あーあ、見つかっちゃった
入口から公衆トイレの方へ歩きながらも、アキトはこの異界の観察を怠らなかった。
見た目には、アキトが元いた世界と何ら変わらない。公園の施設や光景、沈みかけた夕陽。すべてが先程のままだ。
しかし、ここは元の世界ではない。似てはいるが、まったく異質の空間。それはアキトから見れば、死んだような世界と言い換えてもいい。
人ではない 吸血鬼 ならではの超感覚は、ここが別世界であることを易々と看破していた。
何より、明らかに違うのは時間だ。ここへ来てから一、二分が経過しているが、日の傾きにまったく変化がない。つまり、ここはまるで写真に撮られた世界であるかのように、まったく時間が動いていなかった。
時間が動いていないせいで、アキトの耳には自分の足音しか聞こえなかった。つい今し方まで聞こえていた蜩の鳴き声も、住宅地で暮らす人々の声も、そして車の音さえも、まったく届かない。
死んだような世界だという見解は、そんな不気味なまでの静寂から来ていた。
くすくす くすくす……
何も聞こえないはずの異界で、アキトは少女の笑い声を耳にした。近くから聞こえた気もするし、遠くから聞こえたような気もする。アキトは目の動きだけで周囲を探った。
くすくす くすくす……
また、笑い声。
アキトは右を向いた。そして、いきなりトップギアで走り出す。
そちらには公園の遊具施設があった。アキトが目指すのは砂場。
ザッ――!
アキトは砂場に足を踏み入れた。そして、周囲を見渡す。
「何処だ!?」
アキトは叫んだ。感じた気配を捉えようとする。
「残念でした」
嘲笑うかのような少女の声――その刹那、アキトの身体がガクンと沈み込む。
いつの間にか、砂場は流砂と化していた。地の底へアキトを引きずり込もうとしている。
アキトは両脚を抜こうと思ったが、流砂のスピードはそれを許さず、アッという間に膝まで砂に埋もれた。このままでは完全に呑み込まれてしまう。
「こなくそ!」
アキトは身をひねるようにして、右手を伸ばした。その手がかろうじて木材で囲われた砂場の淵を叩く。その反動を利用して、アキトは流砂から身を躍らせた。
砂場から脱出したアキトは、すぐさま辺りを見回した。もう少し砂場の中央まで足を踏み入れていたら、抜け出すのは不可能だったかもしれない。
くすくす くすくす……
声の主は、そんなアキトを見て楽しんでいるようだった。もちろん、遊ばれたアキトとしては面白いはずがない。
「出て来いよ」
「まあだだよ」
「ふざけやがって。こっちはかくれんぼをしに来たんじゃねえんだ」
そう言うや否や、アキトは突然、跳躍した。砂場の近くにある滑り台の頂上へ向かって。
「あはははははっ!」
少女の嬌声がした。と同時に、着地したアキトの手からすり抜けるようにして、十歳くらいの女の子が滑り台を滑り降りる。その勢いで、五、六歩行きかけて止まると、滑り台の上にいるアキトを見上げる仕種をした。
「あーあ、見つかっちゃった」
楽しそうに少女が言った。
一方のアキトは苦虫を噛み潰したような顔だ。
「てめえ、いつまで遊んでいるつもりだ? こっちはさっさと片をつけて帰りてえんだよ」
小学校の低学年くらいだと思われるあどけない少女をアキトは大人げない形相でねめつけた。
だが、少女はちっとも意に介していないようだ。
「お兄ちゃん、そんなこと言わないで、もっと遊んでよ。アヤネ、ずっと退屈してたんだから」
アヤネと名乗った少女は、無邪気な子供のようにねだった。
しかし、アキトはとっくに、アヤネがただの女の子ではないと見抜いていた。この異界で自由に動ける者──それは異界の住人以外に有り得ない。
現にアヤネからは、普通の人間にはない邪気が感じられた。
ここは、このアヤネという少女の姿をした異界の住人が作り出した世界に違いない。女の子に遊具施設のある児童公園――いかにもふさわしい空間ではないか。
「お前が、あのメガネをさらったんだろ?」
アキトは詰問した。それでいながら、周囲の警戒も怠らない。ここがアヤネの世界である以上、さっきの流砂のように、どんな罠が待ち受けているか。
だが、アヤネはまるで本物の女の子のように、右の人差し指をほっぺに当て、小首を傾げるようなポーズを取った。
「メガネさん?」
「ああ。徳田 寧音 とか言うバカのことだ」
出来れば、異界に迷い込んだ寧音を助けるなんて、こんな面倒くさいことは願い下げにしたいアキトだ。とは言え、ミサの計略にはめられたというのもあるが、来てしまった以上は連れて帰る気になっていた。
アキトの説明に、アヤネは心当たりがあったようで、
「あのお姉ちゃんのこと? メガネがないって言ってたけど。別にアヤネが連れて来たわけじゃないよ。お姉ちゃんの方がアヤネのところへ来たんだから」
と釈明した。
アキトはアヤネに鋭い視線を向けた。
「んなことは、どっちだっていい。一応、いるかいないか確認しただけだ。まあ、いるとなれば話は早い。あいつはオレが連れて帰る。当然、文句はねえな?」
問答無用で言うアキトに、アヤネは初めて困ったような顔を見せた。
「ええーっ!? お姉ちゃんを連れて帰っちゃうの? ダメだよ~! お姉ちゃんはアヤネと一緒に遊ぶって約束したもん! いっぱい、いっぱい遊ぶって! ちゃんと指切りもしたんだから!」
だだっ子のようにごねるアヤネの主張を、アキトはつまらなそうな顔で耳掃除をしながら聞いていた。
「そんなもん、知ったことか。こっちも手ぶらで帰ったんじゃ、あとで何を言われるか分かったもんじゃないんでな」
もし、アキト一人で帰ったら、薫たちにどんなひどい目に遭わされるか。つかさにも幻滅されては、堪ったものではない。
だが、アヤネもまた、素直に従おうとはしなかった。
「アヤネと遊ばないで帰ったら、あのお姉ちゃん、ウソつきになって、針千本呑まさなきゃいけないんだけど、それでもいいの?」
「お前なあ!」
アキトは頭に来て、滑り台から飛び降りた。アヤネは、きゃあ、とふざけ半分に悲鳴をあげて、てけてけてっと走り、球状の回転遊具の中へ逃げ込む。
話し合いで決着がつけられないなら、腕力に物を言わせてやろうと、アキトはアヤネがいる回転遊具の中へ入ろうとした。
すると、いきなり遊具が高速で回転を始めた。油断していたアキトは回転遊具に接触し、物凄い勢いで弾き飛ばされる。背中から地面に落ち、そのまま十メートルほど滑った。
遊具の中心で、自らは回りもせずにそれを眺めていたアヤネは、そんなアキトの姿をおかしそうに笑った。
「鬼さん、こちら。手の鳴る方へ」
アヤネは手を叩いて、はやし立てた。
痛みと屈辱に顔を歪めながら、アキトはゆっくりと身を起こす。白かった夏服のシャツは、背中が泥だらけになっていた。
「てめえ、あまりオレを怒らすなよ。どうなっても知らねえぞ」
アキトの目が怒りに燃えた。そして、急に何を思ったのか、高速回転を続ける遊具へ突っ込む。
「くすくすっ、ムダなのに」
「そいつは──どうかな!」
アキトはおもむろに、回転遊具へ跳び蹴りを浴びせた。今度は弾き飛ばされぬよう、回転とは逆方向に蹴り飛ばす。その衝撃の凄まじさたるや。金属がひしゃげるような恐ろしい音がし、主軸が根元の方からうなだれるように折れ曲がる。
その拍子に回転遊具は傾き、周囲の地面を削るように回り続けた。
バリバリバリッ! ガガガガガガガッ!
地面の土が盛大に撒き散らされた。回転遊具の主軸はやがて限界に達し、完全に引きちぎれてしまう。
支えを失った回転遊具は、巨大なボールとなって転がった。そのまま遊具施設から二十メートルほど離れた園内の池に突っ込む。派手な水しぶきを上げて、回転遊具はようやく止まった。
「どうだ!」
小さくガッツポーズをして、アキトは吼えた。少しは溜飲を下げることに成功したようだ。
「凄い、すごーい!」
別の方向から、パチパチとアキトを讃える拍手が聞こえた。
見れば、いつの間に回転遊具の中から外へ出たのか、アヤネがブランコで立ち漕ぎをしながら、喝采を送っているではないか。
屈託なさそうな笑顔に、アキトはチッと舌打ちした。
「こいつ、チョロチョロと!」
「お兄ちゃん、楽しいね!」
「うるせえ!」
「もっと遊んでよ」
「イヤだって言ってんだろ!」
「そうだ! 今度は影踏みをして遊ぼうよ!」
「だから、オレは──」
「お兄ちゃんが勝ったら、お姉ちゃんを返してあげてもいいよ」
「なぬ?」
さらりと交換条件を持ち出してきたアヤネに、アキトは黙った。
このままアヤネを無視して寧音を捜し回っても、見つけられる保証は何処にもない。何しろ、この異界はアヤネが創り上げたものなのだ。永遠に寧音を隠し続けることになるかも知れない。
「その言葉、ウソじゃねえだろうな?」
アキトはこの勝負に乗ることにした。
「ウソじゃないよ。何なら、指切りしようか?」
アヤネは右手の小指を差し出した。
「いらねえよ。じゃあ、とっとと始めようじゃねえか」
「うん、いいよ。それじゃあ、用意、スタート!」
アヤネはキャッキャ、キャッキャと喜びながら逃げ出す。
「このオレ様を甘く見るなよ。すぐに捕まえてやるぜ!」
舌舐めずりしたアキトもまた、本気でアヤネを追いかけ始めた。




