憲だった。その大神にしても人間ではない(※ こちらも第1話を参照)。
「兄貴、何かご用で?」
大神はこちらへ背中を向けているアキトを眩しそうに見上げた。あまりの暑さと屋上まで階段を上がって来たせいで、まるで犬のように舌を出し、ハアハアとせわしない呼吸をする。
アキトはフェンスの上に立ったまま振り向きもせず、
「イヌ、空手部の坂田ってヤツを知ってるか?」
と尋ねた。
大神は尻ポケットから生徒手帳を取り出した。
「お任せください。この学校の人間のことなら、すべて調べ上げておりますので。もちろん、女子の方が断然、データが揃ってますけどね」
「余計なことはいいから、早くしろ」
「了解。──えーと、空手部の坂田、坂田っと──あった、あった――坂田 欣時。三年C組、空手部副主将。ですが、それよりも学校の内外で暴力沙汰の問題を起こしていることの方が有名みたいですね」
「見るからに、そんな感じだったな」
「一年のときには、町のチンピラ相手に大立ち回りもしたようです。性格は極めて残忍で攻撃的。琳昭館高校のブラックリストに名を連ねています」
「そんなヤツが空手部の副主将かよ。大会とか、出場停止にならないか?」
アキトは吐き捨てるように言った。
「チンピラとやり合ったのは、空手部に入部する前だったみたいですよ。以後は、それほど目立った事件は起こしておらず、現在は空手部のナンバー2として全国大会にも出たことがあります」
「ナンバー2だと? じゃあ、誰がナンバー1なんだ?」
「空手部の主将ですね。三年A組の 羽座間 大作 という男です。ただ、この空手部主将、夏休みを利用してアメリカへ行ったまま、武者修行の旅から、まだ戻って来てないみたいです」
「今どき武者修行だと? そいつはストリート・ファイターか世界最強でも目指しているのか?」
「実力は坂田よりも数段上。しかも周囲からの人望も厚い好人物のようですね。坂田を空手部に誘ったのも、その羽座間だったみたいです。問題児だった坂田を自らの手で更生させるためだったというのが、もっぱらの噂みたいですけど」
「チッ、何が更生だよ。だったら、最後まで面倒見やがれ。自分はアメリカへ修行に行っちまって、放棄してるも同然じゃねえか」
アキトは毒づいてから、しばらく黙り込んだ。
「兄貴……?」
と、大神がアキトを見上げる。
「――しゃあねえな。やっぱり、オレが何とかしてやらなくちゃいけねえか」
「はっ?」
「ありがとうよ、イヌ。また、何かあったら頼むぜ」
アキトは大神に礼を言うと、ポケットに手を突っ込んだまま、屋上のフェンスから地表に飛び降りた。