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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第8話 ひとりぼっちの神隠し 【 全 13 回 】
58/159

お前、さっき言ったよな? この世界はお前そのものだって

 かくして、アキトとアヤネによる影踏みが始まった。


 鬼であるアキトが、逃げるアヤネの影を踏めば勝ち。アヤネは少女の姿をしていて小柄だが、この夕暮れの世界では影が三倍にも四倍にも長く伸びている。ちょっと本気を出せばすぐに捕まえられると、アキトは楽勝のつもりでいた。


 だが、アヤネはこの異界を作り出したあやかしの存在。この世界では、何でも彼女の意のままになる。


 逃げていたアヤネの姿が、アキトの眼前から忽然と消えた。次の瞬間、五十メートルほど離れたところに忽然と現れる。まるで瞬間移動テレポーテーションでもしたかのようだ。


 愕然とするアキトに、アヤネはあどけない表情のまま笑った。


「簡単には捕まらないよーだ」


「くそっ!」


 とにかく負けず嫌いなアキトは、アヤネを追いかけた。アフリカのサバンナを疾走するチーターも真っ青なスピードで、アヤネに迫る。


 それに対し、アヤネの姿はどんどんと遠ざかっていった。涼しい顔をして、消えては現れ、現れては消えるを繰り返す。まるで捕まえることの出来ない逃げ水を相手にしているかのようだ。


「ほーら、こっちこっち」


 アヤネはアキトとの影踏みを無邪気に楽しんでいた。猛然と追いかけてくるアキトを、時折、嘲笑しながら挑発する。


 アキトによって壊され、池の中に落ちた回転遊具の上にアヤネは飛び乗った。アキトも負けじとジャンプして、飛び移ろうとする。ところが、手が届く寸前でアヤネの姿はまたしても消え、代わりに池の水が間欠泉のように噴き上がった。


 ドォォォォォォォン!


「うわあああああああっ!」


 当然、アキトは吹き飛ばされた。二十メートルほど宙に舞い上げられ、為す術なく、そのまま水が引いてしまった池へ落下する。それから数瞬遅れて、池の水が雨のように降り注いだ。


 ざあああああああっ!


 一瞬だけのスコールみたいな雨は、空にひとときの虹を作り出した。それを眺めたアヤネが、子供らしい歓声をあげる。


「わあああっ、すごーい!」


 アヤネは鉄棒の上に座るようにしながら、手を叩いてはしゃいだ。


 雨が上がり、虹が消えると、アヤネは鉄棒から飛び降りた。そして、アキトが落ちたはずの池へ近づく。


「お兄ちゃん、もう降参?」


 アヤネは池の水面に向かって尋ねた。


 すると返事の代わりに、水泡が浮かび上がった。それは徐々に数を増してゆく。


 ブクッ……ブクッ……ブクブクブクッ……!


「ぷはぁーっ!」


 息苦しそうにアキトの頭が浮上した。そして、口からピューッと水を吐き出す。


「よく生きてたね」


 本当にアヤネは感心しているようだった。


 そんなアヤネに殺意のこもった視線を向けながら、アキトはやっとの思いで池から這い上がった。そして、四つん這いになりながら、苦しそうに咳き込む。


「こっ、こ、この野郎……いきなり池を深くしやがって! マリアナ海溝よりも深いかと思ったぞ!」


 死にそうになりながらも、アキトは毒づくことを忘れなかった。


 アヤネは笑う。


「だって、この世界はアヤネそのものだもん。どう作り替えようと勝手じゃない。けど……ここにいるのはアヤネ一人だけ。ずっとずっと、ひとりぼっち」


「だから、誰かにいて欲しいってか?」


「そう。たまに誰かがここへ迷い込んで来てくれると嬉しいの。そのときだけ、ひとりぼっちじゃなくなるから。──もっとも、みんな、すぐにアヤネと遊んでくれなくなっちゃうんだけどね」


 最後は少しだけ淋しげな表情を見せたアヤネだった。


 だが、アキトは同情などしない。


「それはお前が、老いることもなく、時間も意味を為さない存在だからだろ? そんなヤツに普通の人間がずっと付き合いきれるわけがねえ」


 懸命に息を整えながら、アキトは真実を突いた。


 その言葉は自分自身にも突き刺さる。


 吸血鬼ヴァンパイア もまた不老不死。これまでも永久の時間の中を孤独にさすらい続けて来た。今、友として接してくれるつかさとも、いつまで一緒にいられるか。それを考えると、切なさを覚える。


 一方、アヤネはアキトに背を向け、ゆっくりと歩き出す。アヤネの影もまた、アキトから遠ざかった。


「じゃあ、お兄ちゃんとアヤネはお似合いだね。このまま、ずっとずっと遊んでくれないかな?」


 振り返ったアヤネの顔は、あくまでも無邪気だった。しかし、子供だからこそ、相手への思慮が足らず、わがままに見られることもある。


 アキトは唾棄した。


「ヤなこった! オレは帰る! この勝負が終わったら、メガネを連れてな」


 そう宣言して、アキトは立ち上がった。全身はびしょびしょで、髪もぺしゃんこだが、アヤネに向ける目だけはギラギラとしている。降参など、この男の辞書にはない。


 アヤネもまた、不敵な姿勢を崩さなかった。


「ふーん。まだやるの? ムダだと思うけど」


「どうかな?」


 アキトは自信ありげに笑みを作った。そして、改めて児童公園を見渡す。それはアヤネが作り上げた、永遠の黄昏の世界。


「──お前、さっき言ったよな? この世界はお前そのものだって」


「それがなぁに?」


「この公園がお前そのものなら、この公園にある影はお前の影同然ってことじゃねえか?」


 アキトは口の端を吊り上げた。そして──


 ちょうどアキトの立っている場所まで、外灯の影が長く伸びていた。その影をアキトは踏みつけようと、足を上げる。


「これでオレの勝ちだ!」


 勝ち誇ったアキトだったが、次の刹那、足は外灯の影を踏み損なっていた。


 いや、正確には──


「なにぃ!?」


 アキトは驚きに目を剥く。たった今、そこに立っていたはずの外灯が消失してしまっていた。


「あはははははっ!」


 アヤネはお腹を抱えて、おかしそうに笑った。


 すると、次々に公園内の施設や樹木が消えていった。滑り台もブランコも、池も茂みも立て看板も――


 予想もしなかった出来事に、アキトはただ立ち尽くすしかない。


「アヤネはもうひとつ言ったはずだよ。好きに作り替えることも出来るって。そろそろ、この風景にも飽きてたんだ。新しく作り直す前に、この世界の真の姿を見せてあげる」


 公園が跡形もなく消えていく光景は、まるで時間が巻き戻っているような錯覚がした。


 アヤネとアキトだけを残して、坂時町さかときちょう児童公園はジグソーパズルのピースが一枚一枚剥がされていくようになくなり、とうとう夕焼け空までも色を失った。


「………」


 アヤネの言う真の世界とは、水彩絵の具が混じり合い、滲んだような灰色の空間だった。地平線もなく、上下の区別もつかないため、平衡感覚も距離感覚もまったく失われている。


 きっと普通の人間なら、こんなところに長時間いたら気が狂ってしまうだろう。


「どう?」


 茫然としているアキトに、アヤネは尋ねた。そのとき見せた表情が、少しだけ淋しげに映った気がする。


 これこそがアヤネそのものだとすれば、何とも悲しい色ではないか。


 周囲を見渡すアキトの目が、灰色の空間に、それ以外のものを見つけた。


 そこには仰向けになって寝ているセーラー服の少女──寧音がいた。発見できたのは、公園というカムフラージュがなくなったお蔭だ。


 さらに、その近くには白くて細々としたものが山と積まれていた。吸血鬼ヴァンパイア の視力は、それがおびただしい量の骨だと判別する。きっと、このアヤネの世界へ迷い込み、帰れないまま、その犠牲となった人間や動物のものだろう。


「おい、メガネ!」


 アキトは大声を出して、寧音を呼んだ。


 しかし、寧音は、


「ウチの特ダネ……これでピューリッツァー賞はいただきや……」


 という寝言を返し、まったく起きる気配を見せない。


「チッ! 呑気に寝やがって!」


 元の世界では、みんなが心配しながら捜しているというのに、こうして何の危険も感じず、無防備な姿で寝ているのを見ていると、腹立たしく思えてくる。


 アキトは叩き起こしてやろうと、寧音の方へ行きかけた。


 だが、そこへアヤネが立ち塞がる。


「まだ、勝負はついてないよ」


「何言ってやがる! お前から影踏みをやめちまったんだろうが! オレの不戦勝だな。約束通り、あいつを連れて帰るぜ」


 アキトはそう結論づけて、アヤネを避けようとした。だが、その程度ではアヤネも引き下がらない。


「さっきのは引き分け。次で決めようよ。今度はお兄ちゃんが、どんな遊びをするか決めていいからさ」


「ああん?」


 アヤネの提案に、アキトはしかめっ面をした。まだ遊び足りないらしい。


「オレが決めていいんだな?」


「うん」


「じゃあ、オレとの勝負は──これだ!」


 ニヤリ、とアキトはと笑みを作り、拳を突き出した。今までの鬱憤を大暴れして晴らすつもりだ。


「念のために言っておくが、ジャンケンじゃねえからな」


「分かってるよ」


 アヤネはうなずくと、後ろに回した手からお面を取り出した。縁日で売っているような、キツネのお面だ。


「こっちも、それなりの準備をさせてもらうから」


 そう言うと、アヤネはキツネのお面をアキトの顔の前に突き出した。アキトは思わず、後ずさる。


 と、その刹那、アヤネは姿を消し、代わりに長身の男が立っていた。


 長身の男と言っても、顔はキツネのお面によって隠されている。背丈はアキトと同じくらい。服装も真似たのか、琳昭館りんしょうかん 高校の夏服を着ていた。


「ほう」


 アキトは感心したように呟いた。やっと面白くなってきやがった、と自然に顔がほころぶ。


 ビュッ!


 そんなアキトへ向かって、いきなりキツネ面の男がパンチを振るって来た。

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