今、ボクのこと、睨んでなかった?
三十分後、つかさと薫の二人は駅へ向かって歩いていた。
つかさが先頭、薫は三メートルくらい離れている。薫はムッとした様子で、前を行くつかさの背中を睨みつけていた。
さすがは《氣》を駆使する古武道で鍛えたる者、よからぬ視線の気配を背中で感じたらしく、訝しげにつかさが振り向く。
「……何?」
「別に」
「今、ボクのこと、睨んでなかった?」
「……睨んでない」
「ホントに?」
「睨んでないってばぁ! ──さあ、とっとと行くわよ!」
声を荒らげた薫は、一人でプリプリ怒りながら、つかさを追い抜いて先を歩き始めた。つかさはワケが分からないといった顔だ。
薫が腹を立てているのは、つかさに対してではない。早合点した自分にだ。
つかさが「付き合ってくれない?」と言ったのは、「買い物に付き合ってよ」という意味だった。これまでにだって、そういったことは何度かある。
それをあろうことか「恋人として付き合ってください」という意味で受け取り、勝手に頭の中を真っ白にさせてしまうとは。不覚。
もちろん、そのことにつかさが気づくはずもないが、ただの友達だ、クラスメイトの一人だ、男として意識したことなんてこれっぽっちもない、と心の中で断言していながら、ついそっちの方に考えてしまった自分が恥ずかしい。
そもそも、つかさが異性として薫を意識すること自体、まず有り得ないだろう。なぜなら、つかさにはすでに意中の女性がいることを薫は知っている。
どうも今日は調子が狂うようだ。生け花の失敗を引きずっているからだろうか。薫は頭を切り換えようとした。
「で、何て本を探すんだっけ?」
他の話題で誤魔化そうと、薫は目的の買い物について尋ねた。
「ああ、えーとねえ……飛田 龍之介 の『夢と記憶と未来とボクと』って本。なければ『緋色の夢』ってヤツでもいいんだけど」
メモを取り出したつかさは、控えていた作品タイトルを読み上げた。
「飛田龍之介?」
聞いたこともない名前の作家だった。とは言え、薫はあまり小説を読まない人間だ。作家の名前も、国語の授業で出て来るような有名どころしか知らない。
「知る人ぞ知る作家らしいよ。もっとも、ボクも読んだことはないんだけど」
つかさも読書家という話は聞かない。
「どういう風の吹き回し?」
薫は当然の疑問を口にした。
「うん、木暮くんのお見舞いに持って行ってあげようと思ってさ」
木暮 春紀――薫たちのクラス一年A組の隣、一年B組の男子生徒だ。
根っからのいじめられっ子だった木暮は、先日、学校で大事件が発生し、目下、病院で加療中であった。命に別状はないが、そのときのケガが原因で、今も意識不明の状態が続いている(※ 詳しくは第5話を参照)。
つかさは、その木暮と友達になる約束をしながら、彼を守れなかったことを悔やんでいた。
薫も何度かつかさと一緒に、木暮のお見舞いに付き添ったことがある。
まるで中学生のような小柄な身体をベッドに横たえ、点滴のチューブに繋がれたまま眠っている姿は、食事を摂っていないため、なおさら痩せ細り、とても痛々しく見えた。
そんな木暮に、一人で話しかけているつかさを見るのも辛い。
だが、つかさは木暮が目覚めるのを、いつまでも待つだろう。友達として、たとえ、それが何年かかろうとも――薫はそう信じて疑わなかった。
「この前、木暮くんのお母さんに招かれて木暮くんの家に行ったら、本棚にいっぱい飛田龍之介って人の本が並んでいたんだ。で、いろいろ調べてみたら、木暮くんが持ってないその作家の本が、まだあるみたいなんだよ」
「へえ」
「けど、この近所の本屋を回っても、全然、見つかんなくて。書店員さんに訊いたら、どうも絶版らしいんだ。だから、西城駅前の大型書店とか古本屋に行けば、見つかるかなって思ってさ」
「ふーん。見つかるといいね」
薫は素直にそう思った。そして、わざわざ友人のために動こうとするところが、いかにもつかさらしい、とも。
そんな二人の後方から、急速に近づく慌ただしい足音があった。何事か、と薫たちは警戒して振り返る。
「あっ――!」
「アキト!?」
それはつかさたちのクラスメイトである仙月アキトだった。
凄い形相で二人を追い抜いて行ったアキトであったが、五十メートルくらい行き過ぎてから、後ろ向きの姿勢のまま、まるで巻き戻されたVTRを見ているみたいにこちらへ戻って来た。そして、つかさたちの横に並ぶ。
「よお、お二人さん!」
ランニング途中みたいに足踏みしたまま、アキトはつかさと薫に声をかけた。
「アキト、どうしたの? そんなに急いで」
慌てたと言うよりも、焦ったような様子のアキトに、つかさが尋ねた。
薫は知らないが、アキトの正体は東洋系の 吸血鬼 である。そんな男がここまで顔を引きつらせ、何某かから必死に逃げているなんて、尋常ではないと思う。
分かった、と薫が何かひらめいたらしく、ポンと手を叩いた。
「トイレに急いでいるんでしょ?」
「違わい!」
噛みつくようにアキトは強く否定した。
「じゃあ、何なのよ?」
聞いてやろうじゃないか、となぜか挑戦的な目つきで薫が促す。
後方を気にしつつ、アキトは乾いた唇を舐めた。
「それが、その……とにかく、しつこくてよぉ! 今、ヤツから逃げ回っているところなんだ!」
「ヤツって誰よ?」
もう一度、アキトはチラリと後ろを振り返った。途端に肩がびくんとなる。
「やべぇ……なんちゅう執念深さだ……もう追って来やがった――じゃあな、つかさ! そういうワケで!」
何がどういうワケなんだか、つかさたちにはさっぱり分からなかったが、アキトは右手を挙げて別れの挨拶を済ますと、脱兎の如く、その場から走り去って行く。
猛然と逃げて行くアキトの背中を、つかさと薫は茫然と見送るしかなかった。
「……何をあんなに怯えていたんだろう?」
「さあ? ただひとつ言えるのは、あのバカのことは、誰にも理解できないってことよ」
考えるだけムダ、と薫はバッサリ切り捨てた。
再び駅へ向かって歩き出そうとすると、またしても背後から駆けて来る足音が聞こえてきた。アキトが逃げていたのは、この人物からか、と思い当たり、二人が興味津々に振り向くと──
「待たんかい、このアホんだらぁ!」
聞こえてきたのは、どぎつい関西弁だった。しかも聞き覚えのある声。
「寧音!?」
それは 琳昭館 高校新聞部に所属している一年C組の女子生徒、徳田 寧音 だった。
寧音はデジカメを片手に、先程のアキトよりも恐ろしい鬼の形相で走って来た。その迫力に、つかさも薫も気圧される。
一旦、二人を追い抜いて行った寧音だが、やはり五十メートルくらい行くと、アキトと同じように後ろ向きで戻って来た。おまけに足踏みまで真似して、二人の横に並ぶ。
「薫はん、仙月はんを見んかった!?」
素直に教えないとしばき倒すぞ、というような寧音の剣幕に、つかさと薫はコクコクとうなずいた。
「どっちや!?」
二人はまったく同じタイミングで、駅の方を指差した。寧音はレンズが牛乳瓶の底のようなメガネの弦をつまみ、ズレを直す。
「あっちやな? おおきに!」
寧音は礼を言うと、アキトのあとを追いかけ始めた。
ところが、何かを思い出したのか、寧音はまた二人のところへわざわざ戻って来た。おもむろに手にしていたカメラをつかさたちに向ける。
「はい、チーズ!」
つかさと薫は反射的にピース・サインをしながら、ポーズを取って写真に納まった。
カシャッ!
「よっしゃ、『一年生カップル、日曜日のデート現場を激写! 学園のアイドル、忍足 薫 のハートを射止めたクラスメイトの彼とは!?』──これでまた、おもろい記事が書けそうや!」
「ちょっ――寧音ッ!」
いつの間にかカップルに仕立て上げられ、つかさと薫は顔を真っ赤にさせた。薫はカメラを取り上げようとしたが、それよりも早く寧音は、ほなな、と言って手を振り、アキトを追いかけて行く。
まるで嵐のようにアキトと寧音が通り過ぎ、何だか買い物へ出掛ける初っ端からドッと疲れを覚える二人であった。
「な、何なのよ、あの二人は……?」
「……徳田さん、アキトのことを記事にしたがってたみたいだけど、まだ諦めていなかったんだね」
先日、あれだけの騒動(※ 第6話を参照)を起こしておいて、なおもジャーナリスト魂を燃え上がらせている寧音は、つくづく逞しいと思う。その反面、アキトの正体が 吸血鬼 だとバレやしないか、つかさは心配もしていた。
すると――
「……不吉だわ」
「うわあああああっ!」
唐突に耳元で囁くように言われ、つかさと薫は跳び上がって驚いた。
いつの間に背後に立ったのか。二人の武道家に微塵の気配も感じさせず、喪服姿の美少女が無表情のまま佇んでいた。
それは寧音と同じ一年C組の黒井ミサだった。つかさも薫も直接話したことはないが、彼女のタロット占いは不吉なくらいよく当たると校内でも噂されており、顔と名前だけはよく知っている。
ミサは二人に関心もなさそうな感じで、そのままフラフラと夢遊病患者のように歩いて行こうとしていた。
そんなミサに、薫が勇気を振り絞って声をかけてみる。
「く、黒井さん、これから何処かのご葬儀に参列するの?」
するとミサはゆっくりと振り向いた。
「……いいえ。どうして?」
と怪訝そうに尋ね返す。
「だって、それ……喪服でしょ……?」
まだ昼間なのに、薫は背筋が寒くなったような気がした。
そんな薫に、ミサが幸薄そうに微笑む。
「これ、私の普段着なの……」
そう言い残して、ミサは行ってしまった。
つかさと薫は二人して、その場にへたり込んだ。
「あわ……あわわわわわ……」
「な、何なのよ、いったい……?」
こうして波乱の日曜日は始まった。




