私を敵に回すつもりなら、どうぞご自由に
まるで野良犬のようにありすを威嚇しているアキトの背中をつかさがつついた。
「アキト、ちょっと」
「あん?」
二人は薫たちから少し離れた。つかさが声を低めて話す。
「――徳田さんのことなんだけど。どうやら、この公園で神隠しに遭ったみたいなんだ」
「神隠し?」
「うん。何でもこの辺では昔から神隠しの言い伝えがあって、今でも多くのペットが姿を消すことがあるらしいんだよ」
「てことは、あいつは人間というより、動物並みということだな?」
「そうじゃなくて――黒井さんも、ここの空間は少し歪んでいるみたいだって言うし。だから徳田さんは異界に迷い込んだんじゃないかって、みんなで話していたんだ」
「あの女、そんなことまで分かるのか?」
「多分。──ねえ、どうしたらいい? どうやったら徳田さんを助けられる?」
つかさは一縷の望みを持って、吸血鬼 であるアキトに尋ねた。
ところが、アキトは面倒くさそうな顔をした。
「助けなくたっていいんじゃねえか、あんなメガネ。そうすりゃ、つけ回されているこっちとしては、せいせいすらぁ」
「アキト!」
「んな、怖い顔で睨むなよ。お前だって年がら年中、ストーカーみたいなことされたら、きっと、そう思うって。それにどうやって向こうへ行って助けるって言うんだ? オレにはそんな芸当できねえぜ」
「方法ならあるわ」
いつの間に近づいてきたのか、すぐ背後に立っていたミサがぼそりと言った。二人は驚いて、思わず身構えてしまう。
「ほ、方法って……?」
先程までミサは、寧音を助けるのは難しいと言っていたはずである。つかさは意外に思って聞き返した。
「もちろん、誰かがあちら側へ行って、連れ戻して来るのよ」
ミサはこともなげに答えた。単純なことだが、よく考えるとムチャである。
「えっ? だって、さっきは……」
異世界は危険だ、とミサ自らが言っていたはずではなかったか。
しかし、ミサは意味ありげな視線をアキトに送る。
「私は、普通の人間なら危険だと言ったのよ。そうでないのなら、助けられる可能性は高くなるわ」
やっぱりミサは、アキトの正体に気づいているのではないか――言葉に含まれているニュアンスから、つかさはそんな風に感じ取った。
一方、アキトは露骨にイヤそうな顔をした。
「それをオレにやれ、と? 簡単に言ってくれるよな。そもそも、何でオレがメガネのヤツを助けなきゃなんねえんだ?」
「すべての元凶はあなたでしょ? それとも何? あなたの秘密を喋っても構わないのかしら? 言っておくけど、私は他のみんなみたいに、あなたの安っぽい催眠術になんかかからないから。私を敵に回すつもりなら、どうぞご自由に」
ミサは不敵な微笑を浮かべながら、アキトを脅迫した。
吸血鬼 と魔女――両者の間に静かな火花が散った。
そんな二人の顔を交互に見ながら、つかさが一人でおろおろする。
「何をさっきから、コソコソと話しているのよ?」
少し離れたところから様子を窺っていた薫が胡散臭そうに尋ねた。晶も腕組みして、こちらを睨んでいる。
「――ああ、話がついたわ。彼が徳田さんを連れ戻しに行ってくれるって」
いきなりミサは言い切った。当然、アキトが黙っていられるわけがない。
「待て! 誰がそんなことを言った!? 勝手に話を進めんな!」
「あら? ひょっとして怖いのかしら?」
ミサは明らかに挑発した。
単純な性格のアキトである。男一匹、怖がっているなんて思われるのは死んでもイヤだ。
「ふざけんな! 異界だろうと魔界だろうと、ド~ンと来やがれ!」
「はい、決まり」
交渉成立、とばかりにミサは妖しく微笑んだ。
そして――
「じゃあ、行ってらっしゃい」
と言うなり、おもむろにアキトを突き飛ばした。
「うわぁ!」
不意をつかれたアキトは、公園の植え込みに倒れそうになった。が、次の瞬間、つかさたちは信じられない光景を目撃する。
フッ――!
何の前触れもなく、アキトの姿が忽然と消えた。それは決して植え込みに突っ込んだからではなく、完全に消失したのだ。
自分の目が信じられず、つかさたちは何度も瞬きを繰り返した。
「あ、アキトは……?」
茫然としながら、つかさはアキトを突き飛ばしたミサに尋ねた。ミサは何事もなかったかのように、長い黒髪を掻き上げる。
「行ったわ」
「行ったって……?」
「あちら側――つまり、異界へよ」
「えっ……?」
あまりにも唐突で、あまりにも呆気なさ過ぎた。ミサから説明されても、それを理解するのに時間がかかる。
そんな中、パチパチと拍手をしたのは、ありすだった。
「ミサちゃん、すごぉーい! 新しいマジックぅ?」
……やはり、ありすも分かっていない。
「ちょうど彼の立っていた場所が、一番、空間の歪みがひどいところだったものだから。ああやって、ちょっとしたきっかけを与えてやるだけで、異界へ入り込めるのよ」
まるで勉強を丁寧に教えてくれる優等生のようにミサは説明した。
それを聞いた薫と晶が顔面を蒼白にしながら後ずさる。近くにいたら、自分たちも異界に迷い込んでしまう、とでも思ったのだろう。
まさか、こんな手段でアキトを送り込むと思わなかったつかさは、恐る恐るミサに尋ねてみることにした。
「く、黒井さん……アキトは大丈夫なの……?」
するとミサの答えは、さらにつかさを驚かせた。
「さあ……分からないわ」
「えっ!?」
つかさは開いた口が塞がらなかった。アキトなら寧音を連れ戻せると考えて、送り込んだのではなかったのか。
「私は、『助けられる可能性は高くなる』とは言ったけど、100%とは言っていないわ。まあ、普通ならゼロに近いところを、彼が30%くらいに引き上げたってところかしら」
「さ、30%――!?」
そんな成功確率で、異界へ送り込まれたとは。
つかさは、「覚えてやがれ~ぇ!」と喚くアキトの声が聞こえてくるような気がした。
「うわっぷ!」
ミサに突き飛ばされたアキトは、頭から植え込みに突っ込んだ。すぐさま体勢を立て直し、いきなり突き飛ばしたミサを怒鳴りつけようとする。
「てめえ、何しやがる!」
植木の葉っぱを口からペッペッと吐き出しながら、アキトは怒りの声をあげた。見た目は物静かな美少女然としているくせに、アキトへの仕打ちには一切の容赦がない。一度、痛い目に遭わせておくべきだと考えた。
ところが――
「ありゃ?」
振り上げた拳が途中で止まる。なぜなら、それを振り下ろすべき相手、ミサがいないからだ。
いないのはミサばかりではなかった。つかさも、薫も、晶も、ありすも姿を消している。たった今、一緒にいたはずなのに。
アキトは慌てて周囲を見回した。
児童公園にいるのはアキトただ一人。人はおろか、ありとあらゆる生物の気配が絶えていた。
スッとアキトの目が鋭くなる。
「この身体にまとわりつくような邪気……あの女、やってくれたな」
アキトはすぐに事態を把握し、ミサに対して悪態をついた。
公園はつかさたちの姿がなくなったこと以外、ついさっきまでと何も変わりがないように見えた。
夕陽に彩られた公園――
周囲にたたずむ住宅街――
だが、吸血鬼 であるアキトの超感覚は、ここがまったく異質な世界であることを察知していた。
すなわち、ここは異界──
先程までアホ丸出しだったアキトの表情が、今ではキリリと引き締まったものに変わっていた。
ここが異界である以上、何が起こるか。一瞬たりとも油断できない。
まずアキトは公園の出口に向かってみた。公園の外へ出る一歩手前で立ち止まると、そっと右腕を差し出してみる。
そこには見えない壁があった。ノックするようにして叩いてみる。まるで硬質ガラスのようだ。。
今度は手の平を向けて、強く叩いた。びくともしない。
次に出口全体を撫でるようにしてみた。どうやら公園の境界線に沿って、見えない壁が存在しているようだ。
この公園からは一歩も出られそうにないと分かり、アキトは出口に背を向けた。ここから脱出する方法はあるのか。どうやら、それはこの中で見つけるしかないらしい。
ふと、アキトの口の端が歪んだ。それは笑み――この男は、こんな状況にもかかわらず、それを楽しんでいるのだ。
「上等だぜ。絶対にここから脱出してやろうじゃねえか。見てやがれ、あの腹黒陰険魔女め。帰ったら必ず吠え面かかせてやっからな!」
ミサへの仕返しを心に誓いながら、アキトはゆっくりと公園の中を歩き出した。




